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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第四章 解術と戦争と帝国の希望と

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「オルガとソルか。お前たちも相変わらずだな」


 ラルネシオは面倒くさそうに言った。オルガたちの事は嫌いではなかったし、むしろその竜人らしい性格を好ましく思っているが、扱いにくいので自分の部下には御免だと思っている。


「お前たち……どうやって牢を出た」

 

 レオルザークは予想もしない乱入者に目を見開いたが、扉の影に隠れているトウマを視界に入れて地を這うような声を出す。


「トウマ、お前の仕業か」


 トウマは青くなりながら、「すすすすみ、すみすみ……」と声を震わせた。すみませんと言おうとして口が回らなかったようだ。

 レオルザークが立ち上がろうとしたところで、捕まる前にとオルガが口を開く。


「総長、俺は先代に子どもがいた事について、将軍たちの考えを聞きに来たんだ。……もちろん将軍たちにはハルの事を話してるんだよな?」


 オルガはレオルザークがハルの存在を秘密にしていると分かっていて、そう皮肉を言った。

 レオルザークは視線でオルガを射殺せるくらい強く睨みつけてくる。普通の竜人ならばここで怯えて口をつぐんでしまうが、オルガには幸いにも恐怖という感情は欠落しているのだ。


「エドモンド様に子どもがいた、という噂は最近よく耳にするな。しかし確証のない噂だ」

「その噂を頼りにクロナギを追って軍を離反する馬鹿どもが出ている事も知っている」

「だが、『ハル』とは? 噂が広まるうちに名前まで捏造されたのか?」


 ラルネシオ、ジン、サザが順番に言う。グオタオはそんな噂が出ている事も知らなかったようで、寝耳に水といった顔をしていた。


「捏造じゃねぇ。俺とソルは実際にハルに会ってる。先代の娘に」


 レオルザークが厳しい顔をしている奥で、将軍たちは四人揃って目を丸くした。


「何故エドモンド様の娘だと分かる」

「顔がそっくりだ。性格も。一目見れば先代の血を継いでいるとはっきり分かる。髪の色こそフレアと同じだが、瞳は緑金で、ドラゴンに懐かれる。先代が持っていた指輪も受け継いでるし……とにかく見りゃ分かるよ」


 途中で説明を放棄してオルガは言った。

 

「その子は今までどこにいた?」

「フレアと一緒にジジリアにいた」

「フレアは元気にしているか?」

「もう死んでる。病気だと。三年前つってたかな」


 サザの質問にテンポよく答えていく。


「クロナギは先代が死んだ事をフレアに伝えようとして、そこで偶然ハルを見つけたんだ。ハルは自分がドラニアスの皇帝の血を継いでいるという事は、クロナギに教えられて最近知った」

「その娘はエドモンド様の後を継ぐつもりでいるのか?」


 今度質問したのはグオタオだ。


「いや、躊躇してる。自分には無理だと。だけど俺はできると思うぜ。素質はある」


 オルガはその他にも、ハルが行方不明になっている今の状況を将軍たちに話して聞かせた。するとジンは腕を組んでオルガを責める。


「お前たちやクロナギがいながら、その娘を見失ったというのか。ヴィネストだというのに、聞いて呆れる」


 一方、グオタオは椅子から立ち上がってこう言った。


「待て! という事は我が娘のアナリアも、そのハルという名の子どもと会っているのか?」


 オルガはその問いに頷き、「すっかり溺愛してる。けど、今はアナリアもどこにいるかは分からねぇ。ハルを捜して、ラマーンにいるはずだが」と付け加える。


「レオルザーク、どうして黙ってた」


 ラルネシオが代表して言う。他の将軍たちの視線もレオルザークに向いていた。レオルザークは動揺する事なく答える。


「彼女では皇帝として不十分だと考えたからです。自分の父親の名も知らず、人間として育った混血の子どもに皇帝は務まらないでしょう。そんな半端な子どもの存在を明かしたところで、ドラニアスは混乱するだけだ」

「皇帝が務まるかどうかは、お前だけが判断する事ではないだろう」

「我々も是非その子に会ってみたいものだ。彼女をどうするか決めるのはそれからでも遅くはない」

「よし! 皇帝にならないのであればその子どもはうちで面倒を見るとしよう。アナリアも喜ぶぞ!」


 ジンとサザ、そしてグオタオが順に発言する。皇帝として認めるかは別として、グオタオはすっかりハルを受け入れる気でいるようだ。


「それは抜け駆けというもんだ、グオタオ大兄オドム。うちの養子にしてもいい」


 ラルネシオが軽口を叩く。将軍たちは柔軟にハルを受け入れる気でいるようだが、レオルザークは対応を変えようとはしなかった。


大兄オドムらは軽く考えすぎている。皇帝の血は、良くも悪くも竜人を惹き付ける。その子どもはドラニアスの希望にもなり得るが厄災にもなり得るのです。彼女を皇帝にしたい者としたくない者の間で争いが生まれるかもしれない。彼女をドラニアスに入れてはならない」


 早口で喋るレオルザークの様子は、珍しく必死に見えた。


「その子どもに会わないうちから拒絶する事はないだろう」

「希望になる可能性があるのなら、そこに賭けてみるというのも一つの手だ」

「ドラニアスはこのままでも、どの道ゆっくりと崩壊に向かうだろうしな」


 グオタオ、サザ、ジンの言葉に、レオルザークは厳しい顔をして円卓を離れると、無言でオルガたちの横を通り過ぎて部屋を出て行ってしまった。

 将軍たちは年長者らしく、呆れたように笑う。


「レオルザークもまだ子どもだな。エドモンド様の死を、上手く乗り越えられないでいる」




 禁城から出ると、レオルザークは一人で当てもなく外を歩き回った。すでに日は落ちて辺りは暗くなっている。

 その途中、警備の竜騎士が二人でなにやら口論しているのを見つけたので「仕事に集中しろ」と叱りつけておく。


「申し訳ありません」


 二人はすぐに姿勢を正してそう言ったものの、レオルザークが去ろうとしたところで、片方の竜騎士が意を決したように声を掛けてきた。


「あの、レオルザーク総長っ! エ、エドモンド様の御子がおられるという噂は……本当なのでしょうか!?」

「馬鹿! 根も葉もない噂の事で総長を煩わせるなよ!」


 もう片方の竜騎士は慌てて相棒の肩を叩く。どうやら先程の口論も、この事に関して言い合っていたようだ。一人は信じているが、もう一人は噂を信じていない。

 けれどその信じていない竜騎士の方も、僅かな希望を目に滲ませてレオルザークに尋ねてきた。


「総長……、噂は真実じゃない、ですよね?」


 質問とは裏腹に、真実であってほしいと思っているような表情だ。この二人も、新たな皇帝を求めている。

 

「ただの噂にいちいち心を乱すな」


 結局、レオルザークは肯定も否定もせずにそれだけ言って、その場を去った。

 ハルの存在を明らかにした方がいいのか、しない方がいいのか、レオルザークも迷い始めていた。

 クロナギだけでなく、オルガやソル、アナリアまでハルを認めたというのなら、彼女には皇帝としての素質があると言ってもいいのではないだろうか。


 冷静な自分はそう考えているものの、心の奥底にいる弱い自分は、彼女と顔を合わせたくないと訴えている。

 何故、顔を合わせたくないのか、それは――


「おや、総長さん」


 声を掛けてきたのは、ドラゴンの調教師である中年の男だった。レオルザークはいつの間にか竜舎の方まで歩いてきていたのだ。

 調教師は、ちょうど調教を終えたドラゴンを竜舎に入れて扉を締めたところだった。

 このベテランの調教師とは昔からの知り合いなので、レオルザークにも気軽に挨拶をしてくる。レオルザークもハルの事を一旦頭の隅に置いて、彼に親しげに話し掛けた。


「今日は遅くまでやっていたんだな」

「ええ、一頭、きかん坊がいましてね」


 調教師は目尻に皺を作って朗らかに笑った。


「若いドラゴンか?」

「ええ、そうです。どうも、なかなかこちらの指示を聞いてくれません。しかしもう調教を終えたはずのドラゴンの中にもやる気のない者が出てきて、手を焼いておりますよ。不思議なもんで、ドラゴンたちも皇帝がいなくなった事が分かるんでしょうなぁ。皆、どうも不安定です」

「……そういえば、あの猫はどうした? 姿が見えないが」


 レオルザークは皇帝の話題を嫌がって話を変えた。

 この竜舎には野良猫が住み着いていて、調教師はドラゴンと一緒に猫の事も可愛がっていたのだ。

 五年ほど住み着いていた黒ブチ猫が死んだ後には、その猫にそっくりな子猫がどこからかふらりとやってきて、またここをねぐらにしていたはずだ。


「ああ、あいつは猫好きの知人に貰ってもらったんですよ」


 調教師は寂しそうに笑って言った。


「何故だ? ブチの生まれ変わりだと言って可愛がっていただろう。ここに置いておいても、別に誰も注意したりはしないぞ」


 レオルザークも、実は猫は嫌いではない。

 しかし調教師はやるせないといったふうに首を横に振った。


「確かにあの子猫はブチにそっくりでした。黒ブチの柄も短いしっぽも、少し不細工な顔も、ふてぶてしい態度も。でもね、総長さん、似ているから辛いんですよ。あの子猫を見るたび、ブチの最期を思い出しちまってね」


 そこでレオルザークも表情を暗くした。ブチのいう名の猫の死には、レオルザークも関わっていたからだ。

 ブチは晩年――といってもまだ五、六歳だっただろうが――皮膚病にかかって、治療の甲斐なく痛々しい姿になり、ご飯を食べるのも薬を飲むのも辛そうな様子を見せ、みるみる内にやつれていった。

 そして痛みに苦しむその姿があまりに可哀想で見ていられないと、調教師は泣きながらレオルザークにブチを殺してやってくれと頼んできたのだ。自分では上手く逝かせてやれないだろうからと。

 そこで最後は薬で眠らせてから、レオルザークは調教師に頼まれた通りにブチを楽にしてやったのだった。

 生かすか安楽死させるか、どちらが正しい道だったのかは分からないが、ブチも生きるのが辛そうだったため、安楽死させた事をレオルザークは後悔していなかった。

 しかし調教師はまだ、あれでよかったのだと割り切る事ができないようである。


「ブチにそっくりな子猫を見てると、涙ばっかり出てきちまってね。懐かしくてじゃないですよ、ブチが病気で苦しんでた姿や、悲しい最期ばかりが頭に浮かぶんです」


 調教師の告白に、レオルザークは胸を突かれたような気持ちがした。彼の心情はよく理解できたのだ。

 ただしレオルザークが想うのは、ブチと子猫ではなく、エドモンドとハルの事だ。


 ドラニアスのためにハルを遠ざけるべきだともっともらしい事を言ってきたが、本当は自分がハルと会うのが怖いだけなのかもしれない。

 ハルを見れば、きっと自分はエドモンドの事を今以上に思い出してしまう。それも幸せな記憶ではなく、エドモンドの最期の事を。


『エドモンド様!』

『レオ、ザーク……、みん、な、ごめん……』

『エドモンド様ッ!』


 エドモンドはレオルザークたちが部屋に踏み込んだ直後に力なく目を閉じて、その後何度揺すっても、どれだけ声を掛けても、二度とその緑金の瞳を見せてくれる事はなかった。

 魔術の暴発というかたちで攻撃されたため見た目に傷はなく、治療のしようもない。レオルザークは情けなくも完全に取り乱していて、クロナギたちと共に、もう心臓を止めてしまったエドモンドにひたすら言葉をかけ続ける事しかできなかった。

 視界の端でラマーン王を問い詰めていたのはラルネシオだっただろうか、そして首を落としたのはジンだったかもしれない。その時の事はあまりよく覚えていなかった。


 本人も気づいていないけれど、レオルザークはこう見えて誰より繊細だった。そして誰より真面目であるために、今でも自分を責め続けている。


 エドモンドが死に際に謝罪したのは、ラマーンと交流を持とうとした自分、あるいはラマーン王との二人きりの会談に応じた自分の行動が軽率だったと思ったからではないだろうか。

 もしくは、死んではならない立場にいるのに、ドラニアスの国民を残して死んでしまう事を申し訳なく思ったのかもしれない。


 けれどエドモンドに最期にそんなふうに謝らせてしまった事を、レオルザークはずっと後悔していた。

 エドモンドを守るというのが自分の仕事なのに、それを全うできなかった。竜騎士を名乗っておきながら何の役にも立たなかった自分を今でも呪っている。


「気持ちはよく分かる……」


 レオルザークは低い声で、調教師に言った。

 今、ハルと顔を合わせれば、レオルザークはエドモンドの死に顔ばかりを思い出すだろう。自分が守れなかった主の最期の姿を。

 レオルザークはそれが恐ろしかった。主をみすみす死なせてしまった自分の不甲斐なさを、ハルを見るたび改めて確認させられる事になると。


 レオルザーク・バティスタはドラニアス軍の軍団長であり、ドラニアス最強の戦士だ――周りの者たちは皆、きっとそう認識している。


 けれどその最強の戦士がこんな事で怯えているなんて、誰が予想するだろう。

 自分でも自分が情けない、とレオルザークは奥歯を噛んだ。

 

 調教師はレオルザークがエドモンドの事を考えていると察したのか、かける言葉が見つからないようで、会話を打ち切り会釈だけをして竜舎から離れていく。

 

「レオルザーク」


 と、そこへ現れたのは副官であるサイファンだった。

 レオルザークは地面をじっと見つめたまま、背後にいるサイファンへ問いかけた。


「……オルガとソル、トウマはまだ会議室にいるか? 捕まえて檻にぶち込まねば」

「いえ、それどころではなくなりました。ヤマトから手紙が届いたのです」

「ヤマトから?」


 レオルザークは振り向いて、サイファンと目を合わせた。

 サイファンは手に持っていた手紙をこちらに差し出してくる。半分に破かれて、ぐちゃぐちゃになっている手紙を。


「グオタオ将軍が怒りに任せて破いてしまったのです」

「何故そんな事に?」

「内容を見れば分かります。すでにサイポスからはラマーンの王都へ攻め込むつもりだという連絡は来ていましたが、ヤマトもサイポスとラマーンが戦争になるという情報を掴んで連絡してきたようです。しかしグオタオ将軍が怒ったのは……」

「これだな」


 レオルザークは手紙を読み進めて眉根を寄せた。

 そこにはヤマトの筆跡で、アナリアがサイポス軍に捕まっていると書いてあった。

 しかもただ捕まっているのではなく、魔術師によって“奴隷術”という術をかけられ、言いなりになっていると。

 サイポスとラマーンの戦争では、アナリアもサイポス軍の一員として戦いに参加させられるに違いないので、彼女を奪還するためにドラニアス軍の人員をさいてくれ、という事をヤマトは言いたいらしい。


「ヤマトは今どこにいるんだ。サイポスとラマーンが戦争になる事、そしてアナリアが捕われているという事しか書いてないな」

「少女の事が気になりますか?」


 サイファンはほほ笑みを浮かべて言った。


「オルガの話によれば、ヤマトも少女を追っていたようですからね。無事に発見して側にいるのか、それとも発見できなかったのか。……やはりラマーンとの交渉に乗った方がよかったのでは? 今、彼女はどこでどうしているのでしょうね。ラマーンの者たちから酷い扱いを受けているかもしれませんよ」


 オルガたちにはハルは酷い扱いは受けていないだろうと言ったサイファンだったが、レオルザークをけしかけるために、彼にはそれとは反対の事を言った。


 サイファンはレオルザークの弱さに気づいている。子どもの頃から一緒にいるのだから当たり前だ。

 そして、彼に立ち直ってもらうために、ハルを受け入れてほしいと考えている。

 しかし仕事の事に関しては頭のいい副官の助言をよく聞くレオルザークも、この事に関してはいつもサイファンの言葉を素直に聞こうとはしない。

 頑固なレオルザークは、ただサイファンをひと睨みして話を変えた。


「サイポスとラマーンが戦争になれば末の王子も出てくるだろうと、元より我がジラスタサルーファを派遣するつもりだったが、アナリアも助けねばならんとなると、さらに兵を増やさねばな」

「グオタオ将軍が出るつもりのようですよ。愛娘を捕らわれているのです、当然でしょう。サイポスの魔術師も馬鹿な事をしたものです。砂漠に住まう小さなトカゲの分際で竜を従えようとは、笑ってしまいます」


 サイファンは目を細くして冷淡に言った。


「グオタオ大兄オドムを止める事はできんだろうからな、レドリアにはアナリアを助けに向かわせ、黄と黒は元の作戦通り、末の王子抹殺に集中する。他の二人は何と言っていた?」

「ラルネシオ将軍とサザ将軍も、少女を探すために参戦するつもりのようです。実は……」


 サイファンはそこで困ったように笑った。


「ラマーンから『少女を引き渡す代わりにティトケペル王子を見逃してほしい』という交渉を持ちかけられた事、オルガが喋ってしまいまして。まぁ、オルガにそれを話したのは私なのですが」


 サイファンは悪びれずに続ける。


「とにかく、そういう交渉を持ちかけてきたという事は、少女は今ラマーンにいるのだろうという事になりまして、ラルネシオ将軍とサザ将軍は自団を率いて、さらにオルガとソル、トウマも連れて少女を助けにラマーンへ向かうつもりのようです」


 それを聞いたレオルザークは、深くため息をついて片手でこめかみを擦った。


「好きにさせろ……」


 これ以上ハルの存在を隠し通す事はできないし、遠ざけ続ける事も難しいのかもしれない。

 レオルザークの意志とは裏腹に、ハルという少女の存在は少しずつドラニアスに知れ渡り、近づいてきているのだ。


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