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ドラニアスは大昔、五つの小さな国に分かれていた。
竜人たちはその東西南北・中央の五つの国同士で戦争を繰り返し、同族間で殺し合いをしていたのだ。
大きな戦いが終わった後はしばらく静かな日々が続くものの、またどこかで紛争が起き、やがて再び戦争になる。
それは二つの国の間で起こることもあれば、五つ全ての国を巻き込む事態に発展する事もあった。
そんな状態が何年、何十年も続くと、さすがの竜人たちも疲弊して戦いばかりの日々に嫌気が差してくるが、いつ他国から襲われるか分からないと疑心暗鬼になって、攻撃する事をやめられずにいた。
人間たちはよく竜人の事を野蛮な戦闘種族だと言うけれど、この時代に限ってはそれはあながち間違いではなかったのだ。
しかし、その戦いばかりの荒れた時代に終止符を打ったのが、たった一人の赤ん坊の存在だった。
赤ん坊は、五つの国を巻き込んだ大戦中に、中央地区の岩山の上で発見された。
見つけたのは、五つの国それぞれの大将たちだ。こんな偶然などあるはずがないのに、彼らは自分たちの部隊を率いて、引き寄せられたように同時にその岩山に登ってきた。何故かそこへ行かねばならないと思ったのだという。
赤ん坊は岩山の頂上付近にいて、辺りに親の姿はなかった。
しかし代わりに野生の岩竜や飛竜にわらわらと周りを囲まれており、不思議な緑金の目をした赤ん坊は無邪気な顔をして彼らにあやされていた。
五人の大将たちはもちろん敵同士だったが、奇妙な赤ん坊の存在に気を取られて、思わず戦う事を忘れた。
無垢な赤ん坊を見ていれば、怒りや恨み、闘志も萎んでいく。
そして乳を求めるこの赤ん坊をとにかく助けなければと、協力して山を下りた。
そして山を下りてからも、多くの竜人を巻き込んで赤ん坊の世話に奮闘した。
なにせ赤ん坊は普通の竜人より体が小さく、弱かったから。
乱暴に抱っこすれば首が折れてしまいそうだったし、竜人の赤ん坊は生まれてすぐに這って歩く事ができるけれど、この赤ん坊は自力で寝返りすら打てなかった。
けれど本人はいつも機嫌よく笑っていて人懐っこく、戦争で疲れた竜人たちの心を癒していった。
するとやがて、このか弱い赤ん坊が無事に毎日を過ごせるよう平和を望む声が増え、それが周囲の人々にも伝わっていく。
噂の不思議な赤ん坊を見に来る人が増え、それと同時に戦いは終息していった。大将たちは話し合いの場を設け、お互いの国を侵略しない事を約束した。
こうして不思議な赤ん坊は戦争のない平和な日々を過ごし、周りの竜人たちに世話をされながら健やかに成長していった。
そして大人になった彼は五つの国を一つにまとめ、ドラニアス帝国を築いたのだった。
これが初代皇帝が誕生した簡単な経緯だ。
結局彼の親は誰だか分からなかったが、ドラニアス内では皇帝は神の一族だと信じられている。
ドラニアスが戦争で滅びる事を危惧した神の一人が、竜人の赤ん坊に姿を変えてこの地へ降り立ったのではないかと。
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禁城の最上階は皇帝の住居だ。
部屋はいくつかあるが一番奥はエドモンドが使っていた寝室で、権力者の部屋にしては落ち着いた色合いでまとめられている。たとえばカーテンや寝具などには、エドモンドの髪と同じ深い緑色が使われていた。
レオルザークはその部屋で一人佇みながら、エドモンドが亡くなってからもそのままにしてあるベッドに手を触れた。いつ主が帰ってきてもいいように、シーツなどは定期的に洗濯されていつも清潔に保たれている。
けれどもう、このベッドでエドモンドが寝息を立てている姿を見る事はない。彼は今、この禁城の北にある皇帝一族の墓に眠っている。レオルザークがその手で、遺体の入った棺を墓室に納めたのだ。
もう悲しみを感じる心は壊れてしまったと思ったのに、この空っぽの部屋を見るといまだにレオルザークの胸は傷んだ。
自分がもっとしっかりしていれば、主をきちんと守る事ができていればと、何度後悔したって足りない。
「レオルザーク。またここにいたのですか」
開いたままだった扉から、サイファンが顔を覗かせた。
「何か用か」
レオルザークがベッドを見下ろしたまま返すと、サイファンは息を吐いて言った。
「そろそろ将軍たちとの会議の時間ですよ。今日で三日目ですね。一体いつまで続くのでしょうか」
サイファンはレオルザークを含めた五人の将の事を、自分の意見を曲げようとしないわがままな子どものように思っているのかもしれない。サイファンの声には大人げないレオルザークたちを責める気持ちが滲んでいるように感じた。
しかしレオルザークはそれに反応する事はせずに、「今行く」と静かに返して部屋を後にする。
禁城にある広い会議室の中、中央に設置された円卓を囲んで、四人の将軍たちとレオルザークは睨み合っていた。
レオルザークはぐっと強く眉根を寄せて、怒りに震える低い声を出す。
「ドラニアスを五つに分ける? そんな事をすればエドモンド様がどれだけ悲しまれるか。大兄らは一体何を考えておいでなのか」
大兄という呼び名は、ドラニアス内では自分より年上の男性を敬って言う時に使う。レオルザークは四人の将軍たちを尊敬しているけれど、今は彼らと意見を違えていた。
「そうは言ってもな、レオルザーク。皇帝なしにドラニアスが一つで在り続けるのは無理があるぞ。それよりは初代皇帝が現れる前のように五つに別れて、それぞれが限られた地域を統治した方がいい。俺たちにもお前にも、皇帝のような求心力は無いんだ」
西の白の将軍、ラルネシオ・ワイドは疲れたように言った。
彼の髪型は、薄い金色にも見える白髪の緩いくせ毛で、それを適当に後ろへ流している。少し派手な服装と相まって洒落た雰囲気だ。
中年と言っても顔立ちは整っていて、性格も気さくで温厚なので、今でも女性には困らないだろうと思われた。
「しかし、それではまたいつか五つの国の間で争いが起きるかもしれない」
「大昔のような悲惨な状況にはならんだろう。国が分かれても我々は同志だ。同じ主に仕え、守っていたのだから」
レオルザークの言葉に低い声でそう返したのは、北の黒の将軍であるジン・ゲートだ。四人の将軍の中では一番若いが、レオルザークよりは十ほど年上で、見た目は四十半ばほど。
ざんばらの黒い髪を後ろで一つに結んでいて、金の目は常に鋭い。
雰囲気は寡黙で暗く、日々の厳しい自己鍛錬のせいか頬は僅かに痩けていて、目の下には隈がある。少々とっつきづらい空気を持つ将軍だ。
しかしレオルザークはそんなジンにも堂々と反論をする。
「確かにそうですが、それがいつまで持つか。我々の時代には大きな戦争は起きないとしても、子どもたちや孫の代はどうなるか分からない。かつて同じ主に仕えたと言っても、この一年で生まれた子どもたちはエドモンド様の事は知らないのです」
「そうだな。分かれないで済むのなら、私もドラニアスはこのまま一つであるのがいいと思う」
レオルザークの意見に、東の青の将軍サザ・アラスカが同意する。
穏やかな雰囲気のサザはこの中で一番年上で、年齢は百を超えているが見た目は五十代くらい。しかし若い頃のまま、二メートル超えという竜人の中でも特に高い身長を保っている。
青の将軍になった時から染めている髪は薄い青色でウェーブがかっており、長さは腰まである。
目は優しく垂れていて何を言っても怒らなさそうだが、もし失望されてしまえば、穏やかにほほ笑みながら切り捨てられそうな怖さもあった。
「だが、すでにあちこちで小さな衝突が起きているんだぞ。軍の中で竜騎士たちが起こす喧嘩も、簡単に元の関係には戻れないくらい拗れる事も多くなった。俺たちがここでこうやって揉めて三日も話し合いを続けている事も、エドモンド様が亡くなってしまった影響に他ならない。皇帝を守るためという共通の志がなければ、竜人が一つにまとまるのは難しい」
ラルネシオはそう言うと、眉をしかめて苦い顔をし、続けた。
「……腹を空かせた肉食獣を同じ檻に入れているようなもんだ。いずれ共食いが始まる」
会議室は一瞬しんと静かになった。レオルザークの後ろではサイファンが立ったまま控えており、成り行きを見守っている。
レオルザークはやがて口を開いた。
「国の中で衝突が起これば、その都度我々が止めればいいだけの事です」
「どうやってだ? ドラニアスの国民性はよく知ってるだろ? 竜人ってもんは、本来は自分勝手な生き物だ。皇帝以外の人間が言い聞かせたって聞きやしない」
そう言ったラルネシオに、レオルザークは冷徹な口調で返す。
「言って駄目なら、この拳を振るうだけです。天に帰られたエドモンド様を悲しませないためにもドラニアスは一つでならなければならない。それを無視して勝手な争いを始める者は、私がこの手で懲らしめるまで」
「そうだ、その通り! 古来、我々は強い者の言う事に従って生きてきたのだ。武力で物事を解決するという方法が、現在のドラニアスに合っているのではないか? エドモンド様が去られてしまった今、皇帝の力に頼った国造りは望めんのだ。……ああ、彼の君がこんなにも早く亡くなってしまわれるとは、一体誰が予想できた?」
残る一人の将軍、南の赤のグオタオ・フェニックスは、その厳つい顔を紅潮させて涙を滲ませた。
短く刈り上げた真っ赤な髪と髭、そしてオルガ以上の筋肉に包まれた肉体を持つ、熱血漢だ。
大きな体に見合った豪胆な性格をしているが、熱くなって一人で突っ走りがちでもある。
一人娘を溺愛する父親でもあるのだが、その娘というのがアナリアだ。激情しやすい性格は親子でよく似ているのかもしれない。
おいおいと泣き始めたグオタオを放って――エドモンドの話になるといつもこうなのだ――レオルザークは語勢を強めた。
「我々に歴代の皇帝たちのような求心力はないですが、代わり戦闘に特化した力がある。たとえ力尽くになったとしても、私はこの国をまとめてみせます。――ドラニアスは一つ。ぼろぼろと崩れていく土でも、圧力をかけて握り込めば塊になる」
独裁者、という言葉がぴったり当てはまるような威圧的な顔をしてレオルザークは言った。
そんなレオルザークにドラニアスを任せるのは不安なのか、先ほどは彼に同意していたサザが意見を変えて呟いた。
「……力で支配するという手段しかないのなら、いっそバラバラになってしまうのもいいかもしれないな」
五人の意見は割れていた。レオルザークとグオタオはドラニアスは一つであるべきだと言うが、ラルネシオとジンは五つに別れてやっていった方がいいと言う。そしてサザは、一つの国としてやっていけるならその方がいいが、別れなければ平穏は築けないというのなら国を分割するべき、という考えだ。
「何度話しても平行線だな」
ラルネシオはため息をついた。誰も妥協しようとはしないので、話は一向にまとまらない。
「そういや、ラマーンのガキはどうなった? 見つかったのか?」
背もたれに体を預けたラルネシオが、やる気の見えない姿勢で尋ねた。聞いておきながらどうでもいいと思っていそうな口調である。
レオルザークは眉をひそめて言う。
「まだです。大兄らが協力をしてくれていたのなら、もう見つかっていたかもしれませんが」
行方不明になっているラマーンの王子――ルカの事でも、五人の意見は分かれている。
レオルザークとジンはルカを殺すべきだと考えているが、ラルネシオとサザは、ルカという竜人にとっての共通の仇を殺してしまう事を躊躇している。
今、ラマーン憎しと燃えている炎はルカが処刑されれば行き場を失い、やがて自国への不満として向けられる可能性があるからだ。
外の問題が解決すれば、国民の意識が国の中の問題――皇帝不在という問題に向くのは当然の事。
ちなみにグオタオは、エドモンドを直接殺したわけではないという事、そしてルカがまだ幼い――といっても十七歳だが、グオタオにとっては未熟で無力なのだ――という事もあって、ルカにはあまり興味が無いようである。
わざわざ捜し出して殺すほどの存在ではないと思っているのかもしれない。
したがって、今ラマーンに多くの兵を出しているのはレオルザークの黄とジンの黒で、他の団からは気まぐれに少数の竜騎士が派遣されるだけである。
レオルザークは苦々しい表情で、自分より先輩の将軍たちを非難した。
「ラマーン王は我が国の皇帝を殺め、天逆罪という罪を犯したのです。本人はもちろん、その一族も全員処刑されねばならない。そういう決まりだ。しかし大兄らはその法を無視している」
「国のためを思えばこそ。ティトケペル王子という憎まれ役がいなくなれば、ドラニアスの国民はまとまらなくなるだろう」
サザが穏やかに言うと、レオルザークは眉間の皺を深くした。
「これも平行線、と」
ラルネシオが葉巻に火をつけながら呟く。
「おい、よせ、ラルネシオ! よくそんなものを吸えるな。煙たくてかなわん」
「煙草くらい吸わせてくれよ、グオタオ大兄」
「そんなものを好むなど、お前は本当に竜人か? 嗅覚が馬鹿になっているのではないか?」
「ははっ」
ラルネシオは乾いた笑い声を漏らして、適当にグオタオをあしらった。隣ではまだレオルザークとサザが意見を交わして――もとい静かに口喧嘩をしている。
ここにエドモンドがいたならば、そののほほほんとした空気で場を和ませてくれた事だろう。何も考えていないように見えて、レオルザークを上手く諌めたり、意外と頑固なサザを説得したりもできる人だった。
(ああ、寂しいな……)
レオルザークたちの言い合いを聞きながら、ラルネシオが目を閉じた時だ。
会議室の扉が乱暴に開けられたかと思えば、廊下からオルガとソルが堂々と中に入ってきた。さらにその後ろにはトウマがいて、びくびくと部屋の中を覗いている。
「四人とも相変わらず元気そうで!」
オルガは威勢よく声を張り上げた。
四将軍の外見イメージまとめ
【西の“白”ラルネシオ・ワイド】面倒見の良いマフィアボス
【北の“黒”ジン・ゲート】眼光鋭い修行者
【東の“青”サザ・アラスカ】物知りで穏やかな賢者
【南の“赤”グオタオ・フェニックス】赤い熊!




