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「あー、くっそ!」
ガチャン! と大きな音を立てて、牢屋の鉄格子が揺れる。
オルガとソルは向かい合わせで、それぞれ別の牢に入れられていた。ここは禁城近くにある牢獄だ。法を犯した罪人を入れる事もあれば、規律を守らなかったり、喧嘩をして暴れた竜騎士の反省部屋として使われる事もある。
オルガはイライラと狭い牢屋の中を動き回っていて、ソルは鼻血を流したまま不機嫌そうに冷たい石の床に座り込んでいる。
二人とも先ほどの戦闘でいくつか怪我を負っていたが、命に関わるようなものでもなく、竜人は怪我の治りが早いという事もあってとくに治療はされていない。
「おい、大人しく反省してろ」
と、殺気立っている二人に声を掛けたのは、この場の警備を任されている竜騎士だった。
名前はトウマといって、赤茶色の短い髪をツンツンと立てている。彼はオルガたちより先輩であるため、臆する事なく注意してくる。
「なぁ、おい、出してくれよ」
「無理に決まってんだろ、馬鹿か」
「てめぇに馬鹿とか言われたくねぇよ」
「てめぇとか言うんじゃねぇよ! 先輩だぞ俺は!」
ぎゃあぎゃあとドスのきいた声でやり合う二人。
終いには鉄柵越しにお互いの胸ぐらを掴み合っている。
「出せよ!」
「無理だっつーの! てか敬語使え!」
ちっ、と舌を鳴らしてオルガは相手から手を離したところで、それまで黙っていたソルがぼそっと口を開いた。
「あんたらが知らない事を教えてやる」
トウマはくるりと振り向いてソルを睨みつけた。
「お前までタメ口きいてんじゃねぇよ。オルガよりさらに後輩だろーが、おめぇはよ!」
「先代の子どもがいる」
「は?」
ソルは淡々と自分の話を続けた。
「皇帝の血は途絶えていない。先代には娘がいた」
「お前……何言ってんの?」
「けど、今は行方不明だ。だから俺たちは捜しに行こうとしてる。総長も娘の事を知ってるが、情報をあんたらには隠してる」
トウマは最初はうろたえていたが、やがて眉間にしわを寄せてこう吐き捨てた。
「珍しく喋ったと思ったら、くだらねぇ事言ってんじゃねぇ」
「ソルが言ってんのは本当の事だ。皇帝の血は途絶えてない」
「オルガまで……」
ぐっと奥歯を噛むと、トウマ我慢の限界だというように怒鳴り散らした。
「お前らいい加減にしろ! 言っていい嘘と悪い嘘ってもんがあるだろうが!」
腕が折れるのではないかと思うほど強く牢の格子を叩くと、肩を上下させて大きく呼吸をする。
「よりによって皇帝に関する事でデタラメ言うんじゃねぇよ!」
そして腹を立てたまま、外へと出て行ってしまった。
オルガはその後姿が見えなくなると、ため息をついてこう呟く。
「どいつもこいつも繊細な野郎ばっかりで困るな。そろそろ先代の死から立ち直ってほしいもんだぜ、全く」
翌日になっても、オルガたちはまだ牢の中にいた。どうにか脱出できないかと暴れてみるも、竜人用に作られているこの牢はまさに堅牢だった。鉄格子を蹴りつけても外れはしないし、オルガの馬鹿力で石の壁を殴ってみても指の骨が折れただけ。
「駄目だな」
パキ、と音を鳴らしつつ、オルガは折れた中指を正しい位置に戻した。
一方向かいの牢の中ではソルが粗末なベッドの上ですやすやと寝息を立てている。ソルも昨日は鉄格子を壊そうとしていたので疲れたのかもしれないが、それにしたって寝過ぎだ。
「相変わらずよく寝るやつだな」
一人呟いて、オルガもその場にどかりと座り込む。時刻はそろそろ正午になる頃だろうかと予想したところで、ちょうどトウマが食事を運んできた。
「おら、飯だ」
両手に持っていた盆を一旦床に置いてから、食事を差し入れるために格子の一部の鍵を開ける。
「俺らいつ出られるって?」
「まだ決まってない。総長の怒りが解けるまでじゃねぇか? おい、ソル! 起きろよ! お前朝の分も食ってねぇじゃん」
意外と面倒見のいいトウマは、オルガに昼食を渡した後、ソルの牢屋の中で冷め切ってしまった朝食を見て言った。
ソルはやっと目を覚ますと、のっそりと起き上がって鉄格子の前までやってきた。オルガもそうだが、ソルも昨日レオルザークや他の竜騎士たちとやり合ったせいで、殴られたところが痣になっている。鼻血は乾いて赤黒くこびり付いていた。
「顔拭いとけよ」
トウマは食事と一緒に持ってきた手拭き代わりの濡れタオルをソルへ放る。ソルは適当に顔を拭くと、昼食と一緒に冷めた朝食も気にせずガツガツと食べ始めた。
トウマはそれを見ながら、何故か牢の前で佇んで動かない。
「なんだよ。まだ何か用があんのか?」
あっという間に食事を終えたオルガが声を掛けると、トウマは神妙な顔をして振り向いた。
「昨日の話……。エドモンド様に娘がいたって……本当なのか?」
もごもごとした口調だったが、静かな石の牢獄の中ではしっかり響いて聞こえた。
「本当だ」
「……実は最近、軍の中で噂が回ってる。しばらく前から姿が見えなくなったクロナギ・ロードは、エドモンド様の子を迎えに行ったんじゃないかって」
そんな噂が回っているとは知らなかったオルガは目を丸くした。クロナギはフレアに会いに行っただけだが、結果的にはハルを迎えに行ったような形になったわけだから噂は当たっているも同然だ。
トウマは続ける。
「俺はその噂を全く信じてなかった。希望を持ちたいだけの奴らが、勝手にそう想像して盛り上がってるだけだと。けど、お前らの話が本当なら……」
「だから本当だって。けどその子どもは今、たぶん危険な状況にいる。俺らをここから出してくれねぇとみすみす死なせる事になるかもしれねぇぞ」
その発言が真実なのか推し量ろうとするように、トウマはじっとオルガを見た。絶望の淵にいる者が希望の光を見せられたものの、その光が幻なのではないかと疑心暗鬼になって、手を伸ばそうか迷っているような表情だ。
信じて期待を抱いてしまったのに、嘘だったら再び絶望する事になると怖がっているのかもしれない。エドモンドが死んで以降、ドラニアスの人間はこの手の話題に触れる事に臆病になった。
そして結局トウマは鉄格子の鍵を開ける事はせずに、何やら物思いに沈んだまま牢獄を出て行ったのだった。
係を変わってもらったのか、夕食時にトウマは姿を表さなかった。別の竜騎士が食事を差し入れ、昼食分の空の皿を下げて出て行く。
しかしその直後に、別の訪問者がこの牢獄に現れた。
ランプは灯されているものの、夜になって薄暗い牢獄の中で、幽霊のように白い影がぼんやりと浮かび上がる。
「うお、ビビった」
足音に気づいて訪問者の方へ顔を向けたオルガが驚きの声を漏らす。
「何しに来たんだ?」
「お前たちがちゃんと反省をしているか見に来たのですよ」
白い影の正体は、レオルザークの補佐官であるサイファン・ミラーだった。
人間の感覚で言えば特別弱々しくは見えないかもしれないが、オルガの目から見ればサイファンは細く弱そうに見える。子供の頃から運動神経も悪かったらしいが、その代わりに彼は魔術を習得していた。独学で勉強してきたためにそれほど優れた術は使えないが、サイファンはドラニアスで唯一の魔術師なのだ。
「反省したから出してくれよ」
「出してくれ、などと言う者は反省なんてしていないのです」
サイファンは薄い唇の端を持ち上げて笑ったが、目は笑っていなかった。
コツ、コツ、とかかとを鳴らしながら、鉄格子の前をゆっくり歩く。
「牢を破壊しようとしましたね? あちこちに傷がついています。石の壁まで一部崩れて……。修理代はお前たちの来月の給料から引いておきますからね。ちなみに今月分の給料は命令違反をした罰として無しです」
「まじかよ」
オルガは顔をしかめた。
「ところで――」
サイファンは足を止め、灰色の細い目でオルガを見据える。
「一つ良い情報を教えてあげましょう」
「何だよ?」
ふふ、と笑みを零してサイファンは続けた。
「どうやら“彼女”は生きているようですよ。どういう状況に置かれているのかは分かりませんが、命はあるようです」
「彼女って……ハルか!?」
オルガが勢いよく立ち上がると、側にあった空の食器が大きな音を立てて転がった。向かいの牢屋ではソルもまばたきを止めてサイファンを見ている。
「なんで分かったんだ? ヤマトが連絡してきたのか?」
ハルを見つける可能性が一番高いのは、最初にハルとドラゴンの後を追ったヤマトだろうとオルガは思っていた。
しかしその予想はまだ当たったとは言えないようだ。サイファンは緩く首を振る。
「いいえ、ヤマトからの手紙は、お前たちがレオルザークの命令を無視してクロナギ側についたという報告を最後に途絶えています。今回、彼女が生きていると分かったのは、ラマーンの宰相からの情報です」
「ラマーンからの? やっぱハルはラマーンで落っことされてたのか」
「そのようですね」
昨日のうちにサイファンには赤い飛竜の事など、ハルが行方不明になった詳細を説明してあった。
「ラマーンは彼女を我々との交渉の材料にしてきました。末の王子の処刑を諦めてくれるのなら、彼女をこちらに引き渡すと」
「クソが」
ハルが自ら交渉の材料になる事を選んだなどと知らないオルガは、ハルはラマーンの兵士に捕まってしまったのだと想像して悪態をついた。
「もちろん条件をのむだろうな」
「いいえ、断りました。レオルザークは彼女をドラニアスから遠ざけたいのですから」
「おい! じゃあハルはどうなるんだよ」
「安心なさい。ラマーンは彼女に危害を加えたりはしませんよ。向こうは彼女が帝位継承者だと分かっているのです。我々が彼女をいらないと言っても、万が一の報復を恐れて手出しはできないはずです」
「ほんとかよ。……でもまぁ、とりあえずはハルがその辺で野垂れ死んでねぇと分かっただけでもよしとするか」
そう言って自分を納得させてから、オルガはサイファンに向き直った。
「総長を説得してくれよ。あんただって新たな皇帝を望んでんだろ?」
「さぁ、それは実際にこの目で彼女を見てから決めたいですね。半端な者に皇帝になられても、レオルザークが憂慮しているような事態になるだけですから。……けれど、お前たちやクロナギ、そしてアナリアまでも彼女を認めたというなら、そのような心配はいらないのかもしれませんが」
「ああ、俺が保証する。ハルなら大丈夫だ。まだ頼りねぇけどな。それにこのまま皇帝不在の状態を続けても、ドラニアスはいずれ崩壊するだろ」
「レオルザークがそうはさせません」
「あの人だけじゃ無理だ」
「そんな口を利いているうちは、やはりまだここからは出せませんね」
芝居っぽくため息をついて牢獄を出ていこうとするサイファンの背に、「あんたどっちの味方なんだよ」とオルガは疑問を投げかけた。
サイファンは振り返って困ったように笑うと、こう言ってからここを離れたのだった。
「彼女には期待をしていますが、私ではレオルザークを説得する事はできませんよ。頑固ですから」
事態が動いたのはさらに翌日の夕方、いい加減暇すぎてオルガとソルがイライラし始めた時の事だった。
緊張ぎみに目元を引きつらせながらも、何かを决意したような顔をしたトウマが牢獄にやって来ると、無言で鉄格子の鍵を開け始めたのだ。
オルガの牢の扉を開けてから、ソルも自由にする。
「なんだ、もう出ていいのか?」
「いや……」
トウマは冷たい床を見下ろしながら言った。
「まだ許可は出てない。お前らを出したのは俺の判断だ。エドモンド様の御子が本当に存在するのなら……」
「お、やっと俺らの言葉を信じる気になったか」
牢から出てゴキゴキと首を鳴らしているオルガをトウマは睨みつけた。
「俺はお前らと違って今まで命令違反なんてした事ないんだぞ。総長に逆らった事もない。これで御子の事が嘘だったら、お前らただじゃおかねぇからな!」
「嘘じゃねぇから安心しろって。ところで、将軍のおっさんたちが今どこにいるか知らねぇか?」
「将軍? 確か四人とも禁城に来てるはずだが。何を話し合ってるのかは知らねぇけど意見がまとまらないらしくて、一昨日から総長含めた五人で毎日会議してる」
トウマの言葉に、オルガはにやりと笑って返した。
「それは都合がいいな」




