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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第三章 誘拐と砂漠と最後の王子と

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「そういえば、これはハル様のお荷物では? クロナギさんが自分の荷物とは別に持っておられたものです」


 そう言ってコルグが差し出してきたリュックは、確かにハルのものだった。これも砂で汚れてしまっているが。


「ありがとう。クロナギが持ってきてくれたんだね」


 ハルはコルグに礼を言ってから、眠っているクロナギを見下ろした。疲れた顔をして寝ていても、相変わらずの美男子で羨ましい。

 受け取ったリュックをごそごそと漁るが、服や食料などはクロナギやオルガが運んでくれていたため、ハルの荷物の中には魔術関連の物以外は入っていない。


「それで? 僕はいつでも王宮に行けるけど、君はどうかな」


 ハルがリュックに入っていた魔術文字の辞典や魔術大全を取り出していると、頭から大きなショールを被ったルカがコルグに向かってそう尋ねていた。

 コルグはフンと鼻を鳴らしつつも、こう答える。


「俺もいつでも出発できる」

「じゃあ、ザナクドたちに一言言ってくるから、そしたら出ようか」

「あ、待って!」


 家から出ていこうとするルカとコルグを止めて、ハルはリュックの中から筒状に丸められた紙を二つ取り出し、それを広げてみせた。


「これ、魔賊のところから持ってきた魔術陣なんだけど、解術の呪文もこれくらいの大きさの紙に、こんな筆跡で書かれてるんじゃないかと思うんだよね。あ、コルグ、このぐちゃぐちゃした文字が魔術文字だよ」


 コルグは魔術の知識はないだろうから、魔術文字がどんなものなのか一度見ておいた方が探しやすいのではないかと思って言った。コルグは「はい」と返事をして、真剣な顔で魔術文字の形を覚えようとしている。

 一方、ルカは見慣れぬ魔術陣に興味を持ったようだった。


「それ、『停止の術』と『透過の術』って書いてあるけど、どんな術? 聞いた事がない術だな」

「これも奴隷術と同じで、魔賊が開発した術なんだよ。停止の術っていうのは陣の上にいる者を動けなくさせる術で、透過の術はその陣を見えなくする術なの。停止の術は陣の上にいる敵にしか効かないけど、陣が描いてあるのが見えちゃうと警戒されて踏んでもらえないから」

「へぇ、面白いな」


 ルカは少年らしい顔をして、二つの魔術陣を眺めている。魔術師として興味を持ったのかもしれない。

 そして数秒考えた後で顔を上げた。


「ハル、これ、使う予定がなければ僕に貸してもらえないかな」

「うん、いいよ。でも、どうするの?」

「サイポスとの戦いで使えないかと思って。大きな魔術陣を描けば、サイポス軍を丸ごと動けなくさせる事だって不可能じゃないから。理論上はね」


 ルカは肩をすくめて続けた。


「現実的にはそれだけ大きな魔術陣を発動させるための魔力は、僕にも、ラマーンの仲間の魔術師にもないし、できないけれど。でも、サイポス軍丸ごとは無理でも、隊をいくつか動けなくさせる事はできると思う。サイポス軍の中で一番脅威なのはグモンに乗った兵士たちのいる騎獣隊だから、グモンごと彼らを戦闘不能にさせたいんだ。それができれば僕らが勝つ確率は上がる。正直、今のままではサイポスに勝つのは難しいからね」


 今のラマーンとサイポスの兵力を考えると、ラマーンはかなり不利なようだが、グモンたちをどうにかできれば勝てる可能性が出てくるという。

 ラマーン軍の騎兵が乗るのは馬とラクダらしいが、彼ら動物は見慣れぬグモンに怯えてしまって、乗り手の指示を聞かなくなったりしてしまうようだ。

 そしてグモンに怯えるのは馬やラクダだけでない。ラマーンの兵士たちも、見た目からして恐ろしいグモンを目の当たりにしては、逃げ出したくなる者も出てくるだろう。

 

「でも、停止の術は敵が通るであろう場所にあらかじめ陣を描いておかないといけないんだよ。広い砂漠の中でサイポス軍がどこを通るか予想がつくの?」

「彼らは今、南のトリドスを拠点にしているんだ。そこから王都に向かってくるとなるとルートは絞れる。越えるのに体力を消耗する砂丘は避けるだろうし……とか考えていくとね。そして僕たちラマーン軍は、サイポス軍がやってくるであろう地点を予想してそこで待ち構える事になる」

「じゃあその辺りに魔術陣を描いておくんだね」


 ハルが訊くと、ルカは魔術陣をくるくると丸めながら頷いた。


「グモンのいる騎獣隊が軍のどの位置にいるかも、大体は予想できるから。これまでのサイポスの戦い方を見ていると、ラクダや馬の騎兵隊は右翼と左翼にいるけれど、騎獣隊は中央で歩兵の前に並んで、戦いが始まると最初に突撃してくる事が多いんだよ」


 そこにヤマトも口を挟む。


「もしその騎獣隊に術をかけて動かなくする事ができればラマーン兵の士気は上がり、反対にサイポス兵の士気は下がる。気持ちの面でも勢いに乗る事ができるだろうな」

「そういう事だね」

「でも、砂漠にどうやって陣を描くの?」


 ハルは純粋な疑問をルカに投げかけた。ジジリアでは土の地面なら木の棒などを使って陣を描くし、石の地面なら絵の具やチョークを使ったりする。

 しかし乾燥した砂漠では、木の棒で砂を軽く掘りながら陣を描いただけでは、風が吹けばさらさらと消えてしまいそうだ。チョークは使えないし、絵の具は砂に染みるだろう。

 

「液体に粘度を持たせて、砂に染み込まないように、そしてすぐには蒸発しないようにできる魔術があるんだ。ジジリアの魔術師は使わないかもしれないけど、ラマーンやサイポスでは砂漠に魔術陣を描く時は、絵の具で色をつけた水にその術をかけるよ」

「へー! 便利だね。使う魔術も、国によって特色があったりするんだ」


 そうだね、と答えてから、ルカは懐に紙を仕舞って言った。


「宮殿へ行ったら他の魔術師たちと相談してから、この術を仕掛てみるよ。ありがとう、ハル」

「ううん、代わりに解術の方をお願いね。場所さえ指示してくれれば、コルグが頑張って探してくれるから。ね? コルグ」


 ちら、とコルグを見ると、胸を張って「もちろんです」と答えてくれた。


「命を懸けてでも見つけ出してきます」

「そこまでしなくていいけど、よろしく」

「コルグ、馬鹿な事言ってないで、これ着て行け」


 ヤマトは呆れた顔をして、コルグに黒い軍服を投げつけた。


「竜騎士の軍服ですか?」

「それ着てた方が、他の竜騎士と紛れて怪しまれにくいだろ」

「でもこれ、誰のです? ドラニアスを出る時に置いてきたので、俺は自分のは持ってきていないんですが」

「クロナギ先輩の。俺のもあるけど、お前でかいから着られないだろうし」


 ヤマトは拗ねるように言った。体格差がある事が悔しいのだろうか。

 コルグは納得すると、少し嬉しそうな顔をして憧れのクロナギの服に袖を通した。


「頼んだよ、コルグ。ルカと解術法をお願い」

「お任せください、我が君」


 床に片膝をついてコルグは綺麗に礼をとってみせが、ヤマトに「さっさと行け」と急かされて、ルカ、ドラゴンと共に家を出て行った。

 ハルは右手でラッチを撫で、左手でなんとなくクロナギの髪を梳きながら、ヤマトに向かって呟く。


「ラマーンとサイポスが戦うって事、ドラニアスの竜騎士たちは気づいてるのかな?」

「気づいているでしょうね。サイポスが南から迫ってきていた事は知っていたでしょうし、今はトリドスってところにいるらしいサイポス軍の様子を空から観察すれば、出撃の準備を整えているって事も簡単に分かるはずですから」

「うーん、そっか」

「あるいは、サイポスからドラニアスにも事前に通告があったかもしれません。サイポスはドラニアス軍を敵に回したくないはずですから、『サイポスはラマーンを攻撃しますが、ドラニアスが探している王子を横取りするつもりはないですよ』と、お伺いを立てるために」

「て事は、ドラニアスも二日後の決戦には姿を見せるよね? そこにルカが現れると予想して」


 ハルが訊くと、ヤマトは神妙な顔をして頷いた。


「レオルザーク総長は、竜騎士軍を引き連れて戦場にやって来ると思いますよ。ラマーンはサイポスだけでなく、ドラニアスも相手にしないといけなくなるでしょうね」

「そうなったら、ラマーンは……」


 ラマーンと言いながら思い浮かんだのは、ルカやザナクド、ハディたちの顔だ。


「負けるでしょうね、間違いなく。あの王子も残念ながら殺されるでしょう」


 最初から予想していたふうにヤマトが言った。

 ハルはクロナギの髪に触れたまま、逡巡する。


「……ヤマトは鳥を使ってレオルザークと連絡がとれるんだよね? アナリアの事をレオルザークたちに知らせるのはどうかな。仲間がサイポス人の奴隷になっていると知ったら、ドラニアスは標的をサイポスに変えるかもしれない。それにドラニアスの竜騎士たちがサイポスを攻撃してくれれば、私たちも助かる。クロナギが回復したとしても、こっちの戦闘員はクロナギ、ヤマト、コルグとそのドラゴンだけだもん。大挙して押し寄せるサイポス軍の中からアナリアを捕まえるのは大変だから」


 ヤマトも少し考えてから、その案を受け入れた。


「アナリアさんはドラニアスでは貴族令嬢でもありますし、父親は竜騎士団の将軍です。その父親はもちろん娘の状況を知れば黙っていないでしょうし、レオルザーク総長もアナリアさんを助けるために人員を割くと思います。けど、全軍をアナリアさんの救出に向かわせるような事はしないでしょうし、きっちりとラマーンの王子の命も狙いに来るはずですよ」

「でも、ドラニアスの標的を二つに分ける事はできる。それに竜騎士たちが少しでもサイポスを攻撃してくれれば、それだけラマーンも私たちも助かるよね」


 ハルは瞳に希望を乗せて言った。

 淡く輝くその双眸を見て、ヤマトも力強く頷く。


「そうですね。さっそく総長に手紙を書きます」


 ヤマトは自分の荷物の中から紙とペンを取り出すと、さらさらと文字を綴り始める。

 ハルはそれを眺めながら頭を悩ませた。例えばドラニアス軍の半分がアナリア救出に向かってくれるとして、残りの半分はルカを狙うのだろうが、そのルカを狙う方のドラニアス軍をどうやって止めようか、と。

 

(停止の術は仕掛けても無駄になりそうだし……)


 彼らはドラゴンに乗って空からやって来るはずなので魔術陣の上には乗ってくれないだろう。しかもハルは解術に集中しなければならず、停止の術の魔術陣を用意しておく余裕はない。

 考えていると、大人しくしている事に飽きたラッチがカジカジとハルの手を甘噛し始めた。


「ドラゴンか……」




***




 真夜中になっても、コルグは王宮から戻ってこなかった。解術の呪文が見つからないのかもしれない。

 まさかルカを乗せているのがバレて竜騎士に捕まったのでなければいいけど、とハルは少し不安になった。


「あ!」


 自分の左手を見て声を漏らす。コルグとルカを心配して精神が揺らいだせいか、左手に集めていた魔力が再び全身に広がっていってしまったのだ。

 鮮やかな緑色の魔力が、薄くなりながら体中に散っていく。

 

 ハルはハディの家の居間であぐらをかいて、魔力移動の特訓をしていた。左手や右手に魔力を集めて、できたらまた全身に戻す、という事を繰り返すだけなので、魔力は体の中を循環するだけで消費される事はない。


 けれど続けているとだんだんと頭が疲れてくるし、濃い魔力を何度も集めたせいで腕や手が熱を持ち、痛んできた。

 熟練の魔術師は日に何度も手から魔術を放っても、こんなふうに腕が痛むという事はないらしいので、これはハルの魔力の集め方がまだまだ雑だという事なのだろう。もっとなめらかに魔力の移動ができなければ、そのうち手が使い物にならなくなりそうだ。


 ハディは奥の寝室で休んでいるので、今この居間にいるのはハルとヤマト、クロナギとラッチだ。

クロナギは眠ったままで、ラッチもその足元で熟睡している。ヤマトは壁に背をつけて座ったまま目を閉じているが、おそらく寝ていない。

 そしてハルは、寝ているクロナギの隣でずっと特訓をしていた。

 ヤマトからは一時間ほど前に「眠った方がいいですよ」と声を掛けられていたが、そわそわしてしまって眠れないのだ。


 コルグやルカは無事だろうか? 解術法は見つかった? アナリアはちゃんと休ませてもらっているだろうか? 自分はちゃんとアナリアを元に戻してあげられる? ラマーンとサイポスの戦いはどうなるだろう? ドラニアスはどう動く?

 考える事は山ほどあったから、頭を空っぽにして眠るのは難しい。


 ハルはもう一度、今度は右手に魔力を集めようとした。やはり利き手である右手の方が魔力を上手く集められる気がするので、杖を持つのは右手がいいだろう。

 しかし第三の目を開けて集中しようとした時に、視界に入っていたクロナギにふと気を取られた。


「クロナギ?」


 彼のまぶたが、薄く持ち上げられたからだ。


「起きたの? 大丈夫?」

「ハル様……」


 寝室にいるハディを起こさないように顔を近づけて小声で尋ねると、クロナギはすぐにこれまでの事を思い出したようだった。

 素早く上半身を起こしてハルに向き直る。


「ハル様、申し訳ありません。このような時に、このような体たらく。ハル様がご無事だと分かって気を抜いてしまいました」


 土下座せんばかりの勢いのクロナギに、ハルは慌てて言った。


「いいよ! 疲れてるだろうし、まだ寝てて」

「いいえ、もう十分休息は取りました。大丈夫です」


 暗い居間の中でクロナギの目をじっと見てみたが、遠慮して言っているわけではなさそうだった。黒曜石の瞳には力がこもっていて、気力と体力がしっかり戻っているように見える。竜人だから回復が早いのだろう。

 クロナギが自分が寝ていた場所や居間の中を見回して「ここは?」と尋ねるので、ハルはこれまでの事を一通り説明した。クロナギが来るまでこの集落で世話になった事と、ここにラマーンの王子であるルカがいた事、そして解術の呪文を探すためにコルグを王宮に向かわせた事などだ。

 ルカと仲良くなった事を話すとクロナギはヤマトやコルグ同様に苦々しい顔をしたが、それはルカを気に入らないという気持ちだけでなく、ハルを早く見つけられなかった自分に対して苛立つ気持ちが大きいのかもしれない。


「ハル様――」

「もう謝らないで。昼間も聞いたから」


 ハルが先手を打つと、クロナギは眉を下げてほほ笑んだ。

 そしてハルに近づくと、そこに存在している事を確かめるように両手で頬を包んで言う。


「申し訳ありません。無礼を承知で、もう一度だけ……」

「なに?」


 ハルがまばたきをすると同時に、クロナギはその小さな体をそっと抱きしめた。昼間と違って、力の加減をする余裕はあるようである。

 すぐに離されるかと思ったが、背中に回った腕はなかなか解けそうにない。

 クロナギに抱かれながらすうっと息を吸い込むと、馴染みのある安心する香りがした。

 ラマーンに来てから周りは優しい人ばかりだったし、ヤマトもいてくれたけれど、やっぱりクロナギが側にいてくれるのが一番心強い。

 ハルはそう思いながら、クロナギの肩にもたれ掛かった。


 なんだか少し、眠くなってきた。

 クロナギの肩越しにヤマトを見ると『その状況で寝るつもりですか?』という顔をしてこちらを見ていたが、クロナギがいつまで経っても離してくれないので、ハルはそのまま黙って目を閉じたのだった。


 


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