13
「じゃあ悪いけど、ヤマトはクロナギたちを捜しに行ってくれる?」
そう言ってハルは無邪気に小首を傾げた。
しかしヤマトは眉間にしわを寄せて『何言ってんですか?』という顔をする。彼の態度は丁寧なんだか違うんだかよく分からない。
「いや、駄目でしょ。ハル様を一人でラマーンになんか置いていけません」
「ザナクドたちがいるよ」
「それが不安だって言うんです! そいつら味方じゃないですからね? 分かってます?」
肩を掴んで揺すぶられる。いよいよ接し方が乱暴になってきた。
「俺もここに残ります。絶対です」
「でもそれじゃあ、私がここにいる事クロナギたちに伝えられない。このまま会えないなんて嫌だよ……」
想像して、泣きそうになる。眉を垂らして懇願するようにヤマトを見上げると、彼は今度はおろおろと動揺し始めた。
「えー、ちょっと待って、泣かないでください。どうしたらいいんだこれ。クロナギ先輩ー!」
「クロナギたち今どこにいるの? 何か私の居場所を伝える手段はない?」
一縷の望みに縋って問うが、ハルの前に膝をついたヤマトは無情に首を振った。
「無いですね。俺とレオルザーク総長との連絡はヒダカという鳥を使っていて、今も外を飛んでいますけど、あいつにはクロナギ先輩たちの顔を覚えさせていませんから。賢い鳥ですが手紙を持たせても捜し出せるかどうか。第一、クロナギ先輩たちの居場所もはっきりとした位置は分かりませんし、常に移動しているはずです」
「私がドラゴンに攫われた事は皆知ってるの?」
その場面を目撃してドラゴンが去った方角だけでも分かってくれていれば、ヤマトのようにラマーンまでやって来てくれるかもしれない。
「さっきも言ったように、クロナギ先輩、アナリアさん、ソルはその場にいませんでしたし、ラッチは寝てましたから知らないはずです。オルガさんには声を掛けたんですが、魔獣と交戦中でしたし――」
ヤマトはその時の事を詳しく説明してくれた。天高く舞い上がった赤い飛竜とハルを追うべく、小屋の近くにいたヤマトはすぐに走り出したらしいが、駆けながらオルガに叫んだのだという。
『オルガさん! 上! ハル様攫われてますっ!』
『何ィ!?』
そう言って上空を確認したオルガもハルを追おうとしたようだが、ヤマトがちらりと見た限りでは、顔を上に向けていた隙をつかれて魔獣に足を噛み付かれていたらしい。
「それで体制を崩して倒れたところに、残りの魔獣が次々と襲いかかって……。走りながら俺が最後に見たオルガさんは魔獣の群れに埋もれてました」
淡々と説明するヤマトに、ハルは悲鳴を上げそうになった。先ほど堪えていた涙がまたせり上がって瞳を濡らす。
「そんな……! オルガは大丈夫なの? きっとひどい怪我をしてる。それにもしかしたら、死――……」
ハルはそれ以上声を出すことができなくなった。あのオルガが死ぬなんて、考えたくない。
黙って二人のやり取りを聞いていたルカとザナクドも、沈痛な面持ちでハルを見た。ハディは魔獣と聞いて両手で口を覆っている。ハルと同じように声にならない恐怖の悲鳴を上げているのだ。
しかし、ただ一人のんびりとしているヤマトは適当な口調でこう言った。
「ああ、大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても。あの人、竜人の中でも特に頑丈ですから。平気平気。死なないどころか今頃ピンピンしてますよ」
「ほんとに?」
「本当です。魔獣の群れと言っても一匹一匹は普通の狼と変わらない大きさで、まだ巨大化してなかったですからね。あんな小さな牙じゃ皮膚を裂けたとしても、オルガさんの固い筋肉で跳ね返されますよ」
ヤマトの態度は余裕たっぷりで全くオルガの事を心配している様子がなかったので、ハルも少し安心した。そこまで言い切るのなら大丈夫なのだろう。
「オルガさんはドラゴンが西に向かったのを見ているはずです。俺が追跡しているのも分かっているはずですから、魔獣を倒した後はその場に残ってクロナギさんたちに事情を話したと思いますよ」
「じゃあ、皆一緒に追ってきてくれてるのかな?」
「おそらくばらけていると思いますが。一人か二人はドラニアスに戻ってるんじゃないかな。ドラゴンは気に入ったものを見つけると巣に持ち帰る習性があるんですけど、あの赤い飛竜は竜騎士団で飼っていた個体でしたから、巣というとドラニアスにある竜舎になるので」
ヤマトは立ち上がって顎に手を当て、予想を立てた。
「他の皆は俺と同じように、飛竜が通ったであろう空路を予測して、目撃情報を集めながら地上を追ってきていると思います。だけど、ここに到着するまでにはまだ時間がかかると思っておいた方がいいですよ。無害そうな人間に見える俺とは違って、あの人たち揃いも揃って見た目が派手ですから。オルガさんとソルなんて雰囲気が凶悪ですし。明らかに竜騎士だと分かる彼らに、ラマーンの人間は怯えて逃げてしまうかもしれません。ちゃんと目撃情報を聞き出せるかどうか」
「そっか……」
ハルはしゅんと肩を落とした。
クロナギたちとの再会にはまだ時間がかかりそうだと分かり、気持ちが沈む。ヤマトが側についていてくれるのがせめてもの救いだけれど、心細さは無くならなかった。
***
「ヤマト、まだアスタたちと飲んでるのかな」
ハディと寝室で就寝の準備をしながらハルが呟いた。夕食を食べた後、ヤマトはアスタの家へ行ったまま戻ってこないのだ。
昼に初めて顔を合わせた時は険悪な雰囲気だったのに、日が暮れるまでにすっかり仲良くなっていた彼ら。アスタだけでなく、ヤマトはすでにこの集落の男たちに温かく迎え入れられていた。
ザナクドたちの世話になるのを嫌がったヤマトが、自力で食料を確保するためヒダカを連れて一人で狩りへ行ったのはハルも知っているのだが、戻って来た時には何故かザナクドやアスタたちも一緒だったのである。
しかも男たちは獲物の鳥を持ち帰りながら、皆で楽しそうに狩り談義に花を咲かせていたのだ。
どうやらヒダカを使った狩りに興味を持った集落の男たちがヤマトの後を追い、共に獲物を狙ううち、お互い気を許したらしい。男同士の関係はよく分からないと思うハルだった。
ヤマトはルカにはまだ微妙な態度を取り続けているが、父王のように悪い人間ではないとは分かっているらしく、思いきり敵意をぶつけるような事はしなくなった。愚かな父の元に生まれてしまった事に関しては、僅かに同情している様子でもある。
「ヤマトさんもあっという間にここに馴染んだわね。昼間はどうなる事かと思ったけど」
寝具を広げて、ハディが苦笑する。
「だけど、たった一人でも竜騎士の人がこちらの陣営にいてくれるのは心強いわ。ヤマトさんはラマーンの味方ではないけど、ハルが殿下を死なせたくないと言ってくれたから、ドラニアスとの交渉でもその方向に話が進むよう協力してくれるらしいし」
「うん、ヤマトは『一人でレオルザーク総長を説得するのは荷が重い』って言ってたけどね」
それでもハルを生かすため、そしてルカを死なせたくないというハルの望みを叶えるために、できる事は精一杯してくれるのだろう。
「ヤマト、今日はアスタの家で寝るのかなー」
布団代わりの布を被って、ハルはごろりと横になった。未婚のハディがいるこの家で休むのは、ヤマトも遠慮していたのだ。
「きっとそうだと思うわ。まだ酒宴は終わらないだろうし、私たちは先に寝ましょ」
昨日は夜更かししたせいか、今日はすでに眠気が襲ってきている。ハルは「うん」と返事をしてから、睡魔に抗えずにまぶたを閉じた。
「うっ、ひっく……」
どうしようもない寂しさと共に、真夜中に目を覚ました。
小さな嗚咽がハルの喉から漏れるが、隣で眠っているハディを起こさぬよう必死で口を塞ぐ。頭から布を被って丸まり、孤独感に耐える。
夢を見た。
クロナギたちと再会する夢を。
しかし起きた瞬間にそれが現実ではないと分かって、深い穴の底に突き落とされた気分になった。
あまりに鮮明な夢だったので、思わず部屋の中を見回してクロナギの姿を探してみるが、目の前に広がっているのはただの暗闇だけだった。眠る前と何も変わっていない。それが哀しくて仕方なかった。
クロナギがいない。
夢の中では、無事に再会できた事を喜び合っていたのに。
クロナギはいつもの様にハルの前に跪き、目を細めて感慨に浸っていた。よくぞご無事でと、泣きそうな顔をして。
だからハルはクロナギの頭を撫でて、砂漠を越えてきた彼を労ったのだ。
あのさらさらとした黒髪の感触が、今も手のひらに残っているよう。
「う……っ」
クロナギたちと離れてから感じていた心細さが、今になって爆発したのかもしれない。しばらく涙は止まりそうになかった。
「ハル様。……ハル様」
小さな子どものようにめそめそと泣いていると、どこからかヤマトの声が聞こえてきた。涙に濡れた顔を上げて暗い室内を見渡す。
「こっちです」
声を潜めたヤマトが、寝室の窓から手招きしていた。窓板代わりの布を避けて顔を覗かせている。いつからそこにいたのだろう。
このまま眠る気分ではなかったので、ごしごしと涙を拭ってヤマトの元へ向かった。
「出られそうですか? 俺が引っ張りますから」
ヤマトはハルが泣いていた事には触れずに、寝室の小さな窓から外へ抜け出してくるように言う。ハルが上半身を突っ込むと、外にいたヤマトが慎重に引っ張り、抱き上げてくれた。
「上に行きますね」
上って? とハルが尋ねる間もなくヤマトは垂直に跳躍し、平らな屋根の上に降り立っていた。一階建てなのでそれほど高くはないが、こうやってハルを抱えて屋根まで跳び上がれるという事は、やはりヤマトも身体能力の高い竜人なのだ。見た目が人間ぽいので、つい忘れてしまう。
「これ、食べます?」
ハルを屋根の上に降ろすと同時に、ヤマトは自分の腰に付けていた小型の鞄から、可愛らしいお城の絵が描かれた缶を取り出した。中には、一粒が大きな正方形のキャラメルが入っている。
「ハル様、甘い物好きですよね?」
何故知っているのかと思ったハルだったが、おそらくトチェッカでの行動を見られていたのだろう。ハルはあそこでほとんどお菓子しか食べていない。
「いいの?」
「はい。トチェッカで大通りの人波に紛れてハル様たちを尾行していた時、押しの強い屋台のおばちゃんに捕まって売りつけられたんですけど、俺はあまりこういう物は食べないんです」
どうぞ、と差し出されたので、口を開けてそのまま中に入れてもらう。ショールのように体に巻きつけている布から手を出すのが面倒だったのだ。
気温のせいかキャラメルは柔らかくなっていて、舌に乗せて転がすと、濃厚な甘味が口いっぱいに溶けていった。さっきまで泣いていた事も忘れて、幸せな気分に浸る。
「食べないし捨てようかと思ってたんですけど、よかった、残しておいて。あのおばちゃんにも感謝しないと」
穏やかな顔つきになったハルにヤマトも安心したようにほほ笑み、小さな缶ごとキャラメルを渡してくる。それを断るハルではないので、喜んで受け取った。
「ありがとう。ハディとルカと食べる」
ハディには家に居候させてもらっているし、ルカには魔術を教えてもらっているから、幸せをおすそ分けするのだ。
缶の中を確認すると九個入りのようなので、三人で分ければ一人三つずつでちょうど分けられる。ハルは今一つ食べてしまったので、割り当てはあと二つだ。
……二つで我慢できるだろうか。六個しか入っていなかった事にしてハディたちには二つずつ渡し、残りを独り占めしてしまおうか。いや、それは意地汚いし、心が狭い。でも、このキャラメルはほどよく焦げた風味が最高に美味しく……いやいやだけどハディたちにはお世話になって――。
「ハル様、ハル様。キャラメルを凝視し過ぎです」
ヤマトに声を掛けられ、ハルは我に返った。
「元気出ました? 大丈夫ですよ、クロナギ先輩たちとも、きっともうすぐ会えますから」
頭を撫でようとして躊躇したのだろうか、ヤマトの手がハルの頭のすぐ上をうろついて結局引っ込められた。クロナギやアナリアもそういう動作をたまにする。思わず撫でそうになるものの、自分の主の頭や髪に触れるのは無礼だから、と説明していたが。
ハルは目尻に残っていた涙を拭いて、ありがとうと礼を言った。ヤマトの方が年上だし、自分はまだ半分子どものようなものだけど、あまり情けない姿は見せたくないなと思う。クロナギたちが自分を見つけてくれると信じて、どーんと構えて待っていよう。
「それ食べたら口濯いでから寝てくださいね、虫歯になりますから」
母のような注意をヤマトから受けたところで、ハルは前方の空に浮かぶ黒い影を発見した。遠くにあるそれは、しかし段々とこちらに近づいてきているらしく、少しずつ大きくなっていく。
「またドラゴンだ」
星空を見上げたまま呟いた。昨日見た二匹のドラゴンと、それに乗ってジジリアの方角へ向かった旅装の竜騎士たちをハルは思い出していた。今回、空を飛んでいる影は一つだ。
ハルの視線を追ってヤマトも振り返る。注意深く上空へ目をやり、訝しげに片眉を上げた。ハルが昨日ルカから聞いた話――ルカを探すでもなく、少人数でばらばらにジジリアへ向かう竜騎士たちがいる事――をヤマトに知らせると、彼はさらに不審そうにした。
顎に手を当てて数秒考えた後、
「直接訊いてみます。何が目的なのか」
と、ハルを抱き上げて地面に降り立った。ハルの顔の高さにある寝室の窓からは出入りがしにくいので玄関のほうに回り、ヤマトに押し込まれるまま暗い家の中に隠れる。
一人外に残ったヤマトが言う。
「ハル様はじっとしていてくださいね」
「う、うん」
隣の家ではルカも寝ているのに竜騎士を呼んで大丈夫だろうかと思いつつ、黙って息を殺した。
ヤマトは腰の鞄から、小指の長さほどの細い笛を取り出すと、影が近づいてきたタイミングで一度思いきり吹いた。
ハルの耳に、甲高い笛の音が薄く届く。空気が抜けているような不完全な音とはいえ、ぐっすり眠っているハディが起きないか、集落の人たちを驚かせるんじゃないかと心配になる。
と、それを察したらしいヤマトが小声で言った。
「大丈夫ですよ。人間の耳には聞こえませんから」
「そうなの?」
混血であるハルの耳には半端にしか聞こえなかったが、ヤマトたち竜人には煩いと感じるくらいの音量だったらしく、真っ直ぐに夜空を横切っていたドラゴンとそれに乗っている竜騎士らしき人物も、途中で唐突に方向転換した。
暗闇でも見通せる目で地上を見渡すと、笛を吹いたヤマトを難なく探し出し、ハディの家のすぐ前にゆっくりと降り立つ。
ハルは昨日の夜と同じように、家の出入り口に掛けられている布からこっそり外を覗いていたのだが、着陸の際にドラゴンの翼が起こした風で、危うく全開になるところだった。
(危ない、危ない)
改めてしっかりと布の端を握って、薄く隙間を開ける。
濃い青色の鱗を持つドラゴンから一人の竜騎士が降りて来た。短い茶髪に精悍な顔立ちの若い男だ。鍛えられた体から武人に見えるが、やはり軍服は着ておらず、地味な格好をしている。
彼は自分より頭一つ分背の低いヤマトを見据え、問いただした。
「竜笛を吹いたのはお前か?」




