10
「わーい、いただきまーす」
ハディの家へ戻ると、彼女は手際よく食事を用意してくれた。テーブルは無く、地べたに敷かれた敷物の上に直接料理を並べた事には驚いたが、郷に入っては郷に従えだ。ハルは床に座って、見慣れぬ料理に目を輝かせた。食べ物に関してあまり保守的な思考は持ち合わせていないので、どんな味がするのか楽しみだった。
少し遅めの朝食は、薄っぺらいパンのようなものと、香辛料の匂いが食欲をそそる炒め物だった。
パンに似た料理は小麦ではなく、この地域の主食であるコンガという穀物から作られているらしい。コンガ粉を少量の水で練って平たく伸ばし、鉄板にくっつけて焼くのだそうだ。芳ばしく癖の無い味で、よく噛んでいるとほんのりと甘味を感じた
反対に炒め物の方は味が濃く、乾燥に強いというトト豆と、その茎と葉が入っているとハディが教えてくれた。豆の半分ほどは潰されていて、調味料がよく馴染んでいる。また、見た目は干しぶどうにそっくりのドライフルーツも入っているが、甘味と僅かな酸味のあるそれが口に入ると、香辛料のきいた刺激的な味に変化を与えてくれた。
飲み物は独特の味わいのお茶だ。色は茶褐色で、一口目は不味いと感じたものの、喉が渇いていたため二口、三口と飲み進めていくと、舌が慣れてすっと喉を通っていくようになった。これはこれで美味しいかもしれない。
「ハディ」
二人で食事を取っていると、扉代わりの布が脇で止められ、風が通るように開け放たれたままの家の出入り口から、男が一人顔を覗かせた。先ほどザナクドと共に長老の家にいた青年だ。
「ザナクドが呼んでいる。話があると」
言葉少なにそう言うと、ハルへちらりと視線を寄越してからさっさと去って行く。
「何かしら。ちょっと行ってくるから、ハルは食べててね」
立ち上がって青年を追うハディの背を見送りながら、ハルは遠慮なく食事を続けた。病み上がりだと言うのに食欲は十分あるので、胃を満たすためにもぐもぐと咀嚼を続ける。
「この国の料理は口に合うかな?」
一人きりだと思っていた家の中で突然声をかけられて、ハルはほっぺに詰め込んでいたものを一気に飲み込んでしまった。軽くむせながら、玄関というには簡素過ぎる出入り口を見る。
そこにはいつの間にか一人の少年が立っていた。
しかし少年と言っても、十四歳のハルより二つ三つ年上だろう。大人に近いけれどまだ未完成の体は細く、胸板も薄い。肌はラマーン人らしく褐色で、髪と目は落ち着いた金色。上品で美しい顔立ちをしているが、生成りの服はザナクドたちが着ていたものより質素だ。そして表情にはどこか陰があり、瞳は憂いを帯びていた。
彼は控えめに笑って言った。
「ごめん、急に声をかけて。僕はルカ。ハディの従兄弟なんだ」
「そうなんだ、ハディの……ん? っていう事はザナクドの子どもなの?」
スプーンを置いてハルが問うと、ルカは笑顔のままで頷いた。彼の笑い顔は大人っぽく、少年らしい明るさや無邪気さはない。国の状況が状況だから、ラマーンの子どもたちは皆こんな風に悟った表情をするのか、それともルカだけの事なのか、ハルは少しだけ気になった。
太い眉に大きな鼻を持った男らしい顔立ちのザナクドにルカはあまり似ていないようだが、容姿が整っているという点においてはハディに似ている。
ルカは静かに家の中へ入ってくると、ハルの向かいに腰を下ろした。先ほどまでハディが座っていた場所だ。
「調子はどう? 体はもういいのかい?」
もうほとんど料理の残っていない皿と、それらを食べ尽くしたハルを順番に見て、ルカは質問した。
少し食べ過ぎただろうか、とハルは若干顔を赤らめて答える。
「ありがとう、体はもう大丈夫。見ての通り食欲もばっちりだし」
照れ隠しにそう言って笑う。
「私の名前はハル。しばらくハディのうちに置いてもらえる事になったの。ルカにもお世話になるかもしれないけど、よろしくお願いします」
「よろしく、ハル。――ドラニアスの尊き血を継ぐ人」
握手のために伸ばされた手を掴みながら、ハルは目を丸くして相手を凝視した。何で知っているの? と視線で問う。
ルカは握った手を軽く上下に振りつつ、いたずらっ子のように肩をすくめた。そういう仕草をすると、随分子どもらしくなる。
「さっき、長老の家で父たちと話していたのを外から聞いていたんだ。気になったから……ごめん」
「ううん。どの道ザナクドは、この集落の人たちには私の事情を説明するつもりかもしれないし」
お互い、ゆっくりと手を離した。ルカは大人びた表情に戻ったが、ハルを映す瞳は興味津々にきらめいている。
「ハルはジジリアで育ったんだって? 母君は竜人ではなく人間であられたとか。どんな人だったんだい?」
「私に母さまの事を語らせたら長いよ」
しかしよくぞ訊いてくれたと、ハルは嬉々として自分の素晴らしい母の事を話そうとした時だ。
「ルカ!」
冷や汗を垂らして切羽詰まった様子のザナクドが、ルカの名を呼びながらいきなり家の中へと駆け込んできたのだ。
「うちにいないと思ったら……こんな所で何をしている」
声をひそめながら叱責する。しかし怒っているというより心配の感情が強いようだと、ハルはザナクドの必死な顔を見て思った。成人間近の息子が同じ集落に住む従姉妹の家に行ったくらいでするような表情ではないな、とも。過保護なのだろうか。
「父さん。思ったよりも早く見つかっちゃったな」
何が可笑しいのか、ルカはにこにこと口元を緩めている。
「うちへ戻るんだ」
「もう少しハルと話がしたいんだ」
厳しい口調のザナクドに、ルカがやんわりと返す。ルカは家から出る事を許されていないのだろうか。他人の家庭の事情に首を突っ込む事も出来ず、ハルはただ親子のやり取りを見守った。
「ルカっ!」
やがて息を切らせたハディもやって来て、ルカの側へ膝を着いた。その際に焦った様子で一瞬ハルへ視線を向けてくる。
もしかしてルカは体が弱いのだろうかと予想してみるも、口を挟む隙はない。
「さぁ、戻ろう」
「あまり我が侭言わないで、ね?」
ザナクドとハディが二人掛かりでルカを説得している。
(やっぱり親子にしては似てないなぁ)
そしてハルは、並んだ三人をじっくりと観察した。食事を再開させて、残り僅かになった料理を黙々と口へ運びながら。
ザナクドとルカは肌の色くらいしか似ているところがないし、ハディとルカは顔立ちが良いという共通点があるものの、こうやって見比べてみると血の繋がりは感じなかった。ハディはザナクドと同じく、彫りの深いはっきりとした目鼻立ちをしているが、ルカはもう少し柔らかな容貌だ。
ハルがじっと見つめている事に気づいて、ハディは何故かさらに焦り出した。ルカを促しながら、ちらちらとハルの様子も窺っている。ザナクドはそこまであからさまな態度には出さなかったが、やはりハルという他者の存在を意識しているのは明白だった。
体の弱いルカを家に戻そうとしているだけなら、ハルの事を気にする必要は無いはずである。
まるで二人は、ハルの目からルカを隠そうとしているようだった。
「……分かったよ」
ルカは少し寂しそうな顔をして、しかしすんなりと立ち上がった。ザナクドはそのすぐ側で、ルカがよろけたりした時にいつでも支えられるように手を構え、鋭い視線をルカの足下とこれから向かう出入り口の方へ素早く行き来させている。
けれど、ルカの両足はしっかりと地面を踏みしめていて少しも危なっかしくはないし、出入り口から危険人物が侵入してくる様子もない。
万が一の危険を考えているようなザナクドの動きに、ハルは既視感を覚えた。こういう光景、どこかで見た事がある。
「ごめんね、ハル。びっくりさせちゃったわね。ルカは小さい頃から病弱だったから、私たちもつい大げさに心配してしまうのよ」
ハディがまるで言い訳をするように早口で伝えてきたが、ハルは既視感の正体を突き止める事に集中していた。
そして数秒経って、その答えに辿り着く。
「ああ、そっか!」と、頭の中のもやもやがすっきりした。
ザナクドのルカに対する振る舞いは、普段ハルがクロナギからされているものにそっくりなのだ。
クロナギもハルが立ち上がったり階段を上ったり、また山や森の悪路を歩く時は、必ずすぐ後ろに寄り添って、馴れ馴れしく触れないようにしながら手を添えてくれていた。また、視線は常にハルの進行方向を警戒しているし、特に向こう側に誰がいるか分からない建物の出入り口付近でそれは強まる。
ルカとザナクドの様子は、病弱な息子とそれを心配する父のものだと説明されれば、確かにそれで納得できる。
だけど一度思い至ってしまえば、ハルにはザナクドがクロナギと被って見えて仕方がなかった。ザナクドとルカは父と息子ではなく、従者と主。
そう思って彼らを見ると、とてもしっくりきた。ルカが妙に大人びているのも頷ける。
ならばこの国の兵士だったザナクドが仕えるべき相手は誰だろう。
(国の要人? 王族? でも王族は幼い王子以外殺されていて――)
ハルはぽんと手を打って、冗談とも真剣ともつかぬ口調でさらりと言った。
「ルカって、王子様なんだ」
外へ出て行こうとしていたルカとその背後に寄り添っていたザナクド、家の中に残って食事の後片付けを始めていたハディが、一斉に振り返ってハルを見た。
が、その反応がハルの言葉を肯定してしまっている。ルカはきょとんとしているようにも見えるが、ハディとザナクドの瞳には確かに焦りが滲んでいたからだ。
「逃げてる王子様って、もっと子どもなのかと思ってた」
十歳くらいの男の子を想像していたハルは、まじまじとルカを見てそう言った。
「な、何を急に……突拍子も無い事を……」
普段は冷静なザナクドも、いきなり真実を言い当てられては動揺するらしい。ハルの事を、ドラニアスの皇帝の血を継いでいるとは言えのほほんとしたただの子どもだと判断し、油断していたせいかもしれない。
上手く取り繕う術を探すザナクドとハディに対し、ルカの方はあっさりと自分が王子である事を認めた。呆れたような視線を二人に向けながらも、この事態をどこか楽しんでいるようである。
「ほら、二人のせいでバレてしまった。もっと自然にしなきゃ。病弱な息子という設定しにしても、過干渉過ぎるよ。ね、ハル」
「うん、ルカ一人と話してるだけじゃ分からなかったけど、ザナクドたちの態度で気づいた」
ハルは頷いて言った後、「だけど心配しないで」とルカに続けた。
「私ルカが生き残った王子様だって誰にも言わないよ。秘密にしておく」
「ありがとう、ハル」
「どういたしまして」
ルカとハルが呑気に言い合う中、ザナクドは顔をしかめてこめかみをさすり、ハディは頭を抱えていた。
「まぁ、元々心配性なハディと、愚直なザナクドに演技は難しいとは思っていたけれどね」
年上の二人へ困った子どもを見るような視線を向け、ルカが緩く笑った。彼が王族だと判った今では、その大人っぽい振る舞いに違和感は感じない。
ザナクドは隠す事を諦めたらしく、もうどうにでもなれといった顔をしてハルに説明を始めた。
「……そうだ、ここに居られるのは我が国最後の王族、ティトケペル殿下だ。竜騎士たちに見つからぬよう、この小さな集落で匿っている」
「じゃあ、ルカって偽名なの?」
ルカを見ながらハルが尋ねる。
彼はすぐに首を振った。
「ルカは母がつけてくれた名だ。ラマーンでは両親それぞれが子に名前を与えるからね。ティトケペルは父から貰った名で、他人に名乗る場合は父親のつけたものを使うのが普通なんだ」
ふぅんと相づちを打つと、片膝を立てて床に座り直したルカに質問を続ける。知りたい事は色々あった。
「竜騎士たちが諦めるまで国外に逃げたりしないの? もしくはこんな王都に近い所じゃなくて、遠く離れた地方に身を隠すとか」
「最初はそうしようと思ったんだけど、無理だった。王都からここまで逃げてくるだけで精一杯だったんだよ。竜騎士たちはドラゴンに乗って空を飛ぶから、砂漠を歩く人間は必ず見つかってしまう」
砂漠には何も遮るものが無いのだ。確かに空から見下ろせばどこに何人歩いているか簡単に分かるだろう。ジジリアのような豊かな森があれば、ひっそりと移動する事も出来たに違いないが。
「竜騎士たちは僕の年齢を知っているからね。布を被って顔を隠したって身長や体格で大体の歳は見分けられるし、少しでも怪しいところがあれば、彼らは地上に降りて徹底的に調べるだろう。空からの監視が怖くて、僕はこの集落から移動できないどころか、昼間のうちはほとんど外にも出られない」
そう言ったルカの声に、しかし不満はこもっていなかった。全てを受け入れて淡々としている。
ルカは父である国王があの事件を起こした後、すぐにザナクドたち数人の兵士に連れられて王都を出たらしい。ルカを守りたいと志願する者は多かったようだが、目立たぬように少人数の護衛だけでここまで移動してきた。
ルカはその時の事を思い出して言った。
「王都を無事に出られたのも、ラマーンの王族が多かったおかげだ。全員が王宮にいる訳でなく、地方を治めている者もいるし、さすがの竜騎士もすぐに全ての王族の顔と居場所を把握する事はできないから」
この集落にはザナクドの実家もあり、両親と、姪であるハディも住んでいたため、一時ルカの身を隠すのに都合がいいと考えたらしいけれど、結局ルカはここから移動できなくなった。毎日のように竜騎士はラマーンの空を飛び回っているからだ。
ルカ以外の王族の処刑は早々に終わり――竜騎士が見逃しそうになった王族は、皮肉にもラマーンの兵士や民によって捕えられ、差し出されたという。それくらい、ルカとその母であるシャーリー妃以外の王族には不満が溜まっていたのだ――、竜騎士たちは今はルカだけを狙っている。
また、竜騎士たちは怪しいと思えば家の中まで捜索の手を伸ばす事もあるようで、一度この集落も全ての家が内部まで調べられたらしい。
「その時は地中に埋めた大きな桶に入ってやり過ごしたんだ。あんまり長引くと窒息するところだったよ」
ルカがあっけらかんと笑う。
ハディの住んでいる家は彼女の両親が建てたものなので、ザナクドの実家は別にある。老いた両親も生活をしているその実家で、ザナクドは今もルカを匿っているようだ。いずれ竜騎士たちに探られるだろうと、ここへ逃げてきた当初から寝室の床に穴を掘り、ルカの隠れ場所を作っていたらしい。
「いつ竜騎士たちに見つかって処刑されるのかとビクビクしながら一年を過ごしてきたけれど、そろそろこんな生活も終わりそうだ」
僅かに疲れを滲ませた表情をしながら、ルカはハルの方を見た。
「そうなの? 竜騎士たちはもう報復を諦めたとか?」
「そうしてくれれば一番いいんだけどね。今も王都に残っている宰相たちがドラニアスの代表に掛け合ってくれているが、彼らは自分たちの皇帝の命を奪った一族を許してくれそうにないらしい」
ハルは大人しくルカが先を続けるのを待った。ハディとザナクドも彼が何を言おうとしているのか見当がついていないらしく、不安の入り交じった様子で見守っている。
「だけどもうすぐ、僕は堂々と太陽の下を歩けるようになる」
ルカはそこで十代の少年がするとは思えないくらい慈悲深い笑みを浮かべた。
「ハル、君を犠牲にしてね」
どういう事? とハルが疑問に思ったのと、ザナクドが苦い顔をして声を上げたのは同時だった。
「殿下!」
「ザナクドたちは僕を救うために、ハルを竜騎士たちに差し出すつもりだ。交換条件だよ。僕を見逃してくれるなら、こちらで保護しているドラニアスの帝位継承者をそちらに渡すってね。そうだろう、ザナクド。君は僕に何も伝えないつもりだったらしいが、知っているんだ」
「殿下」
「ハル、竜騎士たちはきっとハルを取ると思うよ。受け入れて次の皇帝に据えるにすれ、その資格はないと処分するにすれ、先代の子どもをドラニアスが見逃すはずがない」
その資格はないと処分するにすれ――。
ハルの頭の中で、その一文が木霊した。すうっと血の気が引いていく感覚。
温度の下がった自分の手を握りしめながら、ハルは気を取り直して、一番近くにいたハディへ視線を移す。彼女は罪悪感に満ちた顔をしていた。ハディも知っていたのだ。
一方ザナクドはただ眉間に皺を寄せて険しい顔をしているが、ハルと目を合わせようとはしなかった。
(そうか、それで……どうりで親切だなぁと思った)
竜騎士に引き渡すその時まで、彼らはハルを家に置き、世話を焼いてくれただろう。ハルが逃げないよう、今まで通り優しくしてくれたはずだ。
「彼らを許してやってくれ。ザナクドたちだって、なにも喜んで君を犠牲にする訳じゃない。僕を生かすために仕方なく決断したんだ」
ルカの口調は穏やかだった。
そしてハルに向かってにこりとほほ笑むと、
「だけど安心して。僕は自分の命は自分で守る」
と宣言した。ハディとザナクドが戸惑いを浮かべてルカを見る。
「ハルが現れなくても、僕はもう隠れるのを止めるつもりだった。竜騎士たちの前に出ていって、彼らと話をしようと思っていたんだ。父とは違う誠実で懸命な王になると約束して、許しを請おうと」
「殿下……」
ザナクドが思わずといった様子で声をこぼした。己の主がそこまで考えていた事に感動したのか、それともそんな危険な橋を渡ってほしくないと恐怖しているのか。
「だっていつまでもこうやってコソコソと隠れている訳にはいかないじゃないか。民は僕を新たな王にと望んでくれているし、僕もその期待に応えたい。何より僕がこうやって匿われている間にも、サイポスは我が国を侵略している。すでに南の領地をいくつか取られた。彼らに国を乗っ取られる訳にはいかない。僕が王となって先頭に立ち、この国を守らなければ! それが王族としての僕の責任だ。父の犯した事件から広がっていった混乱を収束させるんだ!」
ルカの声は段々と大きくなっていき、最後には力強く言い切った。
ハルは尊敬の念を持って、黙ってそれを聞いていた。自分と似た立場にいるルカ。この国の、最後の王族。
(ルカはどうして、そんなふうに確かな意思を持てるんだろう。自分が王になって国を守るんだって、そんな勇気ある決断を、どうしてできるんだろう……)
少なくとも今、ハルにはその決断が出来ていない。ドラニアスの皇帝になって国をまとめるなんて無理だと思っている。
(だって、私は混血だし……反対する竜人もいっぱいいる。命だって奪われるかもしれないんだから……。それにルカは小さい時から王族として育ってきたんだもん。子どもの頃から王になる覚悟をしてたんだ、きっと)
頭の中で次々と言い訳してみるけれど、すぐにもう一人の自分が否定する。ルカだって竜騎士たちから命を狙われているけど、正面から向き合って説得すると言っている。
そして彼は先代の王の一番下の王子だ。上には二十人近い兄姉がいて、王位継承順位は低い。一年前の事件が起こり、親族が皆殺されるまで、自分が王になるとは露ほども思っていなかったはずだ。
ルカはハルよりも厳しい立場にいるのだ。けれど自分の責任を全うしようとしている。血を呪う事なく、運命を受け入れて。
(すごいな、ルカは……)
自分もそんなふうになれるだろうか。
クロナギがここにいてくれたらいいのにと思いながら、ハルはきゅっとまぶたを閉じた。
ここにいて、背中を押してくれたらいいのに。大丈夫だって言ってほしい。
「ルカ、ザナクド、ハディ」
ゆっくりと口を開いて、ハルは緑金の瞳を三人に向けた。
「最初の計画通りに行こう。私を引き渡す代わりに、ルカを見逃してもらう。そしてルカがこの国の王様になるんだよ」
そもそもハルはそれを拒否した覚えはない。もちろん見知らぬ竜騎士たちに囲まれるのは恐ろしいし、自分がそこでどう扱われるのかを考えると不安しかない。
けれど、ハルはザナクドたちの決定に従うつもりだった。騙された、なんて恨むつもりもない。何故なら――
「ハル……だけどそれでは君の命が危ない」
ルカが眉をしかめて言う。
「うん、けど、それはルカだって同じだもん。竜騎士たちの前では、私たちどちらも命の保証はない。それに私はルカたちに借りがあるから、それを返させてほしい」
「借り?」
「そうだよ。ザナクドもルカも、私が赤い飛竜に攫われてたのを助けてくれたでしょ? ルカは私が砂漠に落ちる寸前、風を起こして衝撃を和らげてくれたよね」
今思えば、あれは確かにルカだった。
「あの時助けられていなければ、そしてハディが看病してくれなかったら、私きっと死んでた」
その恩を返したい。
「だから私に行かせて」
ハルは凛として言った。
いつまでも隠れている訳にはいかない、とルカは言っていたけれど、それは自分にも当てはまるのではないだろうか。
――皇帝なんて無理だよ。命を狙われるかもしれないから、竜騎士たちには会わないようにしたい。私の一番の目的はラッチをドラニアスへ返す事なの。それが終わったらこっそりジジリアへ帰るから。
なんて、きっともうそんな事ばかりを言っていられない所まで来ているのだ。
自分に流れる血を自覚して、向き合わなきゃならない。ドラニアスに、皇帝という立場に、まだ見ぬ竜人たちに、そしてハルを認めていないというレオルザークにも。
運命の歯車はとっくに回り出していて、ハルが望んでいなくても、舞台の幕は開いてしまっている。




