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「形見の指輪?」
ハディが首を傾げる。
「そう、緑の綺麗な宝石がついてて……」
ハルは泣きそうな顔をしていた。
「大切な物なのね。着替えさせた時にはなかったけど……もしかしたら伯父が取り置いてくれてるかもしれないわ」
「ハディの伯父さんって、兵士の? もしかして私を助けてくれた男の人たちの中にいた?」
「そうよ。おいで、会わせてあげる。今はラクダの世話をしているはずよ」
「ラクダ?」
ハディの後について集落をぐるりと回って行くと、乾燥した大地の上で馬に似た奇妙な生き物たちがくつろいでいた。毛の色はほんの少し赤みを帯びた薄い茶色。一番の特徴は背中の大きなこぶで、胴は大きいのにそれを支える四本の足は細長い。垂れ目を囲う長い睫毛は、砂が目に入らないようにするためのものだろうか。少し笑っているような愛嬌のある顔をしていた。
「あれがラクダ? 何だか癒されるね」
もぐもぐと草を食む口元の動きを見ていると気が抜ける。
「そ、砂漠で生活するには欠かせない動物よ。暑さや乾燥に強いの。馬みたいに背に乗れるし、乳を搾ったり、肉や毛皮も利用できるしね。で、私の伯父はその手前のラクダの隣よ。ザナクド!」
ラクダたちに近づくと、彼らに飼料を与えていた中年男性にハディは声をかけた。同じく周りでラクダの世話をしていた他の男たちもその呼びかけに振り向く。
彼らは風を通しやすいゆったりした服を着ていて、頭から首にかけては渋い緑や藍色の布を巻いていたのだが、中には目しか見えていない者もいた。ジジリアでは確実に不審者扱いされる格好だ。
注目を浴びて緊張しているハルの元に、ザナクドと呼ばれたハディの伯父がやって来た。歳は五十歳くらいだろうが、脂肪の少ない引き締まった体をしているように見える。
王族がほとんどいなくなった今も兵士をしているのかは分からないが、顔つきは精悍で眼差しは厳しい。ハルはハディの後ろに隠れたくなった。
「ザナクドったら、そんな眉間に皺を寄せてハルを見ないで。怖がってるわ」
その場を和ませるようにハディが言ったが、ザナクドの表情は和らがなかった。元々厳しいところのある人なのかもしれないが、今ハルに鋭い視線を向ける理由はそれだけではないようだ。
「熱はもう引いたのか? 随分早い回復だな」
まるでそれが悪い事のような言い方だったので、ハルは困って口をつぐんだ。
「ちょっと! せっかく助けた女の子を怯えさせてどうするのよ」
「事情が変わった。その子を連れて一緒に来い。とりあえず長の家で話をしよう」
ザナクドはハディに向かってそう言うと、ラクダを放牧させたまま、さっさと集落の中心部に向かって歩いて行ってしまった。数人の男たちがそれに続く。
「ハディ、私嫌われてる?」
不安になったハルは、控えめに彼女の手を取った。
「ザナクドって普段から無愛想なのよ、ごめんね。何の話か分からないけど、大丈夫だから一緒に行きましょう」
ハディに励まされ、二人で男たちの後を追う。ザナクドが入ったのは、集落の他の家と変わらない素朴な家屋だ。
ハルが足を踏み入れると、中は薄暗く涼しかった。一階の居間部分にハルは案内されたが、家は単純な作りなので、ここは玄関と食堂も兼ねているのだろう。
それほど広い空間ではないのに、長らしき老人とザナクド、他にも五人ほどの男たちがハルの到着を待ち構えていては圧迫感を感じずにはいられなかった。
「ハ、ハディ……」
ハルは再び彼女に縋った。
「悪い人たちじゃないから」
困ったように笑ってそう言われても、ハルは彼らの事を知らないのだ。鋭い視線を向けられれば萎縮してしまう。
「その子が、例の子か。ドラゴンに攫われかけていたという……」
部屋の一番奥で古い木の椅子に座っていた長老が、くぼんだ目をハルに向けた。枯れ木のような、皺だらけの手足が服の裾から覗いている。
びくっと肩を揺らしたハルを、ハディが支えた。
「大丈夫よ、ミイラじゃないから」
「聞こえておるぞ、ハディ」
冗談めいたやり取りを聞いて、ハルはほんの少し安心した。思ったよりも親しみやすい人物かもしれない。
けれど他の男たちの態度は相変わらず厳しい。よそ者のハルを警戒しているのだろうか。
室内に入ってターバンを取ったザナクドの髪色は、ハディよりも薄い茶だった。口元の短いひげも同じ色。
「君に訊きたい事がある。こちらの質問には正直に答えてほしい」
「何?」
尋問のような口調にハルの緊張も高まる。真正面に立ったザナクドは、誠実で真面目そうな顔をしていた。ハディが言うように、悪い人ではないのだろう。
彼は重ね着した服の中から、おもむろに鎖のついた指輪を取り出した。太い金の台座に、緑金の美しい宝石がついたもの。
「それっ……!」
「これをどこで手に入れた?」
ハルは無意識に手を伸ばしたが、ザナクドに避けられて指輪を掴む事はできなかった。大人しく質問に答える事にする。
「それは母の形見です」
「ね、ハルのお母さんって、もしかして貴族? すっごい宝石ね! 綺麗だし、大きい」
初めて指輪を見たハディが驚きの声を上げる。
「貴族じゃないと思う。母の生家の事はよく知らないけど、たぶん庶民だよ」
「庶民が持てるような石じゃないぞ、これは」
即座に否定したザナクドは、確かに指輪の真の価値を知っていた。
「これは竜の石だ。ドラニアスでしか採れない貴重な宝石。そうだろう? しかもこれほど大きく美しいものはそうそう採れるものではない。おそらくな」
「どうしてそんな希少なものを、ハルが?」
ザナクドは疑うように、ハディは純粋な驚きの声を上げてハルを見つめた。答えに詰まるハルを待たずに、ザナクドが結論を出す。
「ドラニアスの皇帝は、代々この石を指輪にして受け継いでいると聞く。それ故この石はドラニアスでは『皇帝の石』と呼ばれているらしい、とも」
「そういえば……その宝石、ハルの瞳と同じ不思議な色ね。……一体あなたは何者なの?」
ハディに困惑気味に問いかけられ、ハルは返事に迷った。一体どう答えればいいのか、どこまで正直に言えばいいのか。しかしザナクドはある程度予想をしているようだし、真実を隠すための上手い嘘も思いつかない。
「君の正体について、話したくないなら無理には聞き出さない。ただしここからは出て行ってもらう。素性の分からない人間を集落には置いておけない」
それは砂漠に放り出すという意味だろうか。遥か遠くに王都は見えているけれど、この暑さでは数時間と持たず脱水症状を起こしそう。間接的に殺すと言われているようなものだ。
ハルが弱々しくザナクドを見つめると、彼は罪悪感からか、別の提案をした。
「私が王都まで行って、竜騎士たちを呼んで来てもいい。彼らは同族を大切にする。君が竜人なら……しかも『皇帝の石』を譲り受けるような立場ならば、手厚く保護してもらえるだろう」
「ラマーンの王都に今も竜騎士がいるの?」
「一年前の事件があった日からずっとだ。彼らはティトケペル王子の首を取るまでこの国を定期的に見回り、監視し続けるだろう。我々ラマーン国民は疑われているのだ。ティトケペル王子をどこかに匿っているはずだと」
こんな状況の中で半分竜人のハルを集落に置いておけば、確かに別の疑惑を生みかねない。ティトケペル王子の行方が掴めず竜騎士たちが苛々している中で、ザナクドは新たな争いの種を生みたくないのだろう。
望んでいない空の散歩から助けてもらった上、風邪の看病もしてもらい、ハルとてこれ以上集落の人々に迷惑をかけたくはない。しかし砂漠に放り出されるのも、竜騎士に引き渡されるのも困る。
ハルはほんの短い間に色々と考えを巡らせた。ハディもザナクドも信頼できる人物だと確信し、口を開く。
「あの、私の事正直に話すから……竜騎士を呼ぶのは止めてもらえると助かります」
「何か訳ありのようだな」
腕を組んで話を聞く体勢に入ったザナクドに、ハルは全てを説明した。自分が竜人との混血である事から、ドラニアスの先代皇帝の子どもである事、クロナギたちと逸れてしまった経緯まで。
ハルの話に、家の中にいた誰もが驚きを隠そうとしなかった。先代の子どもだと告白した時には、ザナクド以外の男たちやハディから小さなどよめきが起きたほどだ。
「って事は、ハルが次期皇帝!? 私たち、すごい子拾っちゃったわね」
「ドラニアスではもう皇帝の血は失われたと思っていたが……」
興奮ぎみのハディに、ザナクドが続いた。
「しかし確かに、先代のドラニアス皇帝に顔立ちがよく似ている。雰囲気もだ」
「父を知ってるの?」
ハルの瞳が大きくなる。
「知っているというか、一年前の事件のあった日にドラニアスの皇帝がラマーンの王宮へ訪れたのを、遠くから見たというだけだ。私は王国の兵士で、主に城の警備を担当していたからな」
「結構上の立場まで上り詰めたんだけど、ザナクドってば陛下に向かって馬鹿正直に意見なんてするから、警備兵に降格させられたのよ」
ハディがこっそりと耳打ちして教えてくれた。本当は物理的に首を切られるところだったけれど、シャーリィ妃のおかげで降格で済んだのだ。
狭い部屋の中ではザナクドにも聞こえただろうに、彼は真顔でハルを観察したまま何も反応を見せない。
そんなザナクドと、「次期皇帝、うちの王子を狙う竜騎士たちを何とかしてよ」と冗談めかして脇腹をつついてくるハディに、ハルは一番重要な事を告げた。考慮してほしいこちらの事情を。
「私は皇帝にはならないよ……。ほとんどの竜人は私の存在を知らないらしいし、このままひっそり生きて行くつもりだから」
「ええ? どうしてよ」
「だって私の存在が知られれば、ドラニアスは混血の皇帝を認めるかどうかで内輪揉めする可能性があるみたいだし……最悪内戦になって国が二つに割れるかもって。今だってそれを警戒している人から微妙に命を狙われてる」
「そうなの?」
息を呑んだハディに頷いて答える。
「その人は、私にジジリアで大人しくしていてほしいみたいだから、そうするつもり。さっき説明した子竜のラッチをドラニアスに帰した後でね」
できれば父の国を見て回りたいけど、それをレオルザークが許さないというなら従うしかない。ハルは暗殺されるのはごめんだったし、クロナギたちをレオルザークと戦わせるのも嫌だ。
しかしジジリアで生活して行くとしたら、クロナギたちはどうするだろう。ハルはふとそんな事を思った。クロナギとアナリアは「自分たちも一緒に行く」と言ってくれそうだが、そうすると彼らを故郷や家族から引き離す事になってしまう。
皇帝でもないハルに付き従わせて、平凡な人生を送らせる。それはクロナギたちの才能を潰す事にはならないだろうか。
「ハル?」
ぽんと肩に手を置かれ、ハディに顔を覗き込まれた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
無理に笑って返すと、ハディも曖昧にほほ笑んだ。
「……でも、つまりハルは竜騎士に見つかりたくないのよね」
「うん、竜騎士たちを束ねるレオルザークって人が、私の事を邪魔に思ってるらしいから」
「どうする? ザナクド」
ハディが話を振るが、ザナクドは腕を組んだまま考え込んでしまって動かない。この集落を実質的にまとめているのはザナクドのようだ。長老は何も口を出す気はないらしく、椅子に座ったままで興味深げにハルを見てくるだけで、その他の男たちも黙ってザナクドの決定を待っている。
「ハルと言ったか」
やがてザナクドはゆっくりとこちらを見て言った。
「竜騎士に見つからないように君の事はこの集落で匿おう。クロナギという保護者が迎えが来るまで、ここにいればいい」
「ぅえ、本当に?」
自分という厄介な存在を何の条件もなく受け入れてくれた事に驚いて、ハルは喉からおかしな音を出した。ザナクドの第一印象は『怖いおじさん』だったが、やはり本当は良い人らしい。さすがハディの伯父なだけはある。
こんな親切な人たちに拾ってもらえるなんてすごく幸運だと、ハルはあまり信じていない神に感謝した。
「ああ、一度助けた命だ。ここで見捨てては寝覚めが悪い。だが見つかりたくないのであれば、日差しの少ない時間帯でも外へ出る時は必ず布を被って顔を隠すんだ。竜騎士たちはドラゴンに乗って、空からラマーンを監視している。この小さな集落の上空にも時折、竜騎士たちが姿を現すからな」
「わかった」
神妙に頷くと、ハルは改めてザナクドとその後ろに控える男たちを見た。彼らもおそらくハルを飛竜から助けてくれた人たちだ。皆ザナクドと同じようにどこか鋭い雰囲気を持っている。ハディや長老は一般市民なのだろうが、他の男たちは兵士のようだ。
とはいえ、国がこの状況では軍がどれくらい機能しているのか分からない。彼らも任務でここにいるというより、兵士を辞めて実家のあるこの集落に戻って来たのではないだろうか。ハルはそう予想をつけながら、全員の顔を見渡し、頭を下げた。
「ここに置いてくれてありがとう。そして今さらだけど、助けてくれてありがとうございます。あのまま飛竜に連れられていたら危なかった。ハディも看病してくれてありがとう。何か恩返しできればいいんだけど……指輪は渡せないし」
「もちろんこんな高価な物は貰えない。何よりこれが皇帝一族に代々受け継がれるものなのなら、我々が持っているのはまずい。竜騎士に見つかればどうなるか」
そう言って、ザナクドは指輪をハルに返した。礼を言ってハルはそれを首から下げ、大粒の『皇帝の石』がついた指輪は服の中に隠す。
「代わりに、家事でもラクダの糞の処理でも何でもするよ。下女をやってたから、こう見えて結構器用なんだ」
ふにゃっと笑って明るくハルが言うと、周りの人間も控えめに唇の端を上げた。ザナクドですらも一瞬表情を和らげたが、それがどこか強ばっている事にハルは気づいた。
「……どこか痛いの?」
心配になって訊くと、ザナクドは困惑顔でハルを見返す。
「いや、何故だ?」
「だって何か、ほんのちょっとだけ辛そうな顔してたから」
その答えに、ザナクドは僅かに目を見開いた。
ハディが首を傾げる。
「何よ、本当にどこか痛いわけ?」
「いや、大丈夫だ。それよりハディ、ハルをうちへ連れて行け。朝飯がまだだろう」
「ええ、そうね。ハルもお腹空いたでしょ」
「うん、ありがとう。何から何までお世話になります」
すっかりハルを可愛がっているハディと、ハディに懐いているハルを見送ってザナクドはため息をついた。ハディには後で話をしておかなければならない。
「痛むのは良心か……」
独り呟くと、振り返って元部下たちに向き直った。ザナクドは降格させられたので、今は若い彼らと同じ身分だ。
「ザナクドさん、本当にあの子をこの集落に置くつもりですか? 確かに彼女自体に害は無さそうですが……」
複雑な心境を声に滲ませて、一人の青年が言う。彼は弓の名手だが、国王軍の中では単なる一般兵だった。王に媚びへつらわなければ、あそこで出世は望めなかったのだ。
ザナクドは重い口を開いて言った。
「我々はあの子を上手く利用しなければならない」




