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一年前に起こった、ラマーン国王によるドラニアス皇帝の殺害事件。
ハルは前にクロナギから聞いたその詳しい状況を思い返していた。
前皇帝エドモンドはそれまでの閉鎖的なドラニアスを変えようとして、人間の国と交流を持とうとしていた。その相手としてまず選んだのが、隣国のラマーンだ。
使者を送って何度かやり取りを行った後、ラマーン国王は自国での会食にエドモンドを招待し、友好的にもてなした。
そして穏やかな空気のまま、一対一で私的な会談をしたいとエドモンドを隣室へ誘い、そこで凶行に及んだ。
ラマーン王の目的は暗殺ではなく、エドモンドに魔術をかけて意のままに操る事。彼は、竜人の戦闘能力の高さを礎にしたドラニアスの軍事力を手中に入れたかったのだろうと言われている。
けれど元々真剣に魔術を学んでいなかったラマーン王の術は失敗、暴発してエドモンドの命を奪う。
騒ぎを聞いて駆けつけた竜騎士たち――その中にはクロナギもいたらしいが――によって、ラマーン王は即座に捕えられ、処刑された。
ラマーンにも軍はあったが、実権を握っていた王を失った上、怒りをみなぎらせる竜騎士相手に抵抗する術などあるはずがない。
おまけにラマーンの軍人たちは、王族への忠誠心を元からあまり持っていなかったらしい。早々に白旗を上げて全面降伏した。
ラマーンの国は崩壊したが、しかしドラニアスが代わりに支配する事もなかった。竜人たちはただ皇帝を殺された仇を討っただけで、新たな領地が欲しかったわけではないのだから。
しかし皮肉にも、ある一点において、ラマーンとドラニアスの今の状況は似ていた。
――どちらも君主を失って、国がまとまらなくなった。
ドラニアスも崩壊寸前なのだ。
しかも国民にとってのダメージは、むしろドラニアスの方が大きい。
彼らにとってのエドモンドの存在は、ラマーン国民にとっての王の存在よりずっとずっと重要で、ずっとずっと大切だったのだから。
「あの女の子たちが言ってた事って本当なの?」
山を登り始めた所で、ハルは自分の少し後ろを歩いていたクロナギを振り返った。
旅の荷物のほとんどは男性陣三人が背負っているので、これから山越えをしようという割にはハルもアナリアも身軽だ。ラッチにいたっては荷物を持つ事は免除され、自由にそこら辺を飛び回っては、疲れたらオルガの背負っている荷物の上で休むという事を繰り返している。
「竜人たちはラマーンの王族の生き残りを探してるって話。というか、ラマーンの今の状況は――」
言っている途中で、クロナギが瞳を伏せてほほ笑んだ。
おかしな事を言っただろうかと恥ずかしくなったハルは、照れ隠しにムッと唇を尖らせた。
「どうして笑うの?」
「いえ、申し訳ありません。笑った訳ではなく、ハル様が政治に関心をお持ちになったのかと思い、喜んだだけなのです」
そうクロナギは弁解した。
彼は「ハル様のしたいように。私はあなたが皇帝になる事を強要はしません」と前から言ってくれているし、それも本心なのだろうが、心の底ではハルを皇帝にする事を諦めていないようだ。今の発言でもそれが分かる。
「別に政治には興味ないよ」
ハルはつんとした口調で言って、前を向いた。政治に興味はないし、皇帝にもならないからね。言外にそう言いたかったのだ。
その子どもっぽい態度にオルガが後ろで笑い声を漏らしたが、ハルは相手にしないようにして歩き続ける。
しかしクロナギが話を始めると、ハルは猫のように耳をそばだてた。興味津々だと思われたくないので、振り向いたりはしない。
「我々がラマーンの王族の生き残りを探しているというのは本当ですよ」
「……なんで?」
「殺すためです、もちろん」
穏やかな口調で言われて、言葉との落差に一瞬面食らう。
ハルは歩みを進めながら淡々と質問した。
「ラマーン国王が父さまを殺したから、その報復?」
「気持ちはそうですが、一応ドラニアスの法に則った行動です。皇帝を害した者は『天逆罪』という罪に問われ、本人のみならず、その一族全員が極刑に処せられる事になりますので」
それで王族の生き残りを探しているのか、とハルは思った。つまりその生き残り――さっき会った村の女の子たちは「王子」と言っていた――以外の王族は、もう皆ドラニアスの竜騎士によって殺されたということだ。
ハルは冷静にその事実を受け止めた。自国の皇帝を殺されておきながら甘い対応をする方がいけないと思うからだ。他の国から舐められて戦争を仕掛けられる、という事態にも発展しかねない。
クロナギによると、ドラニアスの長い歴史の中で天逆の罪を犯した者は過去に一度もいなかったという。
人間の国では王が暗殺されるというのは珍しい事ではないが、ドラニアスでは皇帝を殺すなど有り得ない事だから。
それ故『天逆罪』は無用の法律としてドラニアスでは有名だったのだが、今回初めてラマーンの国王とその一族に適用される事となってしまった。
「ところで、ラマーンの国民はどうなったの? 軍が全面降伏したのなら、戦いに巻き込まれたりはしていないんだよね?」
ハルの疑問にクロナギが答える。
「ええ、彼らは我々を恐れて戦おうとはしませんでしたから、こちらも手を出していません。国王が犯した罪の責任を取って国民も諸共に……という気持ちもなきにしもあらずですが、数だけは多い人間たちを国ごと殲滅させるのは骨が折れますので」
「それに弱い人間なんか殺したって、楽しくもなんともねぇしな」
オルガが言葉を付け加える。ソルとラッチはこの話題に興味がないようで、空の高いところを飛んでいる大きな鳥をつまらさなそうに眺めていた。
クロナギは話を続ける。
「ラマーンの王族たちは国民から慕われていなかったようで、他国に逃亡しようとする王族をむしろ国民たちが拘束して竜騎士に突き出してきたのですが、今も逃亡を続けている王族に限っては、一部の国民に庇われているようです」
「王子様だっけ?」
「ええ、一番末の王子ですね。彼の行方が未だ分からないのは、国民が匿っているからに他なりません」
「どうしてその王子様だけ匿われてるんだろう?」
「末の王子は未成年で国政にも関わっていませんし、国王の計画を知っていたとも思えませんから、国民も哀れに思ったのでは?」
ちなみに現在逃亡中の王子の他にも、ラマーンには二十代から四十代の王子が九人、王女が十三人もいたらしい。ラマーンの国王が妃を何人も持っていたからだ。
「国王の計画を知っていた訳じゃなくても、王子様は見つかったら処刑されるんだね」
「『天逆罪』とは、そういう罪ですから」
まだ子どもの王子が竜騎士たちに殺される光景を思い浮かべ、ハルは悲しい気持ちになった。彼が可哀想という気持ちもあるが、法に基づいた行動とはいえ、竜騎士たちには弱い子どもを殺すような真似をしてほしくなかったから。
そんなハルの気持ちを分かっているはずなのに、クロナギは冷淡に話を続けた。
「そしてラマーンの国民たちが王子の引き渡しを拒否するなら、残念ながら竜騎士軍は彼らにも――弱い国民にも手を下さなくてはならなくなります」
「……それを私に言って、どうしたいの?」
顔をしかめたハルを見て、クロナギはくすりと笑う。
「いえ、何も。私がどうしたいかなど、どうでもいい事ですから。大事なのはハル様がどうしたいかです」
何だか、あらぬ方向に話を誘導されているような気がする。クロナギのあの笑みは、自然すぎて不自然だ。
そんな事を思いつつもハルはこう返した。
「私がどうしたいか? そりゃ、もし幼い王子が何も知らなかったっていうんなら、処刑は止めてあげてほしいと思うよ。そしてそれを庇おうとする国民たちに手を出すような事もしないであげてほしい」
「ならば、ハル様が皇帝になって、竜騎士たちにそう命令すればいいのですよ」
即座に返された返事に、ハルはますます顔をしかめた。クロナギが言いたかったのはこれだ。
「しないよ、そんな事」
ハルはただ前だけを見て、突き放すように言った。
愚かな国王のとばっちりを受けただけなのだとしたら、逃亡中の王子もラマーンの国民たちも可哀想なのかもしれない。
けれど、彼らを助けようと思うほどの強い動機はハルにはなかった。
皇帝一族の血を継ぎながら、ドラニアスをまとめる覚悟――ドラニアスの国民たちを支える覚悟さえないというのに、ラマーンの事まで助けられる訳がない。
「もうこの話はこれで終わりね」
そう言って話を打ち切ってしまう自分を意気地なしだと感じるが、じゃあ皇帝になるのかと問われると、やはりその勇気はない。
とりあえず今は、自分がやると決めた事をやるだけだ。ラッチを故郷に帰すという目的を叶えるために、黙々と歩みを進めるだけ。
(けど、これからラマーンに入れば、楽しい旅路にはなりそうもないな)
クロナギたちがいてくれる限り危険な目には遭わないだろうが、ラマーンの現状を目にして、悲しい気持ちになったり、いたたまれない気持ちになる事は多いかもしれない。
しかしそれはドラニアスに着いても同じだろう。
かの国も皇帝を失って崩壊したに等しいのだから。
ハルは、ドラニアスに着いてその惨状を目に映すのが少し怖くなった。
***
ウラグル山脈に挑んで三日目。
ハルたちは何事もなく山を下り始め、今日の日暮れまでにはラマーンに入れるかというところまで来ていた。
クロナギたちはハルに合わせたペースで進んでくれているし、荷物もほとんど持ってくれている。おまけに途中、足場の悪い場所などではハルの事を背負ってくれたりもした。
しかしそれでもハルの体には疲労が溜まっていった。
夜に休息をとっても野宿ではあまり日中の疲れはとれないから、日を追うごとに疲弊していくばかり。
おまけにラマーンが近いという事もあって、ハルは精神的にも緊張していた。
自分がドラニアスの帝位継承者だとバレたら、ラマーンの人々はどういう態度をとってくるだろう? もし攻撃されたら?
それにラマーンにはドラニアスの竜騎士軍もいるはずだ。そこで生き残った王子を探しているから。
彼らと出会ってしまった場合、どう接すればいいのか。彼らはどう接してくるのか。
クロナギのように最初からハルの存在を受け入れてくれるのか、それとも初めの頃のアナリアのように憎しみを向けられるのか、あるいは拒絶されるかもしれない。
今ドラニアスをまとめている『総長』レオルザークがハルの事を疎んでいるのだから、部下の竜騎士たちも同じ考えでいる可能性が高い。
いや、もしくはレオルザーク以外にハルの存在を知っている竜騎士はいないかもしれない。
山越えの間そんな事ばかり考えてしまって、ハルは心身ともに疲れ果ててしまっていた。
「ハル様、体調は大丈夫ですか? 疲れていらっしゃるようですが……」
「肩車して運んでやろうか?」
アナリアが心配げにハルの顔を覗き込み、オルガが軽い調子で言う。
疲れていたハルもつられて笑った。
「肩車なんてやだ」
他人の目がある訳ではないが、目立つったらない。クロナギにおんぶされるのですら恥ずかしかったのに。
明るく笑うハルだったが、自分でもそれがから元気だと分かっていた。疲労と緊張で、心の底から笑顔にはなれない。
じっとその様子を見ていたクロナギも気づいたようだ。
「ハル様、疲れておられるのなら遠慮せず我々を頼って下さっていいのですよ。ラッチのようにね」
ハルが気を遣わないようにと、クロナギはラッチを引き合いに出した。
ラッチは昼の休憩できちんと体を休めなかったため――近くを飛んでいた蝶々を夢中で追いかけ回していたのだ――、今になってオルガの背負っている布袋の中で昼寝をしている。
「それともまた休憩を取りましょうか?」
「ううん、大丈夫だよ。ついさっき休んだばかりだし、まだ歩ける」
あまり休んでばかりでもクロナギたちに悪い。彼らはそれほど頻繁に休息を取る必要はないのだから、自分に合わせてもらうのは申し訳ない。ハルはそう思って足を止めなかった。
(もう少しで山を越えられるし、あとちょっと頑張ろう)
が、そんなハルの行く手を阻むように、前方の空から真っ黒な雷雲が近づいてきていた。
 




