19
その日の夜、クロナギやハルたちは街で行われた『魔賊撃退を祝う大宴会』に半ば強制的に参加させられていた。
クロナギとしてはハルを早く休ませたかったのだが、幸せそうな顔で甘いプディングを頬張るハルから、その楽しみを奪う事はできなかった。
宴会は街をあげて行われていたが、クロナギたちが招待された先は、大通りにある一番大きな酒場だ。
人で溢れた騒がしい店内で、クロナギも美味しい食事をご馳走になった。一応自分で適当に手当はしておいたし、風呂に入って服も着替えたので見た目は血みどろではなくなったが、魔賊から受けた傷はまだ完全に塞がったとは言えない状況なので、酒は自粛しておく。
街の住民たちの態度を見るに、クロナギたち竜人に向けられていた『恐れ』や『警戒』といった感情はほぼ無くなったようだ。
人質となっていた妊婦を助けて解術の方法を見つけてきた事、そして魔賊を生かして捕えた事――つまり命までは奪わなかった事が、竜人たちへの印象改善に繋がったらしい。
残虐な戦闘民族だと聞いていたけど、そうでもないのでは? という感じだ。
しかしハルが妊婦を助ける事を第一に望み、そして魔賊を生かしたまま自警団に引き渡す事を指示しなければ、クロナギはきっと無慈悲に魔賊の命を奪っただろう。
妊婦の事も、ハルの安全と天秤にかけて、仕方なく見殺しにしていたかもしれない。
そうなっていれば、きっと街の住民たちはクロナギたちを恐れたままだった。この宴会に呼ばれる事など決してなかったはずだ。
ちなみに魔賊のアジトに溜め込まれていた宝石や貴金属、希少な魔石や魔道具は、結局自警団が回収していった。
これらのほとんどは街の住民から奪ったお金で買われたものだから、住民たちで平等に分配するらしい。
それを聞いたハルが、それなら自分が勝手に持ち去る訳にはいかないと杖を返そうとしたのだが、
「いいさ、それくらい。こっちの宝石やら何やらを売れば、十分元はとれる。今まで奪われた分は取り戻せるからな」
うははと笑いが止まらない様子の団長タッドにそう言われたので、有り難く貰っておく事にしたようだ。どうやらハルは魔術を覚えたいらしい。
ハルの身はクロナギが守るつもりでいるから魔術など覚える必要はない。そう言いたかったが、ハルが自分を守る術を身につけるのは悪い事ではないと思い直した。
それにハルは皇帝という堅苦しい身分にはついていないのだ。できるだけ本人の意思を尊重して、魔術でも何でも自由にやらせてやりたい。
「しあわせ……」
隣でふにゃふにゃと頬を緩ませながらプディングを食べるハルを見て、クロナギも表情を緩めた。もっと甘い物を与えたくなる。クロナギたち竜人にとっては人間の国の菓子は甘すぎるのだが、ハルには最高の味付けのようだ。
ふとハルの向こうに目をやると、アナリアが自分と同じゆるゆるの顔をしてハルを見つめている事に気づき、クロナギはちょっと複雑な気分になった。
ハルの魅力を大勢の人間に分かってほしいと思うが、同時にそれを知っているのは自分だけでいいとも思う。
先代のエドモンドには抱かなかった、自分勝手な独占欲だ。
「もう終わりか、あっけねぇな!」
「……まだ飲み足りない」
騒がしい声にクロナギが顔を上げると、少し離れたところで、オルガとソルが街の若者たちと酒の飲み比べをしていた。
「なら、次は俺だ!」
酔いつぶれた友達の代わりに新たな若者が手を挙げ、二人に――というかオルガに勝負を挑む。「飲み足りない」などと本人は言っているが、ソルは見るからに酔っぱらっているから。
無表情なのはいつもの通りだが、目が据わって、頬に赤みが差している。
基本的に人間よりアルコールに強い竜人なのだが、ソルに限っては違うのだ。
しかし本人にはその自覚はなく、酒好きだからタチが悪い。クロナギは過去に何度酔いつぶれた彼の面倒をみたか。
盛り上がっている男たちから視線を外し、クロナギは窓の外へと目を向ける。
岩竜たちはハルを慕って森へ帰ろうとはしなかったが、店の外で大人しく眠って待っているようだ。「でけぇな」なんて言われながら、街の住民たちに恐る恐る触れられている二匹が見えた。
ラッチはと言うと、ハルの膝の上から身を乗り出し、テーブルの肉を黙々とむさぼっている。
その食べこぼしがハルの服につかないか監視するクロナギの元に、自警団の団長タッドがやってきた。片手に酒、片手に椅子を持ってクロナギの隣に腰を下ろす。
「飲まないのかい?」
「ええ」
クロナギはあまり興味のない様子で返事をした。
「私に何か?」
その声は淡々としていて、少し冷たい印象を与える。
しかし気を許した竜人たちの前でもなければ、ハルが関わってもいない時のクロナギはこんなものだ。
タッドは軽く酔っているのか機嫌が良さそうで、クロナギの態度も気にならないようだった。
「いやー、この街を救ってくれた恩人に礼を言わないとと思ってな。本当は俺たちが魔賊を何とかしなきゃならなかったんだが、手も足もでなくてな! わはは、情けない!」
軽く、どころではない。タッドは完全にでき上がっていた。真っ赤な顔をしてクロナギに絡む。
が、クロナギは至極冷静だった。なんせ素面だ。
「我々はこの街を救おうとして魔賊を倒した訳ではありませんし、逆に迷惑をかけた部分もありますので礼など不要です」
「あんた、恋人はいるのかい?」
唐突に話題を変えるタッド。酔っぱらいなので、話に脈絡がない。
クロナギはほんの少しうんざりした顔をしながら「いいえ」と答えた。タッドが嬉しそうに笑う。
「なら、うちに婿に来ないか! 下の娘はまだ未婚なんだ」
「いえ、せっかくですが遠慮しておきます」
断りながら、クロナギは心の中で驚愕すると共に少し笑ってしまった。竜人の自分を婿にしたいなんて物好きだと思ったのだ。
タッドがここまで自分たちに気を許しているのは、酔っているせいもあるだろう。
けれど一番大きな理由は、きっとハルがいるからだ。
タッドだけではない。他の住民たちもそう。
人間にとって、竜人らしい容姿をしたクロナギやアナリア、オルガ、ソルは近寄りがたい存在のようだが、ハルの事はそうでもないらしい。
魔賊を倒した後、住民たちが最初に声をかけたのもハルだったし、この宴会に直接誘われたのもハルなのだ。クロナギたちはハルを通して、住民から「よければお連れの方もご一緒に……」と誘われただけで。
まだ少女であり、竜人らしくなく、危険さの欠片もないハルの方が、クロナギたちより接しやすいのだろう。
ハルの半分は人間だから、知らず知らずのうちにそこに親近感を感じているのかもしれない。
ハルを間に挟む事で、この街の人間と竜人はお互いの事を知る事ができた。
政治とは関係のない場で、人間と竜人が同じテーブルで食事をともにする。それは先代のエドモンドが想い描いていながらも、ついに叶わなかった夢の一つだ。
けれど、それがこうも簡単に実現するとは。
ここにエドモンドがいれば、感動してむせび泣いていたかもしれない。
クロナギはハルの事をエドモンドにそっくりだと思っていた。容姿も中身も。
けれどやっぱり、小さな頃から次期皇帝として育てられてきたエドモンドと、普通の人間として育ってきたハルとは違うのだ。
エドモンドよりもずっと未熟なハルだが、ハルにしかできない事もきっとたくさんある。
混血であるという事がハルの長所のひとつなのだ。
と、そんな事を考えていたクロナギの思考を読んだ訳ではないだろうが、タッドは酒を煽りながらこう言った。
「いいじゃないか。人間と竜人が結婚したって。竜の国は排他的だと聞いたが、過去にそういう例はないのかい?」
「あふお(あるよ)!」
答えたのは、クロナギではなくハルだった。スプーンに大盛りにしたプディングをリスのように頬に詰め込んで、タッドの方へ向き直る。クロナギにとってハルのその姿は、思わず口元を緩めてしまうほどの可愛さだった。そしてやはりアナリアも、クロナギと同じように、きゅんと胸を撃ち抜かれた顔をしている。
タッドが尋ねた。
「『ある』って?」
「だって私の父さまと母さまがそうだもの」
「へぇ、それじゃあ竜人と人間が恋仲になるのも、有り得ない話ではないってことだな!」
タッドのその言葉は、騒がしい酒場の中で思いのほか大きく響いた。
店内が一瞬しんと静まり返る。
男たちは皆アナリアへと期待のこもった視線を注ぎ、女たちは熱のこもった眼差しでクロナギを、あるいはオルガやソルを見つめた。
クロナギがひとつ咳払いをすると、皆我に返り、慌てて視線を散らせる。
アナリアはそういう視線を向けられる事に慣れているので当たり前のように受け流し、鈍感なオルガとソルは何も気づいていない。ハルは一瞬店内が静かになった事を不思議に思い、首を傾げていた。
そしてクロナギは、椅子に立てかけておいた愛用の長剣から、人知れずそっと手を離した。もしハルに向かって欲望にまみれた目を向ける男がいれば、それは抜かれてかもしれない。
「うわぁ! チーズタルトがっ! カボチャのっ、ナッツのタルトが!」
自分に関する事で危うく死人が出るところだったとは知らないハルが、勢いよく席を立って新たな甘味に向かって行く。
昼間に林檎タルトを買った店の女主人が、売れ残った商品を持って酒場にやって来たのだ。ハルが行かない訳がない。きっと三種類を全部食べるだろう。
ハルが立ち上がった瞬間に膝の上から転がり落ちたラッチは、床に落ちた肉を口の中にめいっぱい詰め込むと、急いで彼女の後を追って飛んで行った。
置いて行かれるのはこりごりのようだ。
「あんた、あの子の従者なんだって? ……うぃッく」
ハルの後ろ姿を目で追うクロナギに、しゃっくりをしながらタッドが話しかけてきた。今の彼に自警団団長の面影はない。酒臭いただのおやじだ。
「そうですが、それが何か?」
そう返事をしてもひたすらニヤニヤ笑いを続けるタッドに、クロナギが少しイラっとした時だ。
「いい主人を持ったな」
突然そう言われて苛立が霧散する。言葉の真意を読み解こうとクロナギがタッドを見ると、
「あの子はなぁ、そこにいる竜人の美女や魔賊たちから、あんたを助けようと必死だったぞ。自分は主人だから、従者のあんたを守らなきゃなんねぇってな。それでドラゴンを引き連れて戻ってきたんだ。……って、そう言えば、そこの美女とはいつの間に仲直りしたんだ? 竜人同士で仲間割れしてたんじゃなかったのか?」
タッドの質問にクロナギは答えなかった。話の前半部分に意識を持っていかれてしまって、後半は全く聞いていなかったからだ。
「ハル様がそんな事を……」
ドラゴンを連れて来たのは、“魔賊を倒すため”だと思っていたが、本当は“クロナギを守るため”だったのだ。その二つは似ているようで全く違う。少なくともクロナギにとっては。
ハルはクロナギのために行動したのである。
自分がハルを動かした。自分がハルの動機になった。
そう思った瞬間、胸の内から強烈な喜びが湧き上がってきた。
竜騎士としてはハルに守られるなんてもってのほか。自分が弱いからハルに心配をかけてしまったのだと、己の不甲斐なさを恥じるべきなのに。
クロナギは感激した顔で、少し離れたところにいるハルを見つめた。
ハルが自身の事をクロナギの主であると認めた、という事実にも感動する。
自分が勝手に付き従っているだけで、皇帝になる事を拒否したハルは今も戸惑ったままだと思っていたから。
自分の存在を受け入れてもらえた。
他でもない、ハルに。
それに喜びを感じずにはいられない。
その後もタッドがまた話題を変えて、自分の未婚の娘の事を何やら喋っていたが、クロナギはハルを見つめるので忙しかった。
彼女があの小さな体で自分を守るために奔走してくれたのかと思うと、クロナギはたまらなくなった。愛おしくて、力一杯抱きしめたくなる。
が、その感情も、次の瞬間には別の衝動に変わった。
「お前さん、そんな細っこいのによく食うなぁ。お菓子ばかりじゃなく、ちゃんと飯も食わんといかんぞ」
念願のタルトに夢中になっているハルの頭を、その隣に座っていた中年の男がポンと叩いたのだ。いや、叩いたというよりもっと優しい。手を頭に軽く乗せただけ。
けれどクロナギの目は一気に殺気を帯びた。ドラニアスの帝位継承者であるハルの頭に軽々しく触れるとは、何と無礼な行為かと。
しかしそれは二番目に考えた事。最初に思った事は違う。
自分だって滅多に触れられないハルの柔らかい髪の感触を、あの男が知った事が許せない。そう思ったのだ。
すっと目をすがめたクロナギの耳に、「ふふ……」と、色っぽい笑い声が聞こえてきた。ハルに意識を集中させたまま横目で隣を見ると、アナリアが愉しそうに唇の端を上げている。
そうしてクロナギの方へちらりと視線をやり、
「クロナギは知らないでしょうけど、私、ずっとあなたが羨ましかったのよ。ま、今は違うけど」
そう言って席を立つと、また「ふふ」と笑いながら、アナリアはハルのいる方へと優雅に歩いて行ったのだ。
後に残されたクロナギは、軽く眉をひそめてその後ろ姿を目で追った。一体アナリアは何が言いたかったのかと思いながら。




