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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第一章 指輪と魔獣とドラゴンと
3/106

3

 他の使用人たちと一緒に夕飯を食べた後、ハルは一人こっそりと屋敷を抜け出した。この地域は今の時期日没が遅く、空はまだ明るい。


 昼間も来た小さな薔薇園を抜けてさらに奥へ進むと、そこには領主が管理している森が鬱蒼と広がっていた。

 森の中は薄暗く、しんと静まり返っているが、ここに通い慣れているハルは特に恐怖を感じない。

 

 駆け足でしばらく遊歩道を進む。

 右側を注意して見ていると、ハルが目印として石で小さく『×』印をつけた木を見つける事ができるので、そこで曲がった。

 そして遊歩道から、ほとんど人が入る事のない森の中へと足を進める。


 生い茂る草をかき分け、折れて地面に横たわっている大木を乗り越えていくと、やがてぽつんと開けた場所に出た。

 ここまで走ってきたハルはそこで一旦息を整えた後、大きな声で“彼”の名を呼んだ。


「ラッチー!」


 “彼”は近くにいたようで、ハルの声が聞こえるとすぐにやって来た。


「ラッチ!」


 ハルは笑顔で迎える。

 そして近くの木の影から飛び出してきた“彼”もまた、ハルと会えて喜んでいるようだった。太い尾をブンブンと振ってこちらに飛んできたのだ。


 “彼”――ラッチは、橙色の鱗を持つ、まだ幼いドラゴンだ。


「うわっ!」


 喜びのまま小さくて丸っこいドラゴンに追突されて、ハルはそのまま後ろへ転がった。ラッチはそんなハルの胸の上に腰を落ち着けて、すりすりと頬を寄せてくる。

 寂しかったと甘えるように。


 ハルがラッチに出会ったのは、今から三ヶ月前の事だった。

 屋敷の料理人に頼まれてエラガダケという茸を採りにこの森へ入った時に、子どもと赤ん坊の中間のような幼い子竜を偶然見つけたのだ。


 獲物を求めてふらりと訪れる事は稀にあっても、ドラゴンは普通、人間のいる土地には住み着かない。

 基本的にドラゴンは竜の国で生まれて、一生をそこで過ごすものだから。


 竜の国とは、世界の西の果てにある大きな島国だ。ハルが暮らしているこのジジリア王国の、隣の隣の国。

 間に海を挟んでいて人間の住むいくつかの国とは地理的にも完全に遮断されているし、貿易などの交流もほとんどない。

 竜の国に住む竜人と呼ばれる種族――見た目は人間と変わらない――が、あまり人間と関わりたがらないためである。

 誇り高く、独特の流儀を持つ彼らの目には、人間は愚かで欲深い生き物に映るのだろう。


 ちなみに竜人にとってのドラゴンとは、人間にとっての馬のような存在らしい。

 つまり、大事なパートナー。

 竜人はドラゴンを調教し、その背に乗って空を飛び、戦うのだとか。人間の国で平和に生きてきたハルには、頭の中で想像することしかできない光景だ。


 今、ハルの目の前にいるラッチも、きっと竜の国で生まれて竜人と共に生きていくはずだったドラゴンだ。

 しかし何らかの理由で、人間の住むこの国までやって来てしまったのである。

 そしてその何らかの理由とは、おそらく密猟だろうとハルは思っていた。

 

 金を持て余した人間の中には、竜の国にしかいない珍しいドラゴンを手に入れてみたいと思う者も少なくはない。

 そしてそういった人間に大金を積まれれば、竜の国へ密入国してドラゴンを生け捕りにしてくるという危険な仕事に喜んで行くならず者も出てくる。


 ドラゴンには大型で岩のように硬い皮膚を持つ『岩竜』と、小型で俊敏な『飛竜』とがいるのだが、密猟者たちには特に後者の方が人気のようである。

 子竜を攫うにしても卵を盗るにしても、単純に飛竜の方が小さくて、運びやすいから。


 ドラゴンに関して一般人と同じくらいの知識しかないハルだったが、ラッチはその体つきや皮膚の硬さなどから、飛竜の方だろうと確信していた。

 きっと親が巣を離れた隙に人間によって攫われて、こんな遠いところまで連れてこられたのだ。


 ラッチの首には、今も太い鉄の首輪と鎖がついていた。鎖は途中で千切れていて、ラッチが動くたびに音を鳴らして揺れている。

 おそらくラッチは自力で鎖を引きちぎり、密猟者の元から逃げ出してきたのだろう。


 そう思ったハルは、この可哀想な子竜を森で匿う事に決めたのだ。

 とは言え、それはそんなに大層な事ではない。森でドラゴンを見つけた事を誰にも話さず黙っておく、というだけだから。

 最初のうちは屋敷で貰える自分の夕飯を運び、ラッチと名付けた子竜に与えていたのだが、ラッチはそれでは足りなかったのか、そのうち自分で狩りをするようになった。

 なのでハルはご飯を運ぶ必要もなくなり、今ではラッチの顔を見に来るためだけにここへ通っている。


 人間に酷い目に遭わされたはずのラッチも、森で最初に会った時から何故かハルには懐いており、彼女がやってくるのを毎日楽しみにしている様子である。

 おそらくまだ孵化してから一年も経っておらず、体の大きさはハルが「よいしょ」と両手で抱え上げられるくらい。成長途中なのでもちろんドラゴンにしては小さい方だが、体重は結構ある。持ち上げるとずっしりと重いのだ。

 

 もうしっかり狩りも覚えたようだし、ハルの助けが無くとも生きてはいけるはずだが、やはりまだ幼児なのだろう。

 ハルの事が恋しいらしく、自分からこの森を出て行こうとはしない。毎日毎日、同じ場所でハルが来るのを待っているのだ。


「ラッチ、重い……」


 ハルが自分の上に乗っかっているドラゴンをどけて体を起こすと、彼の首輪から垂れている半端な鎖がじゃらりと鳴った。

 これまで、この首輪と鎖をなんとか外せないものかと試行錯誤したのだが、ハルの力ではびくともしなかった。鍵がなければ外せそうにない。


 ラッチを町の鍵屋まで連れて行って首輪を見てもらえば、あるいは外せるかもしれない。

 しかしそれには様々な危険がつきまとう。

 自分たちの町にドラゴンがいることに気づいたら、人々はパニックになるだろうから。

 

 ラッチはまだ小さいからそれほど警戒されないかもしれないが、中には「ドラゴンは危険な生物だから殺した方がいい」と言う人も出てくる。

 ドラゴンを密猟して飼い馴らしてみたいと考える貴族や金持ちがいる一方で、ほとんどの人間は野生の熊や狼を恐れる以上に、ドラゴンを恐れているのだ。

 それに万が一密猟者に見つかったら、ラッチはまた自由を失い拘束されてしまう。


 ラッチを人の多い場所には連れて行けない。ハルはそう思っていた。

 しかし同時に、ずっとこの森でひっそりと生活させていくのも可哀想だと思っている。なにせここにはドラゴンの仲間がいないのだから。

 ラッチが成長して大きくなったら、人目につかないようにさらにひっそりと、窮屈な生活してもらわなければならなくなる。


「これからどうしよう。おまえはどうしたい? 故郷に帰りたい?」


 ハルはラッチの頬を両手で包み、丸く大きな瞳を覗き込んだ。

 しかし人間の言葉を詳細に理解している訳ではないラッチは、こてんと首を傾げるのみである。

 その可愛らしい仕草にほほ笑みをこぼしつつ、ハルは聞いた。


「お腹は空いてない? 今日は狩りをしたの?」


 “狩り”という単語を聞き取ったラッチは、『そうだった!』というように大きく目を開け、突然ハルの元から飛び立っていった。そしてそのまま背の高い草の茂みに突っ込んだかと思うと、すぐに引き返してくる。

 どうやらラッチが食事を始めようと思った時に、ちょうどハルが来てしまったようだ。仕留めたまま放っておいた獲物を口にくわえて、ラッチは戻ってきた。


 その獲物がウサギではありませんようにと願いながら――可愛いラッチが可愛いウサギを貪り食う様子を見るのは、なんとなく微妙なのだ――ハルは言った。


「ラッチの今日のご飯は何……」


 しかし言葉は途中で途切れる。

 ラッチがくわえて持ってきたのは、ウサギどころか動物でもない。

“魔獣”だったのだ。


「ぎゃあ! ラッチってば、なんてもの食べようとしてるの」

「?」


 怖がるハルとは対照的に、これからごはんなラッチは機嫌が良さそうである。素直な尾が、嬉しそうに揺れている。


 魔獣というのは、簡単に言えば『元動物の化け物』。

 魔獣がどうやって誕生するのか、はっきりしたことは分かっていないが、『怒りや恐怖、憎しみや嫉妬といった人間の負の感情を吸収してしまった動物が変化するもの』という説が、一般的に信じられている。

 

 魔獣になってしまった動物は皮毛が黒く変色し、瞳の色は血のような赤に変わる。顔つきは凶悪、性格は獰猛になり、元々草食で大人しい動物でも人間を襲うようになる。

 さらに、魔獣化すると体は段々と巨大化していき、角が生えたり、目の数が増えたりと、化け物じみた姿に変わっていく。変化してから数年が過ぎれば、もう元の動物がなんだったのか分からなくなるのだ。


「それは……鳩、かな?」


 ラッチがくわえている魔獣の死骸を、ハルは恐る恐る観察した。

 体の大きさは倍で、少々爪が鋭すぎるが、丸い頭やふっくらした胸は鳩のそれに思える。

 

「魔獣って美味しいの?」


 真っ黒い鳩をガツガツと頬張るラッチをまともに見る勇気がなかったので、薄目で観察しながらハルは呟いた。

 魔獣を補食するなんて、可愛いラッチもやっぱりドラゴンなんだなぁと思いながら。

 ドラゴンや竜人は、世界で一番強いと言われている種族でなのである。


 魔獣の羽をむしりながら美味しそうに食事を続けていたラッチだったが、ピクピクと小さな耳を動かすと、突然顔を上げてハルの後方を見た。

 視線は暗い森の陰に向けられている。


「どうしたの、ラッチ?」


 ハルもつられて後ろを振り返る。

 と、少し離れた所から、ガサガサッという足音と共に去っていく人影が見えた。

 顔はもちろん、男か女かも分からない。身長から見るに大人のようだが……。

 ハルの額に冷や汗が流れた。


「やばい、誰だったんだろう。ラッチの事、見られたよね?」


 どうしてここに人がいたのか分からないが、目撃者はラッチの事を誰かに話すだろうか? 危険なドラゴンが森にいると?


「……あの怪しい黒髪の男の人かな?」


 目撃者の正体について、ふとその人物が頭に浮かんだ。今日、薔薇園にいた黒尽くめの背の高い男の人。

 

「ラッチ、しばらくは辺りを警戒して行動するんだよ。人間に見つからないようにね」


 ドラゴンだからと一括りにされて、危険性のないラッチが殺されるのは嫌だ。殺されなくとも、密猟者や趣味の悪い貴族に売り渡される可能性も大きい。

 しかし、そんなハルの心配が分からないラッチは、またご機嫌で食事を再開させたのだった。

 

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