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魔術書をぺらぺらとめくってみたが、簡単に習得できるような内容ではなさそうだ。
けれどハルは今度こそしっかりと魔術を身につけたいと思っていた。いざという時に自分の身を、そしてラッチやクロナギたちを守るためだ。
「初心者向けの指南書はないかなぁ」
『やさしい魔術入門』とか『猿でもわかる魔術』とか、そういった題名の書かれた背表紙を探してみたが、これだけ本があっても見つからない。
魔賊たちは一応魔術師の中では『天才』と呼ばれる部類に入るみたいだし、初心者向けの本なんて置いていないのかもしれない。ここにあるのは、全て難しそうなものばかり。
「うーん……」
眺めているだけで頭が痛くなる。
「どうされたのですか?」
オルガと言い合っていたはずのアナリアが、いつの間にか側に立っていた。クロナギもそうだが、足音が全く聞こえないからびっくりする。
しかしハルはアナリアを見上げると、次の瞬間には、その丸い瞳をキラキラと輝かせた。
「ね、アナリアって魔術使える?」
竜人は皆、魔力を持っているという。独学で勉強するのは面倒くさ……難しそうだから、もしアナリアが魔術を使えるなら、彼女から教わろうと思ったのだ。
ハルに期待のこもった視線を向けられて、アナリアは申し訳なさそうに答えた。
「いいえ、私は魔術には明るくありません。というか……竜人で魔術を使えるものなど、ほとんどおりません」
「そういえばクロナギもそんなこと言ってた」
ハルはがっくりと肩を落とした。長い呪文を唱えたり、あらかじめ魔法陣を描いておいたり……といった面倒な魔術の性質は、短気な竜人とは相性が悪いのだ。
「自力で習得するしかないか」
誰に言うでもなく呟いて、ハルは目の前の本棚をあさった。
乱雑に立ててある本と棚の隙間に、くるくると丸められて紐で縛られた紙がいくつも突っ込んである。
特に勉強好きでもないハルとしては、分厚い魔術書を手に取るのはちょっと抵抗があったので、とりあえずその丸められた紙をいくつか手に取って広げてみた。
「こっちの紙には魔法陣が描いてあるし、こっちの紙は文字ばっかり。魔術文字で書かれた部分は、呪文なのかな?」
これらは印刷されたものではない。おそらく、魔賊が自分たちで開発した魔術を書き留めておいたものだろう。術の名前と、その術を発動させるための魔法陣や呪文が記述されている。
ハルは一つ一つ紐を解いて、じっくりと調べていった。
(この『招雷術』っていうのは、魔賊が使ってたやつかな。杖の先からビリビリって雷撃を出すやつ。あとはこっちの『奴隷術』……これも魔賊が妊婦さんに使ってた術だ。名前の通り、『他人を奴隷のように従わせる事ができる』って書いてある)
ハルは『奴隷術』の発動呪文が書いてある紙をビリビリに破り捨てた。こんな術、世の中に必要ない。
しかし、それと重ねて保管してあった解術方法が書かれた紙の方は破らずにとっておく。先ほどの妊婦は、実はまだこの術中にあるからだ。
夫は自然に彼女の意志が戻るのを待つと言っていたが、解除するための術が用意されているのなら、これを施さない限り彼女はずっとあのままだろう。
書かれている説明を読む限り、術をかけた本人でなくとも魔術師であれば解術はできるようなので、後で自警団の人にでも渡しておこう。
この街に手練の魔術師はいないようだが、領主の元にはこの紙を見て解術を施せる実力のある者が一人くらいはいるずだ。
感動的な出産の瞬間をぼんやりと霞がかった頭のままで迎えたくはないだろうから、なるべく早く元の状態に戻してあげられればいいのだが。
ハルは次いで、『招雷術』の紙も破り捨てる。一瞬で人を昏倒させる事のできる強力な攻撃魔術だが、ハルの興味はかき立てられなかった。
自分や、自分の大切な誰かを守るためには、時として敵である誰かを攻撃して倒さなければならない事もある。それは分かっているが、他人を傷つけるためだけにある術を学ぶ意欲は持てそうになかったのだ。習得してやろうという気が起こらない。
他の紙も同様に広げて調べていると、アナリアだけでなく、クロナギも近くへやってきた。何をしているのかと無言で覗き込んでくるが、その視線を気にせずに、ハルは目に入った文字をそのまま口に出す。
「『透過の術』」
言ってから、はたと気づいた。これも魔賊が使っていた術だと。
ハルはガサガサと他の紙をあさった。これでもない、これも違う。
「あった!」
『停止の術』ハルが見つけた紙にはそう書いてあった。そしてその下には、術の発動に必要な魔法陣も描かれている。
(これ、私がやられた術だ)
魔賊と鉢合わせしそうになった時、このアジトから脱出しようとして、まんまと仕掛けられた罠に嵌って動けなくなったのだ。
『停止の術』をくらえば、体は指一本すら動かせなくなる。ハルは身をもって、その術の威力を体感していた。
そして『透過の術』は、『停止の術』の魔法陣を見えなくしていた術だ。
「この術なら……私にも使えそうかも」
それは“簡単そうだから”という意味ではない。“他人の体を傷つけないから”という意味でだ。
相手が白目をむいて苦しんだり、血が激しく吹き出したり、体の一部が飛んだり欠けたり。そんな魔術は自分には使えそうにない。単純に怖い。
けれどこの『透過の術』と『停止の術』を使えば、敵を動けなくさせて、その間に拘束する事もできる。まさに自分がやられたように。
ハルは少し考えて、この『停止の術』と『透過の術』の発動方法が書かれた紙を貰っていく事にした。
あとは魔術文字の辞典みたいな本と『魔術大全』と書かれた分厚い本も見つけたので、それも拝借する事にする。
「これって窃盗になるな」
自分の鞄の中にそれらを押し込みながら、ハルが呟く。
「カスどもから物盗ったって、罪にはなんねぇだろ」
「いや、なるよ!」
オルガが自信満々に言った言葉を否定する。けれど魔賊の物を盗む事に、あまり罪の意識が湧かないのも確かだ。
だからハルは「良い事を思いついた!」とばかりにこう言った。
「窃盗ついでに杖も貰っていこう! どこかに余ってないかなぁ」
魔賊に対して一片の罪悪感も持っていないのはハルだけではないようで、クロナギやアナリアたちまで一緒にアジトの中を捜索し始めた。オルガとラッチなどノリノリでその辺を散らかしている。
と、しばらくして、ぐいとハルの腕が引っ張られた。
「な……何何何っ?」
そのままズルズルと後ろに引きずられる。ハルの腕を掴んでいる犯人はソルだった。
「うわ、っとと……こ、転ぶ!」
このアジトの床は、お世辞にも片付いているとは言えないのだ。転がった酒のビンに足を取られそうになったハルだが、ソルは引っ張るのを止めてくれない。
一体何のつもりなのかと問い質そうとした時だ。ソルがハルの腕を離したかと思うと、代わりに後ろから脇の下に両手を差し入れ、ハルの体をひょいと持ち上げた。
そのまま、とある棚の前まで移動してから体を解放される。
「……??」
訳が分からず、ハルは顔だけ振り返って背の高いソルを仰ぎ見たが、彼は相変わらず無表情で何を考えているのか理解できなかった。
首をひねったまま無言で見つめ合っていると、背後からソルの腕が伸ばされてきて、ハルの前にあった棚の引き出しを乱暴に引く。その中にあった物を目にして、ハルはやっとソルの行動の意味が分かった。
「杖だ」
引き出しの中には、探していた杖が何本か入っていたのだ。
「ありがとう」とお礼を言ったハルだったが、ソルはクロナギに「ハル様を引っ張るな」と叱られていて全く聞いていなかった。気を取り直して引き出しの中を覗く。
最近では、杖と言えば細くて短いものが主流だ。おとぎ話の大魔法使いが持っているような人の身長ほどもある大きな杖では、持ち運びに不便だから。
引き出しの中に入っていたものも、全て小型の杖だった。軸は魔力を通しやすいブロンツの木でできた、一般的なものだ。
しかしその軸に宝石の埋め込まれた金の被せ物をしていたり、同じく金でできた蛇の彫刻が巻き付いていたりと、派手派手しい装飾が施されていた。
「趣味悪いなー」
宝石や金自体は美しいのだが、デザインが下品だ。持ち主の金持ちっぷりを表す、嫌みな杖だった。
装飾なんてなくても、加工されたブロンツの木だけで十分なのにと思いつつ、ハルは少しでもマシな杖を探した。そして……
「これにしよう!」
ひとつだけ、気に入ったものを見つけた。
木の軸の持ち手の部分だけ銀で装飾されていて、そこに黒い宝石が埋め込まれたものだった。
黒い宝石は菱形に加工されたものが縦に五つ並んでおり、くるっと裏返せば、反対側にも同じように五つある。一つ一つはハルの小指の爪ほどもない小さなものなので、細い杖からはみ出る事なく、上手く収まっている。
「そんな地味な色味のやつにすんのかよ」
オルガが言うが、ハルは一目でこの杖を気に入っていた。
「だってこの黒い宝石、クロナギの瞳の色に似てる。私、これがいい」
「……」
オルガとソルとアナリアは、一斉にクロナギを見た。
クロナギは表情こそ冷静を保っていたものの、その瞳が歓喜で震えるのを全員がしっかりと確認した。




