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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第二章 お菓子と魔賊と竜騎士と

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26/106

15

 アナリアは一度まぶたを閉じてから、またゆっくりと持ち上げた。

 気持ちを切り替え、目の前で繰り広げられている戦いに集中する。


 帝国竜騎士団をまとめる軍団長――近しい人間は彼を『総長』と呼んでいるが――からの命令は、クロナギを連れ戻す事と、『あの子』をドラニアスに入れない事だった。


 が、とりあえずクロナギだけを無理矢理にでも連れ帰れば、命令は全て果たせた事になるだろう。クロナギなしで、何の力も無いあの少女がドラニアスに辿り着けるとは思えない。

 アナリアは静かに周囲を見回した。やはり、街の住民たちの中にもあの子の姿はない。


(クロナギを置いて逃げたのね。フレアの娘だもの。逃げ出すのはお手のものというわけ)


 頭の中で呟いて自分を納得させる。しかし心のどこかで、あの子は戻ってくるんじゃないかという予感もしていた。

 あの少女の事を考えるとアナリアは複雑な気持ちになる。憎いフレアにそっくりな彼女を受け入れたくはないが、その言動や雰囲気から、時折『皇帝一族の血』みたいなものやエドモンドの面影が見えてしまって、強く心を揺さぶられるのも確かだ。

 クロナギはフレアの時と同じく、またあっさりとあの子を認めたようだが……。


「くっ……」


 かすかに漏れた声に、アナリアは我に返った。ソルの剣先が脇腹をかすめ、クロナギが息を吐いたのだ。

 二対一、さらに魔術師を加えれば十一対一か。さすがのクロナギも次第に押され始めているらしい。余裕はあまりなさそうで、決着がつくのも時間の問題に思えた。


 一応ソルとオルガも『ヴィネスト』に所属しているエリートだ。もっとも『紫』の中での彼らの役割は、クロナギやアナリアとは微妙に違う。

 敵が現れた場合、皇帝を守って安全を確保するのがアナリアたちの役割なら、ソルやオルガの役割は、真っ先に敵に向かっていって、それを殲滅する事。

 先陣を切って敵に突っ込んでいく形になる訳で、一番危険な役割でもある。だが、それ故に戦闘能力の高い者が選ばれるのだ。

 ソルとオルガも単純な攻撃能力だけなら若手の中では随一。クロナギが追いつめられるのも無理はない。


 ソルの素早い斬撃を上手くかわしたクロナギだったが、避けた先にはオルガが待ち構えていた。が、クロナギはとっさに体をひねって、その攻撃すらも回避しようとする。

 けれどそのタイミングを狙って後方から魔術師が術を放った。小さな杖の先から、風の刃が四つ五つと飛び出してきたのだ。


 アナリアはその様子を傍観して、クロナギの行動を見守った。このまま動かなければオルガの拳を喰らい、それを避けようとすれば風の刃に切り刻まれる。そのどちらかを選ぶしかない。そういう状況。


 結果、クロナギは後者を選んだ。オルガの攻撃を寸ででかわし、風の刃を体で受け止めたのだ。

 きっとアナリアだってそうする。何故なら、オルガの拳はただの拳ではないから。

 ただでさえパワーのある彼が、鋼の塊をつけて打撃を放ってくるのだ。それをまともに受ければ竜人だってひとたまりもない。オルガの本気の拳は相手の固い筋肉に深刻なダメージを与え、骨を粉々に砕き、当たりどころが悪ければ内臓すらも破壊する。

 対して風は、皮膚とその下の肉を浅く斬るのみだ。


 鋭い風に襲われてもクロナギは苦痛の悲鳴を上げなかった。

 が、さすがに痛みを感じていない訳ではない。自身から流れ出す血を見て、顔をしかめている。動きも少しぎこちなくなった。


「よしッ! 当たったぞ! ざまぁみろ!」


 魔術師の男が得意げにはしゃぐ。

 その声にオルガとソルは後ろを振り返った。今初めて魔術師の存在に気づいたような顔をしている。実際、クロナギしか眼中になかったのだろう。


「今がチャンスだ。続けて攻撃を放て! あいつを仕留めるんだ! 息の根を止めろ!」


 九人の魔術師が、ぞろぞろと詠唱を始める。彼らの持つ杖の先に魔力が溜まっていくのがアナリアにも分かった。

 彼女は魔術師たちを冷たく睨むと、長い鞭をしならせ、彼らではなくクロナギを狙った。

 人間の魔術師に同胞を倒されるのが嫌だったからだ。

 それはとても癪に障る。だから先に自分が倒す。


 オルガとソルも同じ気持ちだったようで、自分の獲物をとられまいとするかのように、それぞれの武器を振りかざした。

 十二人の攻撃が一斉にクロナギを狙った――その時だった。


「な、なんだッ……!?」


 大気を震わす、獣の咆哮。

 鼓膜を激しく叩くその雄叫びに耐えきれず、魔術師たちが詠唱を中断して両手で耳を覆う。

 アナリアやオルガ、ソルも思わず攻撃の手を止めて空を見上げた。


 大きな緑色のドラゴンが、そこにいた。


 牙を剥き出し、敵対心をあらわにして、魔術師たちのすぐ上を飛んでいる。

 かと思うと、その巨体からは想像もつかないほどの速さで人の頭すれすれを滑空し、風を巻き起こしながら両足で獲物を捕獲していった。

 つまり魔術師を二人、両足それぞれに捕まえて飛び去ったのだ。


「うわあぁッ!」

「やめろっ!」


 情けない悲鳴を上げる彼らに、アナリアは少し苛立った。男の甲高い叫び声など聞きたくもない。


「あれは平和の森のドラゴンか!?」

「最悪だ。この状況で、さらにドラゴンまで現れるなんて!」

「おい、家の中に逃げた方がいい」

「子どもたちを中へ!」


 戦いを見守っていた街の住民たちも、巨大なドラゴンの出現に顔を青くさせた。

 確かに普通の人間にとって、岩竜は恐怖の対象だろう。


「このっ、離せ!」


 空の上では、ドラゴンに捕えられた魔術師が抵抗を始めていた。杖の先に真っ赤な炎を燃え上がらせ、それをドラゴンの腹に向かって放ったのだ。

 岩のように硬い皮膚を持つ岩竜だが、腹の皮膚は比較的薄い。ドラゴンの足に捕えられていた魔術師からはそこしか狙えなかったのだろうが、結果的に弱点を攻撃する事になった。


「ぎゃう!」


『あちち』と言うように低く鳴くと、ドラゴンは空中でポイと危険な獲物を放り出した。


「うわ、やめ、離すな……うああぁあー!」


 なす術無く落下していく魔術師二人を見ながら、アナリアは大いに呆れた。彼らは馬鹿だ。恐怖にかられて攻撃のタイミングと種類を見誤ったのだ。

 あの高さから落ちては、人間ならば無事ではいられないだろう。

 空を飛んだり、宙に浮かんだり、そういう都合のいい魔術を使えたなら助かるだろうが、それも地面に激突するまでの一瞬で呪文を唱えられればの話。魔術師は残り七人となった。

 緑色のドラゴンは少し腹を気にしているようだが、見た限りでは酷い火傷はしていない。


「何で岩竜がこんなとこにいるんだ?」


 オルガが空を見上げて不思議そうに言った。

 何で? 決まっている。

 アナリアは確信していた。


(あの子はやはり、逃げた訳ではなかった)


 アナリアの持つ美しい金髪が風に揺れる。頭上に影が落ち、二匹目のドラゴンが現れた。森で見た、黄土色の岩竜だ。


「クロナギ!」


 岩竜には似つかわしくない可愛らしい声がクロナギを呼ぶ。それはもちろん岩竜が発したものではない。地上にいるアナリアからは見えなかったが、ドラゴンの背に誰かが乗っているのだろう。

 その正体なんて、考えるまでもない。


「ハル様」


 囁くように少女の名を呼び、クロナギが片膝をついた。魔術師の攻撃をまともに受けて、上半身は血に濡れている。何も知らない者がこの状況を見たなら、クロナギは怪我が辛くて立っていられなくなったのだと考えるかもしれない。

 けれどもちろん、それは違う。クロナギはそう簡単に膝を折ったりしない。


 黄土色のドラゴンがゆっくりと地上に降り立つと、その背から小柄な少女がひょっこりと顔をのぞかせた。


「血が……! 怪我してる!」


 少女は息をのむと、クロナギを心配して大きく身を乗り出す。


 ――その瞬間、アナリアの時間は止まった。




 大きく目を見開き、立ち尽くす。周りの喧噪が遠くに聞こえた。

 まばたきも、呼吸すら忘れて、信じられない思いで目の前の少女の顔を見つめる。


 考えてみれば、アナリアはしっかりと少女の顔を確認していた訳ではなかった。初めに彼女を見た時はフードを深くかぶっていたし、森では俯いていて、先ほどは目と口を布で覆われていた。

 フレアと同じ明るい茶色の髪の毛にばかり注目してしまって、きっと顔も母親にそっくりなのだと思い込んでいた。


 それが実際はどうだろう。

 少女はむしろ、父親と瓜二つだった。


 薄い唇に小さな鼻、柔らかなあごのラインと眉の形。そして何より、あの丸い緑金の瞳。強い意思の宿った、宝石のような輝き。

 エドモンドは竜人の男にしては小柄で中性的だったし、童顔で若く見えたが、目の前の少女は、そのエドモンドに女の子らしい可愛さと幼さをさらに足したような、そんな顔立ちをしている。


 途絶えてしまったはずの皇帝一族の血は、確かにこの少女に受け継がれている。

 失われてしまったはずのエドモンドの命は、この少女の中で確実に生き続けている。


 そう思った瞬間、アナリアの中の竜人の血が感動に打ち震えた。

 皮膚の下で血潮が熱く燃え始めている。喜びの感情が体の中で爆発を待っているような感覚。


 少女を見つめる事に集中し過ぎて、アナリアは手に握っていた鞭をいつの間にか落としていた事にも気づかずにいた。

 クロナギと少女は会話を続けている。


「大した怪我ではありませんので、ご心配には及びません」

「十分大した怪我だよ」


 少女は心配そうに眉を下げた後、その緑金の瞳をソルとオルガに向けた。


「ソル、オルガ」


 彼らの名を呼ぶ声に恐怖や怯えはない。きっと少女は……少女の中の本能は気づいたのだ。皇帝の血を継ぐ自分は、竜人である彼らを恐れる必要などないのだと。


 一方で名を呼ばれた二人だが、ソルは珍しく無表情を崩して目を見開き、オルガはぽかんと口を開けて少女の事を見つめていた。

 二人とも、アナリアと同じように少女の顔をはっきりと確認していなかったようである。亡き皇帝の面影を色濃く残す彼女に、驚きを隠せないでいる。

 ドラゴンの上から、少女は両者を見下ろした。


「クロナギと遊びたいのはわかるけど、今はだめだよ。ちょっと我慢して」


 子どもを叱るような口調に、オルガは思わず半開きになっていた口を大きく開け、反発しそうになっていた。「別にそんなんじゃねぇよ」と言いたげに。

 しかしそう言い返せば、まるで本当に素直じゃない子どもみたいになってしまう、とでも思ったのだろうか、彼にしては珍しく素直に口をつぐんだ。

 何となく闘争心が萎えたらしく、ソルも双剣を背中の鞘に仕舞う。

 二人ともクロナギから少女の方に興味が移ったようだ。黙って彼女の行動を観察する体制に入った。


 オルガとソルがクロナギへの攻撃を諦めたのを確認すると、少女はまたゆっくりと視線を移す。

 一人立ち尽くしていた、アナリアの方へと。


「アナリア」


 初めてまともに少女と目を合わせ、アナリアは僅かに身じろいだ。何もかもを見透かされるようなあの視線の強さに、懐かしさを覚えて。

 少女は襟元から服の中へと手を差し入れると、まばゆい輝きを放つ何かを取り出した。華奢な鎖に繋いで首からかけていたらしいそれは、大きな宝石のついた指輪だった。かつてはエドモンドの指にはめられていたもの。


「それは……」

「アナリアは言ったよね。『どうせ指輪も売ってしまったんでしょ』って。だけど指輪は売られず、確かにここにある。それが、母さまが父さまを愛していた証明にはならないかな。母さまは何があろうと、この指輪を手放そうとはしなかった」


 そう断言し、真正面からこちらを見つめてくる少女の視線に、アナリアはたまらず目を閉じた。

 唇を引き結んだまま、ぐっと奥歯を噛む。

 嫉妬に胸を焦がしながら、アナリアは今まで見て見ぬ振りをしてきた自分の中の答えを認めた。


 本当は分かっていた、と。


 フレアがエドモンドを捨ててドラニアスを去ったのは何か事情があっての事だとは察しがついていたし、その際に指輪を持っていったのも、エドモンドの事を忘れたくないからだと予想はできた。

 フレアが酷い人間でないことは、最初からアナリアだって分かっていたのだ。

 

(だって、エドモンド様がそんな最低な女を選ぶはずないじゃない)


 フレアはエドモンドに選ばれた女性なのだから、見かけだけでなく、中身も美しい完璧な女性に決まってる。


 けれどそれでは、アナリアが耐えられなかった。

 自分ばかりが嫉妬を抱いて、醜くなっていくなんて。


 だからフレアだって酷い女なのだと思い込んだ。エドモンドをたぶらかして、大切な指輪を持ち逃げするような最低の女なのだと。

 そうとでも思わなければ、アナリアは自尊心を保てなかった。


「信じて。母さまは本当に一途に父さまを思っていたんだよ。私はずっとそれを見てきた」


 少女の言葉に、アナリアは苦しげに首を横に振った。


「……分かってる。フレアが純粋な女性である事は、本当は最初から理解してた。……そして醜いのは自分ばかりである事もね」


 疲れたような声で言う。美しく自信に満ちあふれているアナリアは、今ここにはいない。

 いるのは、ぼろぼろに傷ついた一人の女性だ。弱々しく、儚くて、どこか悲しい。

 少女はそんなアナリアの姿を見て、困惑したように首を傾げた。


「醜いのは自分ばかりって? アナリアはそんなに綺麗なのに」


 さらりと口に出された言葉に、アナリアは苦笑してしまった。エドモンドとよく似た少女に美しさを認められ、思わず喜びを感じてしまった自分を笑ったのだ。

 馬鹿みたいだけど、あの緑金の瞳で見つめられて「綺麗だ」と言われるのは、やはり嬉しい。


「醜い感情を抱いているのは私だけってことよ。フレアは誰かに嫉妬なんてしそうにないもの」


 フレアの明るく柔らかな笑顔を思い出す。汚れを知らない花のようだった。

 きっと彼女は、生涯他人を妬んだ事などないのだろう。

 しかしそう考えるアナリアを尻目に、少女は反対側にもう一度首を傾げると、当たり前のようにこう言った。


「母さまだって嫉妬くらいしたんじゃないかな。見た目は女神様みたいでも、結局は普通の人間だもん」


 アナリアは僅かに眉根を寄せて少女を見た。今までずっと母親を庇うような事ばかり言っていたから、てっきり今度も「そうだよ、美しい母さまは嫉妬なんてしない」などと言われると思っていたのに。


「フレアが……嫉妬してた?」

「そう。母さまがこの指輪をぼうっと見つめている時は、大体いつも、とても悲しそうな顔をしてた。けどね、今思えば、その悲しみの中には、もっと複雑な感情も混じってたと思う」


 少女は亡き母を思いながら、手の中の指輪へ視線を落とした。


「クロナギに話を聞いて……父さまと母さまは寿命の違いに悩んで別れを決めたんじゃないかって話ね、それを聞いて気づいたの。指輪を見つめていた時の母さまのあの悲しげな表情の中には、きっと嫉妬も含まれていたんじゃないかって」


 アナリアはじっと話の続きを待った。


「父さまも母さまもお互い、相手の幸せを思って別れを決めた。相手には自分よりもっと相応しい伴侶――同じように年をとって、同じ寿命を全うできる伴侶がいると思って。でも、やっぱりそう簡単に割り切れなかったと思うんだ。父さまのことは知らないけど、母さまのことならずっと近くで見てたから分かる」


 少女はそこで一度言葉を途切れさせた。

 そして静かに結論を出す。


「母さまは、父さまに新しい伴侶を見つけて幸せになってほしいと願いながら、どこかでその『新しい伴侶』に嫉妬もしていたはず。自分は得られなかった幸せを、『彼女』は手に入れる事ができるんだから」


 アナリアは目を丸くして言葉を失った。

 

 ……嫉妬してた?

 あの清純無垢なフレアが?

 そんな感情など、彼女には生まれつき備わっていないと思ってた。

 

 けれどフレアの事を一番よく知っている娘がそう言うのなら、本当なのだろうか。

 だったらフレアは、もしかしたら私に嫉妬していたかもしれない。アナリアはそう思った。

 アナリアはエドモンドと一番近いところにいた竜人の女性の一人でもあるし、彼の妃候補として育てられた事も――アナリアに宣戦布告ぎみに告げられて――フレアは知っていたから。


 醜い嫉妬をしていたのは、自分だけではなかった。

 アナリアの心が、スッと軽くなった気がした。暗くドロドロしたものが、自分の体から抜け落ちていく。

 

 思えば、フレアがエドモンドと共に過ごした期間は、ほんの短い間だった。彼女はドラニアスに一年もいなかったのではなかっただろうか。

 対してアナリアは、子どもの頃から成人を迎えた後までずっとエドモンドの側にいたのだ。

 結局彼の妻にはなれなかったが、エドモンドはアナリアを妹のように可愛がってくれたし、近衛として常に側を離れず一緒にいる事ができ、彼を看取る事もできた。


 嫉妬や憎しみにとらわれて今まで気づいていなかったけれど、それはある意味、とても幸せな事だったのでは?


 フレアと立場を変われと言われれば、今のアナリアはきっと迷う。迷って、きっと断るはずだ。

 例え両想いになったとしても、愛する人の側にいられない人生なんて、耐えられそうにない。

 

(可哀想なフレア)


 素直にそんな感想が出てきた。初めて彼女に同情する事ができた。

 ――初めて、彼女を許せた。


 まるで、何かの呪縛から解かれたような開放感だった。

 長くアナリアを苦しめ続けてきた醜い嫉妬の感情は、驚くほどあっさりと消えていった。


 フレアを許せた自分を、また愛する事ができる。

 そう思ってアナリアは泣きそうになった。


 自分は今、生まれ変わったのだ。


「アナリア? 大丈夫?」


 ドラゴンの背から身を乗り出して、焦ったように気遣いの言葉をかけてくる少女。

 アナリアは真っ直ぐに彼女を見上げた。母親譲りの少女の髪色を見ても、もう嫉妬の気持ちは湧いてこない。そんな事はもう気にならないのだ。


 アナリアはずっとクロナギが羨ましかった。

 エドモンドと同性であったクロナギが。


 恋とか嫉妬とかそういう厄介な感情にとらわれず、純粋な思慕をエドモンドに寄せることができるから。

 下心のないその想いはとても単純で、気高く見えたのだ。

 自分も本当はあんな風にエドモンドを愛したいのに……。クロナギを見て、何度そう思っただろうか。


 

 今、アナリアはドラゴンの背にのる少女を見上げて、安心したようにほほ笑んだ。


 自分はきっと、この子を純粋に愛する事ができる。


 皇帝に従う竜人として、素直に、真っ直ぐに。

 そんな予感がしたのだ。


「ハル様」


 アナリアは今日、生まれ変わった。

 エドモンドへの愛を抱えたまま、フレアへの嫉妬を同情に変えて、新たな主を見つけたのだ。

 新たな主、それは春の太陽のように明るく無垢な少女だった。

 


 

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