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平凡なる皇帝  作者: 三国司
第二章 お菓子と魔賊と竜騎士と

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13

 タッドはこの街の自警団のまとめ役だ。もういい年だし第一線で剣を振るう事はほとんどなくなったが、今でも自主訓練を続けているし、体は鈍っていない。

 様々な修羅場――と言っても、魔賊が来るまではこの街で大きな事件など起きなかったのだが――を超えてきて経験も豊富、腕にも自信はある。


 しかしそんなタッドでも、目の前で繰り広げられている戦いには手を出せずにいた。参加する事も、止める事も無理だ。周りにいる住民たちも、さすがに「なんとかしてくれよ団長さん」なんて無茶は言ってこない。

 

「あのまま、あの黒髪の竜人が魔賊どもを蹴散らしてくれればと思ったんだがな……」


 ぽつりと言葉をこぼす。

 魔賊の手からあっさりと人質の少女を奪還した竜人は、その後次々と魔賊の男たちを倒していった。

 呪文の詠唱に時間を取られている彼らを尻目に、目にもとまらぬ早さであざやかに攻撃を繰り出し、圧倒的な力の差を見せつけたのだ。


 タッドを含め、街の住民たちは初めて見た竜人の戦闘力におののいたが、しかし同時に、あの高慢で残虐な魔賊たちが地に伏せていく光景をどこか爽快な気分で眺めていた。街の住民たち全員が、魔賊に不当な扱いを受けてきたからだ。

 難癖をつけられては一生懸命働いて貯めたささやかな財産を奪われ、奴らの機嫌が悪ければその魔術の餌食になった。

 街の女の中には、ひどい乱暴を受けた者もいる。中には、まだ年端もいかぬ少女が被害を受けた事もあった。


 自警団の男たちも、駐在していた領主の騎士たちも魔賊を討とうとしたが、悔しい事に魔賊は魔術師としては一流だったのだ。

 剣一本持って立ち向かっても意味はない。あえなく返り討ちにあった。


 領主からの助けがいつやって来るのかも分からない状況で、街は恐怖と暴力によって魔賊に支配されていた。

 奴らを倒せる者などいないのではないか。街はもう自由を取り戻せないのではないか。誰もがそう感じて絶望していた。


 しかしまさかドラニアスの竜人がこの街にやって来るとは思いもよらなかった。

 黒髪の竜人が正義の味方であるとは言い切れないが、彼は街の住民たちにとっての敵である魔賊の、さらに敵なのだ。

 敵の敵は味方。


 それに少なくとも、黒髪の竜人は街の人間に直接被害を与えるような行動は起こしていない。

 戦いを見守っていた住民たちは、いつしか黒髪の竜人の勝利を願っていたのだが、しかし途中で戦況は変わってしまった。黒髪の竜人と仲間割れを起こしているらしい二人の竜人が現れたのだ。

 彼らは魔賊など目に入らぬ様子で、楽しそうに、ただ黒髪の竜人だけを狙って攻撃を仕掛けている。


「このままだと黒髪の竜人はやられてしまいそうだな」


 タッドが呟く。

 黒髪の竜人は、他の二人の竜人と、そして残った魔賊の相手を一手に引き受けているのだ。

 新たに現れた二人の竜人の仕掛ける攻撃が、図らずも魔賊たちに呪文を唱える時間を与えてしまっている。元々魔賊は、魔術に関しては優秀ではあるのだ。きちんと詠唱を終えられれば、高い精度の術を繰り出す事ができる。

 黒髪の竜人は数人の敵から次々と繰り出される攻撃を上手く避けているように見えたが、完璧に無傷という訳にはいかないようだ。特に同族からの俊敏な攻撃は何度も彼の体をかすり、その度傷を増やしていっている。


「おいおい、大丈夫か……?」


 焦りを覚えてタッドが言った。このまま黒髪の竜人が負けて、魔賊が勝ってしまったら……。

 不安に思いながら、周囲の住民たちと共に戦いを見守っていたその時、


「んーッ、んんー!」


 どこからか、くぐもった声が聞こえてきた。視線を巡らせれば、近くの路地に不自由な拘束を受けたままの竜人の少女が立っていた。そういえば戦いが本格化する前、人質であった彼女は、黒髪の竜人によって安全な所へ避難させられていたのだ。


「んー!」


 目が見えずとも、黒髪の竜人が不利な状況に立たされているのが分かるのだろうか。少女は必死に声を上げながら、しかしどうする事もできずにその場でうろうろしては家の壁にぶつかっていた。

 タッドは息を吐いて、その少女に近寄っていく。


「団長、危ないですよ。あの子も一応は竜人みたいだし……拘束を解けば暴れるかもしれません」


 部下に後ろから声をかけられたが、タッドは足を止めなかった。今年で五十を過ぎたおやじが、竜人とは言え、まだあどけなさの残る少女を怖がってはいられないではないか。


「おい」


 タッドが話しかけると、少女は声のした方へ体を向けて、緊張気味に前傾姿勢をとった。そのままトンと地面を蹴って、タッドの胸に飛び込んで来る。

 いや、突進してきたというべきか。少なくとも少女はそのつもりだったようだ。タッドにとっては、まるで攻撃にはなっていなかったが。

 飛び込んで来た少女の肩を捕まえて、抑えつける。


「落ち着け、俺は魔賊じゃないぞ。お前のその布を解いてやる」


 タッドが説明すると、抵抗していた少女はピタリと大人しくなった。『お願いします』というように、「うー……」と情けない声を出して素直に後ろを向く。

 タッドは苦笑して少女の拘束を解きにかかった。息がしにくいだろうと、まずは口の布を取ってやる事にする。


(ほらな、竜人とはいえ、子どもは子どもだ。可愛いもんだ。うちの娘も昔は……)


 今は成人して口ばかり達者になってしまった娘だが、小さかった頃は目に入れても痛くないほど可愛かった。その頃の事を思い出し、哀愁に浸る。

 少女に危険はないと知った街の住民たちも、そっとこちらに近づいて来る。なんだかんだでみんな気になっていたのだ。


 しかし少女の方へと近づいてきたのは、街の住民だけではなかった。

 もう一人、深紅の薔薇を思わせる目をした美しい女が、未だに瞳を塞がれている少女の前に立った。


「んー、んー」

「ちょっと待て。結び目が固いんだ」


 猿ぐつわの拘束を解くのに手間取るタッドを急かしていた少女は、しかしすぐ近くで感じる“冷気”のようなものに身を固めた。タッドもふと顔を上げる。

 そして目の前にいた美女に、「おお……」と思わず感嘆の声を上げた。


 この世の者とは思えない美しさ。

 神が特別の寵愛を注いで作り上げたとしか思えない、現実感を感じられないほどの美貌。

 男だけでなく、女も子どもも、彼女の美しさには目を奪われるだろう。


「すごい美人だな」


 思わず少女の拘束を解く手を止めて、うわ言のように呟く。

 美人なだけでなく、体つきも魅力的だ。タッドは思わず口笛を鳴らしたくなった。


 しかしその美女は、タッドにも、他の自警団の男たちにも、住民たちにも、誰にも興味は持っていないようだった。

 ――ただ一人、目の前の少女を除いては。

 美女のきつい視線が少女を貫く。


「ドラゴンたちはあなたを襲わなかったのね」


 少し低めの、しかし女性らしい色気のある声。少女は緊張気味に耳を澄ましている。


「という事は、あなたがエドモンド様の血を引いている事は間違いないらしいわね。クロナギと同じく、ドラゴンたちもあなたを認めた。けれど……」


 美女がすっと目を細める。

 彼女を眺めながら、灼熱の氷のようだとタッドは思った。どこか冷たさを感じさせる外見は氷でできた彫像のようなのに、内側には真っ赤な炎が燃えている。そんなイメージ。きっと激しい気性の持ち主なのだろう。

 氷の美女は続ける。


「けれど私は認めない。人間として育ったあなたを、憎いフレアにそっくりなあなたを……私は決して認めない。認められない」


 強い口調だった。

 全く関係のないタッドも何となく緊迫した空気を感じ取り、ごくりと唾を呑み込む。


「一応エドモンド様の尊き血も受け継いでいるんだもの、命を奪うのは止めるわ。でも、ドラニアスには来ないでちょうだい。あなたはこの国で人間として生きていけばいい。今まで通りね」


 そこでちらりと後方を確認すると、美女は続けた。


「クロナギは……総長の命令通り、連れて帰るわ。拒否するでしょうけど、そうなったら動けない体にしてから運べばいい。何本か骨を折っても、ドラニアスに着く頃には回復するでしょう」


 美女がそう言ってここから離れようとした瞬間――周囲の空気がびりびりと振動した。タッドにはそう感じられた。

 美女も何か感じるところがあったのか、足をとめて美しい眉を寄せる。

 その視線の先にはもちろん竜人の少女がいた。


 しかし今、そのちっぽけな少女からは、タッドが戸惑うほどの怒気が発せられていた。

 何となく息苦しく、気を抜くとその場にへたり込んでしまいそうなほどの。


「……」


 タッドは冷や汗をかいて数歩後ずさった。

 少女は何かに怒っているらしい。“クロナギ”なる人物に危害を加える、という美女の発言がきっかけだったのか。


 空気を震わせながら、確かな圧力が美女にかかっているように見えた。少女の背後にいるタッドでさえ感じているのだから、正面にいる美女はどれほどか。

 少女がゆっくりと足を踏み出すと、相対する美女も一歩後ろへと下がった。驚きに目を見開き、緊張に身を固くしながら。


(一体何なんだ、この光景は……)


 端から見れば、訳の分からない状況だろう。

 普通に考えれば、目と口を塞がれ、手首を縛られた少女は何の脅威にもならないはずだ。

 けれど少女より背も高く、鍛えられ引き締まった体をした竜人の美女は、今、明らかに気圧されている。

 

「な、に……?」


 美女が戦慄わななく。

 少女がまた一歩距離を詰め、同じだけ美女は後ずさる。


「来ないで!」


 恐怖を感じた美女が叫んだその瞬間、しかし追いつめる側だった少女は、自分の足にもう片方の足を引っかけるという、ある意味器用な方法で間抜けにすっ転んだ。


「んぐ……っ」


 後ろ手に縛られているため、顔面から地面に突っ込み、少女は哀れな声を上げた。

 そしてその途端に、場を覆っていた緊迫感は霧散し、少女から発せられていた圧力も消える。幻でも見ていたのかと思うほどあっけなく、簡単に。


「……っ」


 きつい運動をした後のように、美女はぐっしょりと汗をかいていた。速い呼吸を繰り返しながら、魅惑的な唇をきゅっと噛んだ後、くるりと体を反転させて足早にその場から去っていく。

 彼女は戦闘の続く大通りの中央へと躍り出ると、どこからか長い鞭を取り出し、黒髪の竜人に向かって行った。


「んー! んー!」


 美女の後ろ姿を目で追っていたタッドは、地面でのたうっている少女にハッと視線を戻した。


「ま、待て待て」


 しゃがんで少女に手を伸ばし、口の布を解いてやる。少女は「ぷはっ」と空気を吸い込むと、


「て、手もお願いします!」


 慌てながらタッドに懇願した。その声は小鳥のように高く澄んではいるが、そこら辺の少女と同じようにどこか未熟で、頼りない。

 その幼さの残る声を聞くと、タッドは難しい顔をして拘束を解こうとする手をとめた。


「……いや、駄目だ。今自由にすれば、君はあの黒髪の竜人を助けにいくだろう。それは危険だ。君はまだ子どもだし、戦闘が終わるまではここにいなさい」

「し、心配してもらえるのは有り難いけど、でもお願いです、ほどいてください! 私、クロナギを助けないと……!」


 泣きそうな声を出す少女に、タッドは困った顔をした。まるで自分がいじめているようではないか。

 少女の気をそらそうと話題を変えてみる。


「君とあの黒髪の竜人はどういう関係なんだい? 兄妹か?」


 そう質問すると、少女はしばらく黙り込んだ。そしてとても言い辛そうに説明する。


「……彼は、私の……じゅ、じゅ、従者……なんです……たぶん」


 自信なさげに言った彼女だが、けれどタッドは「なるほど」と納得した。兄妹にしては似ていないと思っていたのだ。黒髪の竜人はこの少女を守るような行動をとっていたし、彼が従者だというのも頷ける。


「だが、彼が君の従者だというなら、尚更助けに行く必要はないじゃないか。主人を守るのが従者の役目なんだから、君は堂々と守られていればいいさ」

「ううん、それは駄目」


 凛とした声に、タッドは一瞬困惑した。目の前で地べたに横たわっている少女から、幼さと頼りなさが消えている。


「上に立つ者が下の者を守らないと」


 未だに隠されている彼女の瞳が、布の下できらりと光った気がした。


「守られて当然なんて思っているなら、誰かの上に立つ資格なんてない」

「……おお、そうだな。お前の言う通りだ」


 タッドも自警団の長として、そう思っている。自分が部下を守らなければ、他に誰が守るというのか。


「じっとしてろ」


 タッドは手を伸ばし、少女の拘束を解いた。







「あの、団長……」

「なんだ?」

「何かさっき格好良いやり取りしてましたけど……あの少女の拘束を解いたのは、やっぱり間違いだったのでは?」

「……」

「だって彼女、拘束解いた瞬間に逃げ出しましたよね?」


 タッドは険しい顔をして腕を組んだ。

 そうなのだ。少女は自由になった途端、どこかへ駆けて行ってしまった。目の前で今も繰り広げられている戦闘に参加し、劣勢になっている黒髪の竜人に手をかすでもなく……。

 

「あの子、なんか偉そうな事言ってましたけど、結局怖くなったんですかね。ま、結局はただの女の子だったって事――」

「いや、きっと戻って来る」


 タッドは確信を持って言った。

 あの少女は戻って来る。

 そうでなければ……


「じっとしてろ」などと渋い男を気取って、彼女の拘束を解いてしまった自分が恥ずかしい事になるではないか。


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