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「つ、ついてきちゃ駄目だって……!」
ハルは振り返ると、自分とラッチの後をついてくる二体の大きなドラゴンに向かって、困ったように言った。
「私これから街に戻るの。クロナギの事が心配だし……。けど、あなたたちは今まで通りここにいて。街に出たらみんなびっくりしちゃうから」
森の入り口まで引き返してきたハルは、邪魔だからとそこに投げ置いていた荷物を拾い、背負い直した。
「じゃあね」
そう言って立ち去ろうとしたのだが、何故か歩いても歩いても前に進めない。
「ちょ……」
振り返って思わず声を漏らす。黄土色のドラゴンが、ハルの外套を噛んで後ろから引っ張っていたのだ。
ああ、買ったばかりの外套に穴が……。
「お願いだから行かせてよー! クロナギの無事を確認したら、後でまた来るからー!」
雨はすっかり上がって、雲の切れ間から明るい太陽が顔を出す。
ハルは行く手を阻むドラゴンたちをなんとか説得し、街に戻ってきた。牙の形に穴が開いた外套でラッチを包んで隠し、両手で抱える。ラッチは抱っこが嬉しいのかハルの腕の中でぐるぐると喉を鳴らしていた。
「わ、なんか人がいっぱい」
大通りまで出ると、そこは人で溢れていた。
包丁やホウキなど、武器になりそうなものをそれぞれ手に持っていて、なにやら物々しい雰囲気だ。
クロナギたちの戦闘やハルを掴んで飛ぶラッチの姿を見た人たちが他の住人たちにもそれを伝えて、このような騒ぎになっているのだろう。
揃いの腕章をつけた街の自警団らしき男たちが、剣を手に集まって相談している。
「魔賊にドラゴン、まったくこの街はどうなっちまうんだ。騎士様たちは退却しちまってるし、俺たちも魔賊にやられた傷がまだ完全には治ってないってのに」
「西地区で暴れていた竜人たちはどうなった?」
「俺たちが向かった時にはもういなくなってた。竜人同士の仲間割れだったようで、住人の中にケガを負わされた者はいない。ただ、一件家が壊されてたけどな。壁に穴が開いてた」
「ドラゴンの子どもに攫われた少女は?」
「まだ見つからない。だが、森へと向かったようだし、急いで探さないと殺されてしまうぞ」
「ああ、森にはもっと大きなドラゴンが二体いるという目撃情報もあるしな」
ハルは民家の陰に隠れながら、ひっそりとその会話を聞いていた。
(どうしよう、なんだか大事になってる)
出ていって、私は無事だという事を伝えた方がいいのだろうか。このままだとあの人たち、森へ入って、あの岩竜たちを退治しようとしちゃうかも。岩竜たちは簡単にはやられないだろうから……命の危険に晒されるのは、むしろこの自警団の人たちだ。
岩竜たちにも自警団の人間にも、ケガをしてほしくない。
ハルがそんな事を考えていると、
「あら? あなた……」
いつの間にか隣に立っていた若奥様風のお姉さんに、顔を覗き込まれた。
「やっぱり! さっきドラゴンに攫われて空を飛んでた子じゃない。ちょっとみんなー、こっち来て!」
「や、あ、あの……」
おろおろしているうちに、ハルの周りにどんどん人が集まってきた。
「ほら、この子よ。間違いないわ。無事だったのよ」
お姉さんが言うと、住民たちはみんな笑顔でわしわしとハルの頭を撫でてくる。
「おおー、よかったよかった!」
「よく無事だったな」
「怖かったろう」
「いや、はい。あの……ご心配をおかけしました」
ハルは思わず謝った。あかの他人であるハルの事を心配してくれてたなんて嬉しいが、申し訳なくもある。なんたって、自分は別にラッチに攫われてたわけではないのだから。
しかしここでそれを説明すると、またややこしくなりそうだ。ハルはさっさとその場を立ち去ろうとしたのだが、
「ちょっと待ちなさい。君はどこの子だい? 家まで送っていってあげるから」
親切なおじさんが、ハルの腕を掴む。
するとその拍子に、抱えていたラッチを落としてしまって……
「きゅッ!」
地面にぶつかったラッチが小さく鳴いた。体を包み込んでいた外套が外れ、橙色の体があらわになる。
やばい。非常にやばい。
ハルがそう思った時には、もう手遅れだった。周りの人間たちはすでにラッチの姿を目に映してしまったのだ。
「このドラゴンは……」
「どういうことだ?」
「まさか、仲間だったの?」
「攫われたわけじゃなかったのか?」
住民たちの顔つきが段々こわばっていき、ハルに不信感たっぷりの視線が向けられた。
「まさか君も竜人なのか?」
そう言った初老のおじさんが、手に持っていた木の棒を強く握り直したのが見えた。
「何も反論しないという事はそうなんだな? 自警団の者たちに引き渡すからこっちへ――」
「ラッチ!」
どんどん事態がややこしくなってきたので、ここはもう逃げるしかない。ハルはラッチに声をかけると同時に体を反転させ、走り出した。
「あっ、待て!」
後ろから追ってくる街の住民たちをまくべく、狭い路地へと入る。今日はよく追いかけられる日だ。
どこかの店の裏口だろうか、木製の扉の隣に置いてあったゴミ箱を通り過ぎざまに派手に倒す。生ゴミが散らばって、追いかけてくる住民たちを短い時間だったが足止めする事ができた。
入り組んだ路地の角をいくつか曲がると、ふと、不用心に開いた窓が目に入る。
建物の中に誰もいないことを外から確認し、ラッチと共に中に侵入する。少しの間だけここに隠れて、追っ手をやり過ごす事にしたのだ。
窓を閉めてカーテンを引くと、直後に外を通り過ぎる住民たちの足音が聞こえてきた。間一髪、見つからずに済んだらしい。
近くで、「どっちに行った!?」などという住民たちの声が響いている。
「しかし変なうちだなぁ」
ハルは自分が侵入した家を見渡して、小さな声で呟いた。ある程度大きく、外から見ると飾り気のない建物だったので、一般的な住宅というより宿舎のようなものに近いと予想したのだが、中の様子を伺う限り、規律正しい人間が住んでいるとは思えなかった。
ハルが侵入したのは汚れた板張りの床に上等な絨毯が敷かれた広い部屋で、調度品などは高級な物のように見えたが、やたらと派手で品がない。
大きなソファーも上等な物らしいが汚れていて、金ぴかのテーブルの上には、いくつもの酒のビンとグラスが転がったままだ。
不健康な生活を送っていそうなこの家の住人だが、意外にも読書家なのか、壁の本棚には分厚い本がずらりと並べられている。
住民たちが遠くへ離れて行くまでの暇つぶしがてら、ハルはそっと本棚に移動して、その中のひとつを手に取った。
ぺらぺらとページをめくるが、何が書いてあるのかよく分からない。この国で一般的に使われている文字とは、あきらかに違った。
「これって魔術文字だ。っていうことは、これは魔術書?」
ここにある本、全部そうらしい。
ハルは重い本を置いて、今度は本棚の隙間に突っ込まれている紙を取り出した。紙はいくつか重ねられたものを細長く丸めて、ひもで縛ってある。
筒状の穴から中を覗けば、魔法陣らしきものが描いてあるのが確認できた。これも魔術関連のものらしい。
そしてよくよく部屋を観察すれば、『魔石』と呼ばれる魔力を貯められる貴重な石も、無造作にそこら辺に置いてあるではないか。
原石のまま、こぶし大のものが転がっていたり、美しく加工されて腕輪や首飾りにされているものなどもあった。
この家の住人は絶対に魔術師だ。しかも金持ちの魔術師。
そしてテーブルの上のグラスの数や、ソファの数、そこら中に脱ぎ捨てられている服の数からして、おそらく複数人がこの家で暮らしている。奥にもまだ部屋はありそうだし。二階にも多くの個室が揃っていそうだ。
「なんかヤバい家に侵入しちゃったかも」
ハルは冷や汗をかいた。この街で魔術師と言えば……しかも複数人のグループの魔術師と言えば、思い当たるのはひとつだけ。
ここはきっと魔賊のやつらのアジトだ。
もしかしたら、領主の下から派遣されてきた騎士たちを追い出した後、彼らの詰め所を乗っ取ったのではないだろうか。
「は、はやく退散しなきゃ」
ハルがそう言って、手に持っていた紙を本棚の隙間に戻そうとした時だった。
「――竜人が強いって言ってもよぉ、魔術師の俺らにとっちゃ敵にもならねぇだろ? あいつら戦闘能力だけが取り柄の馬鹿な獣みたいなもんなんだ」
「まぁな、頭のいい俺らとは違う下等生物さ。けど万全は期しておいた方がいいだろ。魔石をできるだけ身につけて、魔力を増幅させておくんだ」
「分ぁったよ」
家の外から、男たちの話し声と足音が聞こえてきた。
「か、帰って来ちゃった……!」




