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翌日、ハルは仕事の合間を縫って、魔術師カミラを探し回った。もちろん母の指輪を返してもらうためだ。
カミラは指輪を自分のものだと言い張っているから、簡単には返してもらえないだろうが……。
敷地内をくまなく歩き回っていると、屋敷の裏手にある小さな薔薇園でカミラを見つけることができた。
そしてその隣には、三人の騎士の姿もある。彼らもまた領主に仕える騎士たちである。
どうやら三人ともカミラに気があるようで、お互いを牽制しながら、どうにかして彼女の気を引こうとしている様子だ。
若く綺麗なカミラは、領主の息子アルフォンスだけではなく、騎士たちからも人気のようだ。カミラ自身もその事を分かっていて、この状況を楽しんでいるかのように笑いながら、騎士たちとお喋りを交わしている。
カミラには薔薇がよく似合った。しかし平凡な自分では薔薇の存在感に負けそうだと思いつつ、ハルは園の中を突き進む。とにかく指輪を――母の思い出の結晶を返してもらわなければと。
息を切らせてカミラたちの元まで駆け寄ると、声をかけた。
「カミラ様!」
「……あなた、昨日の」
ハルを目に映した途端、カミラは苦い顔をした。その手には、昨日と同じくあの指輪がはめられている。
「お願いです、指輪を――」
「ちょっとこっちに来て」
ハルの腕をきつく掴んで、カミラは薔薇園の奥へと進んでいく。状況がつかめずポカンとしている騎士たちに、「少しここで待っていてくださいね」と抜け目なく微笑みかけてから。
「しつこいわね」
騎士に向けた笑顔はどこへいったのか、辺りに人がいなくなると、カミラは眉間にしわを寄せて吐くように言った。
その豹変ぶりにビビりつつ、ハルは食い下がる。
「お願いです。指輪を返してください」
「これは元々私のものだって言ってるでしょう!?」
甲高い声で叫ぶカミラに怯えながらも、ハルは必死で訴える。
「お、落ち着いて。ちょっと私の目を見てください。私の瞳の色は、その指輪についている石の色と全く同じ色なんです」
そう言われて、カミラは一瞬、真面目にハルを見つめ返した。
ハルの瞳は綺麗な緑色なのだが、近くでよく見ると中心近く――瞳孔の周りが金色なのだ。
それは平凡なハルの唯一の特徴と言っていい美しい瞳だった。昔から目の色だけはよく褒められたものだ。
カミラはほんのつかの間ハルの瞳に目を奪われた後、フンと鼻を鳴らしていった。
「だから何なの? この指輪とあなたの目の色が一緒だから何?」
「えっと……だから……」
「それが、この指輪があなたのものであるという証拠になるのかしら?」
そうつっこまれて、ハルは「うぬぬ……」と口をつぐんだ。確かにこれでは決定的な証拠にならない。
しかし他に、指輪がハルのものである事を示す事実もないのだ。「返してください」と、ただ訴える事しかハルにできる事はなかった。
「お願いです。その指輪を返して……」
自分の手にすがりついてくるハルを、カミラは強い力で振り払い、怒鳴った。
「いい加減にして! ただの下女が立場をわきまえなさい! 母親の形見だかなんだか知らないけど、庶民であるあなたの母親がこんな高価な指輪を持っていたはずないわ」
ハルは振り払われた勢いで後ろに転び、泥だらけになった。昨夜の雨のせいで、土がぬかるんでいたのだ。
「……痛っ」
転んだハルを見下ろして、カミラは辛辣な口調で言う。
「この指輪は私のものよ。この前の誕生日に、私が父から貰ったのよ」
「――嘘だ」
すぐさま返された強い否定の言葉に、一瞬カミラは面食らった。
一応辺りを見回してみるが、ここにはカミラとハルの他には誰もいない。
となるとやはり発言したのはハルということになる。
しかしその声は今までの弱々しい感じと違って、しっかりと芯のある声だった。
カミラは片眉をつり上げて、泥だらけで地面に座り込んでいるハルを見た。ハルは俯いていて、顔はよく見えない。
「それは嘘です」
もう一度、はっきりとハルが言い放った。
顔を上げ、真っすぐにカミラを見つめながら立ち上がる。
今の状況をふと忘れて、ハルの瞳を受け止めながら、本当に不思議な瞳の色だとカミラは思った。
ハルは指輪を指差すと、落ち着いた口調で言う。
「その指輪の金でできた部分は、指輪が完成してからの年月を示すように少しくすんでいるし、よく見ないと分からないくらいの傷がいくつかあります。あなたが『この前の誕生日』に貰ったものにしては古すぎる」
冷静に指摘され、カミラは思わず指輪をはめている自分の手を、もう片方の手で握り込んだ。
すでに地面から立ち上がっているハルの身長は、カミラの肩ほどしかなく小さい。
しかし何故か今は、その華奢な体から静かな威圧感を感じる。
ハルは背筋をぴんと伸ばしてカミラと向き合うと、手のひらを上に向け、片手を差し出した。
全身泥まみれだというのに、その姿に惨めさはない。
「返して。それは私の母のものです」
緑と金の不思議な瞳が、強くカミラを射抜く。
睨まれている訳ではないのに、何故か圧倒されるような視線だった。
「嘘をついて指輪を奪おうとしているのは、私かあなたか。その答えはあなたが一番よく知っているはず」
ハルの視線を受けて、何なの……、とカミラは怯んだ。
(一体何なのよ)
今、自分の目の前にいる少女は、ただの平凡な下女である。それに優秀な魔術師である自分が気圧されるなんて。
ひ弱なネズミに思わぬ反撃を受けた猫のような気分だ。
さっきまでは、ふにゃふにゃと頼りない感じの少女だったはずなのに。
ハルは真っすぐこちらを見つめたまま、微動だにせず手を差し出し続けている。
カミラはぐっと唇を噛んだ後、くるりときびすを返して駆け出した。悔しいが、もうハルとまともに喧嘩する気にはなれなかったのだ。
「あ……! 待って」
ハッとして、ハルもカミラを追いかける。
「助けて!」
カミラがそう言って駆け寄ったのは、先ほど別れた三人の騎士たちだった。律儀にも、言われた通りにカミラを待っていたらしい。
「どうしました?」
焦った様子のカミラに騎士の一人が声をかけると、彼女はわざとか細い声を出し、後ろから追ってきたハルを指差して言った。
「あの子が……私の指輪を奪おうとするのよ。『それは私が落としたものだから』と、訳の分からない事を言って……」
「何だって」
騎士は厳しい顔をすると、カミラを守るようにハルの前に立ちはだかった。
そしてカミラに近づこうとするハルを片手で突き飛ばす。
「わっ……!」
鍛えた騎士の力は強い。ハルは再び地面に転がり、泥にまみれた。
騎士は言う。
「全く、なんといやしい下女だ。難癖を付けて人のものを奪おうとするとは。今、ご領主様は王都へ出かけておられるから、この事はアルフォンス様に報告するからな」
騎士たちとカミラが薔薇園から去った後、一人残されたハルは地べたにしゃがみ込み、「あー……」と唸りながら頭を抱えていた。
その姿に先ほどカミラをひるませた威圧感はない。いつも通り、ふにゃふにゃのハルである。
「どうしよう! どうしたらカミラ様は指輪を返してくれるのかな……困ったな」
しばらくの間めそめそと独り言をつぶやいた後、ハルはしょぼんと肩を落として立ち上がった。
「この泥だらけの服、洗濯しないと」
そうして薔薇園を出ようと思った時だ。
ふと視線を感じて、ハルは後ろを振り返った。
すると園の奥、真っ赤な薔薇が咲く垣根と垣根の間に見知らぬ男を見つけ、ハルはビクッと肩を揺らす。
「びび、びっくりした」
ドキドキと肋骨を叩く心臓を押さえる。
しかしハルから随分と離れたところにいた男は、ハルと目が合うと静かに体を反転させて、薔薇園のさらに奥へと姿を消してしまった。
「誰だったんだろう……」
一瞬だけ目に映った男の姿を思い返す。
黒目黒髪で服の色も真っ黒だったので怪しいと言えば怪しいが、身なりは清潔できちんとしていた。髪には艶があったし、服もそこらの安物ではなさそうだった。
一番印象的だったのは男の整った顔立ちで、好みもあるだろうがハルにはアルフォンスよりも美男に思えた。
甘い感じのアルフォンスとは違って、寡黙で男らしい雰囲気。切れ長の黒曜石のような瞳からは、涼しげな印象も受けた。
身長は高く、体は鍛えているようで、服の上からでもしなやかな筋肉が見て取れた。
(騎士……かな? でもあんな黒ずくめの服装の騎士は見た事ない。うちの領地を守っている騎士たちの団服は濃い緑色だし)
ハルはそう考えて首を傾げた。
それにあんなに格好いい騎士がいたなら、とっくに女性たちの噂の的になってハルの耳にも届いているはずだ。
結局ハルには黒髪の男が誰だったのかも、何の目的でここにいたのかも分からなかった。




