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魔賊の男に掴みかかられ、やばいと目をつぶったハルだったが、結局何の衝撃も無かったので恐る恐るまぶたを開いた。
「あぁ? てめぇ、何のつもりだ?」
しかしまた、すぐに現実から目を逸らしたくなった。
一触即発。その言葉がぴったり。
ハルに向かって伸ばされた男の手を、クロナギが掴んで止めていたのだ。
金髪オールバックの魔賊の男が激しくクロナギを睨みつけ、クロナギは辛辣に男を見下ろしている状況。
クロナギの方が背が高く強そうなのに、魔賊の男たちに焦る気配はない。きっと自身の経験から、体格や筋力の差など魔術の前では問題にならない事を知っているのだろう。
で、一人焦っているのはハルだ。あわわ、とクロナギの心配をする。
紫の髪の陰気な男とバンダナを巻いた男が余裕の表情で杖を取り出し、脅すようにクロナギに向けた。ほら、攻撃されるのが怖かったらその手を離せよ、というふうに。
オールバックの男も自由に動く方の手で杖を構えつつ、至近距離でクロナギを値踏みするように見た。彼の腰に携えられている剣に目を留め、また顔に視線を戻す。
「お前、兵士か傭兵か? 喧嘩に自信があるんだろ? だが、いくら体を鍛えてたって関係ねぇんだよ。俺ら優秀な魔術師の前ではな」
が、クロナギの表情が変わらないのを見て、オールバックの男が苦々しく呟いた。
「俺はお前みたいにスカした野郎が一番嫌いなんだ。無駄に整った顔しやがって」
「ただのやっかみじゃねぇか」
仲間から野次を飛ばされて、男は「うるせぇよ」と吐き捨てた。
そうしてクロナギを睨みつけ、叫ぶ。
「その顔ぐちゃぐちゃに潰してやるよ!」
カッと目が見開かれたかと思うと、男は早口で流れるように呪文を唱えた。巻き添えを食わないよう、周りにいる人たちが悲鳴を上げて逃げていく。
ハルはまたとっさに目をつぶったが、杖から攻撃が放たれたであろう瞬間、むき出しの皮膚に熱を感じて焦りを覚える。
(クロナギが……っ!)
ハルは目を閉じたまま闇雲に手を伸ばし、隣にいるクロナギをこちらに引き寄せて守ろうとした。
しかしハルの手は彼の体を捉える事が出来ず、代わりに自分が捕われる。
「わあッ!」
気づけばハルの体はクロナギに抱きかかえられ、宙を飛んでいた。下では魔賊の男が杖から荒れ狂う炎を吐き出していたが、その攻撃はその場から消えたクロナギに当たる事はない。
魔賊の男たちが驚愕の声を上げる。
「消えた!?」
「くそ、どこへ行きやがった! あいつも魔術師だったのか!?」
「いや、まさか。杖を持っていなかったし、呪文も唱えてない」
奴らはクロナギが竜人だという可能性に気づいていないようだった。
だから彼が攻撃を受ける寸前にハルを抱えて地面を蹴り、近くの建物の屋根まで飛び上がっただなんて想像もついていないらしい。そんな事、普通の人間では不可能だから。
「出てこい、どこ行った! 馬鹿にしやがって!」
魔賊の男たちは頭上を見上げる事なく、必死で屋台の下なんかを覗いている。そんなところにクロナギの体が入るわけない。
ハルは早鐘を打つ自分の心臓を押さえながら、地上で騒ぐ男たちを見下ろした。
ああ、こわかった。
「申し訳ございません」
ハルを丁寧に抱えたままクロナギが言う。
「や、私は大丈夫。ちょっとびっくりして、胸がドキドキしてるだけ」
魔賊の男たちが出し抜かれた事を、街の住民たちは少し面白がっているようだった。笑いこそしないものの、皆「ざまぁみろ」という顔をしている。
オールバックの男から雷撃を打たれて倒れた客の男は、周りの人に助けられ、介抱を受けているようだ。
「このまま逃げられると思うなよッ!」
どこにいるかも分からないクロナギたちに向かって、男が叫ぶ。頭に血が上っているようで、額に浮き出た血管が今にもぷつんと切れてしまいそうだ。
仲間と連れ立って自分たちのアジトに帰っていく男を見つめながら、クロナギがもう一度ハルに謝る。
「申し訳ございません、ハル様。ゆっくりとトチェッカを見て回るつもりでしたが、やはり今すぐにでもこの街を出ましょう。二十人近くの手練の魔術師とやり合うのはさすがに骨が折れますし、ハル様にも危険が及ぶ可能性がないとは限りません。おまけに、奴らとやり合う中で街の住民に私の正体が竜人だと知れたら、さらに面倒な事になりそうですし」
「そ、そうしよう。ぜひ逃げよう」
ハルはウンウンと頷いたが、
「でも、この街の人たちは大丈夫かな」
と、心配そうに言う。
クロナギは思いやりのある自分の主に目を細めつつ、臣下として叱った。
「ハル様、貴女が優しいのは分かっていますが、それは我々が気にするべき事ではありません。人間たちの問題に首をつっこんでも、あまり良い事はない。この街を救わなければならないのは、我々ではありません」
「……そうだね。特に私はあの魔賊相手に何もできそうにないし。王都の騎士団が早く来て、あいつらを捕まえてくれるといいんだけど」
ハルはしゅんとうなだれた。
***
その日の午後は雨だった。雨粒がしとしとと音を立てて地面を叩いている。
トチェッカは広いので、ハルたちはまだ街を抜けられていない。中心部には食べ物を扱う店がひしめき合っていたが、ここら辺はそうでもなかった。人通りも少なくはないが、多くもない。
ハルは自分の顔を隠すように外套のフードを深くかぶっていた。魔賊の奴らに見つかったらどうしよう、とビクビクしながら。
「それほど怯える必要はありません」
クロナギが冷静に言う。彼も雨を防ぐため、マントのような黒い外套を羽織っていた。しかしそれを着ているのは背中の荷物とラッチを濡らさないためらしく、フードをかぶったり、前をきっちりと閉めたりはしていない。
ラッチはもう目を覚ましているようで、ときおり麻袋がむにむにと動いている。
クロナギは続けた。
「もし奴らと鉢合わせしても私がハル様を抱えて走りますから。奴らは追って来れませんよ」
「でも、相手は魔術師だよ? 瞬間移動とかしてきたら……」
「私は魔術に明るくはありませんが、瞬間移動をしたいのであれば、あらかじめ目標地点に魔術陣を描いておかなければならないのではないでしょうか。目印もなしに空間を移動する事はできないのでは?」
「そういうものなの? 魔術って結構めんどうだね。呪文とかも覚えなくちゃいけないし」
と、そこでハルはふと自分に魔力がある事を思い出した。クロナギはどうなんだろう。
「ね、クロナギには魔力がある?」
「ありますよ。竜人は皆あります」
「え、そうなの?」
ハルは目を瞬かせた。人間の場合は魔力を持たない者の方が多いが、竜人は違うらしい。
「じゃあ竜人の中にも魔術師はいっぱいいるんだ?」
「いいえ。台所で火を熾したりするくらいの簡単な魔術を使う者はいますが、基本的に竜人は魔術を使いません」
「どうして? せっかく魔力があるのにもったいないよ」
魔力があるのに魔術が使えない自分の事を棚に上げて言う。
クロナギはくすりと笑って説明した。
「攻撃する前にあらかじめ魔術陣を描いておいたり、いちいち杖を出して呪文を唱えたり、という魔術の面倒な性質は、短気な竜人の性格とは合わないのです。呪文を唱えているうちに殴った方が早い」
ハルは思わず彼の顔を凝視してしまった。
クロナギってば落ち着いているように見えて、やっぱり竜人なのだ。呪文を唱えるのが面倒だとか、ちょっと子どもっぽくて笑ってしまう。
「それに竜人はたいして多くの魔力を持っているわけではありませんから。魔術だけで人間の魔術師と戦おうとすると、負ける可能性の方が高い。基本的に魔術は竜人と相性が悪いのです。あれは多少頭が良くないと使いこなせませんから」
それ、竜人は馬鹿って言ってるも同然なんじゃ……とハルは思った。
だが確かに竜人と言えば、鍛え上げた自分の肉体を武器に戦うイメージがあるから、ちまちまと綿密に計算された魔術というのは苦手なのかもしれない。
しかし、さっきの魔賊の男たちが賢そうに見えるかと考えれば少し悩んでしまう。
勉強はできるのかもしれないが、集金だとか言って街の人から金をたかってるあたり大馬鹿者だし、ありとあらゆる呪文を暗記して知識も豊富なのかもしれないが、ああいうふうにしか魔術を使えないなら頭は悪い。
「さらにもう一つ」とクロナギは話を続けた。
「我々が魔術を使わないのは、その手段では相手を攻撃している実感が湧きにくいからかもしれません。拳で相手を殴った時や、剣で斬り裂いた時に感じる感覚が、魔術には無いですから」
「うん、そうだね」
ハルはもう一度深くフードをかぶり直し、頷いた。
だからといって魔術が悪いわけではないけれど。そうするしかしょうがなくて攻撃魔術を使う人もいる。
ただ、あの魔賊の奴らは違う。必要が無くても、自分たちの優位性を示すために攻撃を仕掛けていた。全ては使う人次第だ。
ハルがやるせないため息をついた時、後ろでクロナギがピタリと立ち止まった。
「……何? どうしたの?」
振り向いて、ハルが問う。
クロナギは辺りを注意深く見回しながら、警戒するように耳を澄ませている。
「まさか奴らに見つかった? 魔賊の奴らに……」
青い顔をしてハルが言った。フードで顔を隠しながらも、肉食獣に狙われたウサギのようにきょろきょろと周囲を確認する。いつでも逃げられるように、足に力を込めるのも忘れない。
「いえ、魔賊ではありません。しかしある意味、魔賊などよりよほど厄介な……」
ハルには分からなかったが、クロナギはいち早く敵の居場所を捉えた。その方向を向くと、少しの焦りを滲ませて、ハルを自分の後ろに隠す。
「何? 誰なの……?」
クロナギの警戒の仕方にハルは怯えた。魔賊よりも怖い人?
緊張に身を震わせるハルの耳に、水溜りを歩いて近づいてくる、二人の男の足音が聞こえた。