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「うああ、美味しい。タルト生地の甘さとりんごの酸味が絶妙に合ってるし、りんごの量もちょうどいい。少なすぎると悲しいし、かと言って多すぎても飽きるけど、これはやや多めで素晴らしいバランス。りんごにしてよかった。きっとこのタルト屋さんの中でこれが一番美味しいはずだから、りんごにしてよかった本当」
林檎をたっぷり使ったタルトを頬張っていつになく饒舌に語りながら、ハルはカボチャやチーズといった他の種類のタルトを視界に入れないように努力していた。予算の都合で一種類しか買えないのだ。
林檎タルトを味わいつつ、「たぶんチーズのやつは不味いから。カボチャのもナッツのも見た目は素晴らしいけど味は最悪なはずだから」と必死に言い聞かせて自分を抑えているハルに、クロナギはいつの間にか自らの財布を差し出していた。
が、やせ我慢したハルに「いいよ」と遠慮される。
「お嬢ちゃんたち、旅の人かい?」
林檎以外のタルトをけなされた屋台のおばさんは、しかし分かりやすいハルの本心に気づいているようで、愛想よく声をかけてきてくれた。
もぐもぐとタルトを咀嚼しながらハルが答える。
「うん、これからもっほ、にひ(西)の方へ向かうんれふ」
ドラニアス帝国へ行くと言ったら驚かれそうなので、そう言った。
「そうかい、いいねぇ。わたしもこの街を出たいよ」
「どうして?」
ハルが聞くと、屋台のおばさんは疲れた表情をして東の方を指差した。
「あそこに森が見えるだろう? 今までは『平和の森』なんて呼んでたけど、最近そうでもなくなってね。恐ろしいったらありゃしない」
「大きな魔獣でも出るんですか?」
「いいや、魔獣よりも恐ろしい化け物さ」
「えー、そんなのいる? 一体何が出るの?」
ハルは怯えた。普通に通り抜けて来たけどそんなに危険な森だったのか、と。
おばさんは声を低くして、怖がらせるように言った。
「ドラゴンさ」
「ぅえ?」
ハルはすっとんきょうな声を出す。
「ドラゴンだよ。お嬢ちゃんみたいな子どもでも、その存在くらいは知ってるだろ?」
「し、知ってますけど……というか私、子どもというほど子どもじゃないんですけど」
変なプライドを見せるハルにおばさんは続けた。
「最近、森でドラゴンを見たって住人が増えてきてね。なんでも、見上げるほど大きなドラゴンが二体もいたらしいよ。そのうち街の方へ来て人を襲うんじゃないかって皆ヒヤヒヤしてんのさ」
「それは怖いですね」
ハルは神妙な顔で頷いた。ラッチのことはちっとも怖くないが、それは彼がまだ小さいからだ。自分に懐いてくれていて、攻撃される心配がないからでもある。
でも、大人のドラゴンなんて目の当たりにしたら腰を抜かしてしまいそう。
彼らは大型の魔獣でさえも襲って食べてしまうらしい。人間なんてひとたまりもない。
しかし普通、彼らはドラニアスにしか生息しないはずである。もちろん岩竜にしろ飛竜にしろドラゴンには翼があるから、ドラニアスから海を渡って人間の住む大陸へ来るのは無理な話ではない。
無理な話ではないが、今までドラゴンたちが自分から人間の国へやってくる事はほとんどなかったのである。
なのにどうして今、平和の森にドラゴンがいるのだろう。
彼らは大きなドラゴンらしいから、ラッチのように密猟者が連れて来たとは思えない。
「うーん」と唸るハルに、屋台のおばさんは続ける。
「だけどそのドラゴンはマシな方さ。まだ襲われた住人もいないしね。問題は……ほら、噂をすれば奴らが来たよ」
嫌悪感たっぷりのおばさんの視線の先には、がらの悪そうな男が三人いた。賊のようにも見えるが、そう断言するには違和感がある。
ハルはじっと彼らを観察した。
三人の男たちは皆高そうな服を着ている。とはいえ、あまり上品な着こなしじゃない。じゃらじゃらと装飾品をつけて、趣味の悪い小金持ちといった印象。
それに賊にしては貧弱で、喧嘩も弱そうにみえた。あまり筋肉のついていない細い体をしている。
彼らは他人を見下すような笑みを浮かべながら、大通りの店や屋台を一軒一軒訪ねている。
いや、訪ねるなんて丁寧なものではない。
「おい、集金だ。今週の分出せ」
果物を売っている屋台のお姉さんに向かって、三人の男のうちの一人が脅すように言った。白っぽい金髪を後ろにぺったりと撫で付けていて、目つきの悪い男だ。成金下級貴族と賊を、足して二で割った感じ。
後の二人は、紫の髪の陰気な雰囲気の男と、頭にバンダナを巻いた男だった。
屋台のお姉さんは男たちが恐ろしいのか、素直に金を渡した。男が金額を確認する。
「集金? 今週の分って?」
ハルが聞くと、おばさんはひそひそ声で答えた。
「あいつらは週に一度、わたしら住人から、ああやって金を集めて回ってるのさ。『強盗なんかが来た時に助けてやるから、その用心棒代だ』とか理由を付けてね。あいつらが強盗みたいなもんだよ」
「あの人たち、何者なの?」
「魔術師さ。どこにも所属していない魔術師」
ああ、それで。
ハルは納得した。彼らは魔術を使えるから、あんなに貧相な体をしているのに自信満々で偉そうなのかと。
どこかで聞いた事がある。魔術師は魔術に頼って体を鍛えないから、男でも筋力のない人が多いって。
おばさんは続けた。
「あたしらはあいつらの事を“魔賊”と呼んでるんだ。魔術の使える賊ってことでね。奴らは一ヶ月ほど前にふらっとこの街にやって来て、住み着いたんだよ。そこにいる三人だけじゃない。魔術を使える男ばかり、全部で二十人近くはいたはずだ。それで、こうやって住人から金をせしめ、自分たちは豪遊してるのさ」
ハルは顔をしかめた。
「ひどいね。どうにかして街から追い出せないの?」
「わたしらも最初は反発したんだよ。だけどあいつら恐ろしい魔術を使うのさ。炎を出したり、雷を落としたりね。手も足も出やしない。街の自警団でも同じだった。ここはそこそこ栄えた街だから、大きな一団ではないけれど、ご領主様の騎士様たちも常駐してくださっていたんだけどね、魔賊たちは一番最初にその詰め所を襲撃してあっさりと壊滅させちまった。この街から閉めだされたのは騎士様たちの方さ。どうやら魔賊のやつらは、魔術師としてはとても有能な奴らばかりらしいね。ご領主様は王都の優秀な魔術師様や騎士様をトチェッカへ派遣してくれるよう要請しているらしいけど、一体いつになるやら」
おばさんはため息をついた。
トチェッカはアルフォンスの父の領地ではないから、この地方を治めている領主は彼とは別の人物である。
噂でしか知らないが、最近代替わりしたここの領主は気弱な性格をしていたはずだ、とハルは自らの記憶を探った。
過去の歴史を顧みてもこの地方は戦や反乱が少ない土地であり、敵を撃退する経験と知識も乏しい。
常駐の騎士たちが簡単に討たれてしまったことで、きっと領主は今あわあわと混乱しているに違いない。
そんな事を考えている間に、魔賊の男たちは店主たちから順番に金を巻き上げていき、ついにハルたちの隣の屋台までやってきた。そこでは串焼き肉を売っている恰幅のいいおじさんの他に、客が一人いた。まだ若い男だ。彼は近づいてきた魔賊に気づいていない様子で屋台のおじさんと話をしている。
「一本五シールは高くないか? 三本買うからもうちょっとまけてくれよ」
「いや、悪いがこれ以上はまけられないね。うちもギリギリで商売やってんだ」
「そんな事言わずにさ――」
突然。
バチッという強烈な音と共に、客の男が白目を剥いて昏倒する。
いきなりの展開にハルは思わず後ずさり、背負っていた荷物が後ろにいたクロナギに当たった。
倒れた男の近くには魔賊の男が立っていて、小型の杖を掲げている。どうやらあの男が屋台の客を襲撃したらしい。
でも、どうして?
ハルの方に顔を寄せ、屋台のおばさんが小声で話す。
「ほら、見ただろ。奴は杖の先から小さな雷を出したのさ」
と同時に、魔賊の男の声も聞こえてきた。金髪オールバックの奴だ。
串焼き肉の屋台のおじさんに、ヘラヘラと笑って声をかけている。
「さぁ、面倒な客を退治してやったぞ。今週の分に、上乗せ料金も払えよ」
「なんだと!?」
おじさんは怒りで顔を赤くさせ、声を荒げた。せっかくの客に攻撃を仕掛け、あまつさえ金を要求するなんて、と。
「馬鹿な事を言うな! 魔賊だか何だかしらんが、いい加減にし……ろ」
途中で杖を喉元に突きつけられて、おじさんの声が小さくなる。魔賊の男は杖を剣のように掲げたまま、意地悪く笑う。
「あんたも雷撃を浴びたいのか? それとも金を払うのか? 俺はどっちでもいいんだぜ」
「……っ、金を……払う」
おじさんは悔しそうに歯を食いしばった後、声を絞り出すようにして答えた。
金髪オールバックが、フンと鼻を鳴らして杖を引っ込める。
「魔力を持たない下等生物が俺たちに逆らうんじゃねぇよ」
そう吐き捨てて金をむしり取ると、地面に倒れている客の男の体を邪魔だとばかりに蹴って、こちらへ歩いてきた。仲間の陰気な男とバンダナの男も、薄ら笑いを浮かべながら後に続く。
そうして、ふとハルの視線に目を留めると、
「じろじろ見てんじゃねぇよ、ガキが」
細長い指を広げ、ハルに掴みかかってきたのだ。