小陛下は自由がほしい(1)
完結巻となる書籍版の4巻が8月28日(火)に発売されますので、今日から29日まで番外編を更新します!
書くと約束していたハルの子どもの話です。
ちなみにもう一つ約束していたハルの結婚式の話は書籍版に載せてもらいました。詳しくは活動報告で!
また、漫画版のコミックスも9月4日(火)に発売されるようですので、そちらも是非よろしくおねがいします。
ここまで応援していただき、本当にありがとうございました!
(コミカライズ版はまだ連載中です)
〝エリオット〟は自由のない生活にちょっと嫌気がさしていた。
「エリオット様、そろそろお勉強の時間です。もうすぐ八賢竜が来られますよ」
「えー、今いいところなのに」
エリオットが眉を下げると、侍女たちも困った顔をする。
一方、テーブルを挟んでエリオットの正面に座っていたコルグは、
「これはこのままあっちのテーブルに置いておきましょう。勉強が終わったらまた続きをやればいいですよ」
と言って、盤上ゲームを移動させ始めた。
コルグは紫の竜騎士で、普段は皇帝であるハルの側にいるのだが、今日はエリオットの護衛を担当している。
エリオットにはまだ専属の紫はおらず、ハルの紫の中から毎日一人か二人と、黄の竜騎士たちが数人つく事になっているのだ。
「勉強するのはいいけど、たまには一日好きな事して遊びたいなぁ」
エリオットが唇を尖らせて言うと、その表情を見たコルグが小さく笑う。
「エリオット様、やっぱりハル様にそっくりですね。ハル様も時々そうやって唇を尖らせてますよ。食事の時に好きなデザートが出なかった時とか」
エリオットはもうすぐ九歳になるが、生まれてから何度、周りの竜人たちから『ハル様にそっくり』と言われてきただろう。
でも確かに、自分でもよく似ていると思う。
髪の色こそハルは薄茶色、エリオットはエメラルドを溶かしたような緑色で違うけれど、緑金の丸い瞳や小さな鼻、卵型の柔らかい輪郭などは、ハルの特徴をそのまま受け継いでいる。
(親子だから当たり前なのかもしれないけど)
そう、エリオットはハルの息子だ。
ハルは父親のエドモンドに似ているので、エリオットはエドモンドにもそっくりだった。というか、廊下に飾ってある肖像画を見る限り、皇帝一族はみんな顔が似ているようだ。
皇帝たちにはそれぞれ伴侶がいたのに、子どもたちには伴侶の特徴はほとんど受け継がれない。
ハルは人間の母親であるフレアの髪色を受け継いだものの、エリオットはエドモンドと同じ緑髪に戻って〝修正〟されているし、不思議な血だ。
(母さまは大好きだけど、似るなら父さまがよかったな)
エリオットは心の中でそんな事を考えた。エリオットの父親はクロナギだが、クロナギのように格好良くなれたらよかったと思うのだ。
身長だって将来はもっと高くなりたいけど、エリオットはハルのように小柄なので、きっと成長してもあまり大きくはなれないだろう。
エリオットはため息をついて、椅子の背もたれに体を預けた。
顔立ちが平凡でも背が低くても、せめて周りの竜人たちのように強くなりたいと思うが、皇帝一族はみんな人間並みの運動能力しか持っていない。
それでも鍛えれば多少は強くなれると思うのだが、エリオットが鍛錬する事をみんなは許してくれないのだ。
軽い運動くらいはしてもいいけれど、本格的に鍛えるのは駄目だと言われている。鍛錬の途中で怪我をしたり、体を壊したりする事を周りは心配しているらしい。
(みんな過剰に心配しすぎるんだよ)
護衛だってそうだ。今は部屋にコルグがいるだけだが、扉の外には黄の竜騎士たちが控えていて、エリオットが一歩でも部屋を出れば、トイレにだってみんなでぞろぞろとついてくる。
禁城の敷地内は安全だというのに、城の中でも庭でもエリオットは一人にしてもらえない。
それにもちろん、禁城の外には自由に出られない。ハルの公務についていったりして街を歩く事はあるが、山ほどの竜騎士たちと一緒だ。
自分と同じくらいの歳の子どもたちが自由に街を駆け回り、友だちとお菓子を買って食べ歩いたりしているのを見ると、エリオットは羨ましい気持ちになる。
「自由がほしいなー……」
「何です、急に?」
伸びをしながら呟くと、コルグが首を傾げた。
エリオットはコルグに向き直って言う。
「ねぇ、コルグ。ぼく、街に行きたいんだ」
「街にですか? 行って何をするんです?」
「特に何も。ただ自由に歩いて、お菓子を買って食べたりするんだよ」
「お菓子なら侍女に頼めばすぐに持ってきてくれますよ。でもまぁ、エリオット様が街に出たいとおっしゃるなら、レオルザーク総長に相談しておきます」
「そうじゃなくって!」
エリオットは嘆いて言う。
「ぼくは〝自由〟に街を歩きたいんだ。レオルザークなんかに言ったら、街に出られたとしても、周りを竜騎士たちでがちがちに固められちゃうよ」
「それは仕方ないですよ。エリオット様は将来の皇帝なんですから」
「そうだけど、荒れた海とか冬の雪山とか、そういう危険な場所に行くわけじゃないのに護衛なんて必要ないよ。だって、ドラニアスの国民でぼくに危害を加えようとする竜人なんている?」
竜人たちは皇帝一族を大切に思っている。それはエリオットも感じている。今まで生きてきて、自分の命を狙ったり立場を脅かそうとする者はもちろんいなかったし、誰かに少しの嫌悪感すらあらわにされた事もない。
竜人たちはみんなハルとエリオットに好意的に接してくれるし、敬愛の気持ちを持ってくれている。
しかしコルグは困ったようにこう答えた。
「でも、何が起きるか分かりませんから」
エリオットは納得できなくて、また唇を尖らせる。
コルグに言っても駄目だと悟り、翌日からは味方を探そうと奮闘した。
レオルザークは絶対駄目だし、サイファンに言ってもにっこり笑いながら却下されるだろう。四将軍も心配性なのでエリオットの外出には厳しいし、アナリアも許可をくれそうにない。
母親のハルにも「危ない事しちゃだめだよ」と言われそうだし、父親のクロナギも過保護なので駄目だ。ハルにそっくりな我が子の事を溺愛しているがゆえに厳しいのだ。
(となると、あとはオルガとソル、トウマとヤマトくらいしか残らないな)
禁城にはそこら中に竜騎士がいるし、誰かの協力がなければエリオットは一人で門を越えられない。
しかし残った四人にこっそり街に行きたいから協力してと頼んでも、あっさり断られてしまった。
「オルガとソルは協力してくれるかもって思ったのに……」
エリオットは廊下をとぼとぼ歩きながら呟いた。後ろには黄の竜騎士たちが護衛としてついて来ている。
(仕方ない。こうなったらミヤビとスズに協力してもらおう……)
エリオットは密かにそう考えて、二人のもとに向かったのだった。
二人は、屋内の鍛錬場にいた。竜騎士見習いたちが組手をしている中に、ミヤビとスズの姿もあったのだ。
ミヤビは十二歳で、金髪美形の男の子だ。かなり目立つ外見なのですぐに見つかった。
一方、スズは黒髪の十歳の女の子だが、エリオットと同じく平凡な顔立ちなのでなかなか見つからなかった。彼女は人に紛れるのが得意というか、本人は気配を消しているつもりはないのに紛れてしまうのだ。
「ミヤビ! スズ!」
エリオットが鍛錬場に入ると、若い竜騎士見習いたちも指導官の竜騎士もみんなこちらに注目した。
「小陛下、どうされました?」
「ミヤビとスズに用事があって。ちょっと二人を借りてもいい?」
「もちろんです」
エリオットが頼むと、指導官の竜騎士はこころよく頷いて二人を呼んでくれた。
「ありがとう!」
礼を言うと、エリオットは二人を連れて外に出る。そして鍛錬場の裏に回って、護衛の竜騎士たちを少し遠ざけた。
「秘密の話があるから、離れてて」
そう言うと、竜騎士たちはエリオットの姿は見えるが話は聞こえない程度に距離を空けてくれた。だけど完全に三人きりにはしてくれない。
幼い頃は気にならなかったのに、こういう部分を最近はちょっと窮屈に感じてしまう。
「エリオット様、どうされたんです?」
「なにかご用ですか?」
ミヤビとスズが順番に言う。
ミヤビはアナリアとオルガの子どもで、スズはヤマトとアリサの子どもだ。
ミヤビは男だが外見はアナリア似で、金髪に紅い瞳、氷でできた美しい彫像のような完璧な美形だった。
けれどアナリアよりは苛烈ではないので、女の子からすごく人気がある。
オルガ要素は一見ないように見えるが、意外と戦闘好きで挑戦的だったり、細かい事は気にしない大雑把なところが父親に似ていた。
紫である両親の血を継いでいるので、将来有望な竜騎士見習いだ。
そして、くせ毛の黒髪を後ろでポニーテイルにしているスズは、ヤマトとアリサどちらにも似ている。
目はアリサ似で可愛い顔立ちなのだが、『何故か人の印象に残らない』という特徴はヤマトに似てしまったようだ。
性格は優しいが、小心者。四分の一は人間の血が混じった混血だし、竜騎士見習いになったばかりなので、鍛錬についていくのも大変そうだった。
歳が近い事もあって、二人は小さい頃からエリオットの遊び相手として親に連れられ禁城に来ていた。だから幼馴染のようなものだ。
エリオットは二人が大好きだし信頼している。
「あのね、二人に協力してほしい事があるんだ」
エリオットは緑金の瞳をわくわくときらめかせ、声を潜めて言う。
「ぼくを禁城からうまく連れ出してほしいんだ。竜騎士たちに見つからないように。それで、三人でこっそり街に遊びに行こう」
しかしわくわくしているのはエリオットだけで、ミヤビとスズはお互いに顔を見合わせている。
やがてスズがおずおずと言った。
「む、無理だと思います……」
ミヤビも冷静に言う。
「それにそんな事をしたら叱られます。三人だけで街に行くなんて」
「叱られるのなんて怖くないよ!」
エリオットは必死に訴えた。
「お願いだよ。確かにいけない事だけど、ぼくはこの先もずっと、一生、自由のない生活を送るんだ。いつも誰かが側にいて、ぼくの行動を監視してるっていう生活を。一人になるには寝室にこもるしかないけど、扉の外では侍女や竜騎士たちがこっちの様子をうかがってる」
ミヤビとスズは黙って話を聞いてくれた。
エリオットは溜め込んでいたものを吐き出すように続ける。
「それに少しでも咳をすればベッドに寝かせられて、放っておいても治るのに、苦い薬を毎日飲まされる。あとは今年の冬は雪がたくさん積もったけど、ぼくは雪遊びだって満足にできない。風邪を引いたり、手がしもやけになったら駄目だからって。だからミヤビたち竜騎士見習いのみんなが、自由時間に禁城の庭で雪合戦してるのを窓から眺めるだけだった。こんなんじゃ息が詰まっちゃう」
いたいけな子犬のように眉を垂らして、懇願する。
「だから一度だけ、自由を感じたいんだ。ミヤビやスズは自由に一人で街に遊びにいけるよね? 他の子どもたちだってそうだ。だからぼくもみんなと同じように、竜騎士たちの監視なしで行動したい。一度だけ。一度だけでいいんだよ。そうしたらもう、わがままは言わないから……」
「エリオット様……」
お願い、と頼み込むと、二人は心動かされたようだった。
あともうひと押しだとエリオットは追撃する。
「それに二人と一緒なら危険もないでしょ? だって二人は竜騎士見習いだし、強いもん。何かあってもぼくを守ってくれる」
「もちろんそうです」
自信家のミヤビが即座に答えた。ミヤビは冷静なように見えて結構乗せやすい。そしてオルガの性格を受け継いでいるせいか、大人に反抗したり、大人に隠れて何かをするのは意外と嫌いではないようだった。
すでにどうやって父親たち竜騎士の目をあざむき、禁城からエリオットを連れ出そうかと考え始めている。
そしてスズは流されやすいので、
「エリオット様の頼みなら」
と言って緊張気味にだが頷いてくれた。
「二人ともありがとう! じゃあ作戦を立てよう」
エリオットはハルにそっくりな顔でふにゃりと笑って言ったのだった。