とある使用人の平凡だった日々(8)終
「あ……待って!」
使用人だった時は仲良くやっていたのに、このままお別れするのは私も寂しいなと思ったら、思わずハルを呼び止めていた。竜騎士たちの注目も浴びてしまって緊張しながら、なんとか話す。
「あの……またね! また会えるかどうかは分からないけど、でもさよならって言うのは寂しい気もするから、だから……またね」
私がそう言うと、ハルはパッと表情を変えて、まるで太陽にみたいに明るい笑顔を見せた。
「うん! またね!」
嬉しそうにふにゃふにゃ笑い続けるハルを見て、クロナギも同じように嬉しそうな顔をしている。
(あれ? もしかしてクロナギって……)
何となくハルを見守る視線に甘いものが含まれているような気がして、私は瞳をまたたかせた。
(そう言えば、ハルも好きな人は騎士だって言ってたけど)
優しくて格好いい騎士……。
まだふにゃふにゃ笑いながらもクロナギから差し出された手を自然に握るハルを見て、私は気づいた。
この二人は、ただの主従以上の関係なんじゃないのかなって。
(なんだ! 両思いだったの!?)
てっきりハルの片思いかと思ってた。失礼だけど。
というか、ハルは好きな人の情報は嘘をつかずに教えてくれたらしい。身分を偽っていたんだから、別に好きな人も「いない」とか言って嘘をつけばよかったのに、そういうところ真面目というか何というか……。
そしてたぶんアリサの好きな人も本当にヤマトで、付き合い始めたばかりなんだろうなと思う。
私がそんな事を考えている間に、クロナギはハルを紫色のドラゴンに乗せた。そして自分はその後ろに跨る。
ここに残るというアリサとトウマ以外の他の竜騎士たちもそれぞれ自分のドラゴンに騎乗すると、一行は空へと飛翔した。
竜騎士四人が乗る四頭のドラゴンがシトリンを運び、オニキスは残りの一頭に乗るハルやクロナギと一緒だ。橙色の少し小さいドラゴンは、オニキスの様子を見たりシトリンの様子を見たりしながらみんなの周りをちょろちょろと飛び回っている。
「行っちゃった……」
小さくなっていくハルたちを見上げて、私は呟いた。ハルは最後までこっちに手を振っていた。
ふと隣を見るとベルも名残惜しそうに空を見上げている。オニキスの事を考えているのかな。
やがてズズッと鼻をすすると、ベルは自分の手で乱暴に目元を拭った。
(ベルが泣くなんて……)
チンピラみたいだという印象を持っていたから、ちょっとびっくりする。でもそれだけオニキスに情を持っていたんだろう。
意外といいお父さんになりそうだなと思ったら、何故か急に、私とベルが寄り添って自分たちの赤ん坊を抱いている姿が頭に浮かんだ。
よく分からない自分の想像に心臓がドキドキとうるさく鳴る。
何を考えてるのよ、私ってば。なんでベルと……。
一人であたふたしていると、涙を拭ったベルは門の方に向かって一人で歩き出した。このまま屋敷を出て戻らないつもりなのだろう。
「ベル……!」
さっきハルに「またね」と言った時のように、私は思わず声を上げてベルを引き止めていた。
ベルは振り返ってこっちを見る。
(目つきは悪いけど、やっぱりあの無精髭を剃って髪を整えたら男前になりそう。年の差だって大した事ない。離れてても七つか八つってところだし)
そんな事を考えながら、私はベルに近づいて言う。
「私もついて行くから、表通りの『夕暮れ』で待ってて! 知ってるでしょ? 荷物をまとめたらすぐに行くから」
「は? ……お前、なにを……」
「お前じゃなくてオリビアよ。言ったでしょ」
『夕暮れ』とは、この町で一番賑わっている酒場の名前だ。ベルはお酒が好きそうだし、知っているはず。
「なんでお前まで荷物をまとめるんだ。この屋敷を出て行くつもりなのか?」
「そうよ。あなたと一緒に行く事に今決めたから」
「はぁ!? どういうつもりだ。なんでついて来る!? ……俺はろくでなしだし、一緒に来たって何もいい事なんかないぞ」
「いいから『夕暮れ』で待ってて。私の事を嫌いなんじゃなければ……。ここは騎士が来るから、見つからないうちに早く」
私はそう言ってベルの背中を押した。
ベルは困惑したまま歩き出し、こちらを何度も振り返りながら屋敷を出て行く。
自分の突然の決意と行動に自分でもびっくりしてるし、ベルに負けず劣らず困惑もしてるけど、ここで彼と永遠にお別れになってしまうのは嫌だなと思うのだ。
(ベルは『夕暮れ』で待っててくれるかしら?)
ベルは私が夢見たような甘い顔立ちの貴公子ではないのに、何故か心が浮足立っている。
「荷物を取ってこなきゃ」
初恋の時の気持ちを思い出しながら、わくわくと弾む足取りで私は自室へと向かったのだった。
___
一方その頃、ハルはヨミに乗って空を飛んでいた。後ろにはクロナギが乗っていて、お腹にはオニキスが張り付いてぎゅっとハルの服を掴んでいる。こんなに高いところを飛ぶのは初めてなのか、少し不安そうだ。だけどだんだん周囲の景色に興味が出てきたみたいで、きょろきょろと眼下に広がる町を眺めたりしている。
「期日ぎりぎりになっちゃったけど、上手くいってよかった。オニキスもシトリンも、アリサも、オリビアさんたち屋敷の使用人にも怪我をさせずに解決できた。それにドルシェル男爵の事も傷つけずに捕まえる事ができたし」
「そうですね。俺はハル様が無事でよかったです。ずっと近くに潜んではいましたが、やはり何かあったらという不安はあったので」
クロナギはそう言って、手綱を握りながらハルを抱きしめた。笑っているけど、たぶん本気で心配していたのだろう。
「ごめんね、無茶な事して」
ハルは眉を下げて言う。
クロナギは早々に諦めてくれたが、レオルザークなどは今回のハルの作戦には最後まで反対していた。
ハルの作戦とは、ドルシェル男爵を捕まえ、彼がどこかに隠しているかもしれないドラゴンを保護するために、ジジリアの文化を理解していて使用人経験もあるハルが男爵の屋敷に潜入する、という方法を取る事だった。
レオルザークたちのようないかつい竜騎士が武装して男爵のところに乗り込んでいったら、男爵は認めれば一巻の終わりだと怯えて罪を認めない可能性があったし、どこかに監禁しているかもしれないドラゴンを証拠隠滅のために殺すかもしれないと思ったのだ。
男爵は魔術を使えないようだったし、部下にも魔術師はいなかったと今では分かったが、術を使えば素早くドラゴンを隠す事も殺してしまう事もできるので、最初はそれが心配だった。
だからまず自分が潜入してドラゴンがいるのかいないのか、いるならどこに隠されているのかを密かに調べた上でドラゴンを助け出し、その後男爵に罪を認めさせようとした。
潜入するのはヤマトでもよかったが、ドラニアス生まれのヤマトより自分の方がジジリア人らしく振る舞えるだろうし、実際にアルフォンスのところで下女として働いていた事があるので、そこからの紹介という事で自然に男爵の屋敷に入り込めると思ったのだ。
ちなみに紹介状はアルフォンスに頼んで書いてもらった本物を使ったので、使用人頭のクアナも疑いを持たなかったようだ。
密猟者を捕まえるためだけに他国へ潜入するなんて、皇帝である自分がするべきではないとも思っていたが、やはり自分が動くのが一番上手く行くのではと思えた。
竜騎士たちがジジリアに乗り込んでいくというのはあまり穏やかではないし、ジジリアも嫌がるだろうから、なるべく少人数でジジリアに入り、穏便な方法で解決したかったのだ。
それでハルは竜騎士たちを説得した。紫の面々は『自分たちもついて行って近くで潜伏する』事を条件にハルがジジリアに行く事を渋々許し――オルガやソルは面白がっていたが――、ヤマトはアリサに協力を頼んだ。
アリサは竜騎士ではないけれど、ジジリアで生まれ育った混血だから、ハルと一緒に使用人として自然に潜り込めるだろうと思ったらしい。
アリサはこの大役を喜んで引き受けてくれたが、少し気負いすぎてしまったようで最初のうちは演技がぎこちなかった。紫のメンバーは常に近くに潜んでいたものの、何かあったら自分が一番に動いてハルを守らなければと思って緊張していたらしい。
「アリサにはお礼をしなくっちゃ。竜騎士じゃないのに巻き込んじゃって申し訳ないよ。アリサは何が好きかなぁ?」
「物を贈るのもいいですが、ヤマトに何日か休日をやれば一緒に里帰りできるのでは? 彼女の両親はまだジジリアにいるようですから」
「そっか! その方がアリサは喜ぶかも。ヤマトと一緒にいれるし、両親にも会えるもんね」
そんな会話をしながらドラニアスへと向かう。
そして数時間後、ウラグル山脈やラマーンの砂漠を越え、海を渡っていると、ドラニアスの上空に黒い影が見えた。
空を旋回しているそれは、ドラゴンに乗った竜騎士の一団だ。こちらに気づいている様子でハルたちの到着を待っている。
「レオルザークだ」
金褐色のドラゴンに乗っているレオルザークは、眉間に深い皺を寄せてこちらを睨んでいた。留守番をしている間、きっとずっと機嫌が悪かったのだろう。
そしてレオルザークの周りにいる竜騎士たちはハルが戻ってきたのを見てホッとしていた。ハルが無事だった事もそうだが、これでレオルザークの機嫌が直るはずと思って安堵しているようだ。
ハルがレオルザークから与えられた期限は一週間で――最初は三時間だったけど、粘って交渉して一週間に延ばした――その間に解決できなければ部下を引き連れてジジリアに乗り込むとレオルザークに言われていた。
だからあと少しハルたちが帰ってくるのが遅ければ、レオルザークたちはドラニアスを出発していただろう。
「あれ? グオタオもいる」
「地上で待っていられなかったようですね」
ハルが赤いドラゴンに乗っているグオタオを見ると、アナリアも自分の父親を見て呆れたように言った。
「ただいまー!」
レオルザークたちに近づくと、ハルは大きな声を出して手を振った。
するとグオタオは、
「無事にドラゴンを見つけて帰ってきたとはな! 実は陛下の手ぬるいやり方では失敗するに違いないと思っていたのだが」
と言いながらガハハと笑ってくれたが、レオルザークは無言で禁城を指差し、地上へ下りていく。
「うーん、怒られるかな……」
「大丈夫ですよ。シトリンとオニキスを発見して助け出せた今となっては、この方法を取ってよかったと俺も思っています。竜騎士が男爵の元に乗り込んでいっても上手く解決できたとは思えませんし」
「うん」
ハルはドキドキしながら禁城に向かった。レオルザークに続いて城の正面広場に降り立つ。
するとすぐに禁城の中からグオタオ以外の四将軍やサイファンたちが出てきた。
「グオタオもそうだけど、サザもジンもラルネシオも、わざわざ私の帰りを待っててくれたのかな」
普段は地方にいる四将軍が会議があるわけでもないのに禁城にいるという事は、ハルの事を待っていたのだろうと思う。
クロナギは苦笑して言う。
「ハル様が今日戻ってこなければ、総長と一緒にジジリアに来るつもりだったのかもしれませんね」
「……もしそうなってたら男爵にちょっと同情してたかも」
本来、この案件は軍団長のレオルザークが指揮をとったり、ドラニアス全軍が動くようなものではないのに、そんな事態になったら男爵は卒倒していたかもしれない。
……と言いつつ、皇帝自ら動く方が異常なのだが。
「無事だったか」
「紫と一緒だったとはいえ、心配したよ」
「それで上手くいったのか?」
ジン、サザ、ラルネシオが順番に言う。
ハルはオニキスを抱いたまま胸を張って答えた。
「うん。男爵は十年前に一頭、半年前にも一頭、ドラゴンを密猟する事に成功していたみたい。屋敷の地下牢にはこの二頭が監禁されてた」
「ずっと地下にいたという事か?」
「そう。狭くて暗くて寒い場所だった。オニキスはもう目が慣れてきたみたいだけど、そっちのシトリンの方はもう少し目隠しをさせておいた方がいいかも。早く故郷の景色を見たいだろうけど」
体を包むロープや布を取ってもらったシトリンは、鼻先をあちこちに向けて、風に乗って漂ってくる様々な匂いをフンフンと嗅いでいた。紫のメンバーのドラゴンたちは、シトリンが不安がらないよう側についていてくれている。
「十年か……」
「ドラゴンは竜人と同じくらい長生きだけど、それでも子ども時代を真っ暗な地下で過ごさなきゃならなかった十年は長いよ。きっと今まで自分で空を飛んだ事もないと思う」
サザの呟きに、ハルはシトリンを見ながら返した。自分があそこに十年も閉じ込められたらと考えるとゾッとする。
ラルネシオは神妙な顔をして言う。
「正直、俺はそのドルシェルという男の事は放っておいてもいいんじゃないかと思っていた。罪を犯したと言っても小物だし、奪われたかもしれないのも野生のドラゴンだけだ。国境警備だけは強化して、また密猟者が来ればその都度捕まえればいいだろうと。それにこれは皇帝が気にするような問題じゃないとも思っていたからな、陛下が『自分がジジリアに行く』と言ってきた時は驚いた」
そこで少し笑って、ラルネシオはハルの頭にぽんと手を置く。
「だが、こうやって戻ってきた二頭を見てみると保護できてよかったと思う。助けられてよかった」
ラルネシオは右手でシトリンの鼻先を、左手でオニキスの頭をわしわしと撫でた。
「私もそう思う」
ハルは頷いてから続ける。
「軍で飼ってるドラゴンも野生のドラゴンも、私にとっては違いがないんだよ。どちらも守るべき存在なの。竜人と同じようにね。ドラゴンたちがどこかで人間に捕まって辛い思いをしてるかと思うと、居ても立ってもいられなくなる」
ハルが腕の力を緩めると、オニキスは好奇心旺盛に飛び回って将軍たちの匂いを嗅ぎ、最終的にシトリンの頭に着地した。シトリンは目隠しをしたままだったが、頭に乗ったのがオニキスだと気づいて笑顔になる。
ハルは少し怖い顔を作ってレオルザークと四将軍を見た。
「竜人は竜騎士じゃない一般人や子どもでも強いし、密入国してきた人間と鉢合わせても怪我を負わされる事はそうそう無い。それに密入国者が警備の厳重な禁城に入ってくる事は絶対にないし、私が危険にさらされる事もない――って、みんなは今までそう考えていたんでしょう? だから国境警備に人員を割いてこなかった。特に密猟者は放っておいてもほとんど野生のドラゴンに殺されるし、彼らが上手くやっても、たくさんいる野生のドラゴンのうち一頭か二頭を奪われるだけだって」
その通りの考えでこれまで密入国者の侵入を許してきた部分はあったので、将軍たちはハルの緑金の視線から逃れるように目を泳がせて顔を背けた。レオルザークだけはちゃんと視線を受け止めてこっちを見ている。
ハルは続ける。
「これからは密入国者の問題も真剣に考えてね。ドラゴンを奪われるだけじゃなく、竜人の子どもが誘拐されたりする可能性も全く無いわけじゃないんだから。国民を守るためにも、国境警備は厳重に」
「……陛下のおっしゃる通りに」
静かに言ったのはレオルザークだ。
彼は少し表情を崩して冗談ぽく続ける。
「ドラゴンを奪われるたび、陛下に密猟者を追われては我々の心臓が持ちませんから」
「そうでしょ」
ハルもニッと口角を上げてレオルザークに近寄った。
「機嫌直った? もう怒ってない?」
「初めから怒ってなどいません。陛下の御身を心配していただけです。……さぁ、もう日が暮れます。中へ入って休んでください」
レオルザークに続いてクロナギがこう言う。
「ドラゴンたちはとりあえず竜舎に入れておきます。ヨミたちが面倒を見てくれるでしょう」
「うん。明日からオニキスの親を捜さなくちゃ。シトリンは目が慣れたら、今度は飛べるように練習していこう」
頭の上にいるオニキスを舐めようとするシトリンと、その長い舌を避けて遊んでいるオニキスの二頭が楽しそうにしっぽを振っているのを見ながら、ハルは笑った。
今まで真っ暗な地下にいたこの二頭の人(竜)生が、これからは幸せなものになるといいなと思いながら。
しかしハルがドラゴンの事ばかり見ていると、クロナギはハルの手を引いて注意を自分に向けた。
「そろそろ俺の事も構ってくれますか? この七日間はハル様にろくに触れる事もできなかったので」
「……最近思うんだけど、クロナギって実はラッチよりも寂しがり屋だよね」
ハルが笑って言うと、アナリア、オルガ、ソルが順番にこう突っ込む。
「寂しがり屋?」
「そんな可愛らしいもんじゃねぇよな」
「独占欲の塊……」
クロナギはそれには反論せず、ただ大人っぽく笑うだけなのだった。
___
(その頃のヤマトとアリサ)
「よし! ドルシェル男爵も引き渡したし、俺たちもドラニアスに帰ろうぜ。アリサもお疲れ! 協力してくれてありがとな」
「いいえ、どういたしまして!」
「正直言ってアリサを巻き込んでいいかは悩んでたんだ。危険が多い任務じゃないし、俺もずっと側にいたけど、アリサは竜騎士じゃないんだしさ。普通の女の子にこういう事させるなんてって……」
「そんな……私はヤマトさんやハル様の力になれてよかったと思ってます。ヤマトさんから協力してくれないかって言われた時もすごく嬉しかったんですよ。それに私は普通の女の子じゃありませんから大丈夫です。頑丈ですし、力だって強いですし……」
「いや、人間の基準で言うとそうかもしれないけどさ、竜人の基準で言うと全然か弱いから」
「え! 私か弱いなんて初めて言われました。でも嬉しい……」
恥ずかしがって頬をポッと赤らめるアリサに、ヤマトも照れて顔を赤くする。
「……と、とにかくドラニアスに帰ろうか。ドラゴンには二人乗りしよう。手を貸すから、前に乗って」
「は、はい! なんか緊張しますね!」
「いや行きも二人乗りしてきたじゃん。……でもそう言われると俺まで緊張する」
付き合い始めたばかりの二人がお互い赤面し、そんな会話を繰り広げているのを見て、ヤマトとアリサと共に屋敷に残っていたトウマは嫌そうに呟いた。
「……俺、ドラニアスまでこいつらと一緒に帰るの?」