とある使用人の平凡だった日々(7)
「私は下に行ってシトリンを隅の方に待機させてくるね」
「いいえ、天井が落ちて危ないのでハル様は上にいてください。アナリアに行かせます」
ハルが黒髪の竜人――クロナギと話している声が聞こえてきた。
(ハルが本当に竜人を従えてる……)
不思議な感覚だ。ハルはただの方向音痴な使用人だったはずなのに。
……というか、ハルは本当に方向音痴だったのだろうか? いなくなったと思ったら地下へ続く扉の前にいたりしたから、実は屋敷の中を探ったりして調査していたのかもしれない。
だったら何も知らずに真面目に使用人の仕事を教えていた私が馬鹿みたいじゃない、と少し腹を立てた時だ。
タイミングを見計らったかのようにハルが振り向いて私に声をかけてきた。
「そういえばオリビアさん、巻き込んでしまってごめんなさい。それと騙した事も……」
「い、いいのよ」
皇帝に謝られれば許すしかない。別にそこまで怒ってるわけじゃないし。
それに金髪美女の竜騎士がこっちをじっと見て圧力をかけてくるから「いいのよ」としか言えなくなる。
「オリビアさんはとってもいい上司でした。優しいし、教え方が上手だし」
ハルが私を褒めても、金髪美女は不機嫌そうな顔をする。なんだか扱いづらい美人だ。
私が金髪美女に威圧されておどおどしていると、それに気づいたハルが彼女に地下へ行くよう言ってくれた。
「アナリア、シトリンをよろしく。シトリンは十年も暗闇にいたから、明るくなった時に目を傷めないように布を巻いてあげてね」
「はい、ハル様」
金色の髪を耳にかけて魅惑的に笑うと、アナリアはヒールを鳴らしながら屋敷の廊下を進んでいった。どこに地下へ続く扉があるのか知っているふうだけど、すでに竜騎士たちはこの屋敷の大体の構造を把握しているのだろうか。
私たちはカルロ様の案内で地下室の真上にある応接室に入った。全員は入れないので、野次馬でついてきた使用人たちは離れた廊下から様子を見守っている。
「ここの真下に地下室がある」
「まず机や調度品を退けた方がいいですね。部屋の外に出しても?」
「もちろん構わないし、そうしてくれたほうが有り難い」
カルロ様とクロナギがそう会話を交わした後、竜騎士たちは部屋の中にあった物を次々に外へ運び出していった。
絨毯も退けて部屋が空になると、少し古びた床板が現れる。
と同時に、いつの間にかいなくなっていた茶色い髪の竜騎士と赤い髪の竜騎士が斧やノコギリを手に戻ってきた。
「薪割りに使っているらしい斧を借りてきました」
「さすがに専用の解体道具はなかったですけど」
「ありがと、コルグ、トウマ」
ハルは二人にそう言ったけど、斧を受け取る事はせず廊下へと下がった。皇帝だから自分ではやらないのだろう。ハルは弱そうに見えるけど、戦ったら実は強いのかな?
コルグとトウマも最初からハルに斧を渡すつもりはなかったようで、自分たちで持ったまま部屋に入った。
「もう壊していいか?」
右腕に鋼の籠手のような物をつけた大柄な竜騎士が、ちょっと楽しそうな表情で言う。その隣では銀髪の竜騎士が剣をいつでも床に突き立てられるように構えて立っている。
「ああ」
クロナギは頷くと、アリサとベル、そして私をハルの側――廊下の方まで下がらせた。
と、その瞬間、大柄な竜騎士と銀髪の竜騎士が床を破壊する音が部屋に響いた。バキッという鋭い音にびっくりして、ベルの腕の中でオニキスが「きゅう!」と鳴く。
「軽く床板を壊してみたけど、この下は石だな」
割れた床板の穴から中を覗いて、大柄な竜騎士が言う。銀髪の竜騎士は剣を一旦鞘に収めて、素手でバリバリと床板を剥がしにかかっていた。簡単に剥がしてるけど、かなり力がいるはず。
「けど、石つってもレンガみたいなものが敷き詰められてるだけだ。すぐ壊れるぞ。とりあえず板を全部剥がそうぜ。そうしたら後は俺が壊す」
竜騎士五人によって床板はてきぱきと剥がされてしまった。その下に格子状に渡されていた木材も、斧を使えば簡単に壊せる。
そして石材が顔を出すと、大柄な竜騎士は仲間を下がらせて部屋の真ん中に立った。
鋼をつけた拳で何度か床を叩いて音を出すと、下に合図を送る。
「アナ、退いとけよ!」
そして――
大きく振りかぶった拳を振り下ろし、固い床を破壊する。
「きゃああ!」
一撃で穴が空き、そこから衝撃が周囲に広がった。ガラガラと大きな音を立ててレンガが地下に落ちていく。そして大柄な竜騎士も一緒に落下していった。
私は思わず叫んで隣りにいたベルの腕に抱きつく。ベルはぎょっとしてこっちを見た。
「……なによ」
「……いや」
ちょっとびっくりしてくっついちゃっただけじゃない、と思いながらベルから離れる。
「オルガー! 大丈夫ー?」
ハルは大きな穴を覗き込んで言う。ハルが落ちないよう、隣ではクロナギが体を支えていた。
「おう!」
暗い地下からオルガの返事が返ってくる。崩れたレンガに巻き込まれるようにして落ちたのに何故無事なんだろう。竜人って体が鋼鉄でできているのかもしれない。
オルガは地下でアナリアと会話をしているようだった。
「こいつ、飛べるのか?」
「分からない。子竜の時からここに閉じ込められていたみたいだし、飛び方を知らないかも。それに今は目隠しをしているから」
「ロープにくくりつけて上から引き上げるしかないか」
「待って。見て、様子が……ハル様を気にしてるみたい。匂いで分かるのかしら?」
二人の会話を聞いていたハルが、穴を覗き込んだままシトリンを呼ぶ。
「シトリンー! おいで! 上がってこれる?」
ハルに続いて、ベルが抱いているオニキスも「きゅうきゅう!」とシトリンを呼ぶように鳴く。
すると下から応えるように低い鳴き声が轟き、次には翼を慣らしているかのような羽音が何度か聞こえた。
「みんな下がって!」
ハルが私たちにそう言いながら、自分もクロナギと一緒に廊下に下がってくる。
そしてついに、布で目隠しされたシトリンは跳び上がるようにして一階に上がってきた。着地した衝撃で床がまた崩れたので、シトリンは慌てて部屋の隅に移動する。
「よしよし、こっちだよ」
そしてハルの誘導に従って廊下に出ると、周りの使用人たちから驚きの声が上がった。みんな大きなドラゴンを見るのは初めてだから。
最初は怖がっているふうだったけど、しっぽと丸いお尻を左右に振りつつハルに屋敷の外まで誘導されていくドラゴンはどこか愛嬌があったのか、使用人たちの表情は緩んできた。
「オニキスを運ぶのは簡単だけど、シトリンはどうやってドラニアスまで連れて行こう?」
庭に出ると、ハルはシトリンを安心させるようにさすりながら言う。
答えたのはクロナギだ。
「〝籠〟方式でヨミたちに運ばせましょう。と言っても籠はないので、ロープと大きな布をどこかで調達してきます」
「ロープなら小屋にあるはずだ。それに布も、カーテンでもベッドシーツでも屋敷にあるものを使ってくれて構わない」
口を挟んだのはカルロ様で、クロナギは「ではお言葉に甘えて」と答えてからコルグにロープと布を取りに行かせた。
そして懐から小さな笛を取り出すと――さっきアリサが吹いていたのと同じ形の笛だ――フー、フー、フー、と同じ間隔で息を吹き続ける。でもこの笛も壊れているのか、何の音も鳴っていない。
それでもクロナギがずっと笛を吹き続けていると、この屋敷の近くにある山の方からドラゴンが飛んで来るのが見えた。
ドラゴンは全部で八頭もいて、どんどんこちらに近づいてくる。
「ド、ドラゴンが襲ってくるわ……!」
「大丈夫だよ。私たちの〝飼いドラゴン〟だから人は襲わない」
顔を青くする私に、ハルが笑って言った。
そしてハルの言葉通り、ドラゴンたちはこの屋敷の庭に降り立っても私たちを襲う事はなかった。本当に飼い犬のように懐っこくて、嬉しそうにしっぽを振りながらハルや自分たちの主人である竜騎士に擦り寄っている。
「ラッチ、一週間ぶり! みんなと良い子で待ててたね」
他の七頭より一回り小さい橙色のドラゴンは、頭を撫でようとするハルの手をぺろぺろと舐めていた。
ドラゴンたちは思ったより恐ろしくないけど、これだけいるとやっぱり迫力があるし、庭が小さくなったのかと錯覚してしまう。
そしてコルグが布とロープを手に戻ってくると、竜騎士たちはまず布――たぶん食堂の大きなテーブルに使っていたテーブルクロスだ――の上にシトリンを乗せ、苦しくないよう顔だけ出るようにして包んだ。そしてその上からロープ四本を体にぐるぐると巻きつける。一か所だけに力がかかって痛くならないよう、バランスよく。
そして長めに余らせたロープの両端を結んで輪にしている。これが四つできたので、四頭のドラゴンで持って運ぶみたいだ。
作業中、目隠しをされたままのシトリンは不安げに鳴いていたけど、他のドラゴンたちが近寄って励ますように鼻を鳴らすと、シトリンも落ち着いてきた。
それどころか、仲間が増えた事が嬉しいみたいに、布から飛び出た長いしっぽをゆらゆらと揺らし始める。これから故郷に戻れる事、暗くて狭い地下にはもういなくていいって事も分かってるのかしら。
「さぁ、急いで戻らなくちゃ。今日で七日目だし、日が落ちたらレオルザークたちが来ちゃう。私たちは先に帰るけど、アリサとトウマはヤマトと一緒に残ってくれる? 男爵を引き渡したら戻ってきて」
ハルはアリサや赤髪のトウマにそう言うと、今度はベルに近寄ってきて両手を差し出した。
「オニキスを」
「ああ……」
ベルは寂しそうにオニキスを強く抱きしめると、「お別れだ」と言ってハルに渡す。
「きゅうきゅう!」
「お前は故郷に帰るんだ。もしかしたら親に再会できるかもしれないぞ」
別れを予感してオニキスが鳴くと、ベルは困ったようにほほ笑んだ。
「きゅう!」
オニキスは小さな前足でベルの服を掴んで鳴く。まるで「一緒に行こうよ」って言っているみたい。
ベルもそう思ったのか、涙をこらえているような顔をして「俺は行けない」と答えた。
「幸せにな。こんなところまで連れて来ちまって悪かった。俺の事は忘れて、故郷で楽しくやるんだぞ」
ベルがガシガシとオニキスの頭を撫でると、オニキスはしょんぼりしながらもハルの腕の中で大人しくなった。
「ドラニアスに戻ったらきっと両親を探してあげるからね」
ハルもオニキスにそう言ってから、今度はベルを見上げる。
「もうすぐドルシェル男爵を捕まえに騎士たちがやって来るから、早く逃げた方がいいよ。男爵がベルの事を話したら、ベルも捕まる」
「……何を言ってるんだ? 俺に『逃げろ』なんて……。あんたは密猟者を捕まえにここまで来たんだろう? 俺に罪を償わせたいんじゃないのか?」
訝しげな顔をするベルに、ハルは少し考えてから言った。
「罪を自覚して自責の念に駆られている人に、さらに罰を与えたいとは思わない。それにベルはオニキスを手放してこれから寂しい思いをすることになるわけだし、それがあなたへの罰なのかもしれない。ここにうちの軍団長がいたら甘いって言われるだろうけど……ベルの事は見なかった事にする」
ハルはそこでくるりと体を反転させると、
「じゃあね、ドラゴンたちの世話をしてくれてありがとう」
ちらりとベルを見て言い、笑った。クロナギたちは仕方がないなという顔をしてハルを見ている。
そしてハルはここから去る前に、私のところにも近寄ってきた。
「オリビアさんもありがとう。騙していてごめんね」
「う、うん……」
ハルがドラニアスの皇帝だと分かってから、私はハルとどう接すればいいのか分からなくなっていた。
皇帝である事を隠していた事は別にそこまで怒っていないし、そんな事気にしなくていいからまた遊びに来てよ、なんて軽く声をかけたいのだが、皇帝陛下にそんな口はきけない。後ろにいる竜騎士たちも怖いし。
結局そのまま口をつぐんでしまった私に、ハルは少し寂しげな顔をして「じゃあ……」と言うと、クロナギやドラゴンたちがいる方へと去っていく。
「あ、待って……!」