とある使用人の平凡だった日々(6)
「ドラニアスからだと?」
ご領主様は『ドラニアス』という国名に一瞬動転したけど、ハルが全く竜人ぽくないからか、次には嘲笑を漏らした。
「嘘をつくなら、皆から信じてもらえるような嘘をつくんだな」
私兵たちも笑い、ハルと親しくしていた使用人たちは『どうしてそんな嘘をつくんだろう』と困惑しながらハルを見ている。
と、そこでベルがハルに加勢して言った。
「こいつは嘘なんてついてない。あんたは俺に全ての罪を着せようとしてるんだろ。確かに俺にも罪はある。このドラゴンを親から引き離してここまで連れてきたんだから、その罪は償わなきゃならない。だが、密猟の指示を出したのはあんただ、ドルシェル男爵。地下にずっとドラゴンを監禁していたのに、とぼけるな!」
「小僧が、誰に口を利いている」
ベルが声を荒げたところで、ご領主様はそれより静かに、でもそれより威圧的に相手を睨みつけて凄んだ。年齢を重ねてきた老人にしか出せない迫力だ。大きな体をしているベルだけど、これには思わず怯んでいる。
しかしそんなベルの前に出たハルは、ベルの言葉を引き継いでご領主様を追い詰める。
「脅したって無駄だよ。とぼけても無駄。だってちゃんと証拠がある。もう一頭のドラゴンは、まだこの屋敷の地下にいるんだから」
「そんなもの私は知らん! お前たちが私を貶めようとドラゴンを地下室に入れたのだろう」
声を荒げるご領主様に、ハルはあの不思議な色の瞳をまっすぐに向けた。
「そんな事できないよ。だって今、地下室にいるドラゴンは、何年も前から地上と地下を繋ぐ狭い階段を通れなくなってるんだから」
ハルの話を聞いて驚いた使用人たちが、「地下にずっとドラゴンがいたの?」「じゃあ大奥様は?」と小声で話し始める。
『大奥様』という単語を耳で拾ったご領主様は、苦々しい顔でハルを見てこう言い訳する。
「地下にずっといるのは、精神を病んだ私の妻だ」
「なら、みんなにも地下室を見てもらっていい?」
「……妻は病気なのだぞ。我々家族と世話をしていたベル以外、入れるわけにはいかん」
ご領主様はそう言うと、顎をくいっと動かして私兵に合図した。ベルやハルを捕まえろ、と。
その合図を受けて、十人以上いる私兵のうち手前にいた四人が動き出す。
ベルがオニキスを守るように身構え、ハルは――
「ヤマト」
誰かの名前を呼んで、余裕を崩さなかった。
(ん? ヤマトって確かアリサの好きな人?)
私がそう考えた瞬間、こちらに向かってきていた私兵の一人がいきなり隣の同僚を殴りつける。殴られた私兵は一発で気絶させられて膝から崩れ落ちた。
「お! 俺にしては上手くやれた」
殴った私兵は拳を作ったまま、嬉しそうに言う。私は私兵たち全員の顔をちゃんと覚えているわけではないけど、この男にはたぶん見覚えがなかった。短い黒髪に、高くも低くもない身長、若く見える外見。
(あれ? でもどうだったかな? もしかしたらいたかも……いや、やっぱりこんな人いなかった)
特徴のない顔なので私が覚えていないだけでいたのかもと迷ってしまったが、やっぱり記憶にないという結論を出す。
「何をするんだ、お前!」
「というか……お前、誰だ?」
他の私兵たちも改めて黒髪の男を見てぎょっとしている。
男は笑って言った。
「やだな。三十分前からずっと一緒にいたのに」
「三十分前から?」
「そー。制服は誰かさんの部屋にあった予備のものを借りたよ」
「お前、何者だ……」
「さっきハル様が言ったでしょ。聞いてなかったのか?」
ハルがヤマトと呼んだ特徴のない顔の男は明るい口調で喋っていたけど、次には少し声を低くして言う。
「――ドラニアスから来たんだよ」
その直後、狭い隙間を風が吹き抜けていくような、少し弱々しい音がどこからか聞こえてきた。私を含め、この場にいる全員が、正体の分からないその奇妙な音に気を取られた。
でも私はこの音、前に聞いた事がある気がする。
「何の音?」
リゼル様は屋敷の方を見て言う。確かに屋敷の方から聞こえてきた。
と言っているうちに、もう一度同じような音が聞こえてきた。
だけどさっきより大きく、力強い音だ。グァァとか、ゴォォとかそういう感じの音に聞こえる。
するとその音を聞いたオニキスがベルの腕の中で反応し、陽光の眩しさに目をつぶったまま「きゅう! きゅう!」と声を上げる。ハルは楽しそうに叫んだ。
「もう大きな声で鳴いてもいいんだよ、シトリン!」
その瞬間、今までの二回とは比べ物にならないくらい大きな音――いや、声が響き渡る。
屋敷の地下から響いてきた遠吠えのようなシトリンの鳴き声は、私の鼓膜を強くふるわせ、屋敷の窓をビリビリと揺らし、木にとまっていた鳥たちを追い立て、飛び立たせた。
「きゃあ!」
リゼル様や女性使用人たちは悲鳴を上げ、耳を手で覆う。それくらい激しい、生気に満ち溢れた声だった。地下で見たシトリンはとても大人しかったけど、本当はこんなに元気なんだ。
私はシトリンの声を聞いて、ハルと一緒に笑ってしまった。ドラゴンの恐ろしい声を聞いて笑うなんて変だ。私もだんだんハルに影響されてきたのかも。
最初の一回に聞き覚えがあったのは、私が前にシトリンの控えめな鳴き声を聞いていたからだ。その時は大奥様の声だと勘違いして怖がっていたんだけど。
「これはドラゴンの声?」
「大奥様の声ではないわよね」
「ああ、人間にこんな大きな声は出せない」
「じゃあやっぱりご領主様は嘘を……」
使用人たちは不審そうに自分の雇い主を見る。
リゼル様もそわそわと心配そうに祖父を見つめ、カルロ様は黙って事の成り行きを見守っている。ご領主様は厳しい顔をすると、開き直ってこう言った。
「そうだ、地下にいるのはドラゴンだ。まだ二つしか集められていないが私の一番大事なコレクションだ」
困惑してざわめく使用人や私兵たちの方を見て、ご領主様は続けた。
「このままではお前たちもドラゴンを隠していた共犯者として竜騎士に殺される事になるぞ。奴らには慈悲の心がないのだから」
「そんな……」
「それが嫌なら、ここにいる四人を捕まえる事だ」
ご領主様はハルとアリサ、ベルとヤマトを見て言う。
「今ならまだ間に合う。その四人を捕まえれば、ドラニアスの竜騎士たちにこの件を密告される事はなくなる。だがそやつらを逃がせば、近いうちに竜騎士たちがこの屋敷にやって来る事になるだろう。我々は全員始末される事になるぞ」
その言葉を受けて、私兵たちはごくりと唾を飲んでハルたちを見た。この四人の中で強そうに見えるのはベルくらいだから、捕まえようと思えば簡単に捕まえられると考えているのかも。
ハルは言う。
「竜騎士はそんな乱暴な事しないよ。何も知らなかった人たちまで問答無用で殺すなんて」
「ただの下っ端間者のお前に言われても信じられんな。竜騎士軍の司令官が我々を殺すと決めたら、そうなる。それとも司令官が決めた事をお前が覆せるとでもいうのか?」
ご領主様の発言に、何故かヤマトが吹き出した。
一方、ハルは真面目な顔で返す。
「覆せるよ。だって私、皇帝だもん」
数秒、この場は静かになった。
私もぽかんと口を開けてハルを見る。この子はまた突拍子もない事を……。
やがてご領主様は声を出して笑い始めた。リゼル様や私兵の何人かもそれに加わって笑い出す。
「ははは! そんな馬鹿な嘘をつくなど、随分追い詰められているようだ。さっき言った事を忘れたか? 嘘をつくなら皆から信じてもらえるような嘘をつけと言っただろう。だが、こんなに大笑いしたのは久しぶりだ」
嘲るように笑い続けるご領主様を見ていた私は、次の瞬間、驚いて息をのむ事になった。
何故ならご領主様の後ろに突然、大柄な男と銀髪の男が現れたからだ。
「よう。楽しそうだな、爺さん」
「笑い声がうるさい……」
大柄な男はニヤリと笑って、銀髪の男は眉をひそめて言う。
男たちはまるで空から落ちてきたかのように見えた。
「……っ!?」
ご領主様は驚いて振り返り、そこにいた血の気の多そうな男たちを見て目を見開く。
私兵の誰かが呟いた。
「りゅ、竜人……!?」
私も同じ事を考えて震えた。この二人はきっと竜人だ。だって見るからに凶暴そうで強そうなんだもの。野性的で危険な感じがする。
肉食獣を前にした小動物は、きっと今の私のような気持ちになるだろう。
「は、離せ!」
大柄な男は、ご領主様の両腕を後ろからがっしりと掴んで簡単に拘束してしまう。
そして空から降ってきたのは、この二人だけではなかった。男と同じ黒い軍服を着た男女が、他にも四人、ハルやご領主様の周りに降り立ったのだ。
どうやら屋敷の屋根の上から飛び降りてきたらしい。竜人の身体能力の高さは噂には聞いていたけど、実際目にすると衝撃的だ。人間なら、運良く死ななくても骨折などの重症を負うはず。
「うちの皇帝の言葉の何がそんなに面白かったんだ? あ?」
赤い髪の竜人が喧嘩腰でご領主様に言うと、背の高い茶色い髪の竜人がそれを諌めた。
「ガラが悪いですよ、トウマさん」
「悪くもなるだろうが。陛下を笑われたんだぞ、コルグ」
「まぁそうですけど」
彼ら二人の他には、びっくりするくらい美人な金髪の女の竜人、そしてハルのすぐ側に降り立ったすっごく格好いい黒髪の竜人がいる。
「おい、お前たち! このままだと全員殺されるぞ! 反撃しろ!」
ご領主様が私兵に向かって叫ぶ。すると私兵たちは動揺しつつも、条件反射のように剣を抜いた。そして何人かが動き出そうとしたところで――
「――動くな」
ハルの側にいたはずの黒髪の竜人が、いつの間にか移動して私兵の首に剣を突きつけていた。私兵は息をのんで手に持っていた剣を落とす。
(私たち、本当にみんな殺されてしまうの?)
不安から、心臓が強く脈打つ。
しかしこの場が緊張感に包まれたところで、ハルは慌ててこう言った。
「男爵の言葉を信じないで。私たちはここにいる誰の事も殺すつもりはないし、ドラゴンの密猟に関わっていないのなら罪にも問わない。そして私の知る限り、使用人や私兵の人たちは男爵がドラゴンを監禁していた事を知らなかった。そうでしょ? 私がこの七日間で探った感じではそう思ったけど」
ハルの言葉に使用人たちや私兵は何度も首を縦に振った。
「クロナギ、剣を下ろして」
そしてハルの指示にクロナギと呼ばれた黒髪の竜人は素直に応じる。ハルの方が年下だし弱そうなのに、どうして言う事を聞くんだろう……と思ったところで、
『だって私、皇帝だもん』
さっきのハルの発言が頭の中に蘇る。たぶんここにいるみんな同じ事を考えて、信じられないような気持ちでハルを見ている。
「ハル……あなた本当に……」
私は震える声を出した。ご領主様を拘束している大柄の竜人以外、アリサを含めた竜人たちは全員ハルを守るように立っている。そしてハルはそれを当たり前のように受け入れて堂々としていた。
リゼル様は顔面蒼白になって呟く。
「皇帝……嘘でしょ……」
そして自分がハルに意地悪をした事を思い出したのか、さらに顔を青くしてから「私、終わりだわ」と口にしてふらりと倒れてしまった。
隣りにいた父親のカルロ様は娘が地面にぶつかる前に受け止めて、ご領主様に言う。
「いつかこうなると思っていたんです。だからドラゴンなんて早く手放すべきだと何度も言ったのに」
息子の言葉に、ご領主様はぐっと唇を噛む。そしてハルたちへ視線を向けると、この期に及んで悪あがきをする。
「たとえお前が本当にドラニアスの皇帝だとしても、私を捕まえるのが目的だったとしても、こんなふうに勝手にジジリアへ入ってきて勝手に私を裁く事などできん! そんな事はジジリアが許さん。国王陛下がこの事をお知りになれば、お前たちの勝手な行動に憤慨なさるだろう」
「それはないよ」
息巻くご領主様に、ハルはさらりと言う。
「だってもうジジリアの国王には許可を貰ってる。ジジリアへ入ってあなたの事を調べる許可を。……でも確かに勝手に裁く事はできない。あなたがドラニアスにいたならこっちで裁判ができたんだけど」
ご領主様はそこで安心し、勝ちを確信したかのように笑いを漏らした。
しかしハルは鋭く言う。
「ホッとしているところ悪いけど、ドラニアスで裁かれた場合よりもっと重い罰をジジリアはあなたに与えるかもしれないよ。最初にジジリアの国王や要人たちと話した時に、もし男爵がドラゴンを密猟していたら必ず厳しい罰を与えると約束してくれた」
先ほどとは打って変わって、ご領主様の顔色は悪くなった。額には冷や汗が流れている。
ジジリアはドラニアスと悪い関係になりたくないはずだから、彼らの怒りを買うくらいなら自業自得の罪人一人を厳罰に処す方を選ぶだろうと気づいてしまったのかもしれない。ご領主様はあまり力のない男爵で、王家との強い繋がりもないから簡単に切り捨てられてしまうだろう。
ご領主様はやっと諦めたのか、絶望したようにうなだれた。
「さぁ、じゃあ男爵は自室で大人しくしていてね。近くに滞在してもらってるジジリアの騎士がすぐにやってくるはずだけど、彼らに身柄を引き渡すまではうちの竜騎士が監視につきます。ヤマト」
「はい」
ハルが声をかけると、ヤマトが返事をしてご領主様を屋敷の中へと連れて行く。ご領主様はもう抵抗しなかった。なんだか一気に老け込んだように見える。
続いてハルはカルロ様に言う。
「地下にいるドラゴンを出したいんだけど、一階の床に穴を開けてもいい?」
「……ええ、どうぞ皇帝陛下」
カルロ様は床を壊されるのは嫌なようだったけど、受け入れて丁寧に返事をする。ご領主様一家の中でカルロ様は一番常識的で、貴族的な傲慢さはあまり持っていないのだ。でも父親を止める事はできなかったみたいだけど。
カルロ様はリゼル様を私兵に預けると、ハルたちについて行った。使用人たちも野次馬的な気持ちで少し距離を置いて後に続き、私やベルももちろんついて行く。
何も起こらない平凡な日常には飽き飽きしていたけど、まさか新しく雇った使用人が竜の国の皇帝だったなんてそんな大事件起こらなくてもいいのに……なんて考えながら。