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あなたの埋もれた才能見つけます⑳

校庭キャンプコーヒーの美味しさは、遠い昔、小学校の夏休みに林間学校で食べたカレーライスの美味しさに似ているかもしれません。それは一見したところ、どこまでもありきたりで凡庸でありながら、それゆえに永遠であるかのようなのです。

思うのですが、食べ物というのは特別な調理法や高価な材料と出会ったときではなく、日常の記憶と深く結びついたときに最強のメニューになり得るのではないでしょうか。そして校庭キャンプコーヒーの味覚は、私たちの記憶に訴えかけるなにかを秘めているのです。それは林間学校のカレーライスのごとく、森の木々と、葉々と、空気と、土のスパイスを、それぞれ少しずつ頂戴して配合した飲み物であるかのようです。まさに天国に声を届けようする絶え間ない努力が、校庭キャンプコーヒーの一滴一滴となり得ているのです。


決して楽でも華やかでもない採掘作業にヘッドハンターたちがそろって精をだすのには、ここでしか飲めないコーヒーの不思議な香りや豊潤な舌ざわりと喉ごしが影響しているのではないかしらん、と私は密かに思いはじめています。それはヘッドハンターへのご褒美なのかもしれません。バブル的な例えをするなら、まさに彼女たちが24時間戦うための。一旦ヘッドハンターの体内に四つ葉のスパイスが吸収されると、忘れかけていた記憶が呼び起こされ、彼女たちになにかしらの変化をもたらすかのような。ヘッドハンターになったあと童話作家としてデビューを果たしたキャシーさんはその一例かもしれません。水晶生命のキャッチフレーズである「あなたの埋もれた才能見つけます!」の「あなた」とは、本当はヘッドハンターを指しているのかもしれません。私はキャシーさんが書いた本を探しだして、いつか読まなければならないでしょう。


門から忍び込み、校庭の真ん中に荷物を下ろした私たち採掘隊は、それぞれのアウトドアファッションに身を包み、新天地に降り立ったノースフェイス社とGAP社から送り込まれた宇宙飛行士のようです。

アポロ11号の乗組員たちが月面に国旗を立てたのにも似て、皆等しくルイアームストロングの子孫である私たちは、彼らを見習った儀式を行います。ただしそれは水晶生命の社旗を小学校の校庭に立てるという意味ではありません。採掘隊には社旗とはべつの重要なツールが存在します。私たちはこれぞ発掘隊とも呼べそうなそのツールを使うのです。

キャシーさんはリュックの扉を開けて中から登山用のゴツいナイフを取りだします。柄の部分は木製で、カーブのかかった刃はいまは艶消しされた銀色の鞘に収まっています。その登山ナイフがじつは水晶掘りが採掘の際に使う唯一の道具なのですが、それを水晶掘り本人ではなく、相方のヘッドハンターがリュックの内ポケットに忍ばせて持ち運んでいるのは、発掘作業に向かう道中に水晶掘りが警察の職務質問などに遭遇して持ち物検査をされた場合、彼らの性格上、厄介な状況に陥る可能性があるからです。それでなくてもつねに出たとこ勝負である発掘作業には危険がつきものなので、無益な行動はできる限り回避するというのが会社の基本方針です。


自分たちの置かれた立場をアポロの宇宙飛行士に例えるのは、アポロ計画の規模の大きさとその人類史への貢献度の高さからいささか気後れするところがありますけど、月とかの街の新天地度を比較するとき、そこにはある共通点があるように思えてきます。それはどちらの場所も私たち生身の人間にとって果てしなく〈死の世界〉に近いというものです。

小学校の校庭は湖畔のように広く、暗闇に覆われてはいますが、満点の星の瞬きによって昼の月面に立っているような白黒の錯覚を起こします。廃墟めいた小学校の校舎や体育館はそびえるクレーターの高い壁を思わせ、息は普通にできますけど、そこでは空気が存在していないかのように物音一つしません。死の世界なので餅を突いているウサギもいません。仮にかの街のどこかの家で犬が飼われていたとしても、遠吠え一つしないみたいです。デットエンドなコンビニに商品を運んでいるはずのトラックのヘッドライトも見当たりません。すべての産業が停滞し、発展が停滞し、わずかに残された大気だけでは降り注ぐ隕石の阻止もできないようです。


この世のすべての祭りが死と再生に寄与するものであるとしたら、私たちの儀式もまた、それに順ずるものであると言えそうです。

「エロイムエッサイム」

キャシーさんから登山ナイフを手渡された田中さんが、シワがれた低いダミ声で唱えます。私たちの水晶掘りは相方のヘッドハンターに商売道具を返すと、キャシーさんもまた同じようにまるで刀を鞘から抜くみたいに登山ナイフを両手で横に持って、その刃をキラリと覗かせます。

「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」

ヘッドハンターはふたたびカチッと刃を鞘にもどします。二人の子供時代からのお気に入りが、たしかに夜の空気の中に吸い込まれていったようです。

「ピンキー、山の手線の車両で唱えた呪文を憶えてる?それと同じ言葉を唱えるの。今度は声にだして」

キャシーさんが言います。

「採掘隊は毎回これをするのよ。校庭にナイフを突き立てて。街と契約を交わための儀式みたいなものね」

「なんの契約ですか?」

「街を束の間蘇らせるための契約。眠っている街からは水晶は採れないから。だから間違えないようにね。もし呪文を間違えたら...」

「間違えたら?」

「間違えた方が正式な呪文になる。でもインチキな呪文は...」

そう言ってキャシーさんはつづきの言葉をうながすように相方に視線を向けます。

「クソだ」

私たちの水晶掘りのダミ声がふたたび夜の校庭に響き、たしかにそこに空気が存在し、なにも慌てなくていいのだと、新米のヘッドハンターに知らせます。


間違えるもなにも、私が唱えたのが滅びの呪文であるのを二人は知りません。滅びの呪文を唱えることと、かの街を束の間蘇らせることの間には、あきらかに矛盾が存在します。でもそれでいいのかもしれません。すでに死んでいる街が滅びるとすると、それは逆に復活を意味する可能性がありそうです。

「ただ間違えた呪文がまったく効かないという訳でもないのよ」

新入りの心配をよそにキャシーさんはつづけます。

「水晶の収穫量に影響するだけ」

「クズだ」

最後のダメだしを田中さんが済ませると、キャシーさんは前にでて、校庭の土に人差し指で大きくバッテンを描きます。

「ここ。ここに刺して。できる?ピンキー」

私は深呼吸し、自分を鼓舞するつもりで大きく頷いてみせます。キャシーさんは登山ナイフの柄の部分をさしだし、私は先輩ヘッドハンターが握る鞘からギザギザの付いた刃のナイフを抜きとります。

「なるべく大きな声がいいわね。街への自己紹介の意味も込めて」

キャシーさんの助言に横で田中さんが大きく顎を振って頷きます。他人の意見に大魔神が同意してみせるなんて余程のことなんだろうと思いつつ自己紹介が大の苦手な私は、「余計に緊張するから詰まらない助言はやめてほしい」と心の中で舌打ちします。


地面を踏みしめて、それ自体がなにかの呪文であるかのように土に記されたバッテンの前へと立ち、両膝をついて両手で持ったナイフを胸に当て、自分にだけ聞こえる小ささで子供の頃からのお気に入りを繰り返し練習します。

それはたった三文字からなる言葉で、それすら間違えるようだったら、それによって生じるであろう、これからのヘッドハンターとしての業務に起こり得る支障の数々について危惧を感じつつ、しかし実生活で本物の呪文を唱えるなんて想像もしていなかったわけで、その緊張感に、古今東西の様々な物語に登場してきたすべての魔法使いに対して(それがどんなに三流の魔法使いであったとしても)、最大のリスペクトを表せずにはいられません。

背中に神話の世界からやってきた父と母の視線を感じながら、私は両手を大きく振りかぶって三文字の呪文を「一、ニ、三」のリズムで発音し、銀色に光る登山ナイフを静かな海の黒いヘソに向けて振り下ろします。


それは刺さるというより、両親の吐いた呪文が夜の空気に溶け込んでいったのに等しく、校庭のヘソの真ん中へとスウっと吸い込まれていくような感じでした。

私は校庭に対して、発射台のアポロよろしく垂直に立った登山ナイフの木製の柄を見つめ、あるいは世界がどんなふうに滅んでいくのか、それともショック治療によって劇的に復活をとげるのか、見極めようとはしたものの、じつのところ自分が本当に呪文を正しく唱えられたのか、正直自信がありませんでした。というのは、何度も練習したあげく、本番になったらすっかり頭の中が真っ白になってしまって、気がついたら目の前には小さな苗木めいた木の柄が立っているような始末だったのです。

そのとき私を助けてくれたのは、小学校の特別な音声再生装置でした。クレーターの壁にあたる校舎の建物や体育館に反響した呪文が、何度も何度も夜の木霊のごとく私の耳にとどいたのです。バックネットに繰り返し打ち付けられる白球の音のように。「バルス、バルス、バルス、.....」と。


つづく

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