あなたの埋もれた才能見つけます⑱
あなたに伝えたいことが一杯あります。でもなにから説明すればいいんでしょう。
私は胸のブローチに向かって話しかけます。『ツインピークス』のクーパー捜査官みたいに。あなたが、自分の端末から真珠色した私の端末にアクセスするのを期待して。
でもなにも心待ちにする必要なんてないんです。私には分かっています。クソでクズなあなたが、本当の自分は何者なのか知りたくてたまらないでいるのを。工場労働者ではない、もう一人の自分の姿を。よーく分かるんです。とりわけ製造業界のサラブレッドである私には。
その欲望は夏の土砂降りのあとに、まだ少年だったあなたが、道端で拾った真四角な小石を小学校の校庭に向かって遠投した日に端を発していると言ってもいいでしょう。それこそ人生であなたが持ち得た最初にして最大の、そして最長の、クエッションかもしれません。
だってあなたは何者かになりたいわけではなく、ただ生まれ育った土地ではない、ずっと遠く離れた場所にいきたかっただけなのに、ついには何者かになりかけていて、それはどうやら普通ではあり得ない、あなたのこれまでの生活とはなんの繋がりも持たない、丸の内の高層ビル群周辺ではずいぶんと幅を利かせた特別な存在らしいのです。さしずめいまのあなたは、黒サーカス旅団ならぬ丸の内ショッカーに誘拐され、知らず知らずのうちに改造人間にされてしまったかのような心境でいるのではないでしょうか。水晶掘りと訊かされたところで、あなたには水晶がなんなのか、それすらまだ分からずにいるのですから。
採掘テストを無事に終えた先輩として、記念におのれの真の姿を映しだす姿見を授けましょう。ただしそれは外出前の髪形をチェックするような手鏡ではなく、ソフトボールサイズの透明な球体の形をしています。サイコロの謎の目を読むイカサマ氏であるあなたは、占い師のごとくそこに映しだされたおのれの真の姿を発見するでしょう。それは未来のあなたと私の運命です。
時がきました。近いうちに青いブローチを身に付けたクールな社長女史の運転する真っ赤なサーブが、正式にあなたを自宅まで迎にいきます。黒いサーカス旅団の代わりに。おめでとう、今度こそあなたは、自分の知らない遠い街にいけるんです。
それが水晶生命の正式行事であるのは、社長女史のサーブの赤が証明しています。彼女は会社の重要な正式行事がある日には、必ず自宅の車庫に所有している赤いサーブのハンドルを握って出勤するしきたりなのです。
当日はあなたの仕事休みにあたります。行き先は三鷹の森にある〈水晶記念館〉です。その門前で銀行の店員めいた記念館仕様の制服に身を包んだ私が、真珠色したブローチをウルトラマンのカラータイマーよりも少し高い位置に付けてあなたを出迎えます。
水晶記念館は親会社の大手保険会社が、のちに水晶生命となる小さな保険会社を吸収合併する際に一緒に買い上げた、バブル期の名残りの、以前はその社宅があった土地に建っています。静観とした住宅地の中に雑木林に囲まれた、土地土地の歴史にまつわる数々の品々が展示された資料館を思わせるような、黒い屋根がトレードマークの地上一階地下一階からなる地味でこじんまりとした外観です。言ってみれば水晶生命の別館といったこの場所に、私たちヘッドハンターは月に何度か交代制で勤務することになっています。
日直の朝がめぐってくると、私たちは中央線の駅で下車して、ロータリーから循環バスに乗り込み、街中の静かな雑木林へとひどく渋滞した道路を向かっていきます。これから夕方の閉館時間がくるまで、木々のカーテンに隠された館を一人でを切り盛りするのです。バスを降りて住宅地を少し歩いたあと、社宅があった当時から残されている黒い鉄格子を、箒にまたがって飛び越えることなく、その鍵を開けて敷地内に入ります。
そのとき私たちの胸は高鳴ります。広々としたピッチにあがった、なでしこジャパンの一人みたいに。私たちは自分が属する場所に帰ってきました。ジャック、私たちは私たちの島にもどってきたんです。
水晶記念館はヘッドハンターにとって心の故郷であり、水晶生命にとっての心臓です。誰もがその扉をくぐれるわけではありません。日直を担当できるのも、かの街の洗礼を受けた七人のヘッドハンターのみという決まりです。私は正式にはまだその七人の中の一人には入っていませんけど、採掘作業の研修をやり遂げた身として、キャシーさんの代役を任された次第です。
七時発の山の手線の上り電車に乗って、かの街から生還したあと、その翌週に私は水晶記念館の鍵を先輩ヘッドハンターから預かりました。校庭キャンプがアウトドアでの共同作業なら、水晶記念館での業務は完全にインドアでの個人作業になります。この二つがヘッドハンターの主な仕事です。内容はまるで真逆ですけど、どちらも重要ですし、二つの仕事にはある共通点もあります。
採掘作業に向かう途中で、水晶記念館で、私たちは子供たちの歌と音楽に出会います。山の手線の車内では大勢の子供たちが図書館所蔵の小説の一説をメロディーにのせて歌っていました。水晶記念館では子供たち御自慢の歌と楽器の演奏が、私たちを迎えてくれます。これはかの街を訪れた者たちだけの特権です。
こんなことを話してもあなたにはまだチンプンカンプンで、スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスで、なんのことだかさっぱり分からないでしょう。謎がさらなる謎を連れてきたような感じでいるでしょう。私の言葉を完全に理解するためには、あなたはまず、なにかしらの方法で『LOST』を見届けるところからはじめなければいけないかもしれません。ドラマの中に登場する六つの数字の意味を正しく理解しないといけないかもしれません。でもそれでは時間がかかりすぎて、私たちの採掘テストに間に合わない可能性がでてきますから、代わりに手助けとなるヒントを差し上げましょう。答えは問題の中に隠れているとも言います。よく聞いてください。
じつを言えば、私が水晶記念館を訪れたのは、その日がはじめてではありませんでした。水晶生命に入社する以前にも、その郊外の住宅地の館を訪問したことがあったのです。ヘッドハンターである女性たちの多くは、二十歳の頃から水晶記念館の常連です。
これからお話するのは、ヘッドハンターがヘッドハンターになるための序章になります。人がサッカー選手になるには、あるいは音楽家になるには、サッカー選手になるための、音楽家になるための、物語が必要でしょう。同じように人がヘッドハンターになるには、それに見合った物語があるものです。
それは私の二十歳の誕生日に起きた出来事です。その日、私は通っていた大学の午後の講義を休んで、母と新宿駅で落ち合いました。「これからあなたに見せたい場所がある」と、午前中の講義の最中にいきなり電話がかかってきたのです。
私の記憶では、母が勤務先である工場のシフトをやむを得ず変更してもらったのは、これまで三回あります。いずれも私が通っていた学校の卒業式があった日ですけど、四回目のシフト変更を申請したらしいその日は、私が大学を卒業するまでにはまだあと二年もありましたし、そもそも私は五月生まれの双子座なんです。
たぶん母はずっと迷っていたのだと思います。私が二十歳の誕生日を迎える日の朝までずっと。はたして一人娘に水晶記念館の存在を教えるべきかどうか。その館への訪問は、ときに若い来訪者の人生に絶大な影響を与えることがあるらしいのです。
水晶記念館は一般公開はされていません。一般人で入館できるのは水晶ユーザーのみです。ただしユーザーがなにかしらの理由で亡くなっている場合には、二十歳以上のユーザーの家族の方なら特別に入館できるシステムになっています。
ユーザー本人でもご家族でも、入館には予約が必要です。私がはじめて記念館を訪れた誕生日は、母があらかじめ予約を入れてくれていたようです。
新宿駅の中央線下りホームで、ハリウッド映画にでてくる田舎の工場労働者みたいな、まったく飾り気のない身なりで一人娘を見送る母の姿は、いまは身分を隠して工場地帯で働いている、引退した元シークレットエージェントめいていました。
朝とはうって変わって空いている昼下がりの中央線のシート席で、二十歳になったばかりの私は、手にした名刺サイズの一枚のショップカードをまじまじと見つめていました。私の記憶では、それは母がくれた生まれてはじめてのプレゼントです。
はじめてのプレゼントが、それも二十歳になった記念日のそれが、ショップカード一枚なんて、世間一般の家庭から見たらあり得ない話でしょうし、そもそもそれをプレゼントと呼べるかどうか疑問なのですけど、「誕生日おめでとう、はいプレゼント」と、黒のトートバッグから取りだす際に本人が涼しい顔で言っていたので、なにも疑問には感じていないみたいです。それに私は私で母の誕生日になにかプレゼントした覚えがないので、責める気持ちは一ミリもありません。
私たち親子にとって自分たちの時の記念日は存在しないのも同じなんです。私たちが時の記念日と呼べるのは一年に一度、七の数字が二つ並ぶ日だけです。
一般公開されていない水晶記念館にショップカードが存在するのは、はじめて来訪する予約者のための案内状の役割があるからです。
カードはいたって普通の作りです。長方形の名刺サイズの白紙に、ショップ名と住所と電話番号が小さくて綺麗な黒字で横向きに印刷されているだけです。
でもそこからは様々な疑問が浮かび上がってきます。クエッションマークをともなった数々の文字列が、中央線の車内を漂流しながら昇っていき、やがて車内広告の文字列の中に「水晶記念館ってなに?」の一行としてあらたに加わります。
母はなにも教えてくれませんでした。「着いたら係の女性が全部説明してくれるから」と言うだけです。
私はなにかヒントが隠されているかもしれないと思い、「答えは問いの中に隠れている」の教えにしたがって、ショップカードを車内の電灯にかざしてみます。なにやらキューブの形を縁取ったような立方体の黒いデザイン線が透けて見えます。私はカードを裏返します。そこには間違いなく、シンボルマークとしてのキューブが鎮座しています。
普通、水晶というのは、六角形か、球体に加工された形をしているものではないでしょうか。キューブの形をした商品としての水晶も世の中にはあるにはあるでしょうけど、水晶記念館と名乗るほどの団体が、どちらかといったら珍しいその形をわざわざシンボルマークとして採用する必要があるでしょうか。
そのときの私ときたら、いまのあなたと同じように考えれば考えるほどに疑問がわいてくる感じで、その疑問は時間が経つにつれてなにやら怒りの混じった感情へと変化していくのでした。「答えは問いの中に隠れている」という私にとっての絶対的なセオリーが、母が投げかけてきた問いにはまったく歯が立たないように思えたからです。そしてそれは、いつでも大抵そうなんです。ただクソとかタコとか、どこかの誰かさんみたいに毒吐いたりしないだけです。
二十歳の誕生日を迎えた娘の体を、自由に使える権利が自分にはあると、母は最初から信じて疑わないようでした。娘の二十歳の誕生日に、先約が入っているとは夢にも思わない性分です。いつでもそうなんです。
私たち親子にとっての時の記念日である父の命日にお墓参りしたあと、私たちはいつも郊外のファミレスに寄って食事をしてから帰ります。それは一つの儀式であり、そこでは私たちは不在の父の分も必ず注文して、自分のメニューを平らげたあとに、それを二人で分けて食べる習慣になっていました。
それはいいんですけど、母の話だと生前の父は中肉中背のわりにはかなりの大食漢だったらしく、よせばいいのに、いくら止めても毎年決まって多めのメニューを注文して、おまけに注文した母自身はこのところ食が細くなってきてるものだから、毎年のように私一人で大の男の大食漢メニューまで平らげる羽目になっているんです。
娘の都合など考えていないのですから、娘の胃腸の具合など頭をかすめもしないでしょう。いつもあとになって反省はしてるみたいなんですけど、一年経つと綺麗さっぱり忘れてるんです。自由なのか繊細なのか呑気なのか、一番近くにいたのに分かったためしがありません。私にとっての母は、数学者に対する素数めいた、謎に包まれた、気まぐれな、呆れるぐらいに歯が立たない、存在なんです。
つづく