あなたの埋もれた才能見つけます⑯
怖くて目を開けることができませんでした。それなのに、おかしな出来事が立てつづけに起きたせいで、いったいなにを恐れているのか、もはや自分の考えも感情も整理できない始末なのです。この目で目撃するのを頑ななまでに拒否している理由はなんなのか、それが自分でも分からないのです。
もしかしたら瞼を固く閉じていたのは、べつになにを恐れてというわけではなく、ただキャシーさんにそう言われたからそうしているのに過ぎないと思えてくるほどです。
「集中して」
伝説のヘッドハンターは言いました。
「深呼吸しろ」
ジャックが囁きます。
子供たちの歌声が聞こえてきます。まるで林間学校へと向かう夏休み中の列車に乗り込んでしまったかのようです。全部で杉並区に七つある小学校の五年生たちが山の手線をジャックして、七つの車両の座席を隅から隅まで埋め尽くしているかのような。隅のシートの隅の座席で居眠りしている我らが水晶掘りこと田中さんが占める場所を除いて。
子供たちはどこからあらわれたのでしょう。そしてなんの目的で?
記憶では、私たちが乗り合わせた山の手線の車両には、全部で六人の小学生しかいなかったはずです。この目で一人一人数えたのですから間違いありません。しかもそのあとに山の手線は一度としてどの駅にも停車していないのです。自らの七つの車両によって、東京の真ん中に、ナスカの地上絵めいた巨大サークルを描きつづけているのです。
夏休みにはまだまだ日数があります。そもそも山の手線の車両は七つではなく、通常十一両編成だったはずです。私は七という数字に囚われ過ぎています。
私は三つの文字から成るいにしえの滅びの呪文を心の中でつぶやきつづけます。そうするように命じた歳の離れた姉は、隣のシートで図書館から借りてきたという本を朗読しています。私たちは観光日和な土曜日の山の手線に乗り合わせた、あまりに長い間世の中との接触を絶っていたせいで少しばかり浮世離れしてしまった魔法使いの姉妹です。小型冷蔵庫ほどの大きさもあるリュックサックを両膝に挟んでシートに並んで腰掛けた、アウトドアが趣味の二人です。これから山の麓に広がった森に籠っての修行に向かう途中なのです。それは妄想ではなく、すでにほとんど現実です。
もしかしたら子供たちはその広大な森のどこかにある魔法学校の生徒たちなのかもしれません。休暇が終わり、学園生活へもどっていく最中なのかもしれません。社会からの好奇の目を誤魔化すために何食わぬ顔して大人たちの姿になりすまし、こうして山の手線が円周軌道に乗ったのを見計らって、もとの子供たちの姿に舞いもどったわけです。そうすると大人である私は、まんまと彼らに騙されていた顛末です。
それならすべて合点がいきます「子供たちを呼ぶ」と姉は言いました。その発言どおりに彼らが集まったのです。
ただしそれでもいくつかの疑問は残ります。その一つはたとえば、乗客には大人に化けた魔法学校の生徒だけではなく、本当の大人たちだっていたはずです。土曜日でも働いている人々は大勢いるのですから。彼らはどこにいってしまったのでしょうか。まるで車内を埋め尽くした子供たちと入れ替わってしまったみたいに消えているのです。
魔法学校には決まった制服はないようです。私の瞼の裏に映った子供たちの服装は、もとの小学校の制服だったり私服だったり、帽子をかぶっていたりいなかったり、バラバラです。みんなランドセルを背負ったままの恰好でシートに並んで行儀良く腰掛けています。立っている生徒はいません。車両の隅から隅まで一つのシートも余ることなく、最初から計算していたかのように綺麗にピアノの鍵盤よろしく横並びになってそれぞれの座席に収まっています。
どうして目を閉じているのにそんなことまで分かるのかと、あなたは不思議に思うでしょう。もしかしたら「この嘘つきのクズが」と、わざわざご丁寧に青いブローチ越しに毒吐いているかもしれません。でも一つ憶えていてほしいのは、私がトンだ嘘つき女だとしても、私は魔女一家の末っ子であり、私の名付け親でもあるカウガールな姉は、伝説の、そして最強の、ヘッドハンターであり、私はその姉に付いて採掘作業の旅をつづけている者だ、ということです。
「タゴールはこう言いました。天国に声を届けようとする地球の絶え間ない努力が樹木なのだ、と」
姉の朗読につづけて子供たちが同じ文章を複読します。彼らはみんな、キャシーさんがこれから図書館に返却しにいくのと同じ十進法のラベルが貼られた本を膝に載せています。どうして膝の上に載せているのかというと、その本はタウンページほどもの厚さがあって、子供が持つには少々重たく、且つ大き過ぎるのです。
そのためにさっきから座席の背もたれにピタリとつけた状態の彼らのシンボルとも呼ぶべき、イーオンでも売っていそうなごくごく一般的なランドセルには、教科書もお弁当箱も入ってはおらず、ただタウンページクラスのその一冊の本だけが忍ばせてあったのです。いったい魔法学校の図書館には、同じ本が何百冊所蔵されているのでしょうか。
おそらく子供たちが手にした本はどれも、そしてキャシーさんが朗読しているそれも、そのタイトルや作者名は当然のこと、ページにできた染みの場所と数もピタリと一致するはずです。
あなたは日々の生活の中で、どれくらい本を読むでしょう。一週間に一冊読破するほどの読書家クラスでしょうか。それとも月に一冊、あるいは一年に一冊......。
失礼な言い方ですけど、あなたの読書量はその三つのうちのどれにも当てはまらないような気がします。キャシーさん曰く、「水晶掘りはまったく本を読まない生き物」なのだそうです。かの街の図書館で本を借りるのはヘッドハンターだけなのだそうです。彼女に言わせると、「水晶掘りという人々は、図書館どころか、この世に本という物が存在しているのに気がついているかどうかさえ疑わしい」らしいのです。もっとも社長女史が言うところの、あなたは「水晶掘り界の突然変異」らしいので、もしかしたらその説は当てはまらないかもしれません。
なぜそんな話を持ちだしたのかお分かりでしょうか。あるいは持ち前のサイコロ振りの感を働かせたあなたは、もう薄々気がついているかもしれません。
実をいえば、私たちの採掘作業には、ヘッドハンターが図書館で借りる本の存在が大きなウエイトを占めているようなのです。私のこのたびの研修は、言い換えれば、ただ「いかにしてヘッドハンターはかの街の図書館で一冊の本を借りるのか?」という課題を達成するための一泊二日の旅であったと言い切れるほどです。
その一泊二日の校庭キャンプの夜、焚き火を挟みながら深い森とリンクするコーヒーに舌鼓を打ちつつキャシーさんから聞いた話にさらに私なりの推測を重ねたなら、子供たちのランドセルはドラえもん風に表現すれば、さしずめ〈どこでもランドセル〉といったところになります。ただしこちらの場合、瞬間的に移動するのは子供たちではなく本の方なのです。
返却日が近づいた本は、貸出されたかの街の図書館のもとの棚に帰ろうとします。海のサケが産まれた川を遡上するように、です。
「これで七周目よ」
朗読を止めてキャシーさんが私に言います。すでに不吉の別の名と化した数字を。子供たちは引率役の先生の朗読に頼ることなく、もう勝手に合唱をつづけています。
「掴まって、揺れるわよ」
そう言ってキャシーさんは私の手を握りしめます。そのとき私は彼女の手が思いのほか大きいのに気がつきます。男性の手より遥かに大きいくらいです。それは私に巨大な親指を持つカウガールを連想させます。さながら子供と大人です。
姉の一言は、これから一人前のヘッドハンターにならんとする妹に、数字の七に対するこだわりの由緒正しさをもう一度思いださせます。
大人たちはどこにもいってはいません。彼らは最初からそこにいたし、今もいるのです。ただ彼らの姿や声が、車内の七人目の子供である私に、ランドセルを背負い合唱する小学生として瞼の裏に映るのです。目を開けてはいけません。答えは問いの中に隠れています。
車両が大気圏を脱出しようとするアポロの操縦室のように激しく揺れはじめます。ただし山の手線が突破しようとしているのは分厚い大気の層ではなく、二本のレールが描く鉄のサークルであり、東京の街に突然あらわれたナスカの地上絵です。
リクルート活動はしてきても、宇宙飛行士の訓練は受けてこなかった私に、七人目の子供である私に、重力がのしかかります。いつ果てるとも知れない小学五年生たちの歌声が小さく消えていきます。私は遠のいていく意識の中で思うのです。いつも二人で、ワンダー3、ナンバー吾、黄金の七人、七人の侍、11人いる!と、どうして物語に登場するヒーローや登場人物たちは、いつも決まって素数なのかしらん、と。
つづく