彗活①
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。まるで嬉しそうに、ビジネス用ではない、自然な笑顔で。
その弱々しい光源はおそらく三等星ぐらいでしょうか。色は巷で一番人気のない〈深慮〉の緑です。緑色が人気薄なのは、昔懐かしいゴレンジャーの中で、ミドレンジャーの人気が一番低いのと同じ理由です。それでも以前の私だったら、テレビの画面に近づいて、同性である彼の笑顔と瞳を、嫉妬まじりに覗き込んでいたことでしょう。
でも友よ、今日私は生まれ変わるのです。新緑の眩しい晴れた六月の日に。愚痴と後悔ばかりの生活とは綺麗さっぱりおさらばするのです。素晴らしい日曜日の朝です。こんなに美味しいトーストとコーヒーをいただいたのは生まれてはじめてです。どちらも自分で作ったのに、「いただいた」なんておかしくて素敵な表現です。きっとポジティブな人々は毎週こんな気持ちで新しい一週間を迎えているのでしょう。そりゃ宵の明星のごとく、明るく前向きな性格になるのに決まってます。
「本日の彗星が地球に衝突する確率は0.05パーセント未満です」
三等星の瞳を持ったキャスターが、天気予報の降水確率みたいに読み上げます。もう誰もそんな情報を必要としていないのに。恐らくそういう決まりになっているんでしょう。用心に用心を重ねて。「世界の終わり」というのは、もしも彗星が軌道を外れた場合のことを指しているのです。
私の仕事はシェルター掘りです。当時子供だった若い方は憶えていないかもしれません。彗星が地球に大接近したときには、猫も杓子も、学生さんから社長さんまで、みんなが汗水流して、一致団結して、一つでも多くのシェルター作るために、一日中シャベルで地面を掘り起こしたものです。
今ではその仕事に従事しているのは、私たち黒い瞳をもった人々だけになりました。友よ、私たちネガティブの多くは、その給料と国からの助成金で生計を立てているのです。
おっと、いけません。せっかく新しい人生がはじまろうとしているのに、また愚痴をこぼしそうになってしまいました。私たちは本当に、嘘偽りなく、あなたたち七色の瞳をもったポジティブな人々の親切に感謝しているのです。
平日の朝早く、私たちは区役所前に集まります。そこからバスに乗せられ、その日担当する郊外の現場へと向かうのです。
正直言って彗星が安定した軌道を回りはじめた現在では、あってもなくてもどっちでもいいような仕事です。世の中のなんにも役に立たない職業です。税金泥棒と呼ばれても仕方がありません。ただ友よ、私たちにはほかに行き場所がないのです。そして心優しいあなた方が、私たちにそんな言葉を決して浴びせはしないのを私たちは知っています。
もちろん私たちネガティブはこの仕事に強制的に従事させられているわけではありません。むしろ自ら希望して、毎日のように地面と対面し、もう何年もシャベルで土を掘り起こし、運びだしているのです。何年も何年もです。しだいに月日が流れる感覚が薄れ、働いた正確な数字は忘れてしまいました。すべての人が避難できるシェルターを早急に作るという当初の目的は消え、私たちは単に毎日穴を掘りつづける人々になりつつあるようです。風景と一体化するのです。まるで自らの墓穴を掘る墓掘り人めいた。それはそれで結構なことです。
あなた方が一日の仕事を終え、駅前の広場で、通りや公園で、大声で歌い踊り、あなた方のやり方で、輝きだした真新しい一番星に、真新しいあなたたちの七色の神様に、夕べの祈りを捧げはじめるころ、バスに揺られた私たちは区役所前へと到着します。
もうずっとこうして毎日のように同じ現場で働いているのにもかかわらず、私たちネガティブ同士が共に打ち解け合い、バスの車内や現場で語り合ったり、仕事帰りに行動を共にしたりするようなことはありません。ですから共に歌ったり踊ったりすることも当然ありません。性別年齢に関係なくです。
それはいつの間にか私たちが身につけたルールです。私たちは互いに距離を置くことによって、緊張感のある人間関係を保ち、どうにかテンションを維持しているのです。そうでなかったら、毎日毎日、無用の穴を掘りつづける仕事はできません。
現場には男女別々に設けられた掘立て古屋があって、シャワーはありませんけど、備え付けの水道があります。お湯はでません。仕事が終わると私たちはそこで土と埃を濡れたタオルで洗い落とし、作業着からシミ一つない私服へと着替え、靴を履き替え、着替えの詰まったバッグを持ってバスへと乗り込みます。いつでも清潔な身でいるのはテンションを維持するためのもう一つの秘訣です。
区役所はだいたいどこの区でも市街地の中心にあるものですから、私たちは好むと好まざるとに関係なく、あなた方の夕べの狂騒曲を横目にしながら、そそくさとそれぞれの家へと帰ります。まるで世界をちょっとだけ通りかかった通行人みたいな感じで。世界とは、つねに私たちの脇を通り過ぎていくものなのです。
運悪く、「友よ、よかったら一緒に私たちと歌い踊り、祈りを捧げませんか?」などと、心優しいあなた方のお仲間から呼び止められたりすることもありますけど、そこは一つニッコリと会釈だけしてトンズラさせてもらいます。それしか方法がないからです。私たちは歌い方を知らず、踊り方を知らず、なにに祈っていいのかさえ分からない迷える民なのです。
友よ、私たちにネガティブにとっては、あなた方ポジティブと共に過ごす時間がなによりも苦痛なのです。あなた方の輝く瞳は、それが七色のうちの何色であっても、私たちには眩しすぎるのです。
かつて私たちは銀行員であり、学校の教師であり、大学病院の外科医であり、博物館の学芸員であり、よき伴侶でもありました。でも友よ、あなた方の瞳の奥で輝く光を見たときに、私たちはただの落伍者へと落ちていったのです。私たちは置きざりにされ、気がついた時にはどこにも私たちのための椅子は用意されていませんでした。いっそ今度こそ大接近した彗星が軌道を外れて、見事に地球を吹き飛ばして木っ端微塵にしてくれたならと、良からぬ妄想をしてしまいそうになります。
すっかり日の長くなった初夏の夕べ、以前より用心深く、なるべく地味に、なるべく心優しいポジティブなあなた方の視界に入らないように、私たちはバスから降りようとします。そこに私たちの世話係的な仕事をしている、首からIDカードをぶら下げた区役所の男性職員(その瞳は〈理性〉の青です)が、歩道に立ってこちらの到着を待っていて、一行は区役所内の小会議室に案内されることになります。
これはめったにない出来事で、しかも事前になんの説明もなかったので、小会議室の椅子を占拠した私たち約二十組ほどの無口な黒目軍団は、その二つの目玉を水槽の金魚みたいにキョロキョロとさせて落ち着きません。
私たちネガティブは同類と打ち解け合いませんが、じつはみんな同じ不安を一つ抱えています。それは国からの助成金がいつか打ち切れられるのではないかという不安です。なにしろまったく利益を生みださない、時代遅れの仕事をしているわけですから、当然といえば当然です。そしてついに審判の下される日がやってきたというわけです。
さきほどの区役所の男性職員に案内されるように、若い一人の青年が部屋に入ってきました。私の息子であってもおかしくないような年齢です。もちろん好むと好まざるとにかかわらず、永遠の独身者である私に息子なんておりませんけど。
青年はどうやら区役所の職員ではなさそうでした。IDカードを首からぶら下げていませんし、服装も公務員にしてはずいぶん派手です。水色の細い縦のストライプが入ったシャツに、黄色の生地に白い水玉模様の入った太目のネクタイをしています。区役所の男性職員はみんなノーネクタイが普通です。ただそれ以上におかしいのは、彼が黒いサングラスを掛けて私たちの待っている小会議室に入ってきたことです。
黒いサングラスといったら、それは私たちネガティブを象徴するアイテムです。私たちはなにより自分たちの目を他人に、特にポジティブな人々に、見られるのが大の苦手なのです。じつは私も違ったメーカーのサングラスを三つほど持っています。
そうすると青年も私たちと同じネガティヴということになるのでしょうか。でもそれにしてはやはり様子がちょっと変です。サングラスをしたネガティヴたちはもっとおどおどしているものなのです。それはサングラスで自らの目を隠すという行為が、精神的に矛盾を抱えた行為だからです。それはあなた方に気づかれたくないのに、わざわざ自分の居場所を教えているようなものです。
それなのにその青年はおどおどするどころか、服装が派手なだけでなく、行動までずいぶん堂々としています。入ってくるなり、小会議室の正面に立って、机に両手を置いて私たち全員をサングラスの下からぐるりと見渡したのです。そんな真似は私たちネガティブは絶対にしません。
それならばその青年はどうしてわざわざ会議室の中でサングラスをしているのでしょうか。
「みなさん、お疲れ様です。お仕事帰りにわざわざ集まっていただいて恐縮です」
青年は口を開いてまずそう言いました。人前で話すのに慣れているようで、大声をだしているわけではないのに、よく通る低音の豊かな声をしています。もちろんサングラスはしたままです。
「本日はみなさんにとても有意義な提案を持ってまいりました。私は結婚斡旋を専門とするNGO団体の代表を務めています」
青年は言います。小会議室の椅子を埋めた私たちはみんなキョトンとして、この青年は間違った部屋に入ってきてしまったのではないかしらんと心配します。結婚なんて、私たちネガティヴには、それこそ水槽の金魚並みに縁のない言葉だからです。
するとこちら側の疑念の波が届いたのか、それとも最初からそういう演出になっているのか、青年はゆっくりと、私たちが映画のハイライトを見逃さないように注意深く、顔のサングラスをはずしみせます。奥からあらわれた瞳の色は、私たちと同じ黒ではなく、あっと驚く一番人気の〈情熱〉の赤です。しかも会議室の離れた席からもそれと分かる一等星の輝きを放っています。ちなみに赤が一番人気なのは、昔懐かしいゴレンジャーの中で、アカレンジャーが一番人気があるのと同じ理由です。
青年はネガティヴどころか、ポジティブの中のポジティブ、それも超エリートなポジティブだったのです。私たちネガティブは、その情熱の輝きに、区役所の小会議室でいまにも焼き尽くされてしまいそうです。
サングラスをシャツの胸ポケットに挿し入れた青年は、どういうつもりなのか、今度は膨らんだズボンのポケットからニット帽をとりだして頭にかぶってみせます。それがキツネだかタヌキだかイタチみたいな、茶色い小動物のかぶり物めいていて、頭には三角の耳がついており、両側は尻尾みたいな生地が腰の位置までダランと垂れて、見方によっては極寒の村で暮らす子供のための防寒具のように見えなくもありません。二本ある尻尾はいざというときにマフラー代わりになる寸法です。
「すみません、この方が話しやすいので」
青年ははにかんだように自分の場違いな格好について釈明します。それに関して私たちはどういうリアクションをとったらいいのか見当がつきません。そもそも私たちになにかのジャッジをする権利があるかどうかさえ疑問なのです。
青年は、まるで死んだと思ったら姿形を変えて蘇ってくるドラゴンボールの敵役のようです。派手目なネガティヴの青年だと思っていたら、じつは超エリートのポジティブで、さらにはNGO団体の代表で、しかも変人だったのです。つぎはなにがでてくるかの分かったものではありません。もしかしたら私たちを油断させておいたところで、サッと助成金カットの話しを持ちだしてくる作戦なのかもしれません。
しかし世の中の物事というのは、同じものであったとしても、立ち位置が変わればまったく違った形に見えてくることもあるものです。
そのとき私の耳に隣の席にいた若いネガティヴの女性の「クスッ」とした笑い声が聞こえてきました。小会議室は青年の突然変異に水を打ったように静まり返っていたので、女性が発した軽やかな響きは部屋の空気を伝わって、そのかぶり物を通り抜け、青年の耳にまで達したようです。キツネ青年はこちらを見て、ニコリと微笑んでみせたのです。すると私の黒い瞳には、さっきよりもっと大きな女性の微笑みが映るのでした。
勝手な妄想ですが、いったい女性が最後に笑ったのはいつだったのでしょうか。私がネガティヴの屈託のない笑顔を見たのは何年振りだったでしょうか。
それは見ているこちらまでが一緒になってドキマキしてしまいそうな、およそ区役所の会議室には似つかわしくない光景で、ずっと長い間忘れていた感情の息吹がふつふつと蘇ってきそうな瞬間でした。
つづく