あなたの埋もれた才能見つけます⑮
名刺にも印刷されているように、私たち水晶生命の企業コピーは、『あなたの埋もれた才能見つけます!』であるわけですけど、このたびの初の採掘作業において、私は一つ、自らの埋もれた才能をも発見しました。この調子で採掘作業に従事するごとに自らの隠れた才能を一つでも発見していけたなら、それを全部合わせて開花させて、ゆくゆくはキャシーさんのようなプロの作家さんになれるのかもしれません。
外観に看板一つ見当たらない大きな工場をはじめて見て、その建物の中でいったいなにが作られているのか、おおよその見当がつくのは、よほどの工場マニアだけでしょう。
世の中にはそんな工場マニアと呼ばれる人たちがいるそうです。彼らはラーメン愛好家が全国各地の名店を食べ歩くように、自慢のカメラをぶら下げつつ、休日ともなれば、全国各地の有名工場詣でに馳せ参じています。
ただし三度の食事より火と鉄と油の匂いに魅せられた人たちであってしても、外観の写真だけをいきなり見せられて、その工場内のベルトコンベアにどんな製品が流れているか、推理できるようになるまでには、それなりの時間と経験が必要になってくるはずです。「ローマは一日にして成らず」という格言どおり、どんなジャンルであっても、そこでなにかが成し遂げらるためには、それに見合ったコストが支払われなければならないのは、古代から現代までつづく絶対的なセオリーです。
しかし世の中にはさらに絶対的なセオリーというものが存在するようです。セオリーにも上下関係が存在するのです。上には上がいるというわけです。言ってみれば、それは超セレブなセオリーです。
「どんなものにも例外はある」というのが、そのセオリー界の超が付く方です。これを当てはめると、不思議なことに、一日では成らないものの代表であるはずの永遠のローマでさえ、一瞬にして成立してしまうのです。
産後間もない鹿の子供がすぐに自らの脚で立ち上がってみせるのに等しく、工場労働者を両親にもった者は、建物の外観だけを見て、その工場でなにが作られているのか、鼻を二回ピクピクさせ、さらに瞼を二回パチパチさせただけで、めざとく嗅ぎだしてみせます。彼らの推理の正しさは、工場の門からでてきたトラックをストップさせて、荷台に積まれているダンボールの箱を開けてみれば分かります。
それは世間では血と呼ばれ、また種とも呼ばれているものです。つまりサラブレッドです。ただし、製造業界のすべてのサラブレッドたちはその特殊能力を生まれつき持ってはいますが、大人になるまでそれを保持しつづけていられる者はごく稀のようです。アスリート同士の間に誕生したすべての子供たちが、成長して、優れたアスリートになるとは限らないのと同じです。
私たちが山の手線に乗ってたどり着いた街に名前はなくても、駅前のプレハブ工場の方にはちゃんと名前があります。〈失くしてしまったもの工場〉というのがそれです。命名者は私です。
〈失くしてしまったもの工場〉ではじつに様々な製品が作られています。ただそれはその名のとおり、失くしてしまったものに限定されています。さらに細かくいえば、それはもともとペアーとして使われていたものが、なにかの理由で片方だけになってしまったものたちのための工場なのです。
製品はすべて受注生産になっています。これまで生産した製品リストには、どこかにいってしまった片方の靴下、同じく手袋、一本だけ折れた箸、Rだけのエアーポッズ、雨の帰り道に落としてしまった折り畳み傘のカバー、ジョーカーが蒸発中のトランプ、長針が行方不明の柱時計、片方だけ残ったイヤリング......などなどがあります。
でもなぜそれは〈失くしてしまったもの工場〉なのでしょう。どうしてそうでなければいけなかったのでしょう。私を駅前で出迎えたのは。失くしてしまった片方のソックスを作らなければならない理由などあるのでしょうか。
その答えはもちろん問いの中に隠されています。私たちはそれを共有するために、問いと答えをイコールでつなぐために、もうしばらく言葉の旅をつづけなければなりません。
ここでさらに時間を巻き戻したいと思います。あなたは肝心の採掘作業の場面がなかなかでてこないのに痺れを切らしてヤキモキしているかもしれません。でも仕方がありません。物事には説明する順序というものがあります。それを尊重してほしいと思います。さもないと私たち二人にいざ本番の日がやってきたときに、段取りが上手に運ばない可能性がでてきます。最悪、街にたどり着けず、山の手線から降りられなくなるケースだってなきにしもあらずです。そんなことになったら、そこから脱出するためには他の水晶掘りやヘッドハンターの力を借りないといけなくなるそうです。私たちはお互いに会社からパートナー失格の烙印を押されることでしょう。共にテスト不合格というわけです。
そんな状況を避けるためにも、私の話に辛抱強く耳を傾けながら、テスト当日にはすべてが順調に事が進むようにイメージトレーニングに励んでほしいと思います。私が辛抱に辛抱をかさねて、あなたのFワードを聞きつづけているようにです。
それでは、どのようにして山の手線に乗った私たちが、街へとたどり着いたのか、そのときの体験を話したいと思います。
〈失くしてしまったもの工場〉によって製造された製品は、私たちが乗ってきた山の手線の車両に積み込まれ、私たちと一緒に東京の街へともどり、出荷されていきます。走る車両の窓を抜け、空をわたり、依頼主のもとへと、あるいはかつてのペアーのもとへと、次々に帰っていきます。捨てられた猫がこっそり家に戻ってくるみたいにです。ときどき散歩中の子供があらぬ方向に目をやり、一心に宙を見つめていることがありますけど、あれはきっと空を飛んでいく片方の靴下の行方を追っているのに違いありません。
かつての依頼主の家にたどり着くと、片方だけの靴下と手袋やイヤリングは、素早くタンスの引き出しに忍び込みます。折り畳み傘のカバーは玄関の雨具コーナーへもどって、つぎの雨雲がやってくるのを待ちます。時計の長針は短針とふたたびセットになって、静止画のような部屋で時を刻みはじめ、世界を回しはじめます。
このように〈失くしてしまったもの工場〉では細々としたあらゆるニーズにこたえていますが、残念ながらすべての失われたペアーをもとどおりにできるわけではありません。世界はやはり少しずつ失われつつあるようです。どんなものにも例外はあるわけです。そしてその例外を見つけにいくのが水晶掘りとヘッドハンターの仕事なのです。
サーカスのテントめいた工場の建物を、駅のベンチから私は見上げます。そこからこぼれてくる光と音は、懐かしい夏祭りの夜の、提灯や祭囃子のように、私を魅了し、弱った体を癒してくれます。
それは工場地帯で育った者だけが持つ特権かもしれません。あるいはそれはハワイで生まれ育ったキャシーさんにとっての風や波の音に近いのかもしれません。
夜の工場の照明は、私にとって船乗りたちの灯台や昔の飛行機乗りの街の灯りに等しく、その機械音を子守唄のようにして成長したのです。子供の頃に不安で寝付かれない夜には、私はよく部屋の窓をちょっとだけ開けて、安心して眠くなってくるまで、遠くの工場地帯の照明を眺めていたものです。
風と波の音を子守唄代わりにして育った彼女は、私の横のベンチであいかわらず静かに本を読んでいます。まるで工場の照明も騒音も、もはや彼女にはとどいていないかのようです。その姿は私に山の手線のプラットホームで電車の到着を待っていた土曜日の乗客たちを思い起こさせます。
果たして私たちが乗った山の手線の車両は、それぞれの駅のプラットホームに居合わせた人たちに、どんなふうに見えていたのでしょう。まるで新幹線みたいな猛スピードで、乗客を無視して、ホームを通過していく緑の車両を。
私は思うのです。もしかしたら誰の目にも、私たちの存在は、映ってはいなかったのではないか、と。じつはそのときには私たち自身が、鉄の車両もろとも、失くしてしまった片方の靴下になってしまっていたのではないか、と。
「タゴールはこう言いました。天国に声を届けようとする地球の絶え間ない努力が樹木なのだ、と」*
キャシーさんの朗読の声だけが聞こえていました。それはたしかにそんな文句でした。まるでずっと隠していた秘密を告白する、肉親の手紙を読み上げるているかのようなしっかりした声でした。
私は年長の朗読者の教えを守り......というよりは、ほとんど恐怖で目を開けられない状態で、滅びの呪文をあたかも願い事みたいに心の中でくりかえしていました。
同じ車両に乗り合わせた乗客はいったいどうなってしまったのでしょうか。子供たちはどこへいってしまったのでしょうか。物音一つ、咳一つ、聞こえてきません。本来ならとっくにすべての車両でパニックが起きて、乗客たちの悲鳴と怒号が押し寄せ、キャシーさんの声をかき消していていいはずなのにです。そのあり得ない静けさが、私をさらなる恐怖のトンネルへと突き落とすのです。
私は妄想せずにはいられません。無人と化した車両で、二人だけで肩を寄せ合い、朗読し呪文を唱えつづける、年の離れた姉妹の姿を。彼女たちの側には大きなリュックサックだけが寄り添っています。二人の姉妹は世界の終わりの街に向かって旅をつづけています。狂信者たちのごとく、ただそこで一杯の紅茶を飲むだけのために。しかもあくまで姉妹であることを周囲に誇示しながら、実際には二人の血はまったく繋がってはいないのです。ただの一滴さえも。
つづく
*『オーバーストーリー』606ページ(リチャード・パワーズ/木原善彦 訳)