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あなたの埋もれた才能見つけます⑭

ここで話を、山の手線に乗った私たちが、ついに街に到着した時点へと巻き戻したいと思います。それは私の修羅場からはじまります。

駅のホームで吐くなんて、酔っ払った仕事帰りのオッサンだけだと思ってました。そんな醜態を公衆の面前でさらすことができるのは。

それが見事に吐いてしまったのです。それもかなり豪快に。ただ公衆といっても、私の場合、ギャラリーはキャシーさん一人きりだったので、大事にはいたりませんでした。

しかもセレブな私の寝起きゲロは、特殊加工されたクリスタルみたいにキラキラと光ったオレンジ色のラメ入りめいていて、いたって美しく、不愉快ですらなく、動画に撮っておいて、あとであなたにも一度お見せしたいぐらいの出来栄えでした。

それでもセレブなゲロの存在など見たことも聞いたこともない不慣れなあなたが、ラーメンに半チャーハンといった、いつものいたって小市民的な昼食を会社の食堂でとっている最中にその動画をスマホで見たならば、場合によっては逆に気持ちが悪くなって、こちらはラメの入っていない、いかにも小市民的なゲロを吐いてしまう可能性があり、同僚のみなさんの昼食の時間を台無しにして、それによってもともと職場に友人の少ないあなたの立場をさらに悪化させそうなので、メールを送信するのは一先ずやめておきます。


「おはよう、ピンキー。気分はどう?」

答えるまでもなく、気分は最悪でした。キャシーさんがそう聞いてきたのは、明かりが消えて、無人と化した山の手線の車両が停まっている、その反対側のホームの端にうずくまり、キラキラした豪快なお土産を線路の小石の上に撒いた直後だったのです。

私がホームのベンチで寝ていた間に、新人ヘッドハンターのニックネームを考えていたらしい彼女は、いつでもどこでも必ずペットボトルの水を携帯するジャックよろしく、この時も私にむかって「はい、これでうがいして」と、ボトルの水を差しだすのでした。ちなみに『LOST』の中でのジャックの心の口癖ベスト10は「深呼吸しろ!」です。


夜明けだと思ったのは、じつは夕暮れで、屋根に取り付けられた蛍光灯の明かりがプラットホームをほのかに包み込み、使い込まれた艶のある木製の横長なベンチの上には、私が跳ねたキャシーさんの赤い寝袋とノースフェイスの黄色いジャケットが散乱していました。キャシーさんはその端で、慣れた手つきでもって寝袋を小さく丸め、脇に置いたリュックサックに仕舞いながらつづけます。

「目が覚めてくれてよかった。朝まで眠りつづける新人さんも中にはいるのよ。で、あなたは大丈夫そう?一人で歩けそうかしら?」

私はひどい頭痛と慣れない環境と新しいニックネームに戸惑いながら、コックリ頷いてみせます。「でも、もう少し休みたい」と弱音を吐いて。それから病み上がりのフランケンシュタインよろしくベンチにふらふらと戻って、キャシーさんが「寒かったら着て」と言って寄こしてくれたジャケットを「ありがとう」とつぶやいてうけとり、ふたたび毛布のように包まって、ぎこちなく腰を下ろします。


このときまで私はまだ水晶の発掘作業が、普通の街に存在する、普通の小学校の校庭で行われるものと信じ込んでいた純粋無垢な新人ヘッドハンターで、メモリーの存在も知らなかったのですけど、吐き気と共に出現した、いままさに暗闇に包まれようとしている影絵の街をぼんやり眺めながら、どこからか吹いてくる黄昏た冷たい風にあたっていると、このまま駅をでてどこまでも歩いていったなら、寂しい街灯の照らすその一角に、子供の頃に過ごした平屋の借家があらわれてきそうな、群衆の中に不意に懐かしい顔を見つけたときのような、不思議な、普通ではあり得ない、郷愁の念が湧いてくるのです。そしたら私は即席ファミリーの一人の不在をようやく思いだし、キャシーさんに尋ねてみました。

「田中さんは?」

「先にいってる」

私のヘッドハンターはふたたび膝の上に本を置いてつづけます。

「せっかちでシャイなのよ。じつは田中さん、ああ見えて力持ちなんだけど、電車からオンブして新人さんをホームのベンチまで運びだすのが、いつものお父さんの仕事。あなたをベンチに寝かせたのも田中さん。ただね、そうかと言って、べつにお礼を言う必要はないの。半分は趣味みたいなもんだから」


よっぽど本が好きなのか、こんな状況でもキャシーさんはホームの脆弱な灯りの下で読書に勤しみます。私はペットボトルの残りの水をベンチの横でちびちび飲みながら、その静かで落ち着いた雰囲気に、山の手線の車内で目撃した狂気すれすれの魔女めいた一挙一動を重ね合わせずにはいられません。紙のページに視線を落とす彼女の姿は私をドキドキさせるのです。

するとそんなこちら側の感情の動きがベンチの木を伝って共振したのか、キャシーさんは魔女のシスターめいた表情をとりもどし、私に向かって言うのです。

「ぜいぶん賑やか場所ね。こんな街にたどり着いたのは初めてよ。あなたの唱えた強力な呪文が影響したのかもね」


そのとき私の頭の中は、胃袋と同じぐらいにまだ混乱した状態でしたけど、まさかベテランであるキャシーさんの思考までがおかしなことになっているのか、少々不安を感じました。それとも同じベンチに腰を下ろしながら、私たち二人はまったく異なった風景を見ているのでしょうか。

「賑やかな場所?」その場でそう訊き返したい気持ちを抑えられたのは、算数先生の言葉を思いだしたからです。答えは問いの中に隠れている。問いの中に答えが隠れていなければ、それはそもそも問いではない。

キャシーさんはカウガール風な問いの格好をした微笑みを残して、ふたたび本のページに視線を落とします。私は彼女のジャケットに包まれながら、目の前の風景を子供みたいに凝視します。「深呼吸しろ」ジャックが慎重にアドバイスします。


そこはとても静かな街です。まるで街全体が墓地のような静寂さに満ちています。空には月はおろか星一つでていません。街の明かりは寂しい街灯のみです。目に映るものといったら、駅前に鎮座している団地めいた小高い建物の黒い影だけです。それも目を凝らして見なければ、闇夜との境目がすぐに怪しくなってきそうです。もしかしたらその建物はマンションタイプの新しい墓地なのかもしれません。いずれにしても賑やかさや、華やかさは、微塵もありません。私が本当に子供だったなら、暗くて怖くて泣いちゃいそうです。早く家に帰りたくてしかたありません。

もしかしたらキャシーさんは、反語として「賑やか」という言葉を使ったのかもしれません。それを判断する冴えた方法を私は一つだけ知っています。「深呼吸しろ」「答えは問いの中に隠れている」ジャックと算数先生が声をそろえます。私はアドバイスに従って、カウガール経由の水で唇を湿らし、夜の冷たい空気を一度吸って吐いてから問いに挑むのです。


私は心の中でお気に入りの呪文を恐る恐る唱えます。今度は山の手線の車内ではなく、どうやってたどり着いたのかよく分からない、見知らぬ駅のベンチで。キャシーさんの言う賑やかな街の風景に言葉を重ねるようにして。もしも私の唱えた呪文に映画の中の一つのセリフ以上になにかしらの力が宿っているとしたなら、そうすることによって墓地の街に変化があらわれるような気がしたのです。

でもそのとき分かったのは、もしも私の体に属するあらゆるものに、私に属していない存在に向かって、少しでも影響を与えられる力があったとしても、それはすでに失われてしまい、宙に消えてしまったメロディーのようにもうどこにも残ってはいないという結果だけでした。山の手線の小旅行は浦島太郎みたいに急に老け込んでしまった私を終点駅まで運びとどけたのです。


私は世界の果てのプラットホームで、マンションタイプの墓地の街で、疲れ果て、目標を失い、途方に暮れていました。

でもそのとき遠くから聞こえてきたのです。小さな機械音が。なにかが電気とモーターの力によって動きはじめる音が。まるで地下室で深い眠りについていたスーパーコンピューターのマニトウが、目覚め、宇宙誕生の謎を解き明かす、永遠という名前を持った長い長い数式を解きはじめたかのように。

最初は山の手線の車両が目を覚ましたのかと思いました。すでに暴走する山の手線を一度経験済みだったからかもしれません。ただその車両は反対側のホームに眠ったままで、まったく動きだしそうにはありませんでした。だからつぎに私の耳に鳴り響いて聞こえてきたのは、電車の発車ベルではなく、始業開始のベルだったのです。


私はあなたに一つ告白しなければなりません。あなたに勘違いしてほしくないことが一つあるのです。

晴れて私たちが水晶掘りとヘッドハンターのペアとなり、山の手線に乗ってはじめて二人で街にたどり着いたとき、その駅前に大きなプレハブ製の工場が建っていて、たとえそれが輝かしい光を放ち、生き生きとした轟音を立てていたとしても、それは決してあなたのためではないということです。

私はそれをあなたにあらかじめ知っていてほしいと思います。そうでないと自身が工場労働者であるあなたは、まるで街に歓迎されているものと思い込み、大きな勘違いをして、街のどこかに置かれているであろう辛い思い出のメモリーといざ遭遇したときに、そのショックたるや、もしかしたら立ち直れないほどの、採掘どころの話ではないぐらいの、痛みを受けるかもしれないからです。


その大きな工場は、あなたのためではなく、私のためにあります。それは私の嘔吐と共にヴィーナスのごとく誕生し、私が唱えた呪文によって窓という窓から光を放ち、音を立てて振動し、稼働をはじめたのです。あなたの存在はこれっぽっちも関係ありません。

私の両親は共にあなたと同じ、油の匂いが漂う工場労働者です。父も母も東京の郊外にある工場地帯で働き、その街で知り合い、結婚してほどなく私が生まれました。セレブというのは大嘘です。強いて挙げれば、私は製造業界のサラブレッドということになるでしょうか。

強がりだったかもしれません。でも私はあなたと馴れ合いのような関係にはなりたくなかったのです。ただ、子供のころの学校の成績は、野球少年のお陰もあって、常にトップクラスだったので、私がスーパー小学生だったことは、あながち嘘ではありません。


つづく

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