あなたの埋れた才能見つけます⑫
水晶生命スタッフの間では、田中という名字を持った水晶掘りは、ほかの水晶掘りたちよりもちょっとだけ特別な目で見られます。
もちろんそれは初代水晶掘りの名字が田中だったからであり、例えるならば、歌舞伎界の〈成田屋〉のような存在なのです。
そんなわけもあって私たちスタッフの間では、田中という名字の水晶掘りだけがリスペクトを込めて、代々、田中屋という屋号で呼ばれる習わしがあります。
若き営業マンにして初代田中屋である彼がたどり着いた街は、あくまで〈街〉の一つであって、それがすべてではありません。街は舞台上のお芝居のように毎日変化します。初代田中屋の乗った山の手線がたどり着いた駅と、私たちがたどり着いた駅とは、似てるようで少しずつ違っています。キャシーさん曰く、「同じ街は二つとない」のだそうです。
ただ、どの街にも常に変わらない共通した特徴がいくつかあるようです。例えばその一つが、駅のどこにも駅名が表示されていないことなのですが、同じように街には、街の名が記されたものがどこにも見当たりません。電柱の表札にはどれも番地の数字だけが並んでいる状態です。それでゲストである私たちスタッフも街に敬意を表して、その地に名前をつけず、ただ「街」とだけ呼ぶようになったのです。
かつてはそこにも人々が住み、家族とともに日々の暮らしを営んでいたのかもしれませんが、いまでは打ち捨てられたかつての炭鉱町のように人影はなく、すべてがひっそりと静まり返っています。
街のいま一つの特徴は、訪れた水晶掘りとヘッドハンターの、それぞれしか知らない想い出の品が、必ず街のどこかに隠されているという不思議な現象です。
その現象には名前があります。私たちのスタッフがルールを忘れて、うっかり名前をつけてしまったのです。その想い出の品は私たちから〈メモリー〉という名で呼ばれています。
初代田中屋のメモリーは、駅の改札口をでてすぐの場所で見つかりました。メモリーはたいてい目の付く場所にしれっと置かれているものなのです。私たちは必ずそれを街の小学校に到着する前に発見します。それでも決まって私たちがそれを「隠されている」と表現するのは、それを見てメモリーだと分かるのが、水晶掘りとヘッドハンターの本人たちだけだからです。メモリーは街と、水晶掘りと、ヘッドハンターの、記憶の中の密約なのです。
街はいつもいつも、私たち採掘隊に都合のいい想い出の品ばかりを選ぶとはかぎりません。アマゾンのお薦め機能ほどには優しくありません。ときにそれは私たちが思いだしたくはない、想い出の品だったりもします。その場所は決して私たちの故郷というわけではないのです。
メモリーにはいいメモリーと悪いメモリーがあります。たいていヘッドハンターにはいいメモリーが、水晶掘りには悪いメモリーが、それぞれ割り当てられる傾向があるみたいです。
どうしてそうなるのかは分かりません。ただ街を歩くとき、私たちヘッドハンターが小さな温もりを心に抱くのに対して、水晶掘りの男たちは、目には見えない小さな十字架を背負い、頭にはイバラの冠をのせて歩く運命にあるようです。もしかしたら普段の行いが悪いのかもしれません。なにかしらの罰なのかもしれません。私と一緒にはじめて街を訪れた際、どうかあなたの背負う十字架が軽いことを祈るばかりです。
「どちらかといったら、お薦め機能というより、不完全な翻訳機能に近い感じね。記憶の翻訳機能ね」
キャシーさんは小型コンロで焼いたソーセージをフォークで刺しながら、メモリーを評してそう言います。
ちなみにそのソーセージは、駅から小学校までの道中に建っていた無人コンビニで、自動レジをとおさずに拝借してきたものです。
「どれでも食べたいものを選んでいいのよ」
コンビニカゴを手にキャシーさんは言いました。まるで二人切りの『アイ・アム・レジェンド』の世界です。たまたま訪れた私たち以外に顧客の姿が見当たらない街で、どうやって経営が成り立つのか疑問なのですが、そのコンビニだけはサイレントヒルめいた街中で、まるで私たちを待っていたかのように通りの前まで煌々と明かりこぼれ、店内の商品棚も都内の普通のコンビニに見劣りしないほどに充実していたのです。一応念のためにカゴに入れる前に確認したのですが、賞味期限の切れた食材は一つもありませんでした。まったくおかしな話です。
私たちがそこでソーセージ以外に拝借したものは......。
初代田中屋が発見したメモリーは、間違いなくバッドメモリーの方でした。私たち採掘隊のパイオニアが、山の手線から降り立った営業マンのアームストロング船長が、はじめて遭遇したそれは。
ただし街への初上陸者であるはずの彼が、それを見てすぐに自分のメモリーだと気がつくことができたのには、当然のことながら少々込み入った事情があります。あるいは少々込み入った事情があったからこそ、彼は見知らぬ街でいきなりそれを見せられても、すぐに自分のメモリーであるのを理解できたのです。
それは駅の改札口をでて、すぐ脇に設置された自転車置き場に、まさにしれっと停めてありました。
あるはずのないものがそこに。本来なら時の流れの中に置き去りにされて、錆びた鉄屑として朽ちていったものが、子供のころに仕舞った記憶の姿と瓜二つの艶をもって。
ただし艶とはいっても、それはかなりくたびれた艶ではありました。もとから、せいぜいよく言って中古品、より正確に言ったなら空き地に捨てられていたのを、工場勤めの父親が仕事帰りに拾ってきたものだったのです。
自転車が欲しいと、内職仕事をしてる母親に毎日のように駄々をこねていた、当時まだ田舎町の小学生だった田中少年の前に、ある日の昼下がり、それはあらわれました。
工場が半ドンで終わった土曜日の午後、作業着姿のまま仕事からもどった彼の父親は、小石だらけの貸家の庭先でガラクタの錆を落とし、ニスを塗り、上から白と黒のツートンのペンキを車体全体に塗りたくりました。そうして生まれ変わったガラクタは、もうポンコツには見えません。かわりにそれは生物学的に例えたなら、借家の玄関前に立つタイヤをつけたシマウマのように見えました。
やはり学校の授業がお昼で終わった田中少年は、庭先で父親の作業の様子をジャージ姿でずっと眺めていたのですが、その間に幼い彼の心の中には、これまで感じたことのない、ある名付け難い感情がわいてくるのでした。
それは美的センスに関係したものだったのですが、そんなものがこの世に存在しているとは知らずにいる田舎の小学生だった田中には到底理解できません。その感情はただ漠然とした不安となって、ゲリラ豪雨の黒い雲のように、あっという間に彼の心を覆い、目の前を曇らせたのです。
おかげでペンキが乾く前の完成品を父親から自慢気に披露されても、それが自分の自転車で、それに乗って自分が町を走る様子を、少しも想像できずにいました。
父親の完全オリジナルデザインによる斬新なツートン柄の自転車は、田んぼの多い田舎町では大変目立ち、同世代の少年たちに笑撃をもって迎えられました。
子供たちは最初、自分たちの目の前を通りすぎていった物体がなんなのか分からずに、町中で目を丸くしてキョトンとするばかりでしたが、やがてその物体に乗ってハンドルを握っていたのが、よく知った同世代の人物だったのを思いだすと、彼らは状況を理解し、その場には大きな笑い声がこだますのでした。
もしも田中少年の父親が、これといった有力産業のない田舎町を、笑いで包むべくそれを目的にしていたのならば、その計画は大成功のはずでした。田中少年が町中を自転車で走りはじめてからというもの、小学校に入学する前の幼子たちですら、彼とその愛車を指差して小鳥みたいな声で笑いだしましたし、そればかりかいつもは不機嫌そうないい歳をした大人たちまでが、つられて笑顔をとりもどすのでした。
おらが町の映画祭におけるコメディ部門で、ツートン自転車は作品賞を、田中少年は主演男優賞を、彼の父親は監督賞を、それぞれあと少しのところで受賞しそうでした。
惜しくも受賞を逃したのは、映画祭の前に、突然ツートン自転車が町から消えてしまったからです。通りでは、以前のように歩く田中少年のジャージ姿ばかりが見られるようになり、町の子供たちは思いがけないそのありふれたエンディングに、白け、まったく面白くなさそうでした。
ただし平凡な物語の終焉には、誰よりも町の子供たちによる行動が関係していたのです。
彼らはサファリパークでもないのに、シマウマが街中を走りるようになってから少し経ったあと、田中少年の自転車にピッタリな名前をつけたのです。ただそれは生物学的な視点ではなく、いかにも田舎的な、昭和的な、民俗学的な、そしてやはり子供的な、視点に立ったものでした。子供たちはツートン柄のそれを「シマウマ号」とは呼びませんでした。彼らはそれを「葬式号」と呼んだのです。
そのナイスなネーミングの評判はたちまち田舎町を風にのって駆け抜け、名付け親の三人の少年たちは街の人々やクラスメイトから称賛をうけ、その相乗効果によってツートン自転車にまつわる人気と笑いはさらに高まっていきました。
それなのに葬式号は姿を消してしまったのです。有名ロックバンドがその人気絶頂期になんの予告もなしに突然解散してしまったかのように。
といっても、正確に表現するなら、それは借家である田中家の軒下に停められたままの状態になったということなのです。そして人々の口に葬式号の名がすっかり上らなくなったころ、軒下からもそっと消えてしまったのです。
「お父さんがね、会社の友達にあげちゃったの。そこんちの子が自転車欲しがってたんだって」
母親は言いました。べつに聞く必要もないような心持ちはあったのですけど、田中少年はいつの間にか軒下に自転車の影を見なくなっていたのに気がついて、学校から帰宅したあと、台所に立つ母親に尋ねたのでした。
案の定、気のいい返事はありませんでしたけど、母親の方は満更でもなかったようで、まるで用意しておいたセリフみたいに流暢にしゃべりつづけるのでした。
「その子、自転車が気に入ったみたいよ。白黒のペンキがカッコいいんだって。お父さんも喜んでたよ」
それが我が子に向けられた皮肉だと、田中少年が気づいたのは、あと少し彼が成長してからのことです。そのときの彼はただ、「あの自転車がカッコいいだなんて、変わった子だな」と思っただけでした。
さてイバラの冠と十字架のセットが準備できたところで、初代田中屋はトボトボと歩きはじめます。自転車は無人の自転車置き場に置いてきぼりです。かつて軒下にそうしたように。あとはセンスのいい父親の知り合いの子供か、あるいは徘徊している野良犬にでもまかせるべきです。
ロータリーとつながった駅前のアスファルトの通りは、この街のメインストリートよろしく、広い公園を囲んだスラッとしたポプラの木立と並行して伸びています。彼はそこから一度だけ、みすぼらしい街の、みすぼらしい駐輪場を、振り返りました。
メモリーたる葬式号は、そのあとも初代田中屋の乗った山の手線の最終電車が街に着くたびに、無人の駐輪場でしれっと出迎えることになります。そのつど若き営業マンの心はチクリと痛むのです。
「ごめんね」
少女が耳元でつぶやきます。初代田中屋のおぼろげな記憶の中で、その少女は時代遅れの白い布製のカバンを肩から襷かけにしていて、やはり時代を感じさせるオカッパ頭をしています。
「君が謝らなくてもいいよ」
彼も心の中でつぶやき、少女の命に従うべく、黒鞄を手に駅前のメインストリートを北に向かって歩きはじめます。自分は両親の子供として生まれてくるのには、少しばかり美的センスが良すぎたのかもしれない、と思いつつ。
すると木立の葉々を揺らす風のささやきが、もう一度、「ごめんね」と言ったような気がしました。
「謝らなくていいよ。誰も謝らなくていいんだ。だってこれは純粋に美的センスの問題なんだから」
彼もまた、もう一度心の中でそうつぶやきました。そうしながら歩いていくと、さっきまでの寒さはどこえやら、全身の血が猛スピードで流れだしたかのように体が急に熱く火照りはじめるのです。
そのとき彼に必要だったのは、少年のときに見たゲリラ豪雨の黒い雲が、本当に彼の上にあらわれて大粒の雨を降らすことだったかもしれません。
けれどもその土地に雨は降らないのです。なぜなら水晶掘りは全員が晴れ男であり、よって採掘の土曜日に雨は降らない約束だからです。それが街のもう一つの特徴でした。
つづく