あなたの埋れた才能見つけます⑧
水晶掘りという人々は忍び足の達人なのかもしれません。
でもそれは訓練によって得られたという種類のものではなくて、燃料の残り少ない飛行機からつぎつぎに余計な荷物が海面へと投げ落とされていくかのように、私たちが普通に持って暮らしている人々との結びつきや社会との関係性を、一つ一つ道端に捨てていった結果から生じたように思えてなりません。彼らの無音の足音は、そのまま社会との繋がりの希薄さをあらわしている感じがするのです。旅行鞄が、座席のシートが、海原の藻屑となって消えていったように、彼らがかすかに持ち得ていた社会との関係性もまた、仕事帰りの電柱の影に、駅のプラットホームに捨てられ、そのたびに彼らの足音は少しずつ小さくなって、どこの街角を歩いてもその響きを失っていたのかもしれません。
でもそれは一つの進化ではあるのです。かつて人類が火や言葉を手に入れたように、水晶掘りの男たちは無音の足音を身につけることができたからです。
彼らはそれを機上から海へと投げ捨てた、数々の想い出が詰め込まれたボストンバッグの代償として、保険金の代わりに、仕事帰りの駅のプラットホーム上にだけ存在するといわれる、キヨスクによく似た保険代理店をとおして少しずつ分割払いで受けとりました。
それは石川五右衛門の末裔やアルセーヌ・ルパンの孫など、希代の大泥棒しか成し遂げられなかった偉業です。水晶の採掘作業は限りなく泥棒稼業に近いものなのです。
世の中には、水晶掘りの無音の足音を聞きつけることのできる人たちが、わずかながら存在します。それが私たちヘッドハンターです。ただしそれもまた少しずつ分割払いでのみ受けとれるものではあるようです。
「アロハー、田中さん、そこにいたのね」
待ち合わせた中央線のターミナルでキャシーさんがそう口にするまで、ムッスリとして不機嫌そうなスーパーひとしくん似のiPadおじさんが、近くまできていたことに、私はまったく気がつきませんでした。キャシーさんには聞こえた足音を、見事に聞き逃していたわけです。
あなたのときはどうだったでしょう。やはり私はあなたの足音を聞き逃していたでしょうか。思いだせません。私たちはお互いを知るようになってからまだ日が浅すぎます。
時計塔の脇に一人立っている田中さんの背丈は、腰掛けていたときと大して変わらないようでした。寒かったのか、そのときにはハンターベストの下にベージュ色した迷彩柄の施されたゴアテックスのパーカーを着込み、フードを直接サファリ帽子の上から目深にかぶって、短時間でゲームマニアから釣りマニアへと変貌を遂げたようです。それはいよいよ私たちの冒険の時間がはじまろうとしているサインです。
あなたは「田中さん」と聞いて、少し驚いたかもしれません。じつは七人の水晶掘りが持っている名字の凡庸さには規則性があるのです。それは決まって「五十音の行毎に一番多い名字」であり、また「同時に同じ名字を持った水晶掘りは存在しない」という規則性です。タ行なら「田中さん」と「高橋さん」が、サ行では「佐藤さん」と「鈴木さん」が、つばぜり合いを繰り広げているわけです。ですから新七番であるあなたが、旧七番である田中さんと同じ名字なのは珍しいことではありません。古い田中さんは去り、新しい田中さんがやってきます。それが水晶掘りの世界です。ただ名字は同じでも、あなた方二人の見た目はだいぶ様子が違うようです。
田中さんはフードの影から自分よりも背が高い二人の女を子供のように見上げます。そしてハンターベストの正面に四つあるポケットの右下のやつをゴソゴソとやって、これぞ水晶掘りの証しとも呼ぶべき、ウルトラセブンにとってのウルトラアイとも呼ぶべき、ひみつのアッコちゃんのコンパクトとも呼ぶべき、あの四角い小石をとりだすのです。
田中さんはキャシーさんへの挨拶の代わりに、指先に挟んだ小さな立方体を、フードとサファリ帽子の影に隠れた目の高さまで持ち上げます。まるで「よーくご覧ください。種も仕掛けもございません」とでもいうように。それからおもむろに小さな手品師は小石を下から宙に放ってみせます。それは算数先生が教室で投げた白墨よりも高く、角度のある弧を描き、しかしそれと同じ正確さでもってコンコンコンと硬質な音を立てながらターミナルのタイルの上を跳ねて転がり、私たちの足もとで止まります。
サイコロはときに人の人生を左右します。それにくらべ、キューブはつねに私たちをより良い方向へと導いてくれます。ただその表面には数字を表す円い穴などは一つもありません。そこにはどこを覗いてもツルツルの平らな面しか存在しないのです。いったいどうやっているのか分かりませんけど、水晶掘りたちだけが、その面にあらわれたなにかしらのメッセージを読みとることができるようなのです。
田中さんはゆっくり私たちに近づいてきて、膝を曲げてタイルの上のキューブを人差し指と親指で挟んで持ち、上になった面を路上探偵のごとく慎重に調べます。そこに覗き込んで尋ねるのがキャシーさんの役目です。
「どう、田中さん。なにか分かったかしら?」
おじさん手品師はおもむろに立ち上がってキューブをもとのポケットに仕舞います。私たちにはなにも見せてはくれません。種と仕掛けを知られたくないようです。
「北だ。北に行く」
小さな釣りマニアめいた水晶掘りは、昨日声変わりしはじめたばかりのような枯れた声でそう言うと、もう駅の改札に向かって歩きはじめています。私とキャシーさんはキョトンと顔を合わせ、iPadを忍ばせたリュックの後を追います。まるで一風変わった組み合わせの、登山好きな三人家族の休日がいまはじまったみたいに。
それが最初に耳にした水晶掘りの生の声でした。「北だ。北にいく」田中さんはそう言いました。私たちを導く預言者めいて。
つぎにその預言の言葉を聞いたのは、すっかり日が暮れて、それから十時間近くも経過したあとでした。それでもキャシーさんに言わせると、その日の田中さんは最高にご機嫌だったようです。
「あんなにはしゃいだ田中さん、見たことなかった」
日曜日、帰りの電車の中で、キャシーさんはポツリと言いました。その言葉に私が驚いたのも無理はありません。どこをどう見ても、二日間の間ずっと、私には水晶おじさんのご機嫌が傾斜35度の急勾配なスキージャンプ台ぐらいに斜めに映っていたからです。
たしかにそこには偏見もあったかもしれません。私の立場からすれば、水晶掘りという風変わりな職業に従事している愛想の悪い男たちというレッテルを抜きにしても、田中さんの機嫌が悪いのは当たり前のように思えていたからです。
というのは、そもそもヘッドハンターも水晶掘りも、その人数は七人と昔から決まっています。そこにまだ見習い中のヘッドハンターが採掘作業に同行するということは、自動的に現役のヘッドハンターの誰かが引退するという可能性を反映しているわけです。そして多くの場合、ヘッドハンターの引退は水晶掘りの引退をも意味します。ヘッドハンターと水晶掘りは一心同体だからです。キャシーさんのように、一度引退したヘッドハンターが復帰して、途中からべつの水晶掘りに付くというのは例外中の例外なのです。
土曜日の駅のターミナルにのこのこと姿をあらわした私の存在は、田中さんにとって疫病神そのものだったでしょう。新入りが引導を手渡すのは教育係りであるキャシーさんかもしれません。そうなればペアーを組んでいる水晶掘りの引退の可能性は大です。
私の存在は田中さんにとって、会った瞬間から目障りこの上ない、ピンク色のニット帽をかぶった厄介者以外の何者でもなかったはずです。水晶掘り流に言ったなら、まさに「なにしに来やがった、このタコめ」といったところでしょう。
それなのにその機嫌がこの上なく良かったというのはどういうわけでしょうか。もしかしたらiPadのゲームでハイスコアでも叩きだしたのでしょうか。
「あなたがいたからよ」
帰りの電車でキャシーさんはつづけます。
「あなたの放つバイブが、田中さんにいい影響を与えたの。それが今回の採掘の結果にもハッキリあらわれてる。ありがとう、私からもお礼を言うわね」
中央線に乗り込んだ私たち三人は、新宿駅で山の手線の外回りに乗り換えます。土曜朝の都心の電車は通勤通学の乗客と、これからどこかへでかける後楽客とで、普段の朝に比べると五割程度の混み具合です。その中で私たちは一見したところ後楽客のようでありながらじつは通勤客でもあるという、かなり微妙な位置にいます。
山の手線の車両は池袋駅を発車した時点でかなり空いてきて、キャシーさんが「座りましょ」と言って、私たちは簡易テントの入った大きなリュックを床にドカッと置き、隣り合って座席シートに腰掛けることができました。お日様みたいなキャシーさんが移動すると、南国の大きな花を集めたような柑橘系の甘い香りが車内に漂うのでした。
田中さんはどうしたのかと思ったら、いつの間にか車両の端っこに席を見つけて、そこでもやはりゲームに全集中しています。私たちよりずっと小さな、小学生が遠足に背負っていくようなリュックを胸に抱いて。
「田中さんはテントは張らないんでしょうか?」
「水晶掘りは寝ないのよ」
そのリュックの小ささに私が思わず尋ねると、キャシーさんはアッケラカンと答えました。
それから彼女は股の間に挟んだリュックの上の扉を開け、15ℓとプリントされたオレンジ色した防水性の小袋をとりだし、膝の上に置いて結んだ紐を解くと、中に数冊の本が重なっているのが見えました。
「どれにしようかしらね」
ドレスルームで服を選ぶみたいに、キャシーさんは袋の中を覗き込みながら楽しそうに吟味します。
「これがいいかしら」
そう言って私の教育係りは、選んだ本を手にして、背表紙をこちらに向かってチラリとご披露します。そこには図書館から貸しだされたものであるのが分かる、分類法の四角いラベルが貼ってありました。
「読書ですか?」
「そう。これもね、ヘッドハンターの大事な仕事なの」
いったい現場でのヘッドハンターの仕事とはどんなものなのでしょうか。どうやらそれは、私が想像していたものとはだいぶ様子が違っているようでした。
だんだん不安になってにきました。それと同時に猛烈に恥ずかしくもありました。できることなら二人の変人を置き去りにして、いますぐにでも山の手線の車両から自分だけ降りてしまいたい衝動に駆られていました。
キャシーさんはアマチュア登山愛好家の格好をした、頭にはカウボーイハットをかぶり、首もとには赤いバンダナをスカーフ代わりに巻いて、周囲には南国の花の香りをふり撒く、とってもお洒落でチャーミングな女性です。それでも読書中の彼女が、周囲から完全に浮いた存在であるのに変わりはありませんでした。むしろ大人しくシートに座って、狂人のごとく一人ゲームに熱中している変なおじさんの方が、真面な社会人のごとく見えてくる有様でした。
私はキャシーさんの手から本を奪いとって、山の手線の車両の窓から投げ捨てたい衝動を抑えるのに苦労していました。私が投げた本は、きっとチョーク投げ名人が投げた白墨のように美しい弧を描くことはなく、強風で線路上の宙にバラバラになって、大泥棒たちが車から捨てた札束のごとく飛んでいき、ほんの一瞬、東京の空にちりぢりとなった物語の言葉を描いたかもしれません。
ベテラン・ヘッドハンターの声は、ここが学校の教室で、ちょうど国語の授業中であったなら、教壇の先生から「キャシーさん、クラスのみんなに聞こえるように、もう少し大きな声で読んでください」と注意されるレベルでしたけど、もちろん私たちがいるのは土曜日の山の手線の車内であったので、私の教育係りに向かって、「あなたにお願いです。もう少し大きな声で読んでくださいませんか?」とリクエストしてくる乗客は誰もいませんでした。
そうこうしている間にも山の手線は上野駅を経て東京駅を発車します。私たちは北に向かうはずです。不安の増した私は、思い切って変わったお仕事中のキャシーさんに話かけてみました。
「あのー、私たちはどこの駅で降りるんでしょうか」
もしかしたら読書に熱中するあまり、こちらの声は届かないのではないかと心配だったのですが、意外にもキャシーさんはすんなりと読んでいた本を膝に置いて、後輩の質問に微笑みと一緒に答えてくれました。ただ、その答えは私を本格的に不安の底なし沼へと突き落とすものではありました。
「降りないの。私たちはこの山の手線に乗って、いけるところまでいくのよ」
キャシーさんは言いました。北にいくはずが、南国の花の香りを一つ一つの言葉に漂わせながら。
つづく