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あなたの埋れた才能見つけます⑥

世界にサンタクロースは何人いるのでしょう。たった一夜で地上のすべての子供たちの枕もとにプレゼントを置いていくのは、どんなに超人的な能力があったとしても、とても一人では不可能です。仮に一人一大陸ずつ受けもったとして、世界には七人のサンタクロースが必要になるはずです。

今になって考えてみれば子供じみた妄想ですけど、七人のサンタクロースが七台の橇に分乗して七大陸をまたにかけるように、私はずっと野球少年は全部で九人いるものと思い込んでいました。野球は一チーム九人でプレイするものですし、白いユニフォームを身にまとった九人の野球少年たちは、魔球のボールを忍ばせたグローブを片手に、それぞれ別々に日本全国を旅してまわっていると思い描いていたのです。


全国の都道府県を津々浦々、底がゴツゴツした黒いスパイクシューズでアスファルトを小気味良く鳴らしながら、北から南まで、野球少年は気に入った街が見つかると、少しの間そこに住みつきます。その街には広い芝生の公園があったり、犬が散歩している静かな砂浜があったり、賑やかな商店街があったり、遠くでいくつもの山々が折り重なって山脈となって見えたり、どこからか祭り囃子を練習する音が聞こえてきたりします。

そして街の小学校には、(あくまで野球少年にとっての)可愛い女の子が一人います。その女の子は、ソバカス顔だったり、髪の毛がちょっと赤かったり、読書好きだったり、小ぶりのバックを不器用にいくつも持ち歩いていたり、個性はバラバラですけど、決まって小学六年生で、最低でも苦手な教科が一つあります。

女の子の苦手な教科と野球少年の魔球がイコールで結ばれたとき、ボールとグローブを手にした子供の風来坊が街のどこからかやってきて、小学校の校庭に大きなバックネットとともに姿をあらわします。


晴れ渡った夜の星空のように心が広いサンタクロースは、どんな子供も分け隔てることなくプレゼントを用意するのが定説みたいですけど、野球少年の心はそこまで広くはありません。むしろ世間一般的に考えたら、いじわるで、頑固で、子供らしい偏屈さに満ちています。なにしろ彼らが投げるボールは一人の女の子にしか見えませんし、聞こえないのです。

野球少年のプレゼントは星飛雄馬的な魔球ではなく、東進ハイスクールの小学生コース的な魔球です。その小学生コースはさらに九つのコースに分かれています。つまり、国語、算数、理科、社会、英語、家庭科、体育、図工、音楽です。七つの大陸に七人のサンタクロースが必要なように、九つの科目には九人の野球少年が必要になってくるのです。女の子の苦手教科に万遍なく対応できるように。それが私の考えた、野球少年が全部で九人いるもう一つの理由です。


大人になってから判明したことですけど、私の子供なりの想像的な推理は、あとで発覚した事実と照らし合わせてみると、当たらずとも遠からずといったところでした。

まだランドセルを背負っていた当時の私には、野球少年とはいったい何者だったのか、自分を納得させられる答えを必要としていたのです。というのも、それまでジリ貧状態だった私の算数の成績は、少年と出会ってからというもの、うなぎ登りに上昇をつづけて、どうして私にだけそんな奇跡が起きたのか、子供心にも考えなけえばならない必要性に迫られていたからです。


せっかく映画でしか見たこのないようなご馳走が並んでいる夢を見たのに、それにあり付く前に目が覚めてしまうというのはよくある話です。夢は幼い頃から私たちに現実の厳しさを教えてくれる、じつによくできたヴァーチャル教材でもあります。

その夢の教材としての教えによれば、「赤の他人のどこの馬の骨だか分からない少年が創り上げたホラ話など、夢にでてくるご馳走よろしくいつ消えてなくなってもおかしくはなく、そうすればお前が手に入れた算数術とやらも一瞬にして幻となって宙に失せ、スーパー小学生の身の上話はまったくの幻想に過ぎず、ふたたびリアルなジリ貧民の日々が待ちうけているであろう」ということになります。


どうしても私には夢仙人の人を不安にさせるだけの教えを、そしてまた自分一人だけがなんの努力もせずに算数先生をもビビらせる才能を手に入れてしまった後ろめたさを、払拭できるだけの理由が必要だったのです。

その結果できあがったのが、〈野球少年=九人の又三郎説〉めいた珍説だったわけです。それは穴だらけの仮説ではありましたけど、幼心を安心させるだけならば十分な効果を発揮したようです。私は教室の机で、全国の小学校を旅して歩く野球少年の姿を夢想しながらも、だんだんとその記憶を遠い影のような、窓から入ってくる緩やかな風のような、懐かしいものへと変化させていくのに成功したのでした。


ただ春が過ぎ去って、校庭に姿を見せないようになっても、それで野球少年が直ちに街から離れていったかというと、そういうわけではなかったのです。あくまで彼らには彼らの予定があるようなのです。

グローブを手にした又三郎が投げるボールの音は今度、小学校の校庭ではなく、街中から響いてくるようになりました。それも私が小学校まで毎日歩いて通っている通学路の途中でそれは聞こえてくるのです。

算数の成績が上がったので、もうお役御免というわけではないですけど、まるで男の子のストーカーみたいで、小学生だった私はちょっと怖くなって通学路を避け、わざと遠回りして学校まで通うようになりました。ボールの音は私の耳にしか聞こえないわけですから誰にも相談できないという事情もありましたけど、じつは私の心の隅には、野球少年は男の子の幽霊なのではないかしらん、という気持ちが最初の頃からちょっとあったのです。


それでも算数の成績が良くなったのは事実ですし、親も喜んでいましたし、私は野球少年に一春の恩義を感じないわけにはいきませんでした。

そんなわけなので、一言だけお礼を言って、あとは知らん顔して通り過ぎればいいと心に決め、いつもは避けていた朝の通学路を、お寺が鳴らす除夜の鐘みたいにボールの音が鳴り響く方向へと、同じ住宅街と商店街とを通学路にしている黄色の帽子をかぶったほかの児童たちに混じって、朝の通りを進んでいきました。


その場所は何年も前に廃墟と化した遺跡を思わせました。あるいは王蟲めいた大きな生き物の脱け殻であるかのような。私は空間というものが生き物の死を暗示することがあるのをそのときはじめて体験しました。

私の到着は遅すぎたようでした。何日間もずっと、私が毎朝耳にしていたのは、バックネットに跳ね返るボールの残響音に過ぎなかったのかもしれません。

野球少年の姿も、大きなバックネットも、そこには見当たりませんでした。たしかにさっきまでは聞こえていたボールの反響音もいつの間にかピタリと止んでいます。私はランドセルの肩がけを両手で握りしめながら、「売地」と書かれた立て看板が刺さっていてもおかしくない、バスケットボールができそうな広さの空き地を、そこを住処にしていたはずの生き物の痕跡を探す学者のように凝視します。


他の児童たちは私を置いて先を急ぎます。まるで私という小学生が無の空間に吸収されて、その存在を誰もが綺麗さっぱり忘れてしまったかのようです。あとになって街の大人たちが空き地で発見するのは、空っぽになって捨てられた私のランドセルと黄色い帽子だけかもしれません。

そんなふうに私の頭の中はパニックが起きてもおかしくない状況ではありましたけど、そのときすでに私はスーパー小学生に変身していて、実際にはいたって安全かつ冷静沈着な状態にいました。私の頭脳はパニックを起こす代わりに、黒板に書かれた数式を解くときのように猛烈に回転しはじめます。どんな難問であっても、答えはすでに問題の中それ自体に隠されているのです。あとは用意された答えと問題をイコールで結べばいいだけなのです。


授業もそっちのけに、その日ばかりは一日中野球少年の、デッドエンドな空き地の、ことばかりを考えていました。それはスーパー小学生であってしても難問を超えた超難問であったのです。そのために私は体内のエネルギーを学業とは無関係な脳の活動だけに使い果たし、お昼の給食には大食いの男子生徒よりも早くそれを平らげ、それでも足らずに余ったスープと欠席した児童の分のパンをもらって補給する始末でした。でもその成果があらわれたのか、午後になってある直感がふと頭の中に閃いたのです。


それはやはり算数の授業のときでした。使い込んで丸くなったチョークを指に挟んだ算数先生が、急に白髪の長い髭をたくわえた優しく豹変した夢仙人みたいな、禅問答みたな、口調になって、黒板の前でおかしなことを喋りはじめたのです。

「よろしいですか、みなさん。よろしいか、小さきものたち。算数の問題は頭で考えてはなりません。算数の問題は心で読みとるのです。数字が現実の反映ならば、現実もまた数字の反映に他ならない。問題が解けないとき、答えは問題の中に隠れているのです」


教室内の小学六年生一同は、算数先生がなにを言っているのか分からず、みな口をポカーンと空けて教壇を見ていました。すると先生が、教室内のボンヤリとした空気に一石を投じて波紋を広げるかのごとく、手にしたチョークを教室の窓際に向かって投げたのです。池の鯉にエサでもやるような動きで。

丸い塊は弧を描き、私の机に着地して雨と同じ音を立てて跳ねて転がり、運動神経のいい私はその動きを両手で押さえつけるようにして止めるのに成功しました。もしかしたら算数先生はチョーク投げの名人で、三年に一度開催される「全国チョーク投げ教師選手権」の常連なのかもしれません。

教壇に立っているチョーク投げの名人が、私にチョークを戻しにくるように、マトリックスのネオよろしく無言で手招きします。私はちょっと怒った感じで(必要なら最初から投げるなとでも言いたげに)、席を立ち、老人の手のひらに丸い拾い物を届けます。すると彼は私の腕をとり、届けたばかりのチョークを握らせてこう言うのです。

「あなたたちはもう一度そのことを思いださなければいけないよ、小さきものよ」


急に人が変わったみたいに口走った算数先生は、何事もなかったかのように黒板にむかい、授業を再開します。私はクラスメイトたちの視線を一身に浴びながら、玉のように丸いチョークをスカートのポケットに隠し入れつつ自分の席へと戻ります。

私は一人、頭の中に赤線を引いて考えます。それは私にとって「ここはテストにでるところ」と同じぐらいに重要な先生からのメッセージです。

そしてようやく私は問いの中に答えを見つけます。あの空き地こそ野球少年そのものであったのを頭でなく心で理解します。


学校帰りにデッドエンドな空き地に立ち寄ると、そこはやはりデッドエンドな空き地のままでした。野球少年もいず、ボールの音も響かず。もしかしたらこの空き地も、野球少年と同じように私の目にしか映ってはいないのかもしれないと思いました。

でもそうだとしたならかえって好都合です。私は周囲を気にしつつ、空き地の土の上にそっと足を踏み入れます。それから暗い洞窟の中を進む探検隊よろしく一歩一歩確実に、まるで地底に眠っている怪物たちを起こさないようにゆっくりと、足を動かしていきます。

そしてついに放課後のランドセル探険隊は空き地の真ん中に到着します。私は深呼吸を一つします。そこは少し前まで野球少年の住処だった場所なのです。

この国には少なくとも九つの空き地が常にどこかに存在しているのでしょう。言ってみればそれは必要不可欠な常設の空き地です。そのとき私が立っていたのは、そのうちの一つです。

私はスカートのポケットから丸いチョークをとりだし、素手で土を掘り起こし、丸い塊を底に置いては、今度は上から土をかけて穴を塞ぎます。それは野球少年が喜ぶかどうかは分かりませんけど、私なりの野球少年へのお礼のプレゼントです。上から水を掛ければ、小さな玉を付けることになるはずの白い芽が、早速ニョキニョキと生えてきそうです。

ただ翌朝、デッドエンドの前を通り過ぎたときにそこで見たのは、白い玉を付けたなにかしらの植物ではなく、普段から私もよく使っていた営業中のコンビニなのでした。


つづく

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