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あなたの埋れた才能見つけます④

その男の子は、私にキャッチボールを教えてくれました。

その男の子は、いつも小学校の校庭に一人でいました。

その男の子は、空き地でも一人でボールを投げていました。

たぶんその子は、当時の私だけに見えていた男の子だったんだと思います。


私が小学生の六年になったばかりの春の出来事です。ドン、しばらくしてまたドンと、校舎の外から物音が聞こえてきます。それは誰かが大きな木槌を手に、太い柱を校庭の真ん中へ打ちつけているようでもあり、また誰かが校庭の真ん中で、夏祭りのために太鼓の練習をはじめたようでもありました。

窓際の席だった私は、パレードの遠い太鼓の響きに魅せられた子供みたいに、三階の校舎の窓から視線を投げかけます。すると校庭の隅に一人の男の子が立っているのが見えました。


それは晴れた春の陽気と午後の授業の眠さが混ざり合ってできた、桜のあとの一人選抜めいた白日夢のような光景でした。

男の子は背番号のない真っ白いユニフォームを着て、白い野球帽をかぶっていました。左手には褐色のグローブが見えました。そしてドン、少し経ってまたドンと、白球がバックネットのコンクリに当たるたびに、校庭には夏祭りの太鼓の響きに合わせて、太い木の柱が何本も打ち立てられていくようなのです。十メートルぐらい離れた場所にバックネットが建っていて、男の子はそれに向かってボールを投げつけているのです。

跳ね返ってきたボールをグローブでキャッチしたときに、その顔がチラッとのぞきました。遠目でしたけど、うちの学校に通っている生徒ではなさそうでした。


どうしてユニフォーム姿の見知らぬ男の子が、私たちの授業中に、私たちの学校の校庭で、一人ボールを投げているのでしょうか。その光景は私になにかを投げかけているのでしょうか。

授業そっちのけに私が思い描いた想像は、男の子は翌週から私たちの学校に通うことになっている転校生の天才野球少年で、在校生の私たちに七色の魔球をご披露するためにわざわざユニフォームを着て颯爽と登場した、というものでした。


もしもその想像がバックネットに当たるボールみたいに命中していたなら、せっかくの転入前の魔球デモンストレーションは、まったくの不発に終わったと言っていいでしょう。その男の子は野球は大の得意でも、自己紹介はあんまり得意ではないようです。

というのも、教室にいる私以外の生徒は、どういうわけかそのときの算数の授業にかぎって心を入れ替えたみたいに集中していて、外の様子など少しも耳に入ってこないようなのです。いつもならふざけて先生に注意されている悪童でさえ授業参観の日みたいにおとなしいのです。しかも先生は一人だけよそ見をしている生徒を目ざとく見つけだしたのか、私を指して、スネイプ先生みたいに意地悪く黒板に並んだ数式の難問を解くように言うのです。

声変わりする前の水晶掘り並みに勉強が得意で、しかも未来のスーパーセレブな私は、すべての問題に即座に正解を書きだして、先生の鼻をあかしてあげましたけど、席にもどったときには、太鼓の音はすっかり止んで、野球少年の姿はありませんでした。


心の中にポッカリと穴が空いたようでした。頭の中を強い春風が一つ吹き抜けていきました。

一人の少年が忽然と消えた現象自体に驚いたわけではありません。彼と一緒に校庭のバックネットまでが消えてしまっている事実にでさえ、私は少しも驚きませんでした。

無人と化し、日常へともどった風景を、ふたたび三階の教室から見下ろしたとき、私はようやくある事実を思いだしました。私が通っている学校の校庭に、サッカーのゴールポストは置かれていても、野球のバックネットはもとから存在していなかったのを。幻を見ていただけでなく、私は記憶を上書きされてもいたのです。

野球少年の白日夢には、優秀な生徒の思考さえ麻痺させてしまう力が潜んでいるようです。算数の問題がなんなく解けたのが不思議なぐらいです。私の頭脳は、風景の記憶については脆弱であっても、学業に於いては、それほど秀でているというわけでしょうか。

でも私が驚いたのは、もちろんそんなことでもありませんでした。


野球少年はそれから毎日のように校庭に姿をあらわすようになりました。しかも私たちのクラスが算数の授業をしているときにかぎってやってくるのです。映画館のスクリーンみたいに大きくて、象みたいに重そうなコンクリ製のスカートを履いたバックネットを、あるいは二宮金次郎みたいに担いで。ユニフォームはいつも真っ白で。ドン、ドンと、遠い太鼓の音を響かせて、小学六年生だった私を数式の旅へと誘うのです。


翌日にあった算数の授業中に、二度目の太鼓の音が聞こえてきたときの私の動揺といったらありませんでした。一度なら偶然であっても、二度目は必然です。さらに三度目ともなれば、それはほとんど運命です。

そこで私は昨日の自分が驚いた正体をやっと理解しました。たった数分の出会いだったのに、しかもそれは距離を隔てた一方的なものであったのに、私は野球少年の突然の不在に、一瞬無意識のうちに失望していたのです。それは再訪を知らせる、校庭中に響きわたる、学校のチャイムも凌駕する、またしても唐突にやってきた祝砲を全身で聞いたときに分かりました。


投げるボールはスイッチであり、バックネットはコンサートの巨大アンプめいた倍音装置です。彼はその音を教室にいる小学生の頭の中に鳴り響かせるためにどこからか帰ってきたのです。

少年は必死にボールを投げます。空想上のマウンドから、一球一球、考え抜いて、心を込めて投げます。おそらくそうしないことには、バックネットのコンクリはいい音をださないのです。コンクリがいい音をださなければ、太鼓にはなりません。

それはまるで誰もいない校庭で繰り広げられる、小学生の小学生による小学生のための二十一球です。


男の子が最初にあらわれた日からしばらくして分かったのは、私たちのクラスが教室で算数の授業をしているときに、校庭で体育の授業をしているクラスは存在しないという、学校全体のミステリアスで時間割り的な事実です。野球少年が校庭に一人であらわれるとき、そこは必ず彼の貸し切り状態なのです。そして必ず天気は晴れなのです。

私のクラスメイトは算数の授業になると、その時間帯だけみんな猛烈なガリ勉集団へと変身して、コンクリに打ちつける魔球の音などまったく聞こえていない様子です。こちらはこちらで、白日夢とはべつの集団的催眠術にかかっているようです。そんなわけなので、まだ幼かった私は幼かったなりに、算数の時間に校庭で目撃した光景については、野球少年も魔球デモストレーションも、クラスメイトには一切話さないように心に決めました。なにも知らない子たちについ話をしてしまって、それっきり魔法が効かなくなってしまうのが怖かったんです。


算数の授業でのクラスメイトの激変ぶりが、彼らの成績になにかしら功を奏したかといったら、結果的にそういうことはなく、むしろ窓の外によそ見をするたびに決まってスネイプめいた先生に指を差され、黒板に書かれた数式の問題を解かされるはめになった問題児の方が、熱心に授業に臨んでいるクラスメイトには悪いですけど、よほど学業の恩恵をさずかったようです。

じつはそれまで私は算数が大の苦手でした。それだけが非の打ち所のないスーパー小学生だった私の弱点でした。でも不思議なことに、野球少年が校庭にあらわれた日からというもの、私の脳細胞は覚醒したのです。背中に小さな羽根を付けた数字使いの女の子の杖が、頭のてっぺんに触れたみたいにです。


それまでよそよそしく、意地悪そうで、ヒンヤリとした数字や記号の群れが、親しみやすい友だちのように感じられました。ずっと私を迷わすために存在していた数字と記号の横並びが、私に微笑みかけ、逆に沢山のヒントをくれました。親切な街の人たちみたいに、角を曲がるたびに、訪問者の私に道を教えてくれました。

算数先生にご指名された私は、席を立ち、黒板に向かいます。外では夏祭りの太鼓の音が鳴っています。それはまるで季節を一つ早めようとするかのごとく校庭の大気を震わせ、散った桜の花びらを舞い上がらせ、私の脳細胞はその振動に共鳴し、素早く回転しはじめます。

黒板のチョークを手にしたときには私はもう答えを知っています。なにも考える必要なんてありません。問いと答えがイコールで結ばれるのならば、問いの中に答えはすでに隠されているはずです。そのとき答えはすでに答えではありません。それは問いが問いとして成立するためのただの条件です。私はそれを自分の席から教壇の黒板の前に立つまでの間に見つけだします。あとはそれを左から右へ書き写すだけでいいのです。


しかしそれでは面白くないのが算数先生です。授業中にずっとよそ見している生徒を懲らしめるつもりが、あっという間にご自慢の問題を解かれてしまうからです。算数先生の授業になれば、私は窓の外を見学するのにご熱心で、それに合わせるかのごとく、先生の黒板問題はもはやほかの生徒のことなどどこへやら、授業毎に高度化していきます。その執念は凄まじく、しまいには高校の授業で習うはずの微分積分の問題まで持ちだしてくる始末です。どうしても素行の悪い生徒に一言反省の弁を述べさせたくてしかたがないようです。私としても先生には悪いとは思っているのですけど、桜の混じった春風に乗ってパレードの音が呼ぶのでしょうがありません。


野球少年が春の終わりとともに姿を見せなくなってしまったのは、算数先生には幸いでした。もしもあのまま私と先生のバトルがつづいていたら、先生は最終的に世界中の数学者が集まっても解くことができない数学上の超難問を持ちだしてきて、すると私はまたあっさりとその解答を黒板に書きだしてしまい、次々に目の前にあらわれていく見たこともない記号が舞踊った高次元の数式を目の当たりにして、先生の脚はワナワナと震えだしたかと思うとパニックに陥り、ついには救急車で運ばれていったかもしれないからです。


私以外の生徒が野球少年の投げる魔球を見ることはありませんでした。でも確かにそれは魔球でした。星飛雄馬の大リーグボールと同じぐらい、およそ実戦向けではなかったですけど。

野球少年が私たちの学校に転校してくることはついにありませんでした。彼は太鼓の残響と幻の垂直な数本の柱だけを残して校庭に姿を見せなくなりました。

それとともに算数先生の熱意もすっかり冷めたのか、授業中に出来が悪いのに出来が良すぎる生徒を指差さすのに飽き、黒板上に展開された私と先生のバトルは終わりを告げました。それと一緒にクラスメイトたちはガリ勉生徒を卒業して、もとの凡庸な生徒たちへもどったようです。

ただ彼らが、私と算数先生が繰り広げたものに比べたら、いささか目劣りする数式が並んだ教科書のページを開くとき、相変わらず窓の外に広がっている無人の校庭を眺めながら、私は一人、算数先生のご指名とはべつの声に、どこかで呼んでいるパレードの音色に、耳を澄ませようとしているのでした。


つづく

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