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あなたの埋れた才能見つけます①

もしも仕事帰りかなにかの途中で、夕暮れどきのにぎやかな商店街をうしろから追いかけてきた、やはり学校帰りらしきランドセルを背負った男の子に、「これあげる」と急にかすれ気味の声をかけられて、道端にはそう落ちてはなさそうな、ちょっと変わった形をした小さな石ころを手渡されることがあったなら、大人の威厳をたもつつもりでその唐突な申し出を無下に断ったり、貰ったあとにこっそり電柱の陰に捨てるような真似をしてはなりません。


それはただの、そんじょそこらの、石ころではありません。謎の贈り物を残してあっという間に商店街の人波に消えていった謎の男の子もそうです。

その変わった形をした鉱物は、これまで散々だった、毎シーズンCクラスなあなたの冴えない人生を、大きく変えてくれる可能性を秘めています。それはこの世についぞ存在したためしのなかった、あなたのための本当の御守りなのです。

ですから間違ってもなくしたりしてはいけません。そうかといって、金庫に保管しておいては御守りの効果がありません。肌身離さず、上着やズボンのポケットに仕舞っておくのがいいでしょう。そしてできるかぎり指で転がしているのです。ちょうどブルペンのベンチで、リリーフのピッチャーが常にボールをいじっているみたいな要領です。


通勤電車の混み合った車内でも、あなたはブルペンのリリーフピッチャーでありつづけます。

やがて七色の魔球が投げられるぐらいにまでポケットの石ころがしっくりと手に馴染んできたころ、嬉しい出会いが訪れます。それは予想もしなかったヘッドハンティングの誘いです。

ただし、それはあなたがこれまでまったくパッとしない人生をおくってきた、冴えない男性である場合の話です。残念ですが、あるいはそうではないかもしれませんが、あなたが女性である場合、それから男性であってもなにかしら恵まれた環境に身を置いている場合、このお話には最初から含まれてはいません。ただ含まれいないからといってべつにどうというものでもありません。むしろその除外は、喜ばしい選択である可能性が高いです。そういうわけですから、どうかあしからず。


その瞬間はいつものようにあなたが一人、会社の広い食堂で昼食をとっているときにやってきます。

「Tさんですね、お食事中のところ大変失礼します」

あなたはその声に驚いて、ラーメンと半チャーハンが載ったテーブル越しに相手の姿をまじまじと見上げます。

目の前に自分より一回り以上若そうな女性が立っています。髪型は綺麗な栗色のボブカットで、定番の黒いスーツに白いシャツ、肩からはピカピカした大きめな四角い金色の留め金がついた、四角い皮鞄を掛けています。

保険会社の営業レディに間違いありません。圧倒的に男性社員が多いあなたの勤務先では、栗色のボブであろうと、バッグにピカピカした留め金がついていようと、スーツを着ている女性でさえあれば、それは会社の食堂に出入りを許可されている保険会社の営業レディとほぼ相場が決まっているのです。彼女たちは顧客に見せるための関係資料を持ち歩いているのが常です。


本来なら、あなたが女性の登場に驚く必要はありません。それはあなただけではなく、昼食時に食堂を利用する同僚の社員たちにとっても同じです。それはあなた方にとってごくごく日常的な風景のはずです。昼食時の会社の食堂といったら、それは各保険会社に勤務する営業レディたちの主戦場なのです。

それでもラーメンと半チャーハンを一人テーブルで食している社員のみならず、周囲の大勢の同僚たちまでが、食事の手を止めて女性を驚きの表情で見上げているのは、彼女がまったく新顔の営業レディであり、尚かつ不慣れなゆえに、食堂の席を占めた大勢の男たちの中でよりによって一番声をかけてはいけない、別名〈職場一無口な男〉と呼ばれる男性に声をかけてしまったからです。

案の定、まだ話がなにもはじまっていないうちから、〈職場一無口な男〉であるあなたは、「間に合ってます」とだけ言い捨てて、なにごともなかったかのようにふたたびラーメンをすすりはじめます。


その日はじめて営業先の食堂に足を踏み入れたであろう彼女は、あなたの言葉に怯むことなく、却って余計に大胆になって、向かい側の椅子に腰掛けます。そしてやはり空いている横の椅子の背に皮鞄を立て掛け、大きな四角い留め金をガッチャと重たい音を立てて外します。それはスイスで一番古い地下金庫の、四角く重たい扉の鍵が開いたような、どこか現実離れした音のように聞こえます。

保険レディが腰を下ろすと、あなたは彼女が着ているシャツの首元に、真珠色した円いブローチが飾られているのにようやく気がつきます。そうすると急に彼女が、保険レディというより、ボブの似合う美術館の学芸員のようにも見えてきます。

それでもやはり彼女が保険レディであることに変わりはありません。しかも初対面でありながら、なんの断りもなしに顧客が働く職場の椅子に腰掛ける、普通では中々あり得ない保険レディです。世間知らずにも程があります。ここに至って周囲の男たちの関心は、「変わり者の同僚と新顔の営業レディの商談」から、「変わった男と変わった女のご対面」へと移っていきます。


「私、こういう者です。Tさんにお会いするように私どもの社長に言われて、ここにきました」

あなたは半チャーハンの器の前に置かれたものをチラッと見やります。そのなんの変哲もなさそうなごくありふれた外見の名刺には、しかしこれまで一度も見たことも聞いたこともないようなおかしな保険会社の社名と、やはりおかしなキャッチフレーズが踊っています。

『水晶生命ーあなたの埋れた才能見つけます!』

すでに固く閉ざされているあなたの心は、さらに固く閉ざされます。でもそれはあなたが無口な変わり者だからというよりは、むしろわずかに残されている世間一般の正常さが正しく発動したあらわれです。

あなたは二本の指をテーブルの上に静かに滑らせて、女性のもとにそれとなく名刺を押しやります。そのあと、ラーメンとチャーハンを口に運ぶペースを早めます。できるだけ迅速に仕事の持ち場にもどったほうがよさそうです。けれども細く長い二本の指によってさらに押しもどされてくる踊った文字の列が、ふたたび視界に入ってきては、若い保険レディの確信に満ちた声が、まるで真珠色したブローチのマイクをとおして聞こえてくるようなのです。

「Tさん、ぜひ裏面もご覧になってください」


思いもしなかった展開に、いつもとは様子の違う昼食時に、あなたはもはや不機嫌さを隠そうともせず、負け込んだギャンブラーよろしく、テーブルの上の四角い一枚の紙を慌ただしくひっくり返します。ただそのほんの一瞬の間に、スクリーンに現れては消えるサブリミナル効果的に、「俺に会うように社長に言われた?おかしな名前をした保険会社の社長がどうして俺を知ってる?こっちはさっきまでその会社名すら知らなかったのに」という言葉が、脳裏に浮かんでは消えていきます。

そのサブリミナル的な疑問の答えは、裏返した名刺の真ん中に黒いインクでちゃんと描かれています。美術館的に。学芸員的に。モダンアート的に。あなたは、彼女が開いた鞄の留め金の音を、遠くスイスの地下金庫が開く音を、もう一度聞きます。ただし今度は自分の頭の中で。ガッチャ。

「クソが」

あなたは相手に聞こえないぐらいの小さな声でつぶやきます。


「私どもの社長がぜひTさんにお会いしたいと申しています。これは決して悪い話ではありません」

ボブカットの女性の言葉が鼓膜に反響します。あなたはそれを上の空で聞きながら、なおも視線は裏返しにした名刺へと注がれています。そこにはシンプルではあるけども意味の分からない、本来そこにあるべきではない、図形が描かれています。ただ目をよく近づけると、その線は名刺の上に直接ペン描かれたものではなく、印刷されたものであるのが見てとれます。

「そんなの知るかよ、クズが」

無口なだけではなく、最近になって頓に言葉使いが汚くなってきているあなたは、女性の言葉に、無意識と思えるぐらいの小さな声でつぶやき返します。


ラーメンと半チャーハンのイデはすでに食堂のテーブルを離れ、遠く外国の地下金庫にまで飛んでいってしまったようです。あなたにはそのどんぶりや持っていた箸の形を想像することがもはやできません。あなたが想像できるのはもっと身近なものです。具体的にはズボンのポケットに入れて仕舞っているものです。そのザラついた立方体の形を思い浮かべながら、あなたはこんなふうに考えます。「どうして俺は今までこれを持ち歩いていたんだろう。どうして途中で道端に捨てなかったんだろう......」と。


いつでも七色の魔球が投げられるほどに、それはもうすっかり指先に馴染んでいます。あなたはそれをポケットからとりだしてテーブルの上に投げだします。四角い立方体のキューブがころころ転がって名刺の傍でテーブルに面をつけて止まります。

それはあなたがいつか夕方の商店街で、ランドセルを背負った男の子からもらった石ころです。その自然界では珍しい四角い立方体の形は、名刺の真ん中に浮かんだ、黒く細く、微かに揺れた線で描かれた、モダンアート的なシンプルなキューブの形と瓜二つです。

「あんた誰?」

昼食時の会社の食堂であなたは訊きます。

「クソでもクズでもない者です」

ボブの若い保険レディははっきり答えます。

それが私です。男の子がくれた石ころほどではないにしろ、私はそんじょそこらの保険レディとはちょっと違います。私が勤めている水晶生命も普通の保険会社とはちょっと違います。

そして私はあなたのことが憎らしくてたまりません。こうして出会うずっと以前から、そうだったのです。


つづく

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