六月(中篇)
あるいは東京の六月にもう一つの六月が隠れているように、京都には京都のもう一つの六月が、大阪には大阪のもう一つの六月が、隠れているのかもしれない。大阪のそれは人懐こくて、京都のそれは雅やかなのかもしれない。じつは世界はもう一つの六月であふれているのかもしれない。
ただ、いずれにしてもそれを知りうる機会は私たちには存在しない。なにしろそれは、どんなに雅やかで、どんなに人懐こくても、本質的には内気であって、はじめて親戚の家を訪問した子供みたいに人見知りで、障子の陰に隠れてこちらにはなかなか姿を見せようとしないから。そして私たちは私たちで、永遠の実利主義者よろしく、非現実的な事柄に関しては、これすべて忘れがちであるから。
その短かな季節は、春夏秋冬のように自らすすんでやってきてはくれない。時がきたら自然と移り変わるわけではない。私たちは永遠の実利主義者の仮面を脱ぎ捨て、なんとしても私たち自身の手で、引っ込み思案な六月の子を、東京の空気の中に解放してやらねばならない。
晴れて六月実行委員会の会員となった私たちは、五月最後の夕方に一通のメールを受けとる。そこにはただ「〈六月を思いだせ作戦〉決行。」とだけ、まるで小学生が思いついたいたずら文句みたいに記されている。
ただ、たとえそれが小学生のいたずらであっても、なにかの偽メールであっても、六月実行委員会の会員である私たちは一向にかまいはしない。メールを受けとった私たち全会員は、〈六月を思いだせ作戦〉を実行に移す。
そのときなにかの誓いのごとく、胸につけた六月バッヂに手をそえる私たちは、それがソーラー電池で作動し、メール機能を備えていた事実を思いだす。去年とまったく同じように。
六月一日は見事に私たちを実利主義者から博愛主義の考古学者に変身させる。その博愛主義ときたら、夜になって渋谷のスクランブル交差点に集まり、DJポリスがターンテーブルにのせる古いレコードの音楽に合わせて、みんなで輪になって『マイムマイム』を踊れるほどだ。
ただ私たちが実際に集結するのは、第一に地元地域の図書館であり、第二にインターネットカフェや、それに準ずる場所になる。
私たちはそこでもう一つの六月に関する過去の文書を集めはじめる。本来なら図書館だけでなく、町の本屋に出向いてもよさそうなものだけど、残念ながらそこにもう一つの六月に関する書籍を発見することはできない。「もう一つの六月」の「も」の字一つすら見つかられない。なぜならもう一つの六月が終わるころには、私たちは博愛主義の考古学者から再び永遠の実利主義者へと舞いもどってしまっているから。誰も彼も皆一人残らず。
すべての人たちが忘れてしまった出来事を本にして出版するのはかなり困難な作業だ。それはすでにきれいさっぱり忘れてしまった昨夜の夢を映画化する試みぐらいにバカげている。
そんなわけでもう一つの六月の書籍は出版されず、映画化もされず、私たちは決戦の夜にスポーツバーへと集結するサッカーファンよろしく、六月一日の午前中に本屋でなく図書館の貸し出しカウンターへと集い、インターネットカフェのドアを開く。
ただし図書館の館内にズラッと並んだ本棚や、検索のために置かれたコンピューターの蔵書データをいくら探してみたところで、もう一つの六月に関する本を見つけだすのが不可能であるのは町中の書店と同じこと。私たちはそれをすでに知っている。あるいは思いだしている。
もう一つの六月に関する文献は本の形としてではなく、なんらかの紙になんらかの筆記用具で書かれた文献として、図書館内の蔵書室と隣り合った資料室の細長い引き出しの中に眠っている。
五月最後の夜、そのときにはまだ無色透明な、過去にも未来にも存在しない文献として、もう一つの六月の記録は誰の目にも映ることなく、引き出しのどこかに眠っている。
恐らく、重なった時計の二つの針が0時を回った、六月に入ったばかりの最初の夜に、非常灯と夜勤の警備員が手にした懐中電灯、それに窓のカーテンの隙間から零れる月の光だけが照らす暗く冷たい図書館の館内で、もう一つの六月に関する文献は静かに音もなく蘇りはじめる。一年ぶりに姿をあらわそうとする。なんらかの紙になんらかの筆記用具で書かれた文書として実体化する。
そこに「恐らく」という断りがつくのは、一年に一度のその蘇生現象をいまだ目撃したという人間が一人もあらわれないから。
だとしたら、蘇った文献たちは、そのあまりの量の多さに、木製の茶色い横長の引き出しを自ら次々に押し開けては室内の宙に飛びだして、月の光を浴び、音もなくどころか紙製の滝のしぶきをバサバサといくつも上げながら、仄暗い資料室の空間を蝶のように舞い、飛行機のように床に不時着するのかもしれない。
というのも、その飛びだした文献とは、由緒正しい学者や偉人が書き遺したものではなく、どれも現代の東京に暮らす私たち一般庶民が記録したもので、その中には私が書き記した、まさにあなたが今読んでいるこの文章も含まれているのかも知れず、少々行儀が悪いのは致し方ないところ。
その日の朝、東京は西部にある中央図書館に勤める五人の司書たちは、誰も彼も激しい胸騒ぎに襲われて、急かされるように早い時間に家をでる。彼らは、開館前にも関わらず図書館へ向かおうとする物珍しい住民の行列と激しいデットヒートを通りのあちらこちらで繰り広げ、それに半ば勝利する。さらに激しい胸騒ぎを感じながら五人の司書は北から南から、ほとんど同時に図書館へと到着し、裏口から入館してタイムカードを押し、館内の明かりを点ける。そして上着も帽子も脱がず、仕事鞄は手にぶら下げたまま、資料室へとイの一番に駆けつける。ただ図書館で働く司書といえども、必ず蘇った文献の第一発見者になれるとは限らない。規模の大きな図書館においては、第一発見者は毎年夜間警備員がなるものと相場が決まっている。駆けつけた司書たちに見つけることが許されているのは、普段はまったく本や読書などには無関心な素振りのはずなのに、その朝にかぎっては、崩れた高い塔の残骸のごとく床に散らばっている文献を手に持ち、それに読み耽りながら夜を明かした、警備会社から派遣されている二人の夜間警備員の姿だ。
去年の同じ日の朝に、やはりそれと同じ光景を目撃した過去の記憶を蘇らせた五人の司書たちは、資料室の扉口で深く深く落胆せずにはいられない。それは本の使者として図書館に勤めながら、蘇生した文献の第一発見者になり損ねた結果より、散らばった文献を再びもとどおりの順番に並び揃えなければならないという、肉体的な疲労の予感が頭を過ったがため。
でもどうだろう、引き出しに仕舞われていた文献よろしく、さらなる記憶を蘇らせた司書たちはとっさに気づく。二人の警備員がかぶった紺色の制帽に、中央に飾られた金色に輝く警備会社の大きな徽章のために目立たないけれども、司書たちが白いワイシャツの胸につけているのと同じモコモコした小さな灰色の六月バッヂがたしかについているのを。本や読書にはまったく無関心そうな彼ら二人もまた六月実行委員会の会員であるのだ。
その瞬間、司書たちの博愛主義がグッと頭をもたげる。彼らは散らばった文献の後片づけの手間など早くも忘れ去り、二人の警備員と手をつないで、ツルツルした石のタイルが引き詰められた図書館の床に輪になって、マイムマイムを踊ってみたくなる。
つづく