六月(前篇)
春が近づいてくると、東京に暮らしている私たちは急にソワソワしはじめる。なにをしていても気もそぞろで、落ち着いて集中したり、逆に気を休めたりすることができなくなる。
ただそれは、飛びはじめたスギ花粉への気がかりとか、花見の待ち遠しさとか、新生活への不安と期待とか、そういったこの季節特有の恒例行事的なものからくるのではない。春の慣例行事ならば、なにも東京にかぎった話ではないし、前もってなにかしらの対策だってできるはず。
私たちがこうもソワソワしている理由の一つは、私たち自身がなぜソワソワしているのか、その理由や原因が分からないところにある。分からないから、私たちは余計にまたソワソワしはじめる。
夏に産まれて、はじめて冬を越し、春を迎えた森の小動物たちのように私たちはじっとしていられない。花から花へと蜜を集めて飛び回る働き蜂みたいに辺りをキョロキョロしだし、果ては用もないのにしょっちゅう寄り道をしはじめたりする。
ただ私たちがそぞろ歩くのは、森や花畑ではなく、東京の街中であり、その通りであり、その広場である。そこで私たちは自分が発しているのと同じ種類のソワソワ視線を収集しはじめる。
春の東京はソワソワ視線であふれている。急に暖かくなりはじめた陽光の中を舞う塵のように、いたる場所に満ちている。いつもならなるべく目立たずに、無関心で、無益な視線から逃れるのをモットーとしている都会の人々が、厄介な花粉にもめげず、またたきするのも忘れて、花粉症やお花見や新生活以上の関心を周囲に向けながら通りを行き来している。
名のある通りでも、そうでない通りでも、東京ではこの季節だけ人々が他人に同意を求め、その口から答えを聞きたがっているかのように容易に足を止める。
百貨店のおしゃれなハウスマヌカンはふと店の外に目をやって、外を歩くスーツ姿のビジネスマンと視線を合わせ、都会のビルの影が映るウインドウ越しに束の間の人相占いを交わす。向かい合う駅のプラットホームで朝の通勤電車を待つ人々の列は、手にしたスマホの画面から同時に顔を上げ、レール越しに反対側のホームの人々と視線を合わせる。
しかしこれほどまで私たちが春に思いを馳せているのに、こちら側の心の内を知ってか知らずか、最後まで春は私たちの気持ちにはこたえてくれない。私たちはまるでチップをケチった客同然に扱われ、毎年の慣例以上のものはなにも与えてはもらえない。
もっとも私たちは私たちで、一つの季節に冷たくあしらわれても、もはや一向に構いはしない。街で交わした視線の多さから、私たちはすでに確信している。私たちは正しいのだと。私たちのソワソワは正しいのだと。私たちのソワソワは保証付きなのだと。
ただ私たちには、なぜこうも自分たちがソワソワしているのか、その理由が依然として分からずにいる。
春の私たちへの無関心は、それ自体がなにかをもたらしてくれるのではなく、来たるべきべつの季節の存在の予感を私たちに教えてくれる。
その予感は私たちの行動にある変化をもたらす。それまで柔らかな日差しの下で互いに顔と顔を合わせていただけだったのに、そのあと糸で顎を引っ張られているみたいに必ず空を仰ぐようになる。まるで通りを挟みながら、ビルの窓を挟みながら、駅のフォームのレールを挟みながら、無意識のうちに雨乞いの共同作業でもしているかのように。
五月になっても私たちは相変わらず頭上の様子をうかがっている。東京の人々が、誰も彼も、急に空に向かって悩み事をきいてもらいはじめたかのように。
ただ実際には、私たちは本当に空に向かって自分たちの心労を打ち明けているわけではない。もしそうだったら、私たちの心は鏡となって、五月晴れと等しく青く澄み渡っていたかもしれない。
でも私たちの心を満たすのは青ではなく白。私たちが繰り返すのは告白ではなく祈り。私たちは使者が来るの待っている。そのときが来るのを待ちわびている。
五月半ばになると、ようやく私たちの祈りは形になりはじめる。いいや正確にはそれには形はない。それは日中の五月晴れとは対照的な、夜になって降りてくる白い霧だから。もくもくとした白い濃霧が、東京に向かって侵攻するゴジラの吐きだす炎のごとく、東京の夜の街を覆いはじめる。木々の葉を包み込み、通りを満たし、涙で濡れたようにビルの明かりを次々に滲ませる。
夜霧のベールに包まれた東京の街は湿度を上昇させ、視界を悪化させ、人々を小さなアーチストへと変身させる。山の手線の電車に乗って家路を急ぐ勤め人たちは、露に濡れ白く曇って街中のキャンバスとなった車窓の上に、そっと指を走らせずにはいられない。バスやタクシーの乗客たちもそれにならう。座席の窓に描いた、細い指の跡から漏れるオフィスビルの明かりを見上げる。そのビルの窓にも、すでに社員の誰かが残していった指跡のサインが......。
彼らが記した小さなアイコンとその視線は、都会の中で点と点とを結び、街中に細かな秘密の網の目めいたネットワークを張り巡らせる。サイン済みのビルのまわりを、サイン済みの乗り物たちが夜通し走りまわる。高い塔を大きな黒馬に乗って取り囲み、王の帰還を待っている黒騎士たちみたいに。東京の街はいよいよ、なにものかによって占拠されそうな予感を装いはじめる。
彼ら勤め人アーチストたちの指先に残された水滴は、私たちの祈りの結晶であり、その夜、東京圏内を行き来する乗り物たちの窓や建物の窓には、なんの約束を交わしたはずもないのに、判で押したようにみな同じ形をした一筆書きのアイコンが描かれる。その数は夜毎増えていき、大きくなっていき、一週間後の夜には、東京の路線を走る電車の曇った窓という窓に、勤め人アーチストたちが描いたアイコンが、湿ったキャンバスの枠一杯にまで広がりながらズラリと並び、さながら即席の、期間限定の、コストゼロの、走る広告電車と化す。
プラットホームに列をなし、滑り込んでくる曇り窓の広告電車を目撃した人々は、来たるべき次の月を夢想しつつ乗車する。
六月が近づいてくる。それは梅雨シーズンの到来を意味している。東京で暮らす私たちにとって一年で一番憂鬱な季節。ジトジトとした長雨は私たちの行動範囲を狭め、体力を奪い、予定をキャンセルさせ、時には危険さえも招こうとする。私たちは会いたい人の顔を見れずに、行きたい場所にもたどり着けない。だから六月はもう長い間ずっと〈抱かれたくない月第一位〉の座をキープしつづけている。一年の中で例外的に嫌われ、厄介者扱いされている月なのだ。
ただ今年の梅雨はどこか様子が違うような予感がする......。春に視線を交わし、五月には毎日空を仰ぎ、そして来たるべき六月を前にして毎晩のように走る広告電車を目撃している私たちは密かに思う。まるでペナントレース前に、今年こそやってくれるんじゃないかと、不調つづきの贔屓のプロ野球選手に毎年のように期待をかけるファンみたいに。
私たちの予感は奇跡へと変貌する。不調つづきだった選手は見事に復活を遂げ、六月に関しては、そもそも私たちの抱いていた先入観(〈抱かれたくない月第一位〉などなど......)そのものが間違っていた事実が証明される。
その証明のとっかかりとしてまず、五月最後の週に〈六月実行委員会〉が結成される。これは自称「映画好きな銀座のOLとグルメな新橋のヤングサラリーマン」たちから成る即席の自由組織で、その周辺企業に勤める若手社員から構成されている。彼らの目的は都内の駅前や広場でバッヂを配ることにある。
「六月バッヂを作りました。よかったらお一ついかがですか?」
〈六月実行委員会〉の若き勤め人たちは、男も女も、不釣り合いな笑顔を振りまきながら、集団のティッシュ配りみたいに一群となってバッヂを配る。不釣り合いというのは、この時点ではまだ私たちの六月に対する先入観が邪魔をしているからだ。
五月下旬のある朝、都内の駅前に〈六月実行委員会〉の若者たちは唐突に姿をあらわす。
通勤電車を降りて改札口からでた私たちは、だしぬけに彼らと遭遇する。もっとも一瞬戸惑いながらも、私たちは直ぐになんの疑問も抱かないまま嬉々として彼らの手からそのバッヂを受けとる。早く出社してタイムカードを押さなければならないのに、ミーティングの準備もしなければならないのに、駅のロータリーに行列を作ったりもする。
六月バッヂの形に私たちは見覚えがある。それは仕事帰りアーチストたちが車窓のキャンバスに描いたアイコンと良く似ている。社章バッヂと同じぐらいの小ささで、灰色で、ロールパンのようなモコモコとした形をしている。
それをまさに社章バッヂの横につけたとき、私たちは春にソワソワしていた理由を今さらのように直感的に理解する。私たちは激しいデジャブに襲われ、同じ場所で同じ上着に同じ形をした六月バッヂを、やはり嬉々として身につけた過去を思いだす。去年も、それに一昨年も。六月バッヂは、私たちの記憶の扉を開くボタンの役目を担っている。〈六月実行委員会〉の若者たちこそ、じつは六月からの使者なのかもしれない。
海の底で眠っていた怪獣が目を覚ます。目覚めた怪獣は真っ直ぐに東京湾を目指しはじめる。
私たちは会社の建物に向かって歩きながら、一年のうちでひと月だけ厄介者扱いされた、それとはまったく別の顔をした、もう一つの六月の存在を一斉に思いだしはじめる。
私たちはすでに六月が『みにくいアヒルの子』であるのを知っている。本当の六月は、私たちの記憶と祈りが創りだすのも。
つづく