空飛び妻・その⑬ 未完
よく故郷は遠くにありて想うものなんて言うけれど、まさか地球を見上げるほど遠い場所からそれをするはめになるとは考えもしなかった。
自分自身の姿を遠く横目にパノラマ写真に収めることができたなら、そのとき俺は宇宙の弥次郎兵衛か二宮金次郎よろしく両腕に地球と月をぶら下げて、書物に記された言葉の力によって、巨大な塔のバランスをちょうどいい具合に保とうとする男のように写っていたかもしれない。もっとも広げた本には肝心の文字は一文字も載ってはいないのだけど。
記憶の書のページを占めるイラストの精密さは、初期の単純なCGゲームか、せいぜいがスマホのアイコンレベルだった。それでも見開きページにびっしりと並んだイラスト文字は壮観であり、古代王朝の墓を囲む壁一面に彫られた象形文字の群れを思わせた。
王朝の衰退とともに読み方が忘れられた古代の象形文字は、解読するのに何世紀もかかったらしいけど、記憶の書に記されたイラスト文字の方は簡単に解読ができた。ただしそれができたのは世界に俺一人に違いなかった。それは俺の過去の記憶であり、俺が子供のころに暮らした町の記憶だったから。
ありていに言ったなら、俺の〈月面日帰りツアー〉は一つの建物を思いだすために、記憶の書を設計図に、その土台となる土くれの一握りから再現しようとする、途方もなく気が遠くなる作業だった。しかもその作業は一つの建物だけでなく、町の存在そのものに及ぶのだ。
人が一人でそんな真似をしようとしたなら、もちろん人生が何度あっても足りやしない。だけどもそのときの俺には高性能化された目ん玉と、高速化された脳味噌があった。マーベルキャラの一人として、『アベンジャーズ』に出演してもおかしくなかった。
頭の中で2Dのイラストが、3Dのリアルな町へと変換されていった。俺の二つの目ん玉は、めまぐるしくめくれるページを瞬時に読み取り、さらにスーパーコンピューター化した脳味噌がデータを高速処理した。一つの町が脳内にハイスピードで再構築されていった。
見渡すかぎりなにもない火星の砂漠めいた土地に、古びれたアスファルトの道が網の目のように伸びていく。それは大それたものではないけれど、砂漠に比べれば確実に文明の証だ。その網の目に沿って低い家々が建ち並び、いたるところに緑が植えられた。鉄のレールが敷かれ、くたびれた駅が建てられた。二つのプラットフォームに屋根がつき、駅周辺には「◯◯銀座」とは名ばかりの、ささやかな商店街が建ち並んだ。町の東には小魚が釣れそうな名もない狭い川が流れ、遠く西側にはなだらかな山々がそびえ、鳶が当てもなく空高く飛んでいた。冬になると木枯らしが舞う町の北側では畑が耕され、南側には大小の工場が建ち並らび、トラックがすでに出入りしていた。
東京の郊外にありながら、それは日本中どこにでもありそうな、平々凡々な町のように映った。標識に書かれた町の名をほかの都道府県の町の名に書き換えてもなんの違和感もなさそうな。火星に移り住んだ人々が帰郷の念に駆られて、異星の砂漠の上に、わざわざ地球の町そっくりに造ったクローンの町のような。
実際にそれはクローンの町だった。記憶の書に記されたイラストの遺伝子による。そしてその情報に欠陥がなければ、俺の生まれ育った町がそっくりそのまま脳内に再現されたはずだった。
あるいはそれはハナから俺の故郷ではなかったのかもしれない。月面から宇宙船に乗り、α星に向かって旅立ったはずの動物たちのためにつくられた町だったのかも。彼らが向かった先はα星ではなく、じつは火星の砂漠だったのかも。
α動物園からはじまった俺の〈月面日帰りツアー〉は、行きは記憶をめぐるサファリツアーであり、帰りは本来ならば記憶をめぐる読書体験ツアーになるはずだった。でもそうはならず、ツアーは行きも帰りもやはりサファリツアーになろうとしていた。一番肝心な日曜日の記憶はまったく蘇りそうになく、良くも悪くも俺がαに対して抱いていたイメージは大いに揺らぎつつあった。
それは後半の読書体験ツアーも半ばを過ぎ、折り返し地点に入ったころに起きた。白い軽トラとブナの木のイラストの間に挟まれて、黄色いたてがみを生やした動物が立っていた。
最初は上野動物園のライオンかと思った。あの日、あの最後の日曜日に、両親とともに見たであろう生き物の記憶。ようやく問題の核心部分に近づいてきたのかもしれない。
ただそれにしてはそのライオンにはおかしなところがあった。歴史ある動物園の百獣の王としては少し様子が変だった。どうも子供のころに動物園で出会ったライオンではないような気がした。俺の失われた記憶の失われ度が、ここにきて逆に高まったかのような。
たてがみの上に、赤線の輪が入った白いヘルメットをちょこんとのせていた。深緑色した上下の服に身を包み、赤いネクタイまでして二本脚で立っていた。
それはどう見ても、動物園のライオンというよりは、『ズートピア』で働いているライオンの郵便配達員に近かった。その顔には、郵便配達員としての誇りと喜びさえ浮かんでいるように思えた。アフリカのサバンナでも、世界中どこの動物園でも、普通ライオンはそんな表情は浮かべない。
ページが進むにつれ、ライオン配達員の出処は自ずと察しがついた。そのあと記憶の書には、同じように洋服を着て、二本脚で立った百獣の王以外の動物たちが次から次へとあらわれたから。ウマの駅員や、杖を持ったヤギの老人や、買い物袋を腕にぶら下げたカバの主婦や、黄色いソフト帽を被ってランドセルを背負ったワニの小学生などなど。彼らはライオン配達員よろしく、希望に満ちて生きているのが楽しげに見えた。なんらかの手違いによって、俺の記憶の書が希望の書に編集されようとしていたみたいだった。
そのときになって、俺は表紙に並んだ動物たちの微笑みの意味が、ようやく分かった次第だった。
俺のスーパーな目ん玉と脳味噌が、ページにあらわれては消えていく彼らの数と姿を正確にカウントした。彼ら二本脚の愉快な仲間たちが、瞬く間にα動物園の動物たちの数を追い越したであろうことは間違いなかった。その正確な五桁の数字は、右手に持った残りページの束が終わりに近づくにつれ、俺がおぼろげに記憶しているある数字に追いつこうとしていた。俺が幼少期に実体験として知っていた、あまりパッとしない一番大きな数字に。
俺の手の中で記憶の書から希望の書へと読み換えられようとしていた本は、残りわずかな枚数になっても人間の姿はいまだに一人もでてこなかった。犬や猫もでてこなかった。彼らは微笑みの輪の中に入れてはもらえなかった。普通、動物園では、犬や猫は飼われない。だからどんなに彼らの笑顔が陽気であっても、記憶の書には描かれない。犬のおまわりさんとか似合いそうだけども。
これらの条件を総合的に判断してみて、彼ら二本脚の愉快な仲間たちは、α動物園の動物たちであるのと同時に、α動物園の動物たちではないという答えを俺のスーパーな脳は弾きだした。
服を着た動物たちはバグに違いなかった。彼らは本来は人間であり、かつて俺が子供のころになんらかの関係をもった人々たちなのだ。その人々がどういうわけだか動物化し、記憶の書を希望の書に変えようとしていた。
本来の記憶の書には、動物でなく大勢の人間がそこに描かれていたはず。彼らの姿は、子供たちを除けば、それは動物たちみたいに楽そうではなかったかもしれないけど。
いったいどういうわけで、こんな現象が起きたのだろうか。考えられるのは、動物たちの体内に保存されていた俺の記憶が、長い時間のうちに動物たち自身の記憶と混じり合ってしまったという可能性だ。
しかしそうなると困った事態になる。俺は最後の日曜日に父親と一緒に動物園でなにを見たのか是が非でも思いださねばならない。それなのに俺の両親はほかの住人たちと一緒におとぎばなしみたいに動物に化けてしまい、しかもどの動物が俺の両親なのかさっぱり分からない始末なのだ。
もしかしたら俺の両親も、そろって豚にされてしまったのだろうか。いいやそんなはずはない。月へと架けられた塔を昇るα動物園の仲間たちの中に、豚はいなかったはず。
せっかく月まで往復してきたというのに、これでは蘇るはずの俺の記憶も蘇りはしない。俺は相変わらずいい歳をした根無し草のままで、38万キロの往復がまったくの無駄足に。38万キロの往復だから76万キロ。そんな距離をいまだかつて無駄にした人間がいただろうか。母親と再会するためにマルコが旅した距離でさえ、たかだか12000キロ程度だ。
俺は無駄足王として歴史に残るかもしれない。無駄足王たる俺の墓室の壁には、動物たちのイラストが壁一面に彫られるのかもしれない。塔を昇る四本脚の動物たちと、服を着た二本脚の動物たちの。そこには人間の姿は一人も彫られてはいないだろう。
俺の落胆はひどかった。最初のうちは自ら望んだ旅ではないという気持ちもあったけど、それはもはや遠い過去の出来事のような気がした。俺は地球と月の間で落胆する弥次郎兵衛か二宮金次郎よろしく存在し、宇宙は、光よりも早く拡散する俺の落胆ビッグバンによって覆われようとしていた。
それでも宇宙に点在する数々の文明が、俺の落胆ビッグバンに滅ぼされずにすんだのは、ついに記憶の書が最後のページにたどり着いて、その最終行に人間のイラストが、まるで最初で最後に登場する句点のごとく一人だけ描かれていたからだった。
どうやら無駄足王たる俺の墓室にも同志である人の姿が彫られることになりそうだった。
その女性は俺の母親ではなかった。イラストの女性は当時の俺のおふくろよりも若く見えたし、着ている服装の趣味も時代性もだいぶ違っていた。
女性は見たとこショートヘアで、白いニット帽を被り、オレンジ色のフリースの下に虹模様の白いワンピースを着ていた。その裾からグレーの厚めのスエットがのぞいていた。ワンピースのお腹だけが膨れていて、虹の模様が立体的に見えていた。どうやら女性は妊娠しているようだ。もう安定期を過ぎているのかもしれない。チューブタイプのハチミツが大好物なのかもしれない。なんなら通りの真ん中で、直接口でチューチュー吸うのかもしれない。
俺はハードカバーの裏表紙を閉じた。妊婦の女性は、背負った黒いリュックの二本のショルダーを、小学生がランドセルを背負ったときにするみたいに両手で握りながら、ライオン配達員に負けない微笑みをこちらに向けていた。その表情が本を閉じても尚、俺の脳裏にはっきりと浮かび上がった。
たしかにその本は記憶の書であると同時に希望の書でもあった。これほど笑顔にあふれた本もそうはないだろうから。
しかしその数々の笑顔のおかげで俺の曇った心が晴れたかといったら、そういうことはまったくなかった。むしろ台風が近づいているみたいにますます雲が厚くなって気持ちも暗くなっていった。
イラストの女性はマユミだった。ほぼ100%の確率でそうだった。どうしてお腹のでた俺の妻が、俺の子供時代の記憶の書にでてくるのか。それも住んだこともない町の、たった一人の人間として。俺のスーパーでハイパーな脳味噌をもってしても、それを理解するのは容易ではなかった。
つづく