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ピアノマンの見つけ方(四号編その①)

私はピアノマンを見つけました。本当です。嘘じゃありません。仕事を休んで遠出した海岸で、倒れている彼を発見して救助したのです。

ただ残念なことに、私が見つけピアノマンはいまだに他のピアノマンのようにテレビにでたり、コンサートを開いたりはしていません。CDも一枚だってだしてはいません。それどころか悲しいことに、レコード会社の人たちは彼のことをまだ正式にはピアノマンとは認めていないのです。私が見つけたピアノマンは、今でも東京近郊の施設で、レコード会社の援助を受けながらリハビリ生活を強いられているはずです。


レコード会社の公式発表によれば、これまでにピアノマンは三人見つかっています。私のピアノマンは四人目となるので、本来ならばピアノマン四号として華麗にデビューするはずだったのです。本当なら発見者である私も、彼の通訳者としてその演奏旅行に随行し、旅客機のファーストクラスか豪華客船のラグジュアリーにでも乗って、シャンパングラス片手に世界中を旅しているはずだったのです。

それがどういうわけでしょう、私が四号を見つけてからすでに三ヶ月が経ち、季節が変わっているのに、世間の人々は彼の存在すら知らず、発見者である私に至っては日の当たらない暗くて冷たい会社の地下室で硬いパイプ椅子にもたれながら、今まさに失業の危機に直面しているあり様なのです。


この二ヶ月間、私の一日は会社の裏手にある、灰色した外階段を下りていくことからはじまるのでした。ビルの底にたどり着いて鉄製の重たい扉を開けて建物の中に足を踏み入れると、仄暗い廊下の棚に白いカードが一枚だけ挿さっているのが見えます。それが永年勤続の果てに私のタイムカードがたどり着いた場所なのです。

なんの自慢にもなりませんが、私はこのタイムカードを二十五年間一日も忘れることなく、欠勤することなく、押しつづけてきたのです。雨の日も風の日も、ただの一日もです。

それはある意味、数字で体現された私の半生です。もちろん最後の出勤日となった今朝も、ちゃんと定時前に忘れることなく押しました。あとは退社時にもう一度押せば、オークションにかけられても欲しがる人はいないであろう、完全無欠な私のタイムカードコレクションが完結するわけです。


コンクリートが剥き出しになった空間に、墓石めいた大きさのダンボール箱が所狭しと並んでいます。その場所はちょうど会社の地下駐車場にするのに最適な広さに見えました。バスケットの試合だってできそうでした。どうしてこの空間をもっと有効活用しないのか不思議でなりません。どう考えても一人の社員が使うには広すぎるのです。

ダンボール墓地の隅にポツンと置かれた一組のステンレス製の机とパイプ椅子。それが私に与えられた記念すべき最後のオフィスになりました。バスケットができそうなぐらいにとびきり広い私一人のためのオフィスでした。退職願いを提出した日からというもの、私は会社の地下室に出向の身となり、出入り口まで他の社員とは別々にされてしまったのです。

恐らく重役のお偉いさんたちは私の存在が目障りになったのでしょう。なるべく他の社員たちに悪影響を与えないよう、お役御免の日まで遠ざけておこうと考えたようです。


地下室では在庫整理の仕事を与えられていました。ただそれは名ばかりの職務で、並んだダンボールの墓石になにが眠っているのか、私は考えようともしませんでした。

なにしろ地下室に転がり込んできたばかりの私は忙しかったのです。我が人生の春だったのです。ダンボール箱に用はなかったのです。

ただ普通ならば春のあとには必ず夏がやってくるものですが、私の人生は一つ季節を飛び越えて、新しいオフィスに引っ越して間もなく早くも秋風が吹きはじめ、さらに忍び寄る人生の北風を予感しながら、私は朝から夕方まで一本の電話を、あるいは一通のメールを、そこで待ちつづけることになったのです。

それは私の人生を左右することになるとても重要な知らせになるはずでした。今日こそは今日こそはと、吉報が届けられるのを待ちつづけていたのです。しかし机の上に置いた私のスマホはウンともスンとも言わないまま時間ばかりが悪戯に過ぎていき、ついに私は退職の日を迎えてしまったわけなのです。


ピアノマンが見つかった地方の海岸では今でもゴールドラッシュめいたピアノマンフィーバーがつづいているようです。

地下室からスマホでその映像を目撃するたびに、私の心は痛みました。なぜなら私は、お宝を見つけようと夢見ている人々に忠告を与えられる唯一の人間であったはずだからです。「あなたがもしもピアノマンを見つけることができたとしても、それはあなたが期待しているピアノマンとはまるで違う可能性があるのですよ」と肩に手を置き、「悪いことは言いませんから、人生の階段を踏み外してしまう前にお家にお帰りなさい」と、欲の張ったお尻を叩いてやれる立場にいたはずだったのです。

それなのに私の口は最後まで貝のように固く閉じ、ずっと押し黙ったままでした。

脅されていたのです。担当者に口止めされていたのです。もしも四号の存在を誰かに喋ったりしたら、その時点で通訳者になる資格はなくなりますから、と。

しかし通訳者とはピアノマンの第一発見者のことであり、第三者がその資格を云々するのはまったくおかしな話です。ただそのおかしな話を鵜呑みにしてしまうほどに私は切羽詰まっていたのです。


どうしてこんなことになってしまったのでしょう。ピアノマンを見つけて意気揚々としていた、人生の中で一番輝いていた、上司に自信満々で退職願いを手渡した私は、いったいどこへいってしまったのでしょう。

考えたくないことですが、恐らく騙されていたのです。その言い方が大袈裟ならば、トカゲの尻尾のようにどこかで切られてしまったのです。レコード会社の男性担当者が並びたてる誘惑に惑わされて、バブル時代のアゲアゲ嬢よろしく、いい歳をしながら恥も外聞も忘れて踊らされていたのです。

しかし私はそのすべての責任をレコード会社やその男性担当者に押し付けるつもりはありません。なぜなら一番最初に四号に出会ったのが私であることは、紛れもない事実だからです。


ピアノマンが正式にピアノマンと認定されるためには三つの条件を満たす必要があります。一つ目は当たり前ですが、ピアノマンというからには、ピアノが上手に弾けなければなりません。二つ目は必ず海岸で、記憶を失った状態で発見されることです。そして三つ目の条件がよく理解できないのですが、ピアノマンはハンサムであれ、ということのようです。

四号は最初の二つの条件を完璧に満たしています。問題は三つ目のハンサムです。私はその重要性にもっと早い段階で気がつくべきでした。正直に申しますと、私は三つ目の条件を甘くみていたのです。あるいは見て見ぬ振りをしていたのです。

おそらくそれは私自身の外見と無関係ではないでしょう。ハンサムでない男は時にハンサムについて鈍感なのです。つい過小評価しがちなのです。でもそれは得てして敏感さの裏返しであり、ただの自己防衛に過ぎません。それは私が地下室で得た教訓です。暗く寂しい洞窟で僧や剣豪が悟りを開くように、私は会社の地下室で一つの教訓を習得したのです。


ただ私が三つ目のハンサム条件を過小評価してしまったのには、それなりの理由があったのも事実です。私が海岸で発見した四号は、同じように他の海岸で発見されたピアノマンたちの中でもとりわけピアノの演奏が達者だったらしいのです。

らしいと申しますのは、じつは私が彼の演奏を実際に耳にしたことがなく、また聴いたとしてもは他のピアノマンの演奏と比較ができるほどの音楽的教養がないからなのですが、クラシック音楽専門である男性担当者がそう言っていたのですからまず間違いはありません。仕事中に電話をかけてこないという約束を忘れ、男性担当者が興奮気味に電話してきた日のことを今でもはっきりと覚えています。ええ、覚えていますとも。彼はまだ真面なオフィスにデスクを持っていた、当時の私にこう言ったのです。

「おめでとうございます、外木場さん。四号の演奏は完璧です。これまでのピアノマンの演奏の中でも最高のレベルです。もうデビューは決まったも同然です。すぐに退職の準備に入って下さって結構です。世界中の観衆が私たちを待ってますよ!」


決して男性担当者に悪気があったとは思いません。そのときには彼も心底そう信じて言っていたのでしょう。レコード会社の社員である自分の音楽的教養やキャリアにかけて。あるいは上司の誰かからそのような不確定な社内情報を吹きかけられていたのかもしれません。

いずれにしても私を待っていたのは世界中の観衆ではなくて、失業の憂き目であり、ビジネスクラスはおろかエコノミークラスにでさえおいそれとは乗れない、そもそも乗る必要がない、生活なのでした。


もしもダビデ像のような肉体美を誇るバレエダンサーたちの中に、一人だけタイツの上に余ったお腹の贅肉を乗せたダンサーが混ざっていて、しかもそのメタボダンサーがダビデたちの誰よりも舞台の上で華麗に、そして力強く、舞い踊ってしまったとしたら......。

果たしてそのとき劇場の観衆は熱狂的な、かつてダビデたちに捧げていたのと同じぐらいの、あるいはそれ以上の拍手を、メタボダンサーに送ってくれるでしょうか。それと同じように、世界はかつて担当者が私に予言したように諸手を挙げてピアノマン四号を歓迎してくれたでしょうか。

男性担当者は最後までハッキリとは口にしませんでしたけど、いつまでもそれに気がつかないほど私だって頓馬ではありません。だってこれまでに見つかった三人のピアノマンときたら、みんなスラリと背が高くて、顔は小さくて、足は長くて、髪や肌の艶やかさはまるで女性と見間違えるようなのです。クラシック音楽界のアイドルのようなのです。

彼らは言葉を直接口にすることがなく、いつも通訳者の男性と小声で耳打ちし合いながらでしか人とコミニュケーションをとることをしませんが、そんな大昔の貴族めいた所作も彼らをよりいっそう謎めいた高貴な存在に見せています。


それと比較して私が見つけた四号はどうでしょうか。

あらゆるものが灰色の冷たいに潮風に晒されていた海辺での出来事を、つい昨日のことのように思いだします。波打ち際に倒れている彼を遠目に発見したとき、てっきり私はどこかに持病を抱えた小柄なお爺ちゃんが、散歩の途中に具合が悪くなって倒れたものと思い駆け寄ったのでした。

そしてその遠目から見た印象は、波に足下を洗われながら彼の姿を間近に見下ろしたときにも大して変わりませんでした。真冬だというのに白いワイシャツ一枚しか着ておらず、しわくちゃの薄いチノパンと茶色く変色しかかった白いスニーカーの間に、手首のようにか細い足首が覗いていました。救急車の簡易ベッドで毛布に包まって横になっている間も、目を閉じ、ずっとガタガタと震えていました。その姿はまるで......いいえ、もう止しましょう、こと外見に関しては私だって人をとやかく言えた立場ではないはずですから。ただ一つ確かなのは、彼が通訳者である私に耳打ちしている姿を想像したとき、人々がそこに高貴な印象を感じることはないだろうという予感です。


当たり前の話ですが、世界は音楽だけで成り立っているわけではありません。むしろそれ以外の要因で成り立っている部分の方がずっと大きい。そしてその中でもとりわけ大きな要因がビジネスや経済であることは誰もが承知していることかと思います。

そこで純粋にビジネスの面だけで考えたときに、ピアノマン四号のデビューという案件からは、ある危険性が浮かび上がってはこないでしょうか。つまりそれは四号の存在が、これまでずっと高い水準をキープしつづけてきた先人である三人のピアノマンの商品価値を下げてしまうかのような。


そうです、その可能性は決して大きくはないかもしれないけども、残念ながら絶対にゼロとも言い切れないのです。そして私や男性担当者が気がつかなかったその可能性に、レコード会社の上層部の人たちはすぐに気がついたのでしょう。あるいは彼らにとってそれはすでにシミュレーション済みの案件だったのかもしれません。

もしも本当に四号がピアノマンの最高傑作であったなら、お抱え運転手付きの黒光りする社用車に乗って、レコード会社の社長が直々にみすぼらしい私の独身用マンションに挨拶にきてもよかったはずでしょうから。


その可能性を遅くとも私は、上司のデスクに退職願いを置く前に一度は考えてみるべきだったのです。

それなのについ踊ってしまったのです。男性担当者の調子のいい誘い文句に浮かれてしまったのです。

しかし私としても、なにも掌を返すようにすぐに退職願いをしたためはじめたわけではありません。

それは石橋を叩いて叩いて叩いても、結局渡らずにもときた道を引き返すような私の性格にもよりますが、そもそも仕事一筋で世間の動向にも疎かった私は、ピアノマンの存在をまったく知らなかったのです。男性担当者から詳しい事情を知らされるまで、てっきり有給休暇をとって訪れた冬の海岸で、散歩中に倒れたお爺ちゃんを助けたものと信じていたのです。


ようやく私も多くの人々がピアノマンの演奏を耳にして強く心を動かされている事実を知ることができました。そして私も彼らの存在を知って、これまでの人生観を大きく変えることができたのです。

ただしもともと音楽というものにこれといった関心を持てなかった輩が、彼らピアノマンの演奏を耳にしたからといって、急に冬の稲妻に撃たれたかのごとくなにかに目覚めたかというと、やはりそういうことは起こりませんでした。私の琴線はかくのごとく頑なであったのです。

それよりも私が強く心を動かされたのは、通訳者と呼ばれる彼らピアノマンの発見者の存在でした。それというのも、なぜかピアノマンはその第一発見者である男性とだけしか言葉を交そうとしないため、雇われた通訳者にはレコード会社から多額の通訳料が支払われるらしいのです。噂ではそれはピアノマンの演奏収入の一割にも上るそうなのです。


こんなふうに言ってしまうと金の亡者になってしまったようで恥ずかしいのですが、事実なので仕方ありません。たかが一割といってもピアノマンの人気は世界的なものですから、それは相当な額に上るわけです。その収入は私の生活だけでなく、田舎で暮らす年老いた両親の生活をも劇的に変えてくれることでしょう。世間で通訳者がピアノマン長者と呼ばれる所以です。大勢の人々が海岸で血眼になって探している宝物を、私はほんの偶然から見つけてしまったわけです。

しかしつくづく不思議なのは、どうしてあの冬の朝にかぎって、いつもは出不精で休みの日にもせいぜい近所を散歩するぐらいの私が、なぜだか電車を乗り継いでまで遠く水平線を見たくなったりしたのかということです。しかも二十五年間一度もとったことのなかった有給休暇を会社に申請してまで。

もしかしたら偶然ではなかったのかもしれません。なにか見えない力によって私は導かれていたのかもしれません。


ただしそれでも私はなかなか踏ん切りがつかずいたのです。夢のような生活が両手を広げて待っているというのに、その胸に飛び込むことができずにいたのです。

なにしろ特別いいことがあるわけでも恵まれた給料をもらっているわけでもないのに、二十五年間一日も欠勤することなく同じ会社で働いてきたのです。目立った利益はださないけども目立ったミスを犯すこともなく、ただコツコツと休まず勤め上げてきたのです。そんな草野球チームの永遠の二番バッターみたいな輩の頭上に、まさか奇跡が舞い降りてくるなんて一度だって考えたことはありませんでした。

ですから成功に対する免疫がまったくできていないわけです。ピアノマンの通訳者になって欲しいなどといった突拍子もない依頼に「ハイ、分かりました」と、二つ返事でOKできるはずがないのです。


そのころは残業帰りの電車で車両のドアにもたれながら男性担当者から届いた写真付きメールを眺めて帰るのが日課になっていました。

ピアノマンは演奏活動のために世界中を飛び回りますから、その通訳者は会社勤めをつづけながらではできない仕事です。つまり私がサラリーマンを辞めてその任を引き受けないことには、いくら四号が優秀なピアノマンであってもプロのピアニストとしてデビューできないわけです。それで男性担当者もはやく口説き落とそうと一日に何通もの写真付きメールを私のスマホにせっせと送ってくるのでした。


百聞は一見に如かずと考えたのでしょうか、メールの写真は私にとっては夢の世界から届けられたようなものばかりでしたけども、それらはどれも三人の通訳者が実際に旅先で撮影したスナップなのでした。それに男性担当者の短いコメントが付けられていました。

コンサートホールを埋めつくす世界各国の聴衆。ありとあらゆる魅惑的なホテル。ありとあらゆる美味しそうな食事。ありとあらゆる美しい夜。美しい広場。美しい市場。街、駅、列車、川、橋、虹。老人たち、女性たち、旅人たち、子供たち、犬たち、猫たち......。


私と三人の通訳者はよく似ていました。元はと言えば彼らもサラリーマンだったのです。たしかピアノマン一号の通訳者がタクシー会社勤務で、二号の通訳者が倉庫勤務、三号の通訳者は印刷会社のオペレーターだったはずです。そして私たち四人は共通して、同じ会社で二十五年間勤務してきた男たちばかりなのです。

それらの写真を私は毎晩電車の中で眺めながら帰りました。それまで無味乾燥な便利さだけが取り柄の機械だった私のスマホは、しだいに行ったことも会ったこともない世界中の風景と人々で一杯になっていきました。私はいつもそれを胸に入れて持ち歩きました。


「あなた、いいとこに転職するんだってね。おめでとう、良かったね」

ある朝、いつもと同じように出社すると、挨拶ぐらいしか言葉を交わしたことがなかったはずの掃除のおばちゃんが、階段の踊り場でそう話しかけてきました。

そのとき私は「それはきっと人違いですよ」と答え、そそくさとその場をあとにしたのですが、突然の転職祝いはその後もつづきました。これまで特に親しく会話もしたことがなかった社食のおじさんが、ガードマンの男性が、こちらの顔を見るなり、自分のことのように嬉しそうにお祝いの言葉をかけてくるのです。

これはてっきりピアノマンの件がどこからか流出して通訳者の話が社内にバレたのかと思い、内心ヒヤヒヤしたのですが、隣デスクの同僚にそれとなく探りを入れてみると、どうもそういうことではないようで、同僚の彼は横の私に醒めた視線を送りながら言うのでした。

「それはさ、あなたの顔に、『おれはこの会社で一番のラッキーマンだ』って書いてあるからだよ」


同僚の話から推測すると、同業他社の大手企業から不確かなヘッドハンティングの噂話があり、それが近頃やたらと周囲に幸せオーラを発散しているらしい私の存在と社内的各部署的に結びついたようなのです。

「これまでが地味だっただけに余計に今のオーラが派手に目立つんだな」

「そんなに出てるのかな」

「ああ、出てるよ。春先のスギ花粉並に飛んでるよ」

私にしてみれば、どうして草野球チームの永遠の二番バッターをプロ球団がドラフトで指名して、その上に高い年俸まで支払おうとするのか、ちょっと考えてみただけでも甚だ疑問がわいてくるところなのですけど、それぐらいに通訳者の件は私に影響を与えていたのでしょう。

あるいは男性担当者からの毎日のメールが、知らず知らずのうちに私を内から変えていたのかもしれません。気がつけば、私の名前どころか、こちらの存在さえ知ってくれているかどうか怪しい感じだった若い女性社員たちまでが、和かに挨拶してくれるようになっていたのです。

もしかしたら私は歩くたびに周囲に希望の鐘を鳴らすような男に生まれ変わったのかもしれません。三人の男たちはこうやって通訳者になっていったのかもしれません。私は歩くたびに彼らが撮った写真の中の風景や人々と同化して、ついには私自身がその中の一部分になっていったのかもしれません。美しい夜、美しい市場、列車、虹、女性たち、子供たち......。


「で実際のところどうなんだい、ヘッドハンティングされたのかい?」

同僚は訊いてきます。同業他社の大手というのは彼らの早とちりですが、それ以上においしい転職話が舞い込んでいたのは事実だったので、つい返答に躊躇していると、私のヘッドハンティングの件は社内では完全に既成事実化されてしまったようでした。

たしかその翌日のことだったと思います。うしろを通りがかった上司が私のデスクの上になにやら白い用紙を置いていったのです。とっさに書類の書き直しの依頼かと思ったのですが、上司が残していった言葉はそれとはちょっとニュアンスが違っていました。

「いつまで悩んでるんだ。とっとと書いて私のところに持って来るんだ」

白い用紙は透明袋に入った便箋と封筒のセットでした。キツネに抓まれたように上司からの置き土産を眺めていると、隣でパソコン画面のデータと睨めっこをしている同僚のボソボソとしたささやき声が聞こえてきました。

「転職は慎重にってコピーあるだろ。あれって本当か?ま、本当だろうな。でも俺があなたの立場だったら、気が変わらないうちに退職願いを書くけどな。だって社内のみんなが永遠の二番バッターの旅立ちを望んでるんだから。ここで書かなかったら男がすたるじゃないか」


まさに売り言葉に買い言葉。私はもっと本を読んでおくべきでした。それから音楽を聴いて映画やお芝居も観ておくべきでした。そうすればもっと深慮深くなって、あんな軽はずみな言葉に乗っかかったりすることはなかったでしょうから。

しかし人生にはときに羽目を外さなければならない局面があることもまた事実です。私はまさにあの瞬間がその局面であるように感じずにはいられなかったのです。だって会社のみんなが、重役を除くほとんどの社員が、良かれと思い、私を間違った方向へと送りだそうとしてくれていたわけですから。

私は自分の指を止めることができませんでした。私は透明袋の封を開け、白い便箋と封筒を取りだし、その場で二十五年目の退職願いを書きはじめたのでした。


つづく



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