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銀座のOL×新橋のヤングサラリーマン

レストランでの食事もいいし、百貨店でお買物も悪くない。でも銀座のOLたる者、金曜日の夜ともなれば、それは映画館での映画鑑賞と相場が決まってる。なんといっても銀座のOLは映画女子のシンボルなのだから。

世に映画女子は星の数ほどいるし、映画館なら新宿や渋谷にだって沢山あるけれど、銀座のOLたちが特別なのは、単に銀座が昔からおしゃれな映画の街だからという意味ではもちろんない。

それは銀座の街が映画を選んだのではなく、映画が銀座の街を選んだのと同じように、その並木通りや、そのカフェの椅子や、古い雑居ビルの螺旋階段や、ウインドーに飾られたドレスや装飾品や、青い空に響きわたる時計台の鐘の音が、彼女たちを選んだがためだった。そしてそれは他の街では決して起こり得ないことなのだ。

ただ当の銀座のOLたちはそのことを知らない。あるいは噂ぐらい耳にしていたとしても、そのことにはいたって無頓着である。

彼女たちは純粋に映画好きなのであり、日が暮れてタイムカードを押す瞬間がくるのを今か今かと待ち望んでいる。


銀座のOLたちは基本サービス残業はしない。金曜日の夜なら絶対に。そんなものに付き合っていたら最終上映の時間に遅れてしまうから。それでも上司たちは彼女たちに残業してもらいたがってる様子をチラチラと垣間見せる。銀座のOLたちはそれを知らん顔でやり過ごす。

なにしろ彼女たちには日本一の繁華街がついているから、そこでビジネスをつづけたい以上、上司も社長も下手なことは口にはだせない。口にだしたらどんな酷い目に遭わされるかわかったものではない。


その日、銀座のOLである彼女は朝からずっとスマホの画面と睨めっこしていた。銀座のOLにとって金曜日はいつも特別だったけども、その週もまたそうだった。というのは、夜には十何作品目になる新しい『ゴジラ』の先行レイトショーが日比谷の映画館であって、銀座のOLとしては、必ず駆けつけなければならないイベントなのだった。

ただし前売り券はすでに売り切れていて、当日券も手に入りそうにない。そうかといって、特定の映画を鑑賞するために会社を休むのは、銀座のOLのルールに反していた。彼女たちにとってはハリウッドの大作も、映画祭で賞に輝いた芸術作も、封切り一週間で打ち切りが決まりそうなC級作品も、同じ映画であることに変わりはないのだ。

だから会社を休む代わり、予約席のキャンセル目当てに映画館のホームページに目を光らせていたのだけども、成果はかんばしくなかった。新しい『ゴジラ』は大人気みたいだ。そうなるとあとは実際に映画館前まで馳せ参じて、銀座のOL御用達でもある顔見知りのダフ屋のおっさんから運よくチケットが手に入るかどうかにかけてみるしかない。

けれどもそんな状況であっても、朝から夕方まで、彼女の上機嫌がゴジラの手にかかった東京タワーみたいに折れ曲がることはなかった。今夜その『ゴジラ』が、彼女の見上げるスクリーンに現れることが不可能だったとしても、それはいつか必ず現れるのだし、『ゴジラ』以外にだってこの街には観たい映画が溢れているのだから。


彼女は嬉々として定時丁度にタイムカードを押し、Tシャツとジーンズの私服に着替えて会社をあとにする。これから二時間あまり、暗闇の中の別世界へと旅立つのだ。

大理石でできた建物の裏口からでると、外は夏真っ盛りで、もう夕方のはずなのに、やっと午後になったばかりのようにアスファルトの照り返しが眩しい。

銀座のOLは最短コースである交通量の多い表通りにでると、競歩選手になったかのようによそ見もせず、長い黒髪を揺らしながら一目散に歩きはじめた。時間がないこともあったけど、なによりも高級ブティックや貴金属店のピカピカしたウインドーが並んだ表通りはじつは危険が一杯なのだ。

べつに窃盗団に出くわすようなことはなかった。彼女が出くわすのはもっとべつの集団だ。窃盗団なんて一生に一回見るかどうかだろうけど、その集団は毎日のように彼女を待ち伏せていた。彼女たち銀座のOLを狙っていた。

彼女は慣れた通りをときにうつむいて歩きながら思った。ぜったいに目は合わせない......。


彼らは銀座のあちらこちらの街角に立っていた。それにはちゃんとした規則性があった。彼らが立っていたのはすべて映画館へとつながる道だったのだ。

彼らは偉い人たちが研究機関に考案させた銀座のOLへの刺客だった。その名は新橋のヤングサラリーマン。もしもこの計画が成功した暁には、彼らが銀座以外の街にも映画女子対策として導入される手筈になっていた。

なぜ新橋であるのかは謎だった。ただ銀座のヤングサラリーマンでは、銀座の街の怒りを買ってしまう可能性が十分にあった。というのも新橋のヤングサラリーマンの目的は、銀座のOLをナンパして、あらゆる意味で彼女たちを映画から遠ざけることにあったからだ。

ただしナンパするといっても相手は銀座のOLだ。映画こそ世界で一番素晴らしいものと信じて疑わない強者たちだ。そんな強者である乙女たちが、今まさに映画を観に行こうとしているそのときに、わずかな時間でもって映画以外のものに関心を向かわせようとするのは、どんな名うてのプレイボーイや歴代のドンファンであってもそう簡単にできることではないだろう。


ただ新橋のヤングサラリーマンは、プレイボーイやドンファンにはない武器を持っていた。それは彼らが銀座のOLと同じ世代の若者であり、一見愚かにも映りかねないその行為を、彼らみんなが仕事の一環としてやっているということであり、さらには周囲にいる一般のギャラリーたちが、その情報をちゃんと認識して共有しているという既成事実なのだった。

だから新橋のヤングサラリーマンたちにあっては、格好の良さよりも人当たりの良さが重視され、営業職の若き先鋭たちから選ばれるのが常だった。

しかしそれだけで銀座のOLのハートを掴もうというのなら、ちょっと虫が良すぎる感はあるし、無謀であるとさえいえる。結局あなたたちは過去の失敗からなにも学んではいないではないかと責められても仕方がない。


そこで新橋のヤングサラリーマンには、これまた研究機関の徹底的なリサーチによる特別な武器が与えられた。

彼らはいつもくるぶしが見えるぐらいに丈の短目な細身のパンツを履き、趣味の良いシャツを着て、夕方になるとタクシーで銀座の街に乗りつける。両手には、これまで様々なグルメ誌のページを飾ってきた、銀座名店レストランの魅惑的な料理の品々を持って。しかもそれは出来たて、焼きたて、盛りたて、握りたての。

それが新橋のヤングサラリーマンたちの最終兵器だった。彼らはその皿を、あるいは丼を、はたまた寿司下駄を、手に、まるで街角の給士のようにそこに立っては、銀座のOLたちがやってくるのを待つのだ。


研究機関の徹底的なリサーチによれば、銀座のOLの弱点はまさに彼女たちが銀座のOLであることによるらしかった。

つまりそれは銀座のOLとはいえ、べつの街のOLと比較してとくに給料がいいわけではない。それなのに彼女たちは毎日高級ブティックや、貴金属店や、有名レストランに囲まれた日々を過ごしている。そのフラストレーションを彼女たちは映画を観ることによって解消しているというのだ。

それならば映画を観る前に、彼女たちに本物を味わいさせてやればいい。映画以外にも、いいや映画以上に、この世界には素晴らしいものが存在することを教えてやればいいのだ。身をもってそれを知った彼女たちの舌と胃袋は、さらなるグルメを求めて喜んで暗闇の中から飛びだしてくることだろう。

それはぜいぶんと手間隙のかかった作戦ではあった。でもどんなにお金がかかろうとも、偉い人々にとってはそれだけの価値が十分にあるらしかった。それによって銀座のOLたちがすすんで残業するようになって、社内恋愛なり社外恋愛なりをして、結婚して子供を産み家庭に入ってくれれば万々歳といったところなのだった。


銀座のOLは先を急いだ。新しいゴジラが彼女を待っている。新橋のヤングサラリーマンたちの馴れ馴れしい言葉と手にした高級料理の脇をすり抜けて。

「あらまあ、ちょっとぐらい食べてあげればいいんじゃないの?」

「なんなら俺が一口もらってやろうか?タダなんだろ?」

背中でいつものように街のギャラリーの声が立った。それは銀ブラ途中のおばさん、おじさんたちの声だ。新橋のヤングサラリーマンは銀座のOLよりもよほど街の人気者になっていた。

彼女はとうとう交差点の赤信号に引っかかってしまった。するとすかさず一人の新橋のヤングサラリーマンが近寄ってきた。

「ねえ君、お一ついかが?」

その新橋のヤングサラリーマンは、掌にのせた寿司下駄を街角の給士よろしく差しだしてつづけた。

「九兵衛のお寿司なんだ。君、食べたことある?じつは僕もまだないんだけど。よかったらこれから一緒にいかないかい?席を予約してあるんだよ」


交通ルールを守ることはべつに銀座のOLのルールにはなっていなかったけども、彼女は辛抱強く信号が変わるのを待ちつづけた。横にいる新橋のヤングサラリーマンや寿司ネタには目をやらず、あくまで前を向いて。するとその視線の先に彼女は信じられない光景を見た。見覚えがある二人の銀座のOLが、料理の載った皿を手にした一人の新橋のヤングサラリーマンと横断歩道の向こうで談笑しているのだ。

これまでにも銀座のOLと新橋のヤングサラリーマンが、街角で楽しそうにおしゃべりしている光景には何度か出くわしたことはあった。毎日のようにすれ違っていると、さすがに顔見知りになってしまうものだし、それが新橋のヤングサラリーマンたちの粘り強い作戦でもあったのだ。

でもそれは決まって一対一の構図だった。二対一ということはないはずだった。銀座のOLは仕事を離れれば常に一人で行動するのが暗黙のルールのはずだったから。

彼女の耳に、銀座の象徴になっている、時計台の大きな歯車がガタガタと外れていく物音が聞こえてくるような気がした。

銀座のOLは信号が変わるのと同時に走りはじめた。なにか巨大な力によって破壊され、交差点に崩れ落ちていく時計台の幻影を背中に感じながら。


おしまい



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