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酢豚サポート終了のお知らせ

私は何事においても前向きな男だ。仕事でもプライベートでも、私は常に前向きで抜け目のない男であり、周囲からもそう評価されている。

前向きで抜け目のない私のもとには、大きな仕事のプロジェクトと美しい女性が途切れることなく舞い込んでくる。会社では重役連中でさえ私の苗字に「ミスター」を付けて呼び、一回り以上歳下の現在のガールフレンドは、機嫌がいいときには私を「ボス」と呼ぶ。


そんな前向きな私のモットーは日頃から決して過去を振り返らないことだ。昔を振り返ってくよくよしたりするのは判断力を鈍らせるもとになるからだ。判断が遅くなれば当然次の行動も遅れてしまう。そうなればライバル企業に先を越されてしまう。ビジネスの世界では迅速な決断と行動がなによりも必要となる。過去の失敗から学ぶのは発明家に任せておけばいい。


けれどもそんな私に、〈ミスター前向き〉な私に、どうにかして昔を振り返らせようとする出来事がごく最近になって二つも立てつづけに起きた。

本来の私ならば自分のモットーに従って軽くスルーしてすぐに忘れてしまうところなのだが、その二つの奇妙な出来事は強固にリンクし合いながら私を過去の、それも小学生だった頃の大昔の苦い記憶の底へと、容赦なくに引きずり込もうとするのだ。耳障りな鐘の音と共に。


キーンコーンカーンコーン......キーンコーンカーンコーン......


それがやって来ると、駅のプラットホームや横断歩道の電子音が、誰かの携帯電話の着信音が、通りを走るパトカーや救急車のサイレンが、私の耳もとで鐘の音へと変化する。まるで音響効果をほどこすための機械を通して街中で響いているみたいに。学校の授業の開始や終わりに決まって鳴る、遠い昔に毎日聞いていたあのチャイムの音へと。

以前の私だったなら、仕事で外回りの途中に近所の学校からその旋律が聞こえてきたとしてもなんとも思わなかった。なんたって私は昔を振り返らない前向きな男であるわけだから。わずかな郷愁の念すら浮かんではこなかった。

だがどういうことだろう、二つの出来事がつづいてからというもの、耳元で学校のチャイムの音が一旦鳴りはじめると、それまで忙しく動いていた私の足や口はすっかり動き止めてしまうようになってしまったのだ。そうして私は記憶の中で、昼休みの小学校の教室にポツンと立っているような有様だ。

それが大切な商談や会議の最中に起きれば、私は失礼して急ぎ席を中座し、個室のトイレへと逃げ込む羽目になる。そして時間にして十分間あまり、元の前向きで抜け目のない、会社一のやり手の男がふたたび戻って来てトイレの私と一体となり、昼休みの教室から出ていけるようになるのを祈りながら待ちつづけるのだ。


なぜこんなことになってしまったのか。それは一本の電話と一通のメールからはじまった。

午後の会議の前に好物の蟹チャーハンを中華街でたらふく食べていたおっさん冥利に尽きる昼下がり、携帯電話に見知らぬ番号の着信があって出てみると、聞き覚えのない老人の声が昔からよく知ってるみたいに馴れ馴れしく私の名を呼んだ。

「金田くんだね?◯◯西小学校の五年四組でいきもの係りをしていた金田くんだね?私だよ、五年四組で担任をしていた田中だよ、田中先生だよ」


私は咄嗟のことでなんと答えていいのか分からなかった。それに田中老人とやらはなぜだかとても急いでいて、それでいてなにかに怯えているような話し方をするので、さすがの前向きな私も警戒心の方が先に立ってしまったのだ。

すると老人は私の答えなど待っていられないように一方的に要件だけ話しはじめたのだった。しかしその要件というのがまた支離滅裂で、私の警戒心は解けるどころか余計に強固になるばかりだった。

「〈酢豚サポート〉を必ず更新するんだ。酢豚だ、分かるよな?たまに学校の給食にでてたやつだ。その〈酢豚サポート〉がもうすぐ切れる。切れたら大変なことになるからな。だから金田くん、忘れずに更新するんだぞ。君は昔から忘れっぽいところがあるからな。うっかり更新するのを忘れたりしたら、木杉さんの呪いが......」


田中先生からの電話は突然切れた。それは切れたというより、誰かが横から力尽くでそうしたかのような乱暴で唐突な切れ方だった。

なにからなにまで不思議な昼下がりの電話だったけども、イタズラ電話だとは思わなかった。だってこんなイタズラ電話をどこの誰がするというのだろう。たしかに私は◯◯西小学校の五年四組だったし、担任は田中先生だった。それに老いて教え子にイタズラ電話するような教師が世の中にいるはずもないだろうし。

私があとになって推測したのは、悲しいことに田中先生はお歳を召されてから妄想癖がでたのではないだろうかということだ。元教え子たちの携帯電話の番号をどこかで調べあげては、困った電話をかけているような種類の。本人はいたって真面目だし、元教え子の幸せを思ってのことなのだが。それを横から無理やり切ったのは、おそらく先生の病状をよく知る家族の誰かだろう。


田中先生からの電話はそれっきり一度もかかってこなかった。たぶん携帯電話を取り上げられたのだ。これで何台目かの。

遠く離れた場所にいる困った老人の妄想として、私はすっかりその件は忘れていいはずだった。なにしろ私は昔のことは振り返らない男のはずだし、田中先生の評価が正しければ、私は忘れっぽい質でもあるらしいから。

でもどうやら先生の評価は眉唾だったようだ。私はその電話を忘れることができなかった。先生の話はなにからなにまで人騒がせな老人が作り上げた根拠のない妄想というわけではなかったのだ。

前向きな私は同窓会の類には一度も参加したことがないので、卒業してからは一度としてお会いしたことはなかったけども、もしかしたら先生は一人一人の教え子に、それに見合ったある程度根拠のある妄想話を昔を思い出しながら一つ一つこしらえていたのかもしれない。それは一人の男の強迫観念がなせる業にも似た災いだ。それにしたって〈酢豚サポート〉とはいったい......。


仕事は相変わらず順調だった。でもガールフレンドには二三日連絡をとっていなかった。調子が悪かった。私は過去に囚われはじめていた。しかもそれはガールフレンドがまだこの世に存在すらしていなかった頃の、私が大人になる前の遥か遠い昔のことなのだ。

そんな私に追い討ちをかけたのが二つ目の出来事だった。

そのとき私は都心のビジネス街を歩いていた。取引先に向かって急いでいる途中だった。どこかで事故か火事でもあったのか、サイレンの音が大通りに響いていた。いつも急いでいる私は、そのサイレンに追い抜かれないようにして早足で歩いていた。

そのペースのまま携帯電話をチェックすると、〈酢豚サポート終了のお知らせ〉というメールが届いていた。そこには、「お客様の〈酢豚サポート〉が期日までに終了します。更新を御希望される方はこちらから更新手続きをして下さい」などと書かれていた。

とうとう私はサイレンに追い抜かれてしまった。ビジネス街のど真ん中に突っ立っていると、どういうわけか耳元で学校のチャイムが鳴っているのが聞こえてきたのだ。


木杉佐智子さんは完璧な女の子だった。テストはいつも一番で、同性の女生徒たちからも好かれて、水泳なら学校の代表選手で、ピアノにいたっては音楽教師より上手だった。おまけに私を含めたほとんどの男子生徒が彼女に片思いしてたぐらいに可愛かった。

つまり木杉佐智子さんは、優れた遺伝子を持った両親の、優れた遺伝子だけを受け継いで生まれてきたような、まるで少年マンガにでてくるヒロインみたいな完璧な美少女だった。唯一、給食にでてくる酢豚を食べられないという点を除いて。


私は現在の学校の給食事情には詳しくはないけども、当時私が通っていた学校の給食には、生徒たちの人気があるわけでもないのに、どういうわけか月に一度は必ず酢豚がメニューになっていた。そして最悪だったのは、担任の田中先生が決して給食の食べ残しを許さない石頭教師だったということ。

いま私の脳裏に思い浮かぶのは、クラスのみんなが校庭に出て遊んでいる昼休みに、一人教室に残って給食の器の酢豚を前にしてしくしく泣いている木杉さんの姿だ。テストで一番をとった彼女ではなく、音楽の授業中にクラスのみんなの前で優雅にピアノを弾く彼女でもなく。ひどいときには放課後になっても彼女は一人教室に居残りをさせられてまだ給食の器と向き合わされていることもあった。食べ終えるまで帰らせてもらえないのだ。

おそらく今だったらそんなことは許されないだろう。でも私が子供だった当時は、そんな蛮行の数々が教育の名の下に許されていたのだ。

しかも被害者であったはずの子供の私たちもそれがおかしいとは少しも思っていなかった。むしろ当たり前だと思っていた。だから誰一人として、男子生徒も女子生徒も、木杉さんに救いの手を差し伸べようとする級友はいなかった。


でもあとになってから私は、あるいは私たちは、痛いほどに気がつくことになる。本当は木杉さんを助けることができたはずだし、そうするべきだったことを。

私たちはお腹が空き過ぎて頭がおかしくなったゾンビの真似をし、昼休みに木杉さんの酢豚を平らげてしまってもよかったのだし、級友と教室でふざけ合ってわざと彼女の机にぶつかって、その酢豚を台無しにすることだってできたはずなのだ。簡単なことだ。田中先生は烈火のごとく怒っただろうけど。

それを私たちに教えてくれたのは木杉さん本人だった。もしくは彼女の不在が。六年生になる前の春休みに、彼女は突然転校してしまったのだ。私たちクラスメイトの前から姿を消してしまったのだ。一言の別れの言葉も残さずに。


もしかしたら私たちクラスメイトは全員が心のどこかで木杉に嫉妬していたのかもしれない。出来の良すぎる木杉佐智子さんという名の生徒に。あるいは田中先生は木杉さんのご両親と過去に個人的な確執でもあったのかもしれない。そうなるとまるで『ハリーポッター』だけども。でも田中先生は木杉さんだけには妙に厳し過ぎるところがあった。

いずれにしても、春に六年生になったばかりの私たちクラスメイトの喪失感たらなかった。その証拠に私たちは木杉さんの突然の転校について誰一人触れようとはしなかった。ついこの間まで同じ教室で机を並べていたというのに。それからまるでそんな生徒は最初からいなかったような無言の態度を、驚くなかれ、私たちは卒業するまでの一年間ひたすら貫いたのだった。


私たちはみんな子供心に気がついていたのだろう。木杉さんの不在を語れば、おのずと自分たちの愚かさに行き着くことに。

とくに私の場合はそのショックは計り知れなかった。六年生の春が来たのと同時に、世界が一度滅んだような感じがした。なにしろ私は卒業して離れ離れになる前に、クラスの他の男子生徒たちに抜け駆けして木杉さんに愛の告白をしようと密かに決意していたのだから。しかしそもそも私にはそんな資格すらなかったことを、まだ幼い木杉さん本人が身をもって教えてくれたわけだ。

もしも私が木杉さんの酢豚を一度でもなんとかしていれば、彼女のボーイフレンドにはなれなかったとしても、友達にはなれたかもしれない。その頬にキスすることは許されなかったとしても、信頼を勝ち取ることはできたかもしれない。

クラスのみんなは誰も木杉さんの話をしなかったけど、私はそれ以外の会話すらめったにしなくなった。家でも学校でも。心配した両親が学校に相談しに行ったりした。大人たちが顔をあわせても本当のところはなにも分からなかったと思うけど。


木杉佐智子さんがその後どういった人生を送ったのか私は知らない。同窓会には一度も参加していないし、風の便りにも耳にしなかった。なにかしらの手段を使えば消息はつかめただろうが、そうする気持ちは一度も起こらなかった。

あの春、私は彼女に教えてもらったのだ。後悔するような生き方をしてはいけないと。そしてそう決めたのなら決して後ろを振り返ってはならないと。それがまだ幼い子供心ではあったにしても。

私にとって木杉さんは、今でも六年生になる春に私たちの前から姿を消してしまった少女のままだ。そしてその幼い彼女がいまだに私たちを、あるいは私を、許していないであろうことは、心の片隅で常に感じていたことだった。だから田中先生が電話で「木杉さんの呪いが.....」と口にしても、私はまるっきり根拠のない老人の作り話だとは思わなかったのだ。


私は期日がきても〈酢豚サポート〉を更新しなかった。そもそもそれがどんなサポートなのかも知らないし、いつからそんなサポートを受けていたのかも分からないのだ。けれども田中先生が更新するように強く勧めるのだ、私が「はいそうですか」と素直に更新手続きをするはずがない。

サービスの名前からすると、その更新手続きをしなかった私はもしかしたら今後一切酢豚が食べられないことになるのかもしれない。〈全日本酢豚協会〉みたいな全国組織があって、かねがね酢豚の存在を心良く思っていなかった私の名前がついにその協会のブラックリストに載るはめになってしまったのだ。〈全日本酢豚協会〉の紋章が捺印され封を閉じられたそのリストは、全国の中華店に向けて密かにそして一斉に郵送された......。

前向きな私はその真意を確かめるべく、〈酢豚サポート〉のサービス期日が終了した翌日に仕事を終えてから馴染みの中華街に足を運んでみたのだった。


私は昼夜問わず会社近くにある中華街によく足を運ぶ。でもそれは好物のチャーハンをお腹一杯食べるためであって、酢豚を食べるためではなかった。考えてみたら、学校の給食以外で酢豚を食べた経験が私には一度もなかった。木杉さんほどではないにしても、私だって好きで食べていたわけではないのだ。

いいや私だけではない。酢豚が好きだった生徒なんて一人もいなかったような気がする。そんなメニューが月に一度は必ず給食にでていたというのは、今になってみると不思議だ。さては世界の食料事情が変化して、世の中に食料と呼べるものが酢豚しかなくなってしまったときのことを考えて、子供たちが困らないようにと親心でも働いたのだろうか。


いいやそれは私の思い過ごしかもしれない。酢豚の好きな生徒だってクラスに一人ぐらいはいたかもしれない。

どちらにしてもその夜、私は何十年ぶりに酢豚を食べることになったわけだった。けれどもしも本当に〈酢豚サポート〉が切れて木杉さんの呪いがかかっているとしたら、私のテーブルに運ばれてくるのはただの酢豚ではないだろう。いいやそれはもはや酢豚ですらないのかもしれない。でもそのときはそのときだ。私は木杉さんの私に対する気持ちをしっかりと受け止めるつもりだ。なんたって私は......。

しかし我が意に反して、女店員が私のテーブルに置いた、白い円皿に盛られたた料理は、見たところただの酢豚らしかった。しかもとても美味しそうに見えた。あんの絡んだ豚肉はこんがりとして食べ応えがありそうで、色とりどりの野菜も御飯によく合いそうだ。これならばビールも一緒に頼みたいぐらいだ。


やはり木杉さんの呪いなんてどこまでも愚かしい二人の男が作り上げた妄想に過ぎない。私はさっそく持った箸であんの絡んだ豚肉を一つ摘まんで口に入れた。

想像していたとおりに美味しかった。いいやそれ以上だった。私の記憶の中にしまい込まれていた忌まわしい味とは大違いだった。ただ子供にこの味はちょっと複雑過ぎたのかもしれない。見た目や食感も災いしたかもしれない。

いったい大人になってからの木杉さんは一度でもこの料理を味わったことがあるのだろうか。いいやたぶん、いや絶対、ないだろう。私ですらなかったのだから。ならば私は木杉佐智子さんを探し出し、都内の一流中華店に招待して、かつての級友である私と共に、晴れて酢豚との和解を果たすというのはどうだろう。大人になった木杉さんならきっと酢豚を食べられるはずだ。なんなら私が前もって店の支配人や料理長と相談して、木杉さんが気に入るような見た目や味付けに変えてもらったっていいのだ。そこまですればさすがの木杉さんもきっと酢豚を食べることができるだろう。そしてそのときはじめて私は永遠に失われた小学六年生の春をこの手に取り戻すことができるのだ。


私は希望に胸をふくらませながら皿の酢豚を一心不乱に食べはじめた。白い皿はすぐに空になった。私は迷うことなくお代わりを頼んだ。信じられないことに、食べれば食べるほど皿の酢豚は美味しくなった。二皿目よりも三皿目、三皿目よりも四皿目というふうに。

私は今までこの料理を食べようとしなかった自分を呪い、激しく後悔した。そうすればもっと早くに木杉さんと再会を果たせていたかもしれないのだから。

これからは毎日酢豚でもいいとさえ思った。御飯とビールも頼んだ。またお代わりをした。はじめは笑って私を眺めていた女店員の顔から笑顔が消えたようだったが、まったく気にはならなかった。店内でほかの客の携帯が鳴っていたけども、その音ももはやどうでもよかった。私はもとの何事にも前向きな男へと完全にもどったのだ。

いくら食べても、何杯お代わりしても、私の腹は一向に満たされそうになかった。でもそれすら気にはならなかった。だって酢豚を好きになればなるほどに、私は木杉さんへと近づいていたのだから。


おしまい


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