サラリーマンが雲を・・・(ですますバージョン)
東京で働くサラリーマンたちがふたたび帽子をかぶるようになったのは、なぜか寒さの和らぎはじめた、この春先になってからのことでした。
どういう気まぐれか彼らは昔のダンディさながら、子供の頃に野球帽ぐらいしか載せたことのなかった頭に、いつものグレーや紺色のスーツの上に、古式ゆかしい山高帽を装いはじめたのです。サイレント映画のエキストラみたいに。
春の訪れとともにサラリーマンたちはデスクワークを早目に切り上げるようになりました。外回りのサラリーマンはその途中途中でいつものルートから外れていきました。彼らは銀座の百貨店や青山の帽子店に押しかけては思い思いに街をねり歩き、自分の頭に載った丁度いい具合にカーブのかかったシルエットを夢想しながら、お目当ての一品を探し求めるようになりました。
ただ、彼ら即席ダンディの人数はあまりに多くて、また勤め人たちが帽子をかぶる習慣も随分前にすたれてしまっていましたから、帽子問屋の在庫だけではまったくお手上げな状態で、街の様子の変化に敏感な人たちが、なにやら道行く勤め人に山高帽をかぶった伊達者の姿が目立ちはじめたなと感じるようになった頃には、どの百貨店や帽子店の棚もすでにスッカラカンな有様になっていました。
それで急ぎ帽子店の店主や売り場のマネージャーは問屋に発注をかけて、問屋の社長は日本全国に散らばった帽子工場をしらみ潰しにあたり、工場では古いミシンのカバーが外されて何年か振りに機械油が差されて、かつての腕に覚えのある職人たちがふたたび雇われることになったのです。
東京のビルのオフィスでは、まだ自分の頭を飾る素敵なマスコットとめぐり会えていないサラリーマンたちが、店からの入荷を知らせるメールを待ちつづけていました。
上野や中央線沿線の桜もやがて散り、日中の陽射しに賑やかさが増してくると、サラリーマンたちの頭にもようやくそれぞれのお気に入りの帽子がいき渡りました。言ってみれば彼らは第二次帽子隊でした。
第二次帽子隊は第一次帽子隊よりもひと月近い遅れをとっていました。でもその代わりに、彼らには後から来た者だけが持てる特権もありました。そして彼らはそれをフルに活用したのです。
その特権とは、一次隊が選ぶことのできた帽子があらかじめ店内に並んだ落ち着いた色合いの既製品ばかりだったのに対して、彼ら二次隊は自分たちの好きな色を選んで発注することができたということでした。そしてそうした二次隊のサラリーマンの数は、一次隊よりも遥かに多かったのです。
帽子サラリーマンの出現は東京の街の風景をわずか一日で一変させました。銀座に丸の内に新宿に、彼らは街という街に、色と形による革命をもたらしました。ビジネス街をファッションショーやカーニバル会場に変えてしまったのです。
もっともそれを可能にしたのは、じつのところ彼らサラリーマンが、カーニバルのダンサーやファッションショーのモデルとは程遠い、鮮やかさとはかけ離れた存在だったからという、昔ながらの事情によるところが大きかったようです。グレーやら紺色したお決まりのスーツに身を包んだ、効率だけが求められる工場で大量生産されたような地味なロボットめいた集団。それが彼ら本来の姿でしたから。
そんなサラリーマンたちが、色とりどりの山高帽を頭に載せて街のあちらこちらに神出鬼没する姿は、人々を困惑させ、混乱の坩堝へと陥れました。それはこれまで誰も見たことがない奇妙で謎に包まれた、新しい多国籍企業の社員たちよるパレードめいた光景でした。黒やグレーはもとより、赤に黄色に青に緑、茶色にオレンジに紫にピンク......ビジネス街を行き来するサラリーマンたちのかぶった帽子の色は、七色の虹の数よりも多かったのです。
駅員が、交番の警官が、OLが、通学途中の高校生たちが、建築現場の作業員が、コンビニの店員が、店のシャッターを開ける商店街の人々が、そして会社玄関で彼らを出迎えた警備員が、口をパクパク開けたまま、自分たちが目にした光景の意味するものを、その答えを、漂う空気の中に探し求めました。
けれど答えは見つかりませんでした。というのも、サラリーマンたちは自分たちの帽子について判で押したようにまったく語ろうとはしなかったからです。
彼らは逆に口を閉ざしました。頭の上にあるレゾンデートルについて。誰も彼もが仏のような朗らかな営業スマイルを顔に浮かべながら、どこにいようとも軽々しく論点をはぐらかしました。
取引先の問屋の主人から「ところでさっきから頭にかぶってるそれはなんなんだい?」と問い詰められても、行きつけの店の女将から「それ誰からのプレゼントなのよ?」といじられても、同じオフィスのOLから「いったい、みんなどうしちゃったの?」と眉をひそめられても、家人からは「あなた会社でなにかあったの?」と心配されても、彼らサラリーマンは皆涼しい顔をして「いいえ、いいえ、どうもしませんよ」と山高帽のツバに手を添えながら笑って答えるのみでした。それについては心配ご無用とでもいうように。
街の人々は困り果て、通りの隅で井戸端会議を開いては、いったい彼らは、私たちのサラリーマンたちは、どうしてしまったのだろうと話し合うようになりました。
帽子サラリーマンたちの飄々とした態度とは裏腹に、家人やOLたちの心配は募る一方でした。そして事態は思わぬ方向に進んでいきました。
日が傾き、そろそろサラリーマンたちが一日の仕事を終えて会社を後にしようとする時刻が近づいてくると、およそビジネス街にはふさわしくない格好をした商売人たちが、夕暮れの風と一緒にどこからともなく姿をあらわすようになったのです。
彼らはリヤカーの屋台を引いてやってきました。ある者は襟なしシャツにベージュの腹巻をはべらせて下駄を鳴らし、またある者は派手な柄のアロハシャツに麦わら帽子をかぶって、足下は草履でした。どうも堅気の男たちではなさそうでした。誰も彼もが黒いサングラスの下に不敵な笑みを浮かべていました。背中には勇ましい龍や桜吹雪の派手な模様が舞い踊っていそうでした。
そうして時計台の鐘の音が5時を打つ頃になると、ビルとビルの谷間に、通りの歩道に、屋台の屋根から吊るされたいくつもの裸電球の灯りがオレンジ色に輝きはじめ、暖簾の「たこ焼き」の文字を鮮やかに照らし出しました。
そこへどこまでも宿命的に近代化されたバベルの塔めいたビルの固まりから、帽子サラリーマンたちがゾロゾロと吐き出されてきました。彼らは様々な色のバリエーションを含んだ山高帽の長い列を、光に吸い寄せられる夏虫のごとく、あんちょこな祝祭の輝きを放つリヤカー屋台の前に作りはじめるのでした。
ビジネス街のいたる場所が、たこ焼き軍団の持ち込んだ裸電球の灯りとポータブル発電機のブーンという振動音によって占拠されました。
それでもたこ焼きソースの、鼻をくすぐるような香りはどこにも漂ってはきません。仕事帰りに行儀悪く立ち食いしているサラリーマンの姿も見かけません。彼らはただ所属している会社名の区別なく、行儀良く静かに、クラクションと急ぐOLたちの鳴らすハイヒールの靴音が響く夕暮れ時のビジネス通りに長い列を作って並んでいました。
そうしてようやく屋台の電球の前までたどり着く段階になると、帽子を脱いでそれを胸にあて、さらに自分の順番を待つのでした。
「あいよ!あいよ!」「今日も一日お勤めご苦労はんでしたな!」「ほんまにお代はいりまへんで!もう先に貰ろうてますさかいに!」
屋台の屋根の下で、サングラスをしたたこ焼き屋の威勢のいいかけ声が聞こえました。けれどその光景は客が帽子サラリーマンであることを差し引いてもどこかおかしなところがありました。
たこ焼き屋はたこ焼きを焼いてはいなかったのです。そこにたこは一粒もなく、あるのはただマシュマロめいた白い玉だけでした。タレもソースも見当たりません。おまけに彼らが喋っているのは出鱈目な関西弁でした。彼らはまったく偽のたこ焼き屋軍団だったのです。外見はいかにもテキ屋めいてはいましたけども、彼らもまた帽子サラリーマンの一味に違いありませんでした。
帽子サラリーマンが手にした山高帽を募金箱のように差し出すと、偽たこ焼き屋はプレートに並んだ白くて丸い偽たこ焼きを楊枝で一つ摘まんでそこに放り入れました。「兄さん、大事に育てなはれや!」と声を掛けながら。
白い偽たこ焼き一個を山高帽に入れた帽子サラリーマンたちは、その微妙にカーブのかかったツバを両手に持って、まだ熱いのか、せっせとフーフー息を吹きかけながら、街灯が立ち並んだ夜のビジネス通りを思い思いにゆっくり歩いていきました。帽子の中では白い固まりが汗防止の中敷きの上でくるくると回転していました。
彼らの背中に偽たこ焼き屋の偽関西弁がなおも響いていました。
「安いで!安いで!ほんま一粒で充分でっせ!」
偽たこ焼き軍団は夕焼けとともにいたる場所にリヤカーを引いて参上しました。しまいにはまだ夕方前の昼休みにまで姿をあらわすようになりました。そうでもしないと帽子サラリーマンのあまりの数の多さをさばき切れないようでした。
あるいは彼らはクローンの偽たこ焼き屋だったのかもしれません。あるいは偽たこ焼き屋のクローンだったのかもしれません。どちらにしても、銀座、新宿、丸の内は言うに及ばず、雑居ビルの建ち並んだ下町の小さなビジネス街に至るまで、彼らはリヤカー屋台を押してあらわれました。
そして帽子サラリーマンたちは山高帽を両手に持って、まるで食糧の配給を受けるみたいに白い玉をそこに放り入れてもらっては、道を行きながら息を吹きかけて熱を冷ますのでした。
塾帰りの小学生たちが立ち止まってもの欲しそうに屋台を眺めていても、列の帽子サラリーマンたちはそれを無視しました。代わりに偽たこ焼き屋がサングラス越しに「こら坊主、塾終わったらさっさとうちに帰らんかい!おっ母さんが心配するさかいに!」と偽関西弁をまくし立てるのでした。
そんな風景がその時期しばらく街のあちらこちらで目撃されて、もはや帽子サラリーマンと偽たこ焼き屋とがセットとなって東京名物のようになりかけた頃、帽子サラリーマンたちこそは新たなアノニマス集団なのではないかという都市伝説がまことしやかに囁かれはじめ、ついに彼らはウェブ上に自分たちのホームページを立ち上げて、世間に対してある声明を発表しました。
もっともその声明の内容は世間の混乱をさらなる混乱へと、レベルを一つか二つ引き上げただけでした。
自らを「帽子連盟」と名乗った彼らは、色とりどりの山高帽をデザインしたコンピュータグラフィックを背景に、工事中の看板にならって、こう宣言しました。「私たちは帽子の中で雲を育てています」と。
はたして帽子サラリーマンたちはなんの目的で雲を育てているのでしょうか。いいえ、そもそも帽子の中で雲を育てるとはどういうことなのでしょうか。一つの憶測がべつの憶測を生みました。帽子連盟の声明は事態を分かりやすく解説するよりはむしろ複雑にしたようでした。しかもそれっきり新しい声明は出されなかったのです。
オフィスに入る帽子サラリーマンたちは、決まってロッカーや自分の机の一番大きい引き出しに山高帽をしまっていました。彼らが山高帽の中に雲を隠し持っているのは間違いのない事実のようでした。
彼らの家族や恋人たちがその目撃者となり、証言者となりました。帽子連盟の声明が出されるや、彼や彼女たちはその日を待ちわびていたかのように父親や夫や恋人が山高帽の中に大事に隠し持っている雲を、ツイッターやフェイスブック上にアップしはじめたのです。
最初はたこ焼きサイズだった雲は、パソコンやスマホの画面の中で、すでに給食に出されるコッペパンやクロワッサンぐらいの形や大きさにまで成長していました。それは紛れもなく雲でした。どこからどう見ても小さな白い雲の赤ちゃんでした。そんな無数のミニュチュア雲の写真や動画が、部屋の天井やリビングのテレビの上を、笑う子供たちや、あるいは不思議そうに見上げるペットと一緒に、インターネット上に毎日のようにアップされるようになったのです。
インターネットは帽子サラリーマンたちの家族による雲のお披露目の場であり、その観察日記であり成長記録の場でもありました。雲たちは家族によってそれぞれ名前をつけられました。最初は得体の知れない未確認飛行物体だったのに、すぐにペットみたいな家族の一員になって、すくすくと成長していました。
街中ではいついかなる時にもその山高帽を脱ぎそうになかった帽子サラリーマンたちも、やはり家に帰れば人の子らしく帽子を脱いでいることが証明されました。
彼らは寝室やリビングでそれを取り、中で飼っている小鳥でも逃がすかのように帽子の狭い空間から雲を解放しました。雲たちは公園でリードを外された穏やかなペットみたいに、ゆっくりと部屋を上昇していき、やがて適当な高さと場所を見つけて漂いました。そして子犬のように帽子サラリーマンの後をどこへでもついていきました。
小さな雲たちは一緒にトイレに入り、風呂に入り、テーブルで食事する頭上にふわふわと浮かび、夜になれば帽子サラリーマンが眠る布団のすぐ上にまで下りてきました。そうして朝を迎えると、帽子サラリーマンが差し出す帽子の中にふたたびヒュンと潜り込んで、一緒に玄関のドアから出ていくのでした。
雲たちがある程度成長すると、帽子サラリーマンたちも自ら進んで街の人々に自分の雲を披露するようになりました。それはさながら小さな雲たちの公園デビューのようなワンシーンでした。
小学生たちは通学途中の歩道で帽子サラリーマンの山高帽の中を覗かせてもらいました。彼らの父親が帽子サラリーマンであってもなくても、子供たちは「ワーッ」とか「すげぇー」とか「可愛いー」とか言って多勢ではしゃいでいました。
取引先の問屋の主人も奥さんと一緒になって山高帽を覗き込みました。奥さんは「へー」としきりに感心して、主人は時に「これ、かぶってる間に頭に雨とか降らさないの?」とか質問をしました。帽子サラリーマンが「まだ赤ちゃん雲なんで雨も雪も降らしません」と説明すると、奥さんはまた「へー」と感心するのでした。
呑み屋でも女将や他の客たちから可愛いがられました。ただ、たまに酔っ払った客が酒を呑ませようとするので、帽子サラリーマンは慌てて雲を酔っ払いの手から奪い返し、山高帽に押し込んで店を後にすることもあったようです。
そんな風に帽子に収まったポータブル雲は行く先々で赤ちゃんアイドルみたいな特別な扱いを受けて、その保護者である帽子サラリーマンたちもまた、スーツを着たアイドルみたいな眼差しで周囲から見られていましたけども、中にはそれを快く思っていない人たちもいました。
とくに帽子をかぶっていないサラリーマンたち、帽子サラリーマンたちが働いている会社の重役たちに、そういう人々が多かったようです。
彼らはだいたいもとから心配性な性格で、部下の社員たちがとる行動にもなにかと否定的でしたけども、社員たちが自分たちに何の断りもなく山高帽をかぶって出社するようになり、おまけに街の人気者になって、家に帰れば奥さんから「どうしてあなたは他の人たちみたいに山高帽をかぶらないの?」などと嫌味っぽく言われる始末で、ついに彼らの心配性は、このまま帽子サラリーマンを放置しておけば、自分たちが持っている特権が剥奪され、すべての意思決定が自分たちのいない場所で執り行われてしまうのではないかという集団妄想へと発展しました。
秘密の会合を重ねた重役たちは、企業間の垣根を超え、反帽子連盟ともいうべき実体のない帽子規制委員会なる組織を立ち上げて、そのホームページと山高帽に赤いX印の付いたバッヂを下請け会社に作らせました。
もちろん組織に実体を持たせなかったのは、世間から批判が出た場合にその矛先を自分たちに向かわせないためでした。それで帽子規制委員会は誰に臆することなくホームページ上で次々と新しい規制を設けることができました。
ただ、もともと実体がなかったせいで規制そのものにもなんの効力もありませんでした。
「山高帽は全面製造禁止に!」「山高帽をかぶって出社した社員に給料天引きを!」「イエローカード3枚で即解雇!」などの威勢のいいホームページ上での掛け声は、現場であるビジネス街のオフィスではまったく無視されました。
そこで帽子規制委員会は方針を転換することにしました。彼らは自ら規制の矢面に出るのではなく、規制せざるを得ないような噂をでっち上げ、それをマスコミを通じて流布させることにしたのです。
その結果、帽子サラリーマンたちは30分早く出勤して、30分遅く退社しなければならない事態になりました。ロッカーは言うに及ばず、机の引き出しにも鍵をかけるようになりました。
噂によれば、彼ら帽子サラリーマンが山高帽の中に隠している雲はただの雲でなく、じつは雲型クラウドコンピューターと呼ばれるまったく新しいハードウェアである可能性があり、帽子サラリーマンの山高帽とその雲型クラウドコンピューターとは高速無線LANで繋がっている可能性があり、彼らは社内の企業秘密をそっくりそのままそこに蓄えている可能性があるというものでした。
そんなわけで帽子規制委員会の息がかかった会社で働いている帽子サラリーマンたちは、行きと帰りに必ず会社の玄関ロビーでガードマンによる、帽子規制委員会の系列企業が独占販売しているところの静電気情報棒テストを受けなければならず、さらには確かにテストを受けましたというサインを、ノートに記入しなければいけませんでした。
しかしそんな嫌がらせはあったものの、帽子サラリーマンたちは彼らの山高帽を決して脱ぎ捨てようとはしませんでした。それはまるで色とりどりの帽子が、彼らの外見だけでなく内面までも変えてしまったかのような光景でした。
帽子サラリーマンは辛抱強く列に並びつづけました。もとから並ぶのは彼らの専売特許でもありました。やがて各々の玄関ロビーでは元オーケストラ部出身の有志による弦楽四重奏の演奏会が開かれるようになって、列の帽子サラリーマンたちの耳と心を和ませるようになりました。
帽子規制委員会は腹いせに、これも帽子規制委員会の系列企業が独占販売しているところの情報質量計測器テストをつけ足して、玄関ロビーのチェック体制を二重にしました。それによって帽子サラリーマンたちの出社はさらに30分早まり、帰宅は30分遅くなりました。
それでも帽子サラリーマンたちの表情が変わることはありませんでした。
弦楽四重奏の演奏に静かに耳を傾ける彼らは、これまで自ら接しようとはしてこなかった種類の音楽にも、また別の種類の心地よさがあることに気づきはじめました。それは彼らにとってまったく予想外の展開でした。
それに彼らにはすでに終わりが見えてもいました。それはもうそこまでやってきていました。彼らはそれをいたる場所で見ることができましたし、自分の肉体で感じることもできました。特に頭の先の方で。
帽子サラリーマンの山高帽はすでにパンパンになっていました。梅雨に入って湿度が上がり、毎日のように空を厚い雲が覆うようになると、彼らが育てていた雲も急成長をとげていたのです。
建物の外を歩いている時はとくにひどく、日中に気温が上がっても、外回りの営業マンは山高帽を緩めることなどできませんでした。むしろ逆に余計に深くかぶり直して、さらに突風に飛ばされやしないかと気を揉むように手を添えました。というのも、そうでもしないと成長した雲の浮力によって、山高帽がずんずん勝手に上へ上へと、風船のように昇っていこうとするのです。まるで頭上の雲の群に引き寄せられているかのように。
そのせいで街を歩く帽子サラリーマンたちの外見は益々おかしなことになりました。雲を育てていると言う彼ら自身が、まるで雲の上を歩いているかのように見えました。
ロビーに帽子サラリーマンたちの拍手が響きました。一瞬手を休めたバイオリン奏者の、普段は経理課で働いている女性社員が、「次に演奏する曲はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第四番です」と言いました。
別れの時は近づいてきていました。帽子サラリーマンたちは山高帽を持っていかれないように脇に顎ひもを付けて対応していました。それでもすでにロンドンの近衛兵の外見にも似てきた彼らは、大型犬に引っ張られる散歩中の飼い主めいた存在になっていました。毎朝の山高帽に雲を押し込む作業も一苦労でした。
雲たちはもう一緒にトイレや風呂に入りませんでした。そうするには彼らはすでに大きくなり過ぎてもいました。雲たちは部屋に帰ってもずっと窓辺を離れずに、仲間たちがいる遠く高い場所を見上げていました。そこが彼らの帰る場所だったのです。
梅雨が明け、ジメジメした日中の長い雨の代わりに、強い陽射しと突然のゲリラ豪雨とが東京の空を支配しはじめた頃、帽子連盟はようやく二番目の、そして最後となる声明をホームページ上に発表しました。
彼ら帽子連盟は来たる金曜日、「すべての帽子サラリーマンの雲を解放します」と宣言したのです。
その金曜日と一緒に、あの男たちが帰ってきました。以前はまったくビジネス街に不釣り合いな彼らでしたけども、この時ばかりは勝手が違っていました。というのもその日は夏の花火大会当日にもなっていて、ビジネス街には花火見物ついでに立ち寄った浴衣姿の人々や、これも花火大会のついでに立ち寄ったテレビ中継車までが姿を見せていたのです。しかも彼ら偽たこ焼き屋は今度は本当にたこ焼きを売りました。本物のたこが入ったたこ焼きをプレートの上で転がしてソースを塗りました。彼らはどこから見ても正真正銘のたこ焼き屋に変身していました。もっとも彼らのまくし立てる関西弁の方は相変わらずどこか変でした。
「あいよ!あいよ!」「東京名物、関西風たこ焼きでっせ!」「今日は特別にたこ入りで売ってまんねん!」「一粒で充分でんがな!ほんま一粒で......」
時刻はちょうど昼を過ぎたところでした。たこ焼き屋の前にはふたたび行列ができていました。ただし、そこには取引先の問屋の社長夫婦や、呑み屋の女将や、学校帰りの小学生たち、会社のOLたちの姿はあっても、帽子サラリーマンの姿だけはありませんでした。
彼ら帽子サラリーマンはその日、たこ焼き屋の前には並ばず、歩道一杯に、ビルの屋上に、行列を作っていました。そこには第一次帽子隊、第二次帽子隊のすべての帽子サラリーマンたちが、すべての山高帽が、集結しているように思えました。ビジネス街にありとあらゆる色のサンプルが引き詰められていました。風に揺れる森の木々にも似た、アスファルトやビルの屋上から生えたような帽子サラリーマンたちがひしめいていました。
強い陽射しが山高帽の群を照らしていました。ビジネス街はかつてなかった程に華やかでした。反面、都会に突然あらわれた森のようにとても静かでした。聞こえてくるのは、普段ここでは耳にしない、たこ焼き屋の掛け声と子供たちの笑い声だけでした。
車は走っていませんでした。ビルの中はもぬけの殻でした。いるのは上階から通りを見下ろしている帽子規制委員会の少数の会員たちだけのようでした。彼らはこの日とりわけ静かでした。
あらゆる東京のビジネス業務が停止していました。なにしろサラリーマンというサラリーマンたちが外に出払っていましたから。
彼らの何万という片方の手は電子時計の文字盤と睨めっこするために使われ、もう片方の何万という手は、さっきからずっと震えっぱなしの山高帽のツバにかけられたままでした。
帽子連盟の指定した時刻が刻一刻と近づいてきていました。ビルの玄関前に立っている警備員の視線が一瞬上空を仰ぎました。森の上の夏の太陽を鳶でもかすめ飛んでいったのでしょうか。繋がる木々の群衆だと思っていたものが、急に地鳴りのようなカウントダウンをはじめたのにびっくりして。「......10、9、8、7、6、5、4......」と。
気象庁の発表ではその日の夕方から夜にかけて、東京の各地でゲリラ豪雨が発生する注意予報が出されていました。前日の夕方にも広い地域で突然の大雨に見舞われて、翌日の花火大会の開催も危ぶまれているところでした。
そしてたしかにこの日も雨は降りました。大粒の雨が東京に。しかしそれは花火の打ち上げがはじまるずっと前の時刻でした。日が暮れはじめて、人々がたこ焼き屋のリアカーを先頭に、「夕焼け小焼け」や「あめふり」を合唱しながら打ち上げ会場に到着した頃には、地面の水たまりもどこかに消えて、西の空に綺麗な夕焼けの名残りを眺めることができました。
それは気象庁とサラリーマンたちによるコラボレーションでした。その日、気象庁のお天気カメラが映し出した、夕方の晴れた街並みのパノラマをバックにして開かれた会見によってそれが判明したのです。
ここ数年、東京の花火大会は不安定な天候に泣かされつづけていました。そこで気象庁が研究を重ね、東京中のサラリーマンたちとタッグが組まれたのです。たった一日の、数時間の天気のために。
彼らの計画は人工的に大量の雲を発生させて、早い時間に前もって、降る可能性がある雨をすべて降らしてしまおうというものでした。それによって気温も下がり、その後数時間は天気も安定するという計算でした。
ただ彼らの計画はまだ実験段階であったため、すべてが秘密裏に進められました。サラリーマンたちには箝口令が敷かれ、彼らは自分たちの山高帽にその誓いを立てました。
もっとも、それは気象庁側の言い分であって、その会見には帽子連盟の帽子サラリーマンたちは誰一人として出席していませんでした。
気象庁側の発表によれば、帽子連盟は帽子サラリーマンたちが彼らの山高帽を歩道と屋上からいっせいに空に向かって放り上げた、まさにその瞬間に事実上解散したということでした。
帽子サラリーマンたちは彼らが放り投げた帽子とともに、ビルとビルとの間に生まれた新芽らしく空へと舞い上がっていった無数の雲たちとともに、その無数の雲たちがパズルの駒のように徐々に空を埋めつくしていって、やがて一繋がりの大きな雲となり、真新しい滝のごとく降らしたゲリラ豪雨とともに、それがピタリと止んだ時にはもう影も形もどこかに消えてなくなっていたということでした。
「来年も同じ計画が行われる予定はあるのか?」という記者団の質問に、気象庁の職員は分からないと言って首を傾げました。時間とコストがかかり過ぎるというのがその理由のようでした。彼らは帽子サラリーマンたちの協力には感謝していると述べ会見を締め括りました。
一方で東京の夜空に色とりどりの花火が咲き乱れはじめた頃、そこに帽子サラリーマンたちがかぶっていた山高帽の面影を思い重ねるような見物人は、もうほとんどいなくなっていました。打ち上げられる玉が尾を引きながら夜空で弾け、やがて塵となって消えてゆくたびに、彼らの偉業も綺麗さっぱり忘れ去られていきました。
おしまい