仮名小説#4フラれる男
母親は娘に一日も早く嫁いでもらいたかった。娘は遠く離れた東京の会社で働いていて、もうそんなに若くはなかった。父親もじき定年だった。
母親は知り合いや、そのまた知り合い、さらにはそのまた知り合いのツテまで探って、バスや自転車に乗っては里山からタケノコでも獲ってくるみたいにどこからか縁談を見つけてきて、東京の娘に向かってせっせと電波を飛ばした。そのためにテレビ電話のやり方も覚えた。
ただ娘の方は馬の耳に念仏で、ほとんど聞いていなかった。とうに適齢期は迎えていたけども、結婚はまだ二の次でそれどころではないらしかった。
それでも母親が中古マンションのセールスめく次から次へと新しい見合い話を持ってきては、「母さん、あんたのこと心配して、散々探し回って、どうにかこうにかいい相手見つけてきたんだよ」と電話やメールを寄こすのを見ているうちに、彼女の方はそれを疎ましく感じるよりしだいに不思議に思うようになって、とうとうある考えにたどり着いた。
母親は父親が勤めている町工場の内職の手伝いをずっとしていて、顔が広いわけではなかったし、特に社交性に恵まれてるようでもなかった。
当の娘だってもう若くはないし、資産や資格があるでもなく、特別に器量がいいようにも見えなかった。
そんな条件を丸々ひっくるめて考えてみると、母親一人の力で、障子の紙でも張り替えるみたいに何度も新しい見合い話を見つけてこれるのは不思議といえば不思議なことだった。しかもその相手がいつも見た目も身なりも悪くなく、仕事もしっかりした適齢期の男たちだからなおさらだった。
ある夜、娘はさらに里山から獲ってくるタケノコの品質をためすように、どうせ断るのだから知り合いの未婚女性にその見合い写真を見せてみたらどうかと提案してみた。母親は「そうかい.....いい話だと思うんだけどねぇ」と未練がましそうな顔をパソコン越しに見せていたけども、いざ近所の一人娘がいる家に見合い写真を持って行ったら、あれよあれよという間に縁談はまとまってしまった。
つぎにまた障子の紙を張り替えるように母親が持ってきた見合い写真にも、娘は同じ態度で同じ提案をした。
母親も「今度こそいい話だと思ったんだけどねぇ......」と悲しそうにアルバムの扉を閉じ、年頃の娘がいる知り合いを探して見せに行った。そしたら、その縁談も入れ食い商売さながらすぐにまとまった。
それからまったく同じような出来事が二度三度つづき、ようやく娘は父親に電話して、母親にはなにか縁結び地蔵めいた特別な才能があるんじゃないかと、密かに考えていた胸の内を告げた。すると父親も「いや、父さんも奇特なことがあるもんだと思ってたとこなんだよ」とすぐに同意してみせた。
「お見合いが上手くいったら、紹介料もらった方がいいよ。いい商売になるんじゃない?お父さんももうすぐ定年なんだしさ」
娘は言った。
たしかにそれはいい商売になった。老いた両親に大いなる臨時収入をもたらした。老後の不安を払拭せんとする勢いだった。お見合いなんて昔からあるのに、母親の手にかかると、みんなそれを忘れてしまって、まるで誰かがこんな商売をはじめるのをずっと待っていたような感じだった。
両親は業務を順調に拡大した。父親は町工場を早期退職し、見合い写真の束を抱えた母親を助手席に乗せて、町から町へと、田んぼから田んぼへと、あぜ道から県道へと、白い軽トラを走らせた。その勢いは県全体の婚姻率を右肩上がりに転じさせるほどで、二人は町長や知事から表彰状を頂戴した。それは立派な額に入れられて実家の壁の神棚と同じ高さに飾られた。
そんなこんなで、娘のちょっとした機転は両親の生活を一変させることになったけども、一つだけ変わらないこともあった。
それは母親が縁談を見つけてくるのはあくまで娘の幸せな結婚を願ってのことで、だから見合い写真は必ずパソコン越しに一度だけではあっても娘の審判を仰がねばならず、母親も「そうかい......」と残念なコメントを添えつづけなければならいことだった。
その過程を省略してしまった縁談は、どの家庭に持って行っても不思議と話がまとまらず破談を迎えた。だから時に一家は、家内工業のように次から次へと見合い写真を開いては閉じるという作業を、パソコン前でくりひろげる夜を送ることになった。
そうこうしているうちに、母親の縁談とは別に、結婚を前提に付き合ってほしいという男が娘の前に現れた。会社の取引先で働いている顔見知りの男だった。悪い男ではなかったし、以前からなんとなく気が合うような感じはしていたから、結婚は無理だけども付き合うだけならいいと娘が答えると、男がひどく悲しげな表情を見せたので、夕食に誘い、レストランの窓辺のテーブルで抜き差しならぬ家庭の事情を説明してやった。
「そういうことだから、わかってね」
娘がそう言ってグラスのワインを唇にあてると、男は今度は神妙な顔つきで頷いた。
男の存在は両親には打ち明けずにいた。だから形の上では以前となに一つ変わることなく、母親はせっせと娘に見合い話を持ってきては、娘はそれをせっせと断りつづけた。両親はもう外国の高級車を何台も持てるぐらいの蓄えがあったけども、相変わらず白い軽トラで県内から時に県外まで走り回っていた。
見合い写真はパソコンの前を左から右へと現れては消えていった。見合いアルバムの競りめいたその横移動は、いつしか日々の営みの中に溶け込んで、いつまでも永遠につづけられそうな気配だった。
けれどもある晩のこと、アルバムの競りは急に中断した。母親もパソコン画面の中でフリーズしたかのようにビックリしたまま静止した。でも誰より驚いていたのは、思いもかけず発した自分のひと言によって、競りの流れを止めてしまった娘自身だった。
缶ビール片手に枝豆を口に放り込んでいた彼女は、自分の目でたったいま見たばかりの光景が信じられないように言った。
「え...あ...お母さん、今のアルバムちょっと待って」
それはあろうことか、あとは断るばかりの予定調和な見合い写真の男に、娘が一目惚れした瞬間だっだ。
もしかしたらそれは一種の職業病に近い何かしらの病気なのかもしれなかった。星の数ほど見合い写真を見てきたせいで、感覚が麻痺してしまったのだ。
あるいは見合い写真の祟り。結果的に良縁として世間的に話が通っているとはいえ、娘の幸せとは名ばかりに、一度は数々の男たちの写真を左から右へと葬り去ってきたことへの罰が当たったのだ。
娘の豹変ぶりに関して、両親はそんなふうに話し合った。それというのも、娘が一目惚れした見合い写真の男というのが、田舎育ちの老いた親の目から見ても、まったく冴えない、地味を絵に書いた熊のような眉毛の太い山男で、両親にしてみれば、これならもっと見栄えも甲斐性もいい男がいくらでもいたではないか、といったところなのだ。
それで両親は娘に考え直す時間の猶予を与えることにした。もともとは婚期を逃しそうな娘の将来を心配してはじめたことだったけども、いざ彼女が首を縦に振る段階がくると、それは彼らが思い描いていたものとは勝手が違っていた。二人は娘の頭の具合が少しでも良くなることを期待して止まなかった。
もっとも、娘にとっては両親の意見を聞き入れた格好ではあったけども、彼女がそうしたのにはもっと別の理由があった。
彼女はただ、直ぐに写真の男に会うのが怖かっただけなのだ。これまで散々見合い写真を見てきて、断りつづけてきたはずなのに、いざ自分の番になると、そこには大きな透明の壁が立ちはだかっているように感じられた。
時間と心の準備が必要だった。けれども娘は同時に、その壁は時間が経ちさえすれば消えるというものではないことは最初からわかってはいた。
もしかしたら娘は大きな壁そのものに恋したのかもしれなかった。母親は幸せどころか、娘にさらなる壁を与えたのかもしれなかった。
その週末、染井吉男(仮名・34歳・会社員)は会社のトイレで終業ベルを聞いた。鏡の前でせっせとめかし込んでいるところだった。彼の方が山男よりずっとハンサムだったけども、この時点では彼はまだ山男の存在を知らなかったし、デートの最中に娘から別れ話を切り出されることになるとは夢にも思っていなかった。
おしまい