仮名小説#1地球の男
ある晴れた朝、多勢の人が一度に目を覚まし、空にもう一つの地球が浮かんでいるのを見つけた。
そこには自分たちとそっくりな人たちが暮らしていて、しばらくするとテレビ電話を使って、あちら側にいるもう一人の別の自分と会話することができるようになった。
でも、あまり一度に多勢の人が電話すると回線がパンクしてしまうから、テレビ電話は抽選になって、なおかつ家族同士で会話すると割引になる家族割りが導入された。
ただ中にはもう一人の別の自分がついに見つからない孤独な人たちもいて、国連の発表によると、人類の3パーセントぐらいがそれに当たるらしかった。可哀想な彼らのために、政府は特別給付金の検討をはじめた。
亀井カズオ(仮名・30歳・機械オペレーター)は玄関で靴を履いた。そこに妻が弁当箱を持ってきて嬉しそうに聞いた。
「給付金、どれぐらい出るのかしらね」
「大したことないだろ。自分と同じ顔した人間に会えないのが、そんなに大問題だとは思えないからね」
カズオは3パーセントの一人だった。妻にはちゃんとあちら側にもう一人の別の自分がいたけども、夫に気を使ってテレビ電話の申し込みはしていなかった。それに夫の給料に比べるとテレビ電話の通話料はちょっと高すぎた。
カズオは勤め先の工場に自転車で向かう途中、川沿いの橋の上に浮かんだもう一つの青白い惑星を眺めながら、妻も口ではああいうふうに言ってはいるけども、心の中ではやっぱりもう一人の別の自分と会いたいのかもしれないなと思った。
カズオは工場の食堂で同僚に話しかけた。その同僚の男は先月抽選に当たって、区役所のテレビ電話に家族全員を連れていき、あちら側の家族と会ってきたばかりだった。彼は便利で割安な家族割りを選択したのだった。
工場の従業員で抽選に当たったのは、いまだにその同僚だけだったから、休暇時間になると職場のみんなが彼のまわりに集まってその話に耳を傾ける状態がしばらくつづいた。
それは従業員たちにとって、自分の番がきたときの予行練習も兼ねているようだった。ただカズオだけは、その予行練習には一度も加わらずにいた。
そういうわけだったので、同僚も少し驚いたみたいだった。彼もカズオが孤独な人であることは知っていた。それで同僚の男はいつもよりどこか自分自身に他人行儀な感じで話をした。
「あっという間だったな。たった30分間だからさ、特別な会話もなかったよ。ほとんど世間話みたいだった。ただ向こうの家族もみんな元気そうで、それがなによりだったよ」
カズオはテレビ電話のあとでは家族になにか変化があったかどうか聞いてみた。同僚は笑いながら答えた。
「そうだね、前よりちょっと会話が増えたかな。それぐらいだよ」
カズオは妻と話し合って、給付金のうけとりを辞退した。そうすると、抽選に当選しなくても、一度だけ家族割りのテレビ電話ができる権利がもらえるらしいのだ。
カズオは妻が喜ぶのを見て自分のことのように嬉しかった。
当日、カズオは仕事を半日休んで妻と二人で区役所にでかけた。指定された時間より一時間も早く着いたけども、回線の調子が悪いとかでそれから二時間以上も待たされて、結局仕事は休まねばならなくなった。おまけに廊下で待たされている間に妻が気持ちが悪いと言い出して、区役所の女子トイレに籠ったきりなかなか出てこなかった。
そこに女性職員がやってきて、回線が回復したからテレビ電話の前に急いできてほしいと言ってきた。カズオが事情を説明すると、しばらく女性職員が妻に付き添うことになって、彼だけがフロアに戻っていった。
並んだ銀行のATMを思わせる機械の前に立つと、妻に瓜二つの女性がすでに画面に映っていてこちらを見つめていた。
カズオは遅れたことを詫び、妻の不在について妻と瓜二つの女性に説明して言った。
「なんならもう一回別の機会に変えてもらえるように頼んでみましょうか」
あちら側の地球にはカズオにあたる人間は存在しなかった。だからあちら側の、妻に瓜二つの女性はもう一人の別のカズオに出会うことにはならず、運命のいたずらからか、いまも独身のままだった。
彼女にとってカズオは存在するはずのない男だった。存在するはずのない恋人であり夫だった。
「せっかくだからあと少しお話できるかしら」
女性が言った。
二人は昔からの友達みたいに話しをつづけた。それは不思議な出会いだった。それはほとんど再会に近かった。時計の針が逆戻りをはじめたかのような。
「僕たちはずっと前に工場の食堂で出会ったんだ」
カズオはまるで妻に話しかけてるみたいに言った。
(おしまい)