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思い出アイドル(前編)

(これは経団連主催の「思い出アイドル対策セミナー」で開かれた講演を、講演者の原稿と会場で録音された音声をもとに再現したものである)


お集まりの諸兄へ


思い出アイドルを舐めてかかってはいけません。「私の妻に限って...」「まさか俺の彼女が...」「うちの娘だけは...」このような思い込みは今すぐに捨ててください。思い出アイドルはこれまでのアイドルとは根本的に異なった危険な存在なのです。早急な対策が望まれます。

それは女性だけに感染するインフルエンザのようなものです。思い出アイドルに感染する危険性のない女性は、すでに思い出アイドルに感染している女性だけと考えた方がいいでしょう。それはいたるところで増殖をつづけ、対象が女性であるならば誰にでも感染する可能性があるのです。

そうしていったん感染してしまうと、あなたの奥さんから恋人、娘さんに至るまで、あらゆる女性にとって思い出アイドル以外の男などは、まったく取るに足らない存在になってしまうのです。その時、あなた方男性はこの世にかろうじて存在するカゲロウめいた輩になり果ててしまうでしょう。思い出アイドルが夜空に光り輝く一番星ならば、あなた方はさしずめ道端に落ちている小さな石コロといったところです。


しかしこうまで言ってもまだ、世間には私を見て笑いだす人たちがいることでしょう。まったく間抜けな男が人様の前でなにをホザいているのかと。恥ずかしくはないのかと。石コロはお前自身ではないかと。

まったく仰るとおりです。確かに私は石コロですし、私たち〈思い出会〉は道端に落ちた石コロの集まりです。ですから私たちはこれまでずっと押し黙ってきたのです。カゲロウ同士で肩を寄せ合って嵐が過ぎ去るのをじっと待っていたのです。

けれども皆さん、ついに石コロやカゲロウ如きが声を上げる時がやってきました。どうもそうしなければならないようなのです。それほどまでに状況は緊迫しているわけです。とある筋のお偉い人たちが、私たちに発言せよと申し付けているのです。そうしなければ私たち〈思い出会〉の存在自体が危ぶまれるのです。発言しないわけにはいけません。

そんなわけで、私たちはこのたび期せずして転がる石になることを選択し、こうして私が代表として壇上にあがり、皆さんにお話することになったわけです。


最初に断っておきたいのは、先ほどから私は女性だけに限定されるようなものの言い方を繰り返しておりますけども、これは決して女性を差別して申し上げているのではないということです。

たしかに私は妻を、正確に言えば元妻を、思い出アイドルに奪われた男ではあります。しかしだからといって私は、別れた妻も、その直接の原因となった思い出アイドルのことも恨んだりはしていないのです。私はただ現状をできるだけ客観的に説明しようとしているのに過ぎません。これが偽りのない今の私の気持ちです。

それから私たち〈思い出会〉が女性会員の入会に積極的でないというご意見を度々耳にします。誠に恐縮ではありますけども、それは私もまったくそのとおりだと思います。しかしそこには致し方ない事情もあるのです。

考えてもみてください。家族や恋人を思い出アイドルに奪われた私たちが、どうしてふたたび仲間を失うという現実に耐えることができるでしょうか。

悲しいことに、たとえ親御さんであっても、母親であっても、女性であることに変わりはないのです。ですから、ここは一つ大目に見ていただきたいと思います。お察していただきたいと思います。


今一つ断っておきたいことがございます。さきほど私は自ら〈思い出会〉を代表してと申し上げました。けれども、私は決して〈思い出会〉の代表の任にいる人間ではありません。それどころか私はなんの肩書きもない、入会してまだ一年にも満たないペーペー会員なのです。

それではなぜペーペー会員である私が、会を代表して皆さんの前でこうしてお話させていただくことになったのかということですけども、ここで皆さんに思い出していただきたいことがございます。それは私たち〈思い出会〉の会員たちが、普段どのように呼ばれ、世間から蔑まされ、後ろ指をさされているかということです。

そうです。思い出して頂けたでしょうか。私たち〈思い出会〉の会員たちは世間から泣き男、あるいは泣きベソ男、略してベソ男、もっと略して「ベソ」、究極的にはただの「ベ」などと呼ばれているのです。


それは私たちが人前でよく泣くからそう呼ばれているわけですが、実際に私たちは人様の家の庭先に伸びた木々の枝に、花がつけているのを見つけては泣き、公園の芝生で子供たちが走っているのを眺めては泣き、夕焼けに包まれてゆく街の灯りを見つめては泣き、そうして家に帰って一人の夕食を済ませてはまた泣く、そんなどうしようもないほどに涙もろくなってしまった男たちの集まりなのです。

しかしどうでしょうか。皆さんの目の前に立っているこの男はどうでしょうか。マイクに向かった私は、今にも瞳を潤ませ泣きだしそうでしょうか。声を上げてさらなる恥の上塗りを、この期におよんで皆さんの前でご披露しそうでしょうか。

いいえ私は泣きません。私は涙を克服した〈思い出会〉の唯一人の会員なのです。言うなれば、私はもっとも進化した泣き男です。「ベ」の最終形態、それが私です。だからこそペーペーであっても代表に選ばれたわけです。

では、なぜ私だけがそうなることができたのでしょう。数多い会員たちの中で、なぜそれが私だけの身に起きたのでしょう。

前置きが長くなりました。つまりそれをお話することが、思い出アイドルとそれに関連した諸問題に対する私たちの見解になるかと思います。それをお話するために、今日私はこの会場に参ったのです。


さて皆さん、思い出アイドルとはなんでしょう。思い出アイドルとこれまでのアイドルとはなにが違うのでしょう。そしてまた思い出アイドルと呼ばれるアイドルたちは、どうして男ばかりなのでしょうか。なぜ女の思い出アイドルは存在しないのでしょうか。

その答えは皆さん、私のスーツのポケットの中に隠れています。

これはヘッドセットと呼ばれている、眼鏡とヘッドホンが一緒になったような機械です。高速回線でどこかの大きなコンピューターと繋がっています。すべては、世の女性がこのITオモチャみたいなヴァーチャル眼鏡をかけた時にはじまりました。画期的なヘッドセットの開発がまったく新しいアイドルを誕生させたのです。

ここからちょっと話がややこしくなるのですが、難しいコンピューター関係の話は上手に省きますのでどうか着いてきてください。

つまり思い出アイドルには、現実とヴァーチャルという二つの顔があるわけです。両方ないといけません。どちらか一つだけでは思い出アイドルは成立しないのです。

もちろんこれまでにもヴァーチャルソフトを活用したアイドルはおりましたし、今でもいます。彼や彼女たちは思い出アイドルと同じように、やはりファンたちにせっせと三次元的エンターテイメントを提供しています。

しかし悲しいことに、彼らと思い出アイドルとでは大きな差があるのです。思い出アイドルの方が圧倒的に賢いわけです。言わば彼らは仕事の出来る奴なのです。学習し、ありとあらゆる情報を瞬時に収集し、それを自ら上書きしてしまうのです。


例えばあなたの恋人がヘッドセットを使って誕生日にバーチャルデートをしたとします。普通のアイドルは綺麗な夜景が見下ろせる有名なデートスポットなどで、あなたの彼女の耳元に「おめでとう」と囁くぐらいなものでしょう。

しかしながら思い出アイドルにもなりますと格が違ってきます。彼らは、あなたの恋人が高校へ行くのに通っていた夕陽の射す並木道で、あるいはあなたの恋人が子供の頃に過ごした実家の、満天の星々が瞬く屋根の上で、同じ言葉を囁くのです。

ご理解していただけたでしょうか。つまり思い出アイドルはネット上に存在するあらゆる情報を集めてそれを活用し、あなたの奥さんの、恋人の、記憶の中に忍び込むのです。あたかも昔から知っているクラスメートや先輩のような顔をして、それになりすまして近づくのです。


さてその後にはどんなことが起きるでしょうか。皆さん、想像してみてください。

あなたの恋人はサングラスを外すハリウッド女優みたいに、うっとりとヘッドセットを取り外します。現実の世界に戻ってくるわけです。それから彼女はテレビを点けるかもしれません。雑誌を開くかもしれません。そして見つけるでしょう。教室で机を並べていたクラスメートが、部活の先輩が、隣の男子校の生徒が、テレビの画面や雑誌のグラビアに映し出されているのを。それはついさっきまで実家の屋根の上で、学校の帰り道で、自分にむかって愛の告白をしていたカッコ良い彼に間違いありません。


けれどもその感覚は、感情は、もちろん錯覚です。幻です。ヘッドセットが創り出したヴァーチャル世界の中だけの出来事です。あなたの恋人にもそれは分かっています。

しかしそれが何度も繰り返されたらどうでしょう。しかも同じシチュエーションばかりではなく、ヘッドセットをかけるたびに懐かしいクラスメートたちの顔が増えてゆき、道が延びて橋が架けられ街が広がってゆき、知っているお店が増え、近所の神社の境内からは祭り囃子が聞こえてきて、さらには自分の両親までが登場し、ついにはかつて街が包み込んでいたそよ風や木漏れ日までが完璧に再現されるようになったとしたら。自分の記憶と同じぐらいに、あるいはそれ以上に完成された世界が、目の前に現れたとしたら。過去を変えることはできないとしても、その時、私たちは記憶を組み替えるくらいのことはできるのではないでしょうか。

そうしてテレビを点ければ、そこには幼馴染みの恋人が、同級生が、つまり現実のもう一人の思い出アイドルが、こちらは現実の世界でスポットライトを浴びながら歌ったり踊ったりしていたなら。


皆さん、これが思い出アイドルです。一人の思い出アイドルがヴァーチャル世界を活用することによって、何万人もの架空のクラスメートや先輩に化けてしまうのです。そうしてそんな思い出アイドルが何百人と存在するのです。女性たちはその中から好みのアイドルを一人選ぶだけでいい。

どうでしょうか、お集まりの男性の皆さん。どう思いになったでしょうか。

もちろん笑ってくださっても結構です。いいえ、むしろここは笑うところです。健全な男性ならそうするべきです。明日もまた出社して、無事に一日を乗り切りたいとお思いなら笑い飛ばしてください。同級生のアイドル?部活の先輩?隣の男子校の生徒?くだらないにも程がある。まったくナンセンスだ、と。

しかしです、じつはそこに男性と女性との大きな違いがあるようなのです。秘密が隠されているのです。

まだ確実には証明されてはいないようなのですが、どうも男性は現実と非現実を取り違えることはあっても、過去と現在を混同することはあまりないようです。それを可能にするのは海のように広い女性の無意識だけらしいのです。もしも男性が過去と現在を混同することがあったら、それは本人が意識的にそうしていると捉えた方が良さそうです。

もうお分かりでしょう。それで女性版の思い出アイドルはこの世に存在しないのです。男性の皆さん、現実の徒の皆さん、そして理性から成る門下生の皆さん、ようこそお出でになりました!


しかしこの男性側の過去に対する軽視が、思い出アイドルを小馬鹿にしたような態度が、じつは思い出アイドル陣営にかえって好都合な環境を生み出しているのは最初に申し上げたとおりです。

正直に告白してしまえば、私こそは泣き男になるべくしてなった男でした。私もまた最初は思い出アイドルを小馬鹿にしていた愚かな夫だったのです。

思い出アイドルがどういうものなのか、妻がヘッドセットを購入する際に彼女自身から説明してもらっていた私は、おおよその仕組みは理解していました。だからこそ自宅の居間で、妻がこのヘッドセットを毎晩のようにかけているのを目撃しても黙認していたのです。読書やペットの代わりぐらいに考えていたのです。宝石やブランドものの高いバッグを欲しがられるよりはずっといいぐらいにタカを括っていたのです。

それが間違いでした。結果的に思い出アイドルは宝石やブランドもののバッグよりもはるかに高い買い物になってしまいました。

私は妻の顔から未来からやってきたオモチャみたいな眼鏡を取り去り、彼女と向かい合うべきだったのです。時にヘッドセットを装着したままベッドで寝入っているその肩を揺すって、無理にでも彼女を夢から引きずり出すべきだったのです。

しかし、そうすることが私にはできなかった。当時の私はまだ〈思い出会〉の存在も、ベソ男という名も知りませんでした。そんな考えはチラッとも頭を過らなかったのです。


そこに貞操観念の入り込むスペースはありません。浮気をしているような後ろめたさは彼女たちには皆無です。なぜなら、すでに記憶は書き換えられてしまっているからです。

そんなわけで、私が典型的な泣き男の道を辿っていったように、元妻もまた典型的な思い出ガールズへの道を邁進していきました。

思い出アイドルにハマった女性ファンたちのことをそう呼ぶのです。私がいまだ泣き男であったなら、涙の一粒や二粒では納まりそうにないじつに悲しいネーミングです。

彼女たちの年齢は10代から60代に至るまでじつに幅広く、経歴も様々です。学生もおりますし、主婦の方もいます。でも意外に思われるかもしれませんが、一番多いのは働いている社会人の女性たちです。もしかしたら、働く女性が持っている無意識層はとくに広いのかもしれません。

私の妻も職場の同僚の女性から思い出アイドルを勧められたようです。妻は電話オペレーターをしておりました。

思い出ガールズの聖地はやはり秋葉原です。かの地には地上10階建ての〈思い出ビル〉なるシンボルタワーがあり、その中にある劇場では毎日なにかしら思い出アイドルたちによる興行が行われています。

しかしその興行はお金さえ払えば誰でも観れるというものではありません。プリクラ写真のようにキラキラ光るひし形の抽選券が必要になるのです。興行を観るには抽選に当選しなければなりません。

思い出ガールズたちはその抽選券欲しさに秋葉原詣でを繰り返すわけです。休日だけだったのが、やがて平日にも足を向けるようになって、そうなってくると東京近郊で暮らす女性ならば毎日のように秋葉原に通うようになるまでにそう時間はかかりません。たとえ興行を観ることはできなくても、そこは思い出アイドルの聖地です。行けば必ず仲間に出会えます。

秋葉原に何十店舗とあるコンビニの、そのカフェコーナーが彼女たち思い出ガールズの溜まり場です。まるで地方のヤンキーさながらです。本気で泣けてきます。泣きませんが。

思い出アイドルのCDやDVDはコンビニでしか手に入りません。パソコンでお気軽にダウンロードとはいきません。ですからコンビニエンスストアーは思い出アイドルの一大スポンサーにもなっているわけです。


しかし仕事が終わってから毎日のように秋葉原くんだりまで赴き、さらにそこでヤイノヤイノやって、そうしてまた電車に乗ってようやく自宅に帰ってくるようでは、家庭内のもろもろの営みも滞ってきます。

それでも私が妻にむかって小言を挟むようなことはありませんでした。これはいずれベソ男に身を落とす男たちに共通した傾向です。ここは赤線を引く重要なポイントになります。泣き男検定なるものがもし誕生したら、ここは必ず試験に出るところです。

私たち泣き男は妻や恋人たちの喜んでいる顔を見るのが大好きなのです。まったく子供の笑顔の写真を持ち歩く親と同じ心境なのです。

そのためなら私たちは、掃除だって洗濯だって料理だって厭わず進んでやるわけです。風呂だって入れます。彼女が疲れているようでしたらマッサージもしてやりますし、より栄養のある料理メニューを考えます。彼女が思う存分思い出アイドルに打ち込めるように、まるでアスリートの妻を持ったかのように甲斐甲斐しく世話をします。

これは私たち泣き男自身にとっても新しい発見であり嬉しい驚きでもあるのです。赤ん坊が生まれて、はじめて自分が子供好きだったことに気がつく男親のようなものです。なにしろ私たちは、これほどまでに生き生きとした妻をもう何年振りに見たのです。彼女の喜んでいる姿が私たちをウキウキさせるのです。これはある意味で、私たち男もまた思い出アイドルにハマっている状態になるわけです。


おかしな言い方になりますけども、女性が誰でも思い出ガールズになる可能性があるように、男性なら誰でも泣き男になる可能性があります。しかもそれは......そうです、それほど悪い経験ではないのです。

これでは今まで私が喋っていたことと矛盾してしまいます。それは自分でも分かっているつもりです。これではほとんどミイラ捕りがミイラになる方法を教えているのと同じ格好になってしまいますから。

ですが私の仲間たちなら、そう〈思い出会〉の会員たちならば、私が今ここで語ろうとしていることを誰も否定しようとはしないでしょう。

私はとあるお偉い方々から思い出アイドルの弊害について語るように言われてここにやってきました。つまり、いかに思い出アイドルが女性の敵であり、男たちの敵であり、引いては社会の敵であるかをクドクドと述べるために。

しかし、じつのところ現実はそう単純なものではないのです。必ずしも私たち〈思い出会〉は、臆病だから口を閉ざしていたわけではないのです。その証拠に、私たちの会員の誰かが思い出アイドルを裁判に訴え出て、損害賠償を請求したようなケースはこれまで一度も起きていません。

落ち着いてください。落ち着いてください。どうかお静かに願います。皆さんのお気持ちは分かります。

私たちが本当に言いたいのは、思い出アイドルにもいい面、悪い面、両方あるということです。私はただそれを包み隠さず述べようと思います。そうでないとなんだか不公平ですし、あとになって問題もでてくるでしょうから。


それはまるで妻や恋人たちの記憶が書き換えられたときに、私たちの性格を決定づけている遺伝子までが一緒に書き換えられてしまったかのような不思議な体験です。

いつ頃からか私は、自分でも秋葉原へ行ってみたいと考えるようになりました。いったいそこでは毎日何が起こっているのか、自分の目で確かめたくなったのです。

例えてみるなら、自分の子供が出ている野球の試合や学芸会の様子をこっそり覗きに行く親御さんの心境のようなものでしょうか。もちろん妻には内緒です。目的はかの地で彼女と再会することではありません。私はただ純粋に思い出アイドルのムーブメントを面白いと思い、興味を持っただけなのです。ですから妻とは顔を合わせない方がいい。

そのために私は、その日、早めに仕事を切り上げて夕方前に秋葉原へと向かいました。家も職場も東京の西にある関係で、あの街へ行くのはもう何年振りになるのか正確には思い出せないほどでした。


久しぶりに着いた秋葉原は、しかし私が想像していた街とはまったく次元の異なった、新しい街に生まれ変わっていました。

私の想像というのは、つまり電気店とアニメショップとアイドルショップとが、隙間なく連立しているような一昔前の秋葉原のことなのですが、実際に行ったことがある方はすでにお分かりかと思いますけど、そこは今では、ここは銀座か青山か果てはニューヨークの五番街かと、まるで見間違えるような高級店が建ち並んだ、おしゃれで小綺麗な街へと変貌を遂げていたのです。あの秋葉原がです。まったく思い出アイドル恐るべしです。

しかしこれは少し考えてみれば予想できることではありました。なぜなら思い出アイドルの顧客の中心は、20代から50代までの、ある程度自由に使えるお金を持った働く女性たちだからです。彼女たちは思い出アイドルには当然興味あるでしょうし、それぞれにお気に入りのヘッドセットも持っていることでしょう。しかしそれ以外の電化製品や、ましてアニメグッズに対しては大した興味は持っていないでしょう。秋葉原の街は今、彼女たちを中心に回っているのです。

思い出アイドルたちが出演している〈思い出ビル〉もまたハリウッド映画に出てくるホテルと見まごう感じの建物です。その一階フロアには、ここ秋葉原店でしか買えない高級思い出アイドルグッズを取り扱った高級ブティックが入っています。

銀座などと違う点はやはりというべきかお約束のコンビニが多いことでしょうか。お店の三軒に一軒はコンビニというか、高級ジュエリーショップとお洒落なヘアーサロンの間には必ずコンビニがあるという印象です。


私はそんな駅前の大通りに面したコンビニの窓際にあるカフェに陣取り、100円コーヒーで粘りながら、思い出ガールズたちが現れるのを今か今かと待っていました。もちろん妻に会ってもバレないように野球帽とマスクという、一昔か二昔前の秋葉原のトレンドに合わせたファッションアイテムを身につけて。

やがて日が暮れはじめると、仕事帰りと思わしき紺色のスーツ姿の女性たちの姿がチラホラと通りを行き交うようになってきました。彼女たちはコンビニに入って来ては私と同じように100円コーヒーを注文して窓際の席に腰かけ、すぐに携帯電話の充電を開始するのです。コンビニカフェのテーブルにはそのためでしょうか、いくつも充電用の差し込み口が設けられています。

彼女たちは充電中の携帯で誰かと会話しながら、目では忙しそうに窓の外に視線を走らせます。黒いバッグの中には恐らく家宝のヘッドセットも入っていると思われますが、ここで活躍するのはあくまで携帯電話の方です。彼女たちは街中になにかを探しているのです。電話での会話は主にそのための情報交換です。

どうやら思い出ガールズには無数のグループが存在していて、それぞれの場所にメンバーが分散し、夕方の秋葉原で情報戦を展開しているようでした。

果たして彼女たちのグループがお気に入りの思い出アイドル別に構成されたものなのか、それとも彼女たちが勤めている会社の企業系列などで構成されたものなのか、詳しいことは定かではありませんけども、それがいったいなんのためなのか、私にもやがて分かってきました。


トラックなのです。彼女たちは秋葉原の街を練るようにして走っているトラックを探していたのです。

それは日が暮れはじめた頃どこからともなく現れた思い出アイドルの広告トラックなのですが、電飾の付いた大きなコンテナを引っ張り、側面には思い出アイドルたちの大きな写真を施して、彼らのCDを大音量で流しながら、まるで現代風ななにかの啓示を伝える使者のごとく、そんなトラックが何台も秋葉原の街中を周回しはじめていたのです。

スーツ姿の彼女たちは広告トラックが目の前を通っていくたびにその種類や走って行った方向をさも大事な情報のように電話の向こうの仲間に報告しているようでしたが、それから私はすぐにトラックの大音量をもしのぐ、あらたな生きた啓示というものを外の世界から耳にしたのでした。


それは女たちの歌でした。圧倒的な声量でした。電車を降りた思い出ガールズたちが、大集団となって駅の改札口から一斉に溢れ出てきたのです。

彼女たちが歌っていたのは、たぶん思い出アイドルのヒット曲の一つなのでしょう。まるで誰か一人の何気ない口ずさみが、やがて周囲に伝わっていき、それが夕暮れの讃美歌のようになって秋葉原の駅前の交差点に木霊しているかのようでした。

コンビニの窓に映し出されたその光景は、炭鉱の街を舞台にした古い外国映画のワンシーンを私に思い起こさせました。その映画の中で一日の仕事を終えた炭鉱夫の男たちは、大円団となって山を歌い歌い緑の谷へと下りてくるのです。

紙コップの冷めかけたコーヒーを口にしながら、交差点を渡って来る女たちを、私はそんな炭鉱夫の男たちと重ね合わせて見ていました。


思い出ガールズの集団は四方八方から、そこら中に点在する駅の出口から現れて、コンビニ前の歩道はすぐに仕事帰りのOL、授業帰りの女学生、買い物途中の主婦、その他諸々の女性たちによって埋め尽くされました。

彼女たちにとっての炭鉱夫のビールは、100円の紙コップのコーヒーでした。思い出ガールズたちは歩道上でスターバックス的な祝杯をあげました。一つの歌が終わるとまたどこからか別の歌の合唱がはじまって、それはいつまでも終わることなくつづく街中のキャンプファイアーのようでした。

その間にも広告トラックは通りを走って布教活動をつづけていましたけども、思い出ガールズたちの合唱が途切れたのは、そのトラックがコンビニ前の歩道脇につけ、音楽を止めて停車した時でした。

私の横にいたスーツ姿の女性たちが携帯電話を握りしめて急に歩道に飛び出していきました。思い出ガールズたちの合唱が止むと、秋葉原の街は一瞬シンと静まり返りました。


その後になにが起きるのか、それを知らなかったのはお上りさんの私一人だけだったでしょう。

トラックのコンテナの屋根が上に開いて、そこからなにやらスルスルと黒い鉄柱が夜空に向かって伸びていったかと思うと、私の心臓と鼓膜は突然発せられた轟音にガツンと横殴りにされて、その場に私は飛び上がってしまいました。それはネオンの秋葉原の街に打ち上げられた一発の大砲だったのです。

やがて天上からキラキラ光るスワロフスキーめいた無数の星屑が降ってきました。実際にはそれこそ思い出ガールズたちが喉から手が出るほどに欲しがっていた抽選券だったわけですが、私の目にはそれがなにか神聖な贈り物のように、それこそ私へのなにかの啓示のように見えたことをここにご報告せねばなりません。

そうです。そうなのです。その夜、私はついに泣き男になったのです。


(つづく)


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