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初恋フィギュア

昼休みの校庭ではじめてあの子を見つけた時を思い出した。クラスメイトと一緒に縄跳びをしていた彼女は、まるで転校してきたばかりの生徒みたいに際だって見えた。

思えば、あの時も僕は教室の窓越しから眺めていたのだった。そして今、やはり僕はあの子をガラス越しに見下ろしている。ただ、彼女のまわりにいるのは同じクラスの女子生徒ではなくて、なぜかデビルマンだったり、ルパン三世だったりする。彼女はあの頃と同じ制服を着ているけども、なぜか人形だったりする。


どうしてこんな物がこの世に存在するのか僕にはまったく理解できなかった。普通、フィギュアのモデルとなればアニメのキャラクターとか有名人とかに相場は決まっている。僕の知るかぎり、大人になったあの子がスターになったという話はまったく聞いた覚えがない。と言うよりも、東京の大学を卒業して、OL生活をへ、学生時代からつき合っていたボーイフレンドと結婚したというのが僕の持ちうる彼女の情報のすべてなのだ。


その彼女がなぜか昔懐かしいセーラー服を身につけてショーケースの中に収まっている。丸縁の眼鏡も、お嬢様風の笑顔も、ショートヘアーも当時のままに。

彼女の名前は木杉佐智子さん。中学二年の春、校庭にいた彼女に僕は生まれて初めて恋をした。おかしなことに、それまで一年間も互いに同じ校門をくぐっていたのに、その日まで僕は彼女の存在にまったく気づかないでいた。なぜだか分からない。おそらく、それぐらい僕はぼんやりとした子供だったのだろう。



そこは僕がお気に入りにしていたレトロ・フューチャーなお店で、中央線の中野駅からアーケード通りをぬけた広いショッピングモールの三階にあった。そのショッピングモール、一階のフロアはごく普通の商店が建ち並んでいるのだけど、エスカレーターで二階にあがると、そこにはサブカルチャーとオタクの世界が中央線沿線的に雑多に広がっていて、僕にはその気質はないけれど、やはりTV世代の性か、営業の仕事帰りにたまに立ち寄っては、子供の頃に夢中になったヒーローたちのフィギュアなどをぼんやり眺めて時間を潰したりしていた。何か気に入ったものがあったら一つ買って部屋にでも飾ろうかと思ったりもするのだけど、こういった類の物はよほど思い入れがないと購入する気になれないのが僕の正真正銘の気質であり、けっきょくは手ぶらで帰宅するのがいつものパターンだった。

それが今日、思い入れどころか、思い込み100%のフィギュアと僕は対面してしまったのだ。 


狭い店内の木製の棚には稲垣足穂の古書や骸骨のオブジェ、飛行船の模型など、高価ではないが、浮世離れした逸品ばかりが所狭しと無造作に陳列されていた。プラスチック製のフィギュアはここではかなりの新参者になるはずだ。そしてルパンとデビルマンの間にまるで複雑な三角関係を想起させるかのようにたたずんだ我が木杉佐智子さんは、ここでも転校生のように真新しい存在だった。なぜなら、先週立ち寄った時には怪盗と悪魔的ヒーローとは仲良く並んでいて、そこに奇妙な緊張感はまだ発生していなかったはずだから。

それにしてもよく出来ていた。単に木杉さん本人に似ているというだけではない。このフィギュアは肌の質感からセーラー服の素材まで、ほかの人形とはあきらかにレベルが違う。どう見ても大量生産されたものではない。そんな物が存在するかどうかは知らないが、オーダーメイドのフィギュアなのかもしれない。それにしてもいったい誰が。そして、どうしてそれがここにあるのか。僕が卒業した中学校は福島の片田舎にあるのだ。


さっきから静かに店に流れていた電子音楽のうたかたの夢を破るように男の咳がした。ジョニー・ディップが黒縁眼鏡をかけたみたいなこの店の青年店主だ。今、店内には僕と彼の二人しかいない。これまで一度も言葉を交わしたことはなかったけど、振り返りざま僕は彼に商談めいた質問を投げかけた。『木杉佐智子さんフィギュア』には肝心の値札が見あたらなかったのだ。


「それは売り物じゃありません」

きっと僕をコレクターかマニアの類と見当づけたのに違いない。いつも手にした文庫本から顔をあげると、若い店主はよく言い聞かせるかのように僕にむかってそう答えた。まさか目の前にいる男が店に置いてあるフィギュアの同級生だとは夢にも思うまい。

さて、営業職を生業としている輩としては、店主に一度門前払いされたぐらいで、ハイそうですかと引き下がるわけにはいかない。すでに僕の頭の中では財布の有り金どころか、キャッシュカードの限度額まではじき出されていたのだ。

そういえば、値札のついてない店の看板ほど実は店主の売りたい目玉商品なのだと、どこかの雑誌で目にしたことがある。それならば、まずは青年店主を上手く丸め込んで実際に『木杉さんフィギュア』を手に取ってみることだろう。なにしろ田舎の同窓会に一度も出席していない僕が、最後に彼女の顔を見たのはもう十年も昔のことなのだ。他人のそら似ということもありうる。


店の奥に設けられた小さな机で、店主はふたたび文庫本のページに目を落としていた。あたかも店の経営にはまるで関心のないアルバイトの店番のように。木杉さんの名前は出さなかったが、僕は正直に事情を説明することにした。店同様にどこか浮世離れした青年に、小細工した作り話はあまり効果がないだろうと考えなおしたのだ。

意外にも彼は嫌な顔一つ見せずに席を立つと、ガラスケースの鍵を開けて人形を取りだした。そして咳をするように「どうぞ」とボソリと言って僕にそれを手渡した。無論のこと、席にもどった彼はそちらが本業みたいに文庫本を読みはじめるのだった。

摩天楼に上り詰めたキングコングよろしく小さな美女を手にした僕は少々戸惑い気味の巨人だった。女兄弟のいない環境で育った故に、これまで女の子の人形など触れたことなどなかったのだ。僕はただジンマリとフィギュアの顔を見つめること以外にできることがなかった。

幸運だったのは、そこにあらたに来店してくる客がいなかったことだ。狭い店内にひたすら文庫本に目を落としている男と、少女の人形を手にしてたたずむ男とが、無言で二人いる光景はいささか薄ら寒い感があったはずだから。


いま一つ確信をつかむ必要があった。かといってフィギュアをこの場で縄跳びさせるわけにもいかない。僕がこころみることができたのは、記憶の扉を開くべく、ただ慎重に銀細工の丸縁眼鏡を人形の顔から取り外すことだけだった。

しかし、それだけで充分だったのだ。たった数センチの指の動きが、僕を中野のショッピングモールから故郷の十年前の教室へと、時空をひとっ飛びにして連れもどした....。


当時の僕にとって、授業中に木杉さんが眼鏡を外すことは一つの事件だった。中学の最後のクラス替えで僕は彼女と同じクラスになれたのだ。眼鏡をかけていない時の木杉さんはまた凛々しいぐらいに美しかった。授業そっちのけに僕がその瞬間を待ちわびていたのは言うまでもない。高校受験に失敗しなかったのが不思議なぐらいだ。

そしてその光景がたった今、目の前で再現されたのだ。しかも僕自身の手で。なにか言いようのない感情に襲われ、僕は立ちくらみを覚えた。決して営業帰りの疲労からくるものではない。間違いない、このフィギュアはたしかに木杉佐智子さん本人なのだ。なんでこんな物がこの世にあるのか知るよしもないが、僕の高ぶる全神経が僕自身にそう告げていた。


「最近のアイドルのフィギュアですよ」

奥で店主が何か言っていた。

「その女子高生のアイドルが出演した学園モノの映画の公開を記念して、限定で五十体だけ制作されたんです」

どちらかと言えばこれまで好感を持っていたのだが、今日から僕はジョニー・ディップという俳優が嫌いになりそうだった。

青年はまるで彼女の肉親みたいに僕の手から木杉佐智子さんを取り去ると、ガラスケースに閉じこめてふたたび鍵をかけた。そして椅子にもどって文学青年へとかえった。


僕は木杉さんの名前をポツリと言った。そっくりなんです、と。店主はもう顔も上げす、ただ「そうですか」と答えるのみ。店の経営以上に僕の存在には関心がなさそうだった。


幾らだったら譲ってもらえますか、そう尋ねた僕の声にはこれまでにはない凄みがあったと思うのだが、それもこの青年店主にはまったく効を奏さなかったようだ。それもそのはずで、店側には僕には伺い知れないある事情があったのだ。店主はいささかうんざりしたように口を開いて言った。

「あなたで二人目なんですよ」


もちろん僕には彼の言葉の意味をすぐに呑み込むことはできなかった。ポカンとした帰宅途中の営業マンに、青年店主はここぞとばかり忙しい経営者になったかのように要点だけを手際よく説明した。もっとも、肝心の内容はやはり店同様に相当浮き世離れしたものだった。

それによると、考え難いことだけども、僕と同じような『同級生にそっくりフィギュア』の購入希望者が先週にも一人来店したばかりなのだという。

はたしてその同級生がかの客の初恋の相手だったかどうかは聞かなかったけども、幸いお相手は木杉佐知子さんではないようだった。ということは、その客は当然僕の同級生でもないことになる。

それにしても、よく世界には自分に瓜二つの人間が三人はいると話しには聞くけども、そういった例はフィギュアにも当てはまるのだろうか。それともたまたまこのフィギュアのモデルになったアイドルがいろんな女の子に似ているということなのだろうか。いいやそれとも、いろんなのに似ているのは、フィギュアでも女子高生アイドルでもなくて、我が木杉佐知子さんの方なのか。

もしそうだったとして、僕は一向にかまわない。こちらとしては、ただフィギュアが手に入りさえすればいいのだから。


しかし予期せぬライバルの出現は僕のささやかな望みをさらに困難で複雑な状況へと陥れた。ひきつづき店主の話では、その男性客はあろうことか、彼自身の卒業アルバムを持参して再び来店する予定だという。それが今週の土曜日で、なんと店主はアルバムをじかに見て、たしかに似ていると確信したら、あのフィギュアを譲る約束をしているのだという。「売り物ではない」と言っていたさっきの話はいったいどこへいったのか。きっと敵は僕よりはるかにヤリ手の営業マンなのに違いない。

「よかったらあなたも参加してみたらどうですか。土曜日のオークションに」

店主は言った。善意ある第三者かのように。まるでバカみたいな話だった。値段だったら話も分かるけど、いったいどこの世界に「どちらがより似ているか」で購入者を決定するオークションがあるというのだろうか。

だがしかしそうは言っても、早速僕の頭の中では、久しく開いていない卒業アルバムの置き場所を手繰りはじめているのだった。たしかそれは福島の実家にあったはずだ。

僕は店主と携帯のアドレスを交換し合って店を出た。


さて土曜日。普段着姿の僕は昼近くから中野のファーストフード店の席で青年店主のメールが届くのを待っていた。我ながら冴えない休日の過ごし方ではあると思うけど、財布にはATMから引き落としてきたばかりの軍資金と、バッグにはやはり昨日実家から速達で届いた卒業アルバムが待機していた。

けれど、ここまできて僕の気持ちは迷っていた。昨晩、何年かぶりに卒業アルバムの扉をめくった僕は、これまで一度も出席したことのなかった同窓会の夢を見てしまったのだ。

会場はお約束の実家近くのボーリング場のレストランだったけども、その夢の中で僕は生まれて初めて木杉佐知子さんとまともに会話をし、楽しくおしゃべりをした。もっとも、目を覚ました時には何を話したかすっかり忘れてしまっていた。ただ、瞼の裏には、僕の言葉にうなずいてみせる少し大人びた木杉さんの笑顔が焼き付いていた。

それは本来なら喜んでいいはずの出来事だった。しかし、ベッドのまどろみの中で、僕の心は沈んでいた。彼女の笑顔が鮮やかに思い出されるたび、沈み込んでいった。


過去の夢が、決して過去を取りもどすことができないことを僕に告げていた。それなのにこの僕ときたらそのミニチュア版を手に入れることに夢中になっている。けれどこうも考えられた。絶対に手に入らないとわかっているからこそ、たとえ偽物であっても手元に置きたいのだと。それにミニチュアにはミニチュアにしか表現することのできない魅力だってたしかにあるはずなのだ。

想定外の自己否定の夢を見てしまった僕は、そんなふうに朝からずっと自分の行為を正当化できる理由を探していたけども、完全に立ち直れる前に店主からのメールが着信した。


休日のショッピングモールは田舎のボーリング場よりはるかに混みあっていたが、青年店主の店だけは貸し切り状態だった。悲しいかな、そこにはメッセンジャーズ・バッグをぶら下げた我が同胞、我がライバルの姿しかなかった。

それはそうと、見ず知らずの他人の卒業アルバムを覗き見る時、人には好奇心だけでなく、奇妙な同情心のようなものまで働くことがあるようだ。結局は負けているほうの高校を応援してしまう夏の甲子園中継を眺めているみたいだ。

だが、勝負は実力の世界であり、それはここ中野のショッピングモールでも同様であった。僕の対戦相手は意外にもスポーツマン・タイプのスラッとした三十代の男性だったけども、しばらくの間、僕は彼のまるで長年の友人に裏切られたような口惜しそうな表情を忘れることはできないだろう。まさか『卒業アルバム』で負けるとは。

そう、僕は確実にオークションに勝利した。いいや、勝ったのは木杉佐知子さんと言うべきか。なぜなら、アルバムに映った木杉さんの記念写真は、ただフィギュアにより似ているというだけでなく、男性がたずさえた写真の少女よりもずっと可愛いかったのだ。気の毒だけど、それが男性の表情をさらに暗いものにしていたのはおそらく事実だろう。


この場に居合わせた僕たち三人の目的は決して友情の輪を広げることではなかったら、会はすぐにお開きになりそうだった。僕は心ある勝利者らしく男性には優しい視線を送り、さらに机の上の『木杉佐知子さんフィギュア』には目もくれず、審判者である青年店主の判定を待った。

彼はいつもどおり椅子に腰掛けていた。ただ、さすがに文庫本は開いていなかった。青年店主は『木杉さんフィギュア』を挟むように机に並べられた二冊の卒業アルバムを一番長い間見つめていたが、勝敗の行方は誰の目にも明らかだったから、かの男性がこれ以上さらし者になる前に、あるいはショッピングモールの他の客たちに変な噂を立てられるより前に、視線をあげた。

僕は店主の言葉を待った。早速値段の交渉へと入る手はずだったのだ。だが青年は何も言わず、机の下から一冊の本を取りだした。それは文庫本よりもずっと大きかった。表紙には褐色の皮が張られていた。三冊目の卒業アルバムだった。それも店主自身の....。


無論のこと、そんな話は寝耳に水だった。店主本人がオークションに参加するなんてルール違反もいいとこだ。だがしかし、それをこの場で主張しても無駄なのだ。唯一肝心なのは、誰の写真がフィギュアに一番似ているかであり、その条件だけがすべてを支配するのだ。

完全な敗北だった。かの男性が味わったであろう屈辱感を今度は僕がこうむる番になった。

「似てますね。そっくりだ」

男性が店主のアルバムを見て、さも感心しているかのように言った。

まったくバカげてる。こんなオークションも、そっくりフィギュアも、こんな休日の過ごし方も。そしてなにより過去に捕らわれていた僕自身....。


あの日以来、僕が仕事帰りに中野のショッピングモールに立ち寄ることはなくなった。かわりに最近の僕は、毎晩スポーツジムで健康的ないい汗をかいている。











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