ゾンビ・イズ・ビューティフル(前編)
べつに妻がゾンビになったからといって悪いことばかりじゃなかった。いいや、ここだけの話、いいことの方が多かった。
たしかにくだんの件で私は前の会社をクビになったし、これ見よがしの差別もうけた。でも結果的により自分に合った仕事に再就職することができたのだし、私よりもスラリと背の高い、かの女と巡り会うこともできたのだ。
こんな風に言ってしまうのはなんだけども、むしろ私は妻がゾンビになってしまったことに感謝しなければいけないのかもしれなかった。まるで「人生万事塞翁が馬」とでもいうように、私が突き落とされた奈落の底には、楽園へと通じる秘密の抜け穴があったのだ。
ただ、その楽園にしても決して完璧というわけではなかった。たぶんそれは準準楽園ぐらい。それでも一応楽園ではあるのだから、私にしてみれば十分な環境ではあったのだが。
私はそのつもりはなかったが、かの女は結婚にたいする強いこだわりを持っているようだった。それも新婚生活や家族をもつことへの漠然とした憧れではなくて、もっとビジネスライクなものとして。
彼女はヨガ教室の雇われインストラクターをしていて、ゆくゆくは自分のスタジオを持ちたいと考えていた。それで人生と経営をともに担ってゆけるパートナーを探していたわけなのだ。
「私と結婚したら仕事辞められる?」「マネイジメントの勉強してみる気ない?」「わたし平気よ。子供いなくても」
かの女は寝室の枕元でそうした話題をよく口にした。ほどいた髪からいい匂いがした。肌はゆで卵みたいにほんのり温かくてツルツルしていた。私たちはベッドで軽いキスをした。私たちはいつも軽いキスをした。私も満更ではなかった。
そんなわけで私とかの女は、妻が死ぬのを首を長くして待つことになった。彼女が死んでくれないことには私たちは婚姻届をだすことができないわけだから。
それはゾンビを伴侶に持った人間たちのジレンマだった。ゾンビは離婚届に自らの意志で判を押すことができない。彼らは印鑑をその手に持つことができないし、それを所定の箇所に捺印することはなおさらできない。そもそも彼らには自分の意志というものがない。
でもゾンビだって人間だ。本人たちは知らないだろうが、彼らにはまだ基本的人権というものが残されている。だからゾンビを伴侶に持った人々は彼らの寿命が尽きるのを待つ以外に手がないのだ。
幸いなのは、ゾンビたちの寿命が夏の虫たちみたいに短いことだった。
一昔前のホラー映画にでてくる彼らの祖先は街中で人間を襲ったりしてやたらと元気だけども、現実のゾンビたちにはそんなことは不可能だ。彼らはあくまでも重度の感染症患者であり、サナトリウムと呼ばれる郊外の施設で短い余生を送り、人知れず静かに、そして生前には予想しもしなかっただろう変わり果てた姿でその生涯を終える。
ゾンビの平均寿命はだいたい3、4ヶ月といったところだった。つまり、遅くとも季節が一つ変われば私とかの女は晴れて夫婦になることができる計算だった。
私たちはすっかりその気になって、まるで二十歳のカップルみたいに来たるべきXデーを見込んで、早くも私の、正確には私と妻の、マンションで同棲生活をはじめ、式を挙げるつもりはなかったけどもハネムーンの計画はあれやこれやと立てていた。
だが、月が満ちては欠け、潮が引き、季節がうつろい過ぎても、妻は生きる屍のままだった。いつ死んでもおかしくなさそうに見えて、実際にはなかなか死にはしなかった。
かの女はしだいに無口になった。物憂いな御婦人よろしく机で一人、本を開くようになった。私たちの準準楽園に夜ごと美しい影を映しだしていた月光にもしだいに雲がかかるようになった。
とは言え、もともと結婚にこだわりのない私にとっては、ここまでは大した問題ではなかった。
二人に子供でもできたらそうは言っていられないのかもしれないが、私は子供をつくるつもりはなかったし、かの女が自分のヨガ教室を開くのだってまだ先の話。それ以外に籍を入れる必要を私は見つけられなかった。それにたとえこの先、妻が何年も生き永らえるようなことが仮に起きたとしても、ゾンビにかかる諸経費のほとんどが税金で賄われるという話だからその点の心配だっていらない。
だが、かの女は老いて人が悲観的な予言者になるかのように言うのだった。
「いつかもっと悪いことが起きるの。そして私たちは、この日それがすでにはじまっていたことをあとになって思いだすのよ」
かの女がこしらえたサラダを箸でつつきながら私はよく彼女の言葉にうなずいた。
その神託の言葉を否定するつもりはなかった。悪いことなんて起きるに決まっているのだから。楽園と言えども天国ではない。まして私たちがいるのは準準の方なのだ。
それにしてもかの女が言う「もっと悪いこと」とはいったいどんなことなのか。
これはなかなか難しい問題を含んでいる。そもそも普通に考えれば、伴侶が長生きすること自体は決して悪いことではない。いや、むしろいいことであるはずだ。それを「悪いこと」と言い切ってしまう私たちは、ボニー&クライドみたいな反社会的カップルということになる。つまり、私たちにとって都合の悪いことは、社会的に見れば善になるわけだ。当然「もっと悪いこと」は、世間から見たらもっといいことになるだろう。
そう考えると、我が伴侶であるゾンビが長生きするよりもいいこととは、はて......。
それは突然やってきた。招かねざる客よろしく仕事帰りの私を部屋で待っていた。
リビングの戸口に立ちつくし私はそれを見下ろした。それがこちらを見返すことはなかった。座ったまま眠っているのか、瞼はピクリとも動かない。その姿はあたかも死の淵から這いでてきた悪魔の使いのようであり、その形は瞑想に耽るヨガの達人さながら。
恐怖は感じなかった。経験上、ゾンビには慣れている。かの女が言っていた「もっと悪いこと」が現実化したわけだ。
それにしても我が家で妻の姿を見るのは何ヶ月ぶりのことだろう。以前とはだいぶ様子が変わってしまったが。瞑想しているのか、眠っているのか。それとも死んでしまっているのか。座禅を組んだ両膝に、か細い腕を手の甲を上にダランとのせている。
たしか風の噂で、ゾンビは眠るように死んでゆくと聞いたおぼえがある。しかしこの状況が、かの女が言っていた「もっと悪いこと」の現実化であるなら、妻は死んではいないことになる。なぜなら我が伴侶の死は、私とかの女にとって「いいこと」を意味するはずだから。
そうでなかったとしても、やはり死んでいるのではなく、眠っていると考えるのが自然だろう。いや、むしろ眠らされているのだろうか。いつの日だったか、ゾンビと化した妻を注射器で眠らせ、連れ去っていったサナトリウムの職員たちが、今度はそっくりそのまま送り返してきたわけなのか。しかし、いったい何のために?
いや、もしかしたら妻は、あらたな恋人へと走った夫に復讐するためにサナトリウムを脱走してきたのではあるまいか。あるいは虫の知らせでも聞いて、最期の最期に懐かしい我が家へともどってきたとか。
だが、そもそもゾンビに記憶などないはずだ。記憶を持たない者がどうやって復讐を試みたり虫の知らせを聞いたりすることができるだろう。彼女は「あいうえお」さえ言えないし、理解もできないのだ。仮にサナトリウムを脱走できたとしても、自力でここまでたどり着くことは不可能だろう。
私の頭は混乱した。答えをくれたのはまたしても妻だった。いつだってそうなのだ。私が悩んでいるとき、彼女が答えをくれるのだ。なんたって問題の原因はたいていいつも彼女自身なのだから。ゾンビになった今でさえ。
妻が笑った。たしかに笑った。カサブタだらけの口元を意地の悪い魔女みたいに吊りあげて。カサカサに硬く歪んだ瞼を重たそうに開き、なにかしら意思のこもった目で夫の顔を見あげた。「これでわかったでしょ?」とでも言ってるみたいに。「お楽しみだったようね。私がいない間に」とでも言ってるみたいに。
目は口ほどにものを言う。ようやく私は在りし日の妻の顔を思いだした。なんてこった。本当に帰って来やがった。
私は事の重大さを理解した。どうやってたどり着いたかは知らないが、それもほどなく知ることになるだろう。彼女自身の口から。
妻は意志を持っている。自分の意志でドアを開け、階段をのぼり、席に着く。そしてその意志は、きっと離婚届には判を押さないだろう。
人間の言葉を理解する雌ゴリラみたいに、妻は高度な知能を持った人類初のゾンビとして有名になるかもしれない。そして私の方は、人類初のゾンビタレント妻のその尻にひかれた夫としてこれまた有名になる......なんてこった。
私は、ヨガ教室のマネイジメントではなく、ゾンビ妻のマネージャーとなった自分の姿を想像した。妻との将来のことを考えると、私は今、彼女になんと声をかけるべきか。とりあえず「やあ、お帰り」か。
だが、私が声をだす前に妻の方が口を開いた。あとあと考えてみればそれは絶妙なタイミングだった。もし私が愛想よい言葉で妻の帰還を迎えたなら、その後の私とかの女との関係は、悪くはなっても決してよくはならなかっただろうから。
私が妻だと早合点したゾンビは妻ではなかった。妻ではないそれは、ゾンビらしくない明るく健やかな声で私にハッキリと言った。
「これ、ゾンビのポーズよ」
私はかの女が変身の名人であることをすっかり忘れていた。彼女は木になれるし、石になれるし、雲にだってなれるのだ。もっとも、彼女たちはそれを「変身する」とは言わずに、創作ヨガ用語で「〈没入〉する」と呼んでいるけども。
で、その夜はゾンビに〈没入〉していたわけだが、そんなことが可能なのは、彼女が普通のヨガのインストラクターではなく、創作ヨガのインストラクターであるからだ。
創作ヨガの世界ではなにより自然と一体となることが目標とされている。でも、本当に自然と一体化できるのはごく一部の〈グランドマスター〉と呼ばれるインストラクターだけだ。
そして当たり前のことだけども、選ばれたヨガの達人〈グランドマスター〉であっても、彼らが人間である以上、本当に木になったり、石になったり、雲になったり、できるわけではない。彼らは、私たちがまるでそれと見間違えてしまうほどに、創作ヨガのポーズを通して自然そのものと一心同体になるのだ。
かの女や、彼女の創作ヨガスクールに通う生徒にとって自然と一体になるということは、宇宙飛行士にとっての酸素や、散歩中の犬における電柱と同じぐらいに重要な意味があるらしかった。そのためにかの女が主催するヨガ教室では、月に何度かキャンプ場での野外教室もおこなっている。
しかし自然と一体になるのはいいとしても、ゾンビと一体になってなにが嬉しいのか。どんないいことがあるのか。
もしかしたらかの女、やり手の女相場師みたいに、今度はゾンビ相手にヨガスクールを開こうとでもしているのだろうか。バカげた話だ。本当にそんなことを考えていたとしたら、この場で説得してやめさせなければ。せっかく貯めた二人の結婚資金をわざわざドブに捨てるようなものではないか。
だが、話を聞いてみると、どうもそういうことではないらしかった。たしかにかの女はあるアイデアを持っていて、それはとんでもなくバカげてはいた。まだゾンビ・ヨガ教室のほうがいくらか現実味があるぐらいだった。
でも、たとえそうであったとしても、私には彼女を説得することができなかった。かの女は私にとってある面、教師でもあるのだ。魅惑的で有能な女教師....いったい、その言葉に対抗できる未熟な男子生徒がどれくらいいるだろうか。
ゾンビのポーズ。それは瞑想するゾンビ。ガンジス河のほとりで、沈む夕日にむかい座禅を組むゾンビ。
「わたし、あなたの奥さんにメッセージを送ってたの」
かの女は言った。森の霧が晴れるようにいつもの姿にもどって。でもそこにはやはり、もう一つの意地悪そうな微笑みが浮かんではいたけども。
「呪いのメッセージよ。古代エジプトで、ファラオの子を宿した皇女を流産させるために、第二皇女がお抱え呪術師につくらせた偏頭痛の呪文。それとアメリカの女子フィギュアスケート選手が考えだした、ライバル選手を転倒させるための呪文。その二つを掛け合わせたの。それを奥さんに送ってたの」
ようやく私にも事態が読み込めてきた。そのための〈没入〉であり、ゾンビのポーズだったわけなのか。遠くサナトリウムにいる妻と一体になっていたというのか。
しかし、そんなことが本当に可能なのだろうか。〈没入〉した対象にメッセージを送るなど。
しかも、なんで偏頭痛と転倒なのだろうか。せっかく呪うのであれば、嘘でももう少しスケールの大きい病気や事故にした方がいいのではないか。
そのへんの事情を尋ねてみると、かの女は呪い専門の〈グランドマスター〉になったみたいに言うのだった。
「ゾンビには偏頭痛と転倒で充分よ。頭痛で転んで足の骨でも折れば、あとは時間の問題でしょ」
創作ヨガと呪い。そんな魔法みたいなことがはたして可能なのか。いや、ヨガにしろ創作ヨガにしろ、その目的は心や身体の平安や健康にあって、呪うという行為それ自体が、そもそも矛盾してしまっているのではないだろうか。
でも、たとえ道義的な矛盾はあったとしても、一概にそのすべてを否定することは私にはできなかった。
なぜなら私自身、かの女からメッセージを送られたことがあるような気がしていたから。もっとも私が受けとったかもしれないメッセージは、たぶん呪いのそれではなかったろうけど.....。
気のせいかもしれない。いや、たぶん気のせいだろう。しかしその夜、私はかの女の寝顔を見つめながら、二人がはじめて会った日のことを思いださずにはいられなかった。
あの日、かの女はヒマワリになっていた。ピカピカのヨガスタジオの床に頭をだした陽気な電柱みたいに彼女は咲いていた。
そのとき私は床に咲いたヒマワリというものを生まれてはじめて見たのだったが、ヨガ教室に足を踏み入れたのもこれがはじめてだったので、べつに不思議だとは思わなかった。季節はずれだったから、たぶん造花なのだろうと思っただけだった。もちろん、その黄色い大目玉みたいな植物がじつはかの女の変身した姿なのだということは気づきもしなかった。
スタジオにまだ生徒たちはきていなかった。私のお目当て、つまり商売相手はその生徒たちの方なのだ。しかし、商売をするためにはまずインストラクターである現場の責任者に話をとおさなければならない。それで私はアポイントをとって教室がはじまる前の約束した時間に訪ねてきたのだ。
だが、スタジオはもぬけの殻。私は仕方なくとくに興味があるわけでもない壁の掲示板やヨガの写真を眺めながら待つことにした。
「こんにちは。今日のあなたのラッキーフラワーはヒマワリです。それで、わたしはヒマワリになってあなたを待っていました」
スタジオに澄んだ女性の声がした。振りかえると、黄色い目玉植物がこちらを見ていた。たしかさっきまではべつの方に向かって咲いていたはずだが.....。
どうやらあの造花ヒマワリには接客用の仕掛けがほどこされているらしい。ここのインストラクター女史はよほどの演出、サプライズ好きのようだ。私は思った。きっと来客を驚かせるために、ヒマワリに成りすました彼女自身は小型マイク片手にどこかに身をひそめているのだろう。いやはや、なんという労力だ。それとも、ただの物好きか。
どちらにしても、来客を驚かせたり喜ばせたりしようとする感情は決して悪いことではない。きっとそんなインストラクターなら生徒たちの面倒見もいいだろうし、そうなれば羽振りだって悪くはないはずだ。だとしたら、私はこの演出好きなインストラクター女史をぜひとも味方につけなければ。それによって私の営業成果にも大きな変化がでてくるだろうから。
「ありがとう、ヒマワリさん!」
前の会社の忘年会でやらされたコンビ漫才を思いだしながら、私は黄色い目ん玉植物にむかって話しかけた。そしてスーツのどこかのポケットにしまった名刺入れを探す小芝居をはじめた。もちろんヒマワリに名刺をうけとる芸当はできないわけだから、この様子をどこかで覗き見しているはずのインストラクター女史が舞台の演出家さながら、笑ったり、拍手したりしながら、更衣室のカーテン越しなどから姿をあらわしてくれる計算でいた。
「名刺、名刺、はてどこに入れたかな....ヒマワリさんに私の名刺をわたさなきゃ....」
元上司ゆずりの私の猿芝居はつづいた。でも誰もでてこない。気配すらしない。いったいどういうことなのか。なぜアポイントをとってある私がさらし者なのか。
これは面接テストなのだろうか。私の頭にふと疑念がよぎった。私はインストラクター女史によってなにかしらの適応性を試されているのではないだろうか。あるいは女史は、私を下心からヨガ教室に入会希望してきたドスケベサラリーマンと勘違いしているのではないだろうか。
私はついにポケットに名刺入れを見つけてしまった。当たり前だ。最初から仕舞ってる場所はわかっているのだから。
引きあげた方がいいかもしれない。たしかそのとき、私は思ったはずだった。たとえこれがサプライズ好きなインストラクター女史の第二幕の演出であったとしても、いささか常軌を逸している。付き合いきれない、と。おそらく、この教室だって流行ってはいまい、と。
私はポケットの名刺入れから指をはなした。私だって頑張ったのだ。できるかぎりのことはした。でも、潮時だ。
するとそのとき、なぜかまったく逆の考えが急に頭に思い浮かんだのだ。
.....いいや、むしろ私は積極的にヒマワリに名刺をわたすべきではなかろうか。それによって身の潔白を証明するのだ。私はあくまで仕事できたのだ。その辺のドスケベサラリーマンと一緒にされたままでは迷惑。それに、もしも本当にヒマワリが私のラッキーフラワーだというのなら、悪いことにはならないはず.....。
〈これまでどんな変わったものに名刺を手わたしましたか?〉
そんな営業マン向けアンケートがあったなら、私もこの日から堂々と回答できそうだった。
「こんにちは、ラッキーフラワーさん。私、こういう者です」
そう言って私は名刺片手に黄色い造花に近づいていった。我ながらなにをしているのだろうと思いながら。
ヒマワリは私より背が高かった。なんだかほんのりといい匂いがした。きっと匂いつきの造花なのだ。近頃の造花はよくできているのだ。
大きな緑葉の上に私は名刺をのせた。これでインストラクター女史があらわれなかったら、今度こそそれを置き土産にして帰るつもりで。
だが、なんということだろう。ヒマワリは私の名刺をうけとったのだ。ご丁寧に「お待ちしてました」と言って。細くて白い指先で。
私はついにはじまったと思った。意地の悪い妻が、私のどこかの細胞の奥底に隠しておいていったゾンビウイルス。それがついに目を覚ましたのだ、と。それで中枢神経をやられ、幻覚を見ているのだ、と。
だが、私の胸と向きあった、ツンと突きだした二つのふくらみはどうも幻覚のようには見えなかった。
こうして私はかの女と出会った。
かの女はまさにヒマワリが咲いていたその場所で、黄色いタンクトップと緑のタイツ姿で立っていた。長い髪を団子みたいに結って、ツルンとした形のよい耳が見えた。なんだか休日にヨガを楽しんでいる健康的な『ポパイ』のオリーブみたいだった。
それは幻覚ではなかった。現実だった。そしてその方がずっとよかった。ただ、妻がゾンビになってからというもの、並大抵のことでは動揺しなくなった私だったが、これにはさすがに驚かされた。それならそうと前もって一言断わっておいてほしかった。「たまに植物になったりしますけど、お気になさらないでください」とか。「心臓の悪い方はヒマワリにはくれぐれもご用心ください」とか。
しかし、いずれにしても私が驚いたのは、なにも目の前のヒマワリが、空に虹が架かってゆくように一人の女性へと変身したからという超自然的な理由だけではなかっただろう。そこには個人的な理由もあったはずだ。
私にとって変身とは、ゾンビへのそれと宿命的に決定づけられていた。人が変身するとき、それは醜悪なものになるのに決まっているのだ、と。
だが、一輪の花が一人の女性へと変わってゆく様を目のあたりにしたとき、私の固定観念は見事に崩壊した。それはまさに私にとっての『ヴィーナスの誕生』の瞬間であり、ある意味、不治の病への特効薬であったのだ。たしかにヒマワリはラッキーフラワーだったわけだ。
「驚かせてごめんなさい。電話の営業の方ね」
インストラクター女史は名刺から顔をあげて言った。ひまわりのように明るくて健やかな声だった。私はなんだか子供みたいに嬉しくなって首を横にふった。そしてふたたび自分でも意外な言葉を口にした。
「いいえ、それだけではありません。ぜひヨガを習いたいんです。たった今、そう決心しました」
誰だ。私を下心から入会希望したドスケベサラリーマンと呼んだのは。
気もちよい秋晴れの日曜日だった。郊外に向かう電車に小一時間も揺られていると、車窓に映る紅葉が目立つようになってきた。
これがもし普通の小旅行だったらさぞかし気分もよかっただろう。だがその日、私は妻に会わなければならなかった。家内に会うのは半年ぶりだ。夫でありながら、私は妻の入院手続きのために一度サナトリウムを訪れたきりだった。
ただ、会いにゆくとはいっても、これまでの不義を反省し、ついに私が人として、夫として、改心したのかというと、そういうことはまったくなかった。私はかの女に説き伏せられてサナトリウムへとむかう電車に乗ったのだ。かの女が毎日せっせと妻へと送っている呪いのメッセージの効果の程をこの目でたしかめるために。
そんなわけだから、休日のハイキング電車の車内で冴えない顔をした私は、一人さぞかし浮いた存在だろうと思いきや、そんなこともまったくなかった。むしろリュックサックを背負った行楽気分の家族連れの方がここでは異端者なのだ。なにも知らずにウキウキと玄関をでた彼らは、哀れ自分たちの乗った電車が、じつは幽霊列車であることにようやく気がついたようだった。時折り、事情をのみ込めない子供たちがはしゃぐのを親が叱るときだけ、車内に休日らしい空気が流れるようだったが、それにしたところで、亡霊たちが放つ死臭によってすぐに覆い隠されてしまうのだった。
ゾンビ電車。私が言うのもなんだけど、心ない人々は休日にサナトリウムへと向かう電車のことをそう呼んでいるらしい。
ゾンビ電車にはゾンビ家族が大勢乗っている。ゾンビ家族とは、私みたいに家族にゾンビを抱えた人々のことだ。ゾンビ家族は休日を利用してサナトリウム詣でくり返す。なにしろゾンビの寿命は短い。私の妻以外は。
陰気な車両から外の世界に私は視線をうつした。車窓に田園風景がながれてゆく。それは否応なく私にかの女を思いださせた。美しくも懐かしい過去のかの女を。
彼女はもう木になったりヒマワリになったりはしない。最近の彼女のお気に入りは、もっぱらゾンビのポーズと決まっている。そうして死神からのメッセージカードをせっせとサナトリウムへ送りつづけているつもりになっている。
かの女が毎夜のごとく本の虫になっていたのは、古今東西の呪いの呪文を調べるためだった。彼女はそういった類の書籍を図書館やインターネットを利用してかき集めていたのだ。
しかし、呪いの力で事態をどうにかしようとするのは、まるでわら人形に五寸釘を打ちつけるようなもので、わら人形にしろ五寸釘にしろ「呪う」という行為にもしも言葉どおりの効果があるとすれば、呪われている対象が風の噂かなにかでそれを耳にし、精神的苦痛を感じた場合にかぎられるだろう。ストレスがなにかしらの病につながるのはよくある話だ。
だが、ゾンビ相手となるとそれも不可能になる。なぜならゾンビには精神のカケラもないのだから。だから当然のようにストレスだってない。もし精神性をもったゾンビがいたとしたら、それはすでにゾンビではないはずだ。
もはや私はヨガ版ゾンビと暮らしているといっても過言ではなかった。まともな姿をしたかの女を見るのは、食事と寝るときだけ。しかも、まるで食べるのも仕事のうちとでもいうように、せっかくの二人の夕食をかの女は女兵士になったみたいにただ黙々と平らげてゆく。
メニューも野菜から肉中心の高カロリーデリバリーへと様変わりした。私としても、かの女がつくってくれるヘルシー料理にはいささか飽きはじめていたところだったから、それはそれでメリットはあるのだが、これから結婚しようとする男女としては、無言晩餐はいかせん寂しすぎる。
そこで私は無理にでも会話を試みようとするのだったが、その努力は年頃の娘さんをもった父親のそれのように徒労に終わるのだった。それどころか、往々にして事態がのっぴきならないことになっているのを知ることにもなる。
その夜、私たちはカツカレーを食べていた。カツカレーは子供のころから私の大好物だ。それで少し気分が大きくなってしまったのかもしれない。よせばいいものを、私は『呪いとゾンビの精神性における因果関係』についてかの女に一言もの申してしまったのだ。すると彼女はまるでど素人を相手にしたプロフェッショナルみたいな調子で言うのだった。
「奥さんね、こっちの存在に気がついてるわよ。わたしが誰かもちゃんとわかってるし。これは戦争なの。わたしとあなたの奥さんの」
この先、私は大好きなカツカレーを食べるたびにこの夜のことを思いだすだろう。いいや、カツカレーだけではない。カレーやカツ丼、カレーうどんに至るまで.....。
電車を降りて送迎バスに乗り込み、ゾンビ家族御一行がサナトリウムの里へと旅立ったころ、私は線路脇をうろつく野良犬しか見当たらないような田舎駅にまだ一人いた。
送迎バスには乗らなかった。駅の外にさえでなかった。最初から妻に会う気などなかったのだ。半年前にサナトリウムで別れたときに、もう二度と会わないと心に決めていた。
かの女には嘘の報告をするつもりでいた。どうせ分かりはしないのだし、最初から呪いでどうのこうのなる問題でもない。それに、どっちにしても妻が死んでいないことは動がしがたい事実なのだから。
私はプラットホームのベンチに腰かけて缶コーヒーをちびちび飲んだ。アリバイ工作のためにこれから半日ちかく時間をつぶさなければならない。私はポケットから文庫本をとりだし、山鳥たちの遠いさえずりをBGMに、のどかな田舎駅でゆっくり読書を楽しもうと考えていた。暇つぶしには読書がなによりだ。
だが時間がたつにつれ、私はこの場所が自分にとって、のどかな田舎などではないことを思い知ることになった。なにしろ都心の駅みたいに次々に電車が到着する。そして車内からゾンビ家族たちがゾロゾロと降りてくるのだ。半年前にはこんなことはなかった。やはり噂どおりゾンビ感染者が急増しているのだろうか。
ただ、私にとっての問題は、田舎駅の予想外な慌しさでも、ゾンビ家族の多さでもなかった。それだけならまだ無視することだってできる。
問題は量ではなく質の方なのだ。車内ではついに見ることのなかったゾンビ家族の面々に浮かんだ微笑み、あれだ。
驚いたことに、座席では息を殺し、死霊にとり憑かれたかのように暗い顔をしていたゾンビ家族たちが、駅のホームに降りたとたん、盆や正月にはるばると故郷に帰ってきた人々の顔みたいにパッと明るくなるのだった。その光景は呪われたゾンビ家族の一員である私にとって決して無視できるものではなかった。
私は文庫本のページを閉じ、かわりにプラットホームでかの女のことを考えることになった。もしかしたら今回の呪いの件は、私を妻の見舞いにいかせるために彼女が書きおりした壮大な一人芝居だったのではなかろうか、と。かの女は、ゾンビ家族たちの、あの笑顔を私に見せたかったのではなかろうか、と。
普通ならそんなことはまず考えられないが、サプライズ好きな彼女であればありえない話でもない。
それにかの女は、私の妻がゾンビウイルスに感染した理由も、どうして私が見舞いにいこうとしないのか、そのわけも知っている。しかもかの女自身、かつてはゾンビ家族であったのだ。
あれは私たちが出会ってまだ二週間もたっていないころだった。枕元で髪をほどいた彼女は私にこう言った。
「記憶って一つ一つの細胞の中にのこされてるらしいの。だからゾンビだって記憶や心をもってる可能性があるのよ。それが上手に繋がってないだけだと思う。あなたと奥さんが分かりあえる可能性はまだあるのよ」
今にして思えば、私はバカ正直に妻の素性を語らない方がよかったのかもしれない。だって、人間だったころの妻と分かりあえなかった私が、どうやってゾンビになった彼女と分かりあえるのか。
しかし、かの女の経験によれば、彼女の父親はその最期の数日間、わずかながら人間的な反応をみせることがあったらしい。水族館めいたサナトリウムのガラスの向こう側にいるゾンビたちの群れの中で。まるで、愚民に囲まれながらも一人、正しい行いをしようと葛藤する父親のように。
錯覚だろう。人はどんなものにだって感情移入できるものだ。電車をセクシーだと感じたり、仏像に恋をしたりする人だっているのだから。ゾンビの無意識の動作が人間ぽく見えたって不思議はない。そのゾンビが肉親であればなおのこと。
かの女は、父親を見舞うためにサナトリウム詣でを毎週欠かさなかったらしい。ちゃんと最期も看取ったそうだ。理由はどうであれ、そんな人間にしてみれば、たった一度の見舞いすらいっていない私などはゾンビ以下ということになるだろう。
そうかもしれない。私はゾンビ以下なのかもしれない。かの女は私に「ゾンビを見て、ゾンビ家族を見て、人間性をとりもどせ」と言っているのかもしれない。
私はかの女がどうして結婚という形にこだわるのか、ようやくその本当の理由がわかったような気がした。
ゾンビに面会ができるのはゾンビ家族だけ。父親がゾンビになったかの女はゾンビ化することはないが、伴侶がゾンビになった私はどうだかわからない。可能性はゼロとは言いきれない。私が優秀なヨガ教室のマネージャーになれる確率よりは高いかもしれない......。
プラットホームにはゾンビ家族を乗せた下り電車ばかり到着する。あと少したてば、今度は見舞い帰りの彼らを送りかえすべく、上り電車がぞくぞく到着するだろう。そしてそのとき、行楽帰りの家族めいたあの人たちの笑顔には、ふたたび死霊の影がとり憑くのだろうか。
小さな男の子がホームを走ってゆく。うしろにいる母親は叱りはするけども、そこには車内で耳にしたような緊張感はすでにない。あるのは家族の温もりと笑顔だ。もしかしたらあの二人も、ゾンビになってしまった父親に会いにゆくのかもしれない。
ふと私は、あの男の子と以前どこかで会ったことがあるような気がした。母親とも。もしかしたら、二三、言葉を交わしたかもしれない。一緒に社交ダンスを踊ったかもしれない。サッカーをしたかもしれない。創作ヨガをしたかもしれない.....。
私の『サナトリウムアリバイ訪問記』は日の目をみなかった。留守の間に事態は思わぬ方向へ展開していたのだ。田舎駅から帰宅した私を見るなり、かの女は切りだした。
「なにも言わなくていいわ。お見舞いにいかなかったのは知ってるから」
いったいどうしてバレたのか。私の血圧はかつて医者に忠告された危険レベルにまで逆戻りしそうだった。わざわざ、かの女の機嫌をとるために買ってきた評判の焼き鳥を床に落としそうになった。
まさか呪いの呪文をサナトリウムに送ることによって、かの女は妻と会話でもしているのではあるまいか。そんなバカげた妄想が頭をよぎった。「もしもし、旦那さん、そちらにいきました?」「いいえ、きてませんけど」みたいに。
たしかにそれはバカげた妄想だった。居間のテーブルに怪しい呪い全書をひろげたかの女は、それをピシャリと綴じてつづけた。テストで赤点をとった生徒よりも、自分の教え方に怒っている女教師みたいに。
「あなた、ギネスブックって知ってる?いろんな世界一の記録を集めた本なんだけど」
私はかの女の要求にこたえるように首を縦にふった。かの女はあとをつづけた。
「おめでとう、あなた。おめでとう、あなたの奥さん!あなたの奥さんね、ギネスブックに載るのよ」
なんのことだかさっぱり分からなかったが、とりあえずそれがいいことでないのは確かなようだった。
かの女は投げやり気味に締めくくった。
「午後にね、サナトリウムから電話がかかってきたの。あなた、ビックリするわよ。奥さんね、ゾンビ生存期間の世界記録を更新したんですって。あなたの奥さん、今日から世界一のご長寿ゾンビなのよ!」
その日、私は短時間のうちに二度も不惑の立ちくらみに襲われた。でも焼き鳥は落とさなかった。かの女はそれを頬張り、エネルギー補給をはかりながら、居酒屋の焼き鳥隊長みたいに今後の作戦計画を語った。敵がギネスブックに載るような強者とわかったからには、それなりの計画変更なり補強が必要になってくる、というのが彼女の考えだった。
私はコーヒーカップ片手に焼き鳥隊長の作戦に耳をかたむけていたけども、じつはこれを期に、彼女には呪いヨガ、あるいはゾンビヨガはやめてもらいたいと思っていた。すでにそれが功を奏していないのはあきらかになったわけだし、理由はどうであれ、やはり「呪う」という行為そのものが精神衛生上よろしくないように思えたからだ。
そしてなにより呪いヨガをはじめてからというもの、食生活がすっかり様変わりしたせいだろう、かの女は目に見えて太りはじめている。女性らしいふっくらした体つきになったといえば聞こえはいいけれど、ヨガのインストラクターという立場を考えれば、これはやはりちょっとマズいのではないかと思う。ヒマワリに変身したつもりが、黄色い郵便ポストみたいになっていたら、生徒たちだってきっと困るだろうし。
だが、焼き鳥隊長は私とはまったく逆のことを考えていたようだった。
「もっとパワーが必要なの。圧倒的なパワーが。だから私、考えたんだけど、教え子たちに集まってもらって一緒に呪いのメッセージを送ってもらうつもり。彼女たちならできると思う。すごい優秀だから」
かの女は言った。どうやら徹底抗戦の構えだ。一時的ではあったにせよ、私は大変な思い違いをしていたことになる。かの女はやはり妻と私が和解することなど今さら望んではいなかったのだ。
「本当に奥さんに関係したもののこってない?写真とか日用品とか。そういうのがあるとより深く〈没入〉できるんだけど」
「靴下一足のこってない」
私は言った。本当にそうなのだ。形見になりそうなものは妻の実家に送ってしまったし、それ以外のものは捨ててしまった。あと腐れなくきれいさっぱり片付くまでに一ヶ月もかかった。
「それじゃ、もう彼女たちにここにきてもらうしか方法がないけど。それでもいい?」
「彼女たち?」
「私が教えたインストラクターの女の子たち。その中でとびきり優秀な5人を選んだの。みんな若くて美人よ。いいでしょ?」
たしかに若くて美人なのはいいことだ。でも、いまそれは関係ない。それに、どうせみんなゾンビに変身するのだろうから、美人だろうがそうでなかろうが、同じこと。ゾンビにくらべれば私だって立派なイケメンなわけだし。
焼き鳥隊長が築いた串の山を眺めつつ、私は彼女が言う「総力戦」の意味について考えてみた。そして、それがどうしても誇大妄想の範囲をでないという結論に至った。
我が家に集結した5人のゾンビガールズによって何倍もの高さに積みあげられた串の山を思い描きながら私は言った。
「べつにそこまでする必要はないんじゃないかな。ギネスに載ったということはさ、逆から見れば、もうそんなに寿命がのこってないということでもあるだろうし」
「あなたの奥さんが普通のゾンビならね」
「普通のゾンビなんてどこにもいないよ。普通じゃないからゾンビなんだ」
「そうよね。でも私たち、彼らのことをどれくらい知ってるのかしら。ゾンビウイルス自体まだ分かってないことの方が多いんだから。突然変異のゾンビが誕生したって不思議じゃないでしょ」
私の喉は食べてもいない焼き鳥を詰まらせたかのようだった。私の妻が突然変異....そのあまりに現実離れした響きにつぎの言葉がなかなかでてこなかった。ようやく幻の焼き鳥を呑みこんで私は言った。
「そうなったらお茶の水博士や則巻千兵衛さんの出番だよ。君はあくまでヨガのインストラクターなんだからさ....」
「でも博士や科学者じゃ〈没入〉することなんてできないじゃない。それにもし私が科学者だったら、逆にあなたの奥さんを守る側にまわる。あなたの奥さんは今では貴重なサンプルなんだし、もしかしたら新しい人類になる可能性だってあるんだから」
私の喉には焼き鳥どころか、今度はその串ごと突き刺さってしまったかのようだった。そして、その傷跡が完全には消えないうちに、翌日にはサナトリウムから私の携帯に直接電話がかかってきた。
「どうも奥さんはほかのゾンビとは違うようなんです。なんと言ったらいいんでしょうか。ちょっと特別なんです」
サナトリウムの研究員を名乗る男は電話で言った。声から察するに、初老の研究員のようだった。
営業の外回りをしていた私は、雑居ビルの谷間にある駐車場で話をした。頭の中では、私の喉を詰まらせたかの女の言葉が、メリーゴーランドみたいにぐるぐる回りはじめていた。
「昨日、電話にでられた女性はご家族ではなかったようなのでなにも言えなかったのですが。近いうちにこちらに一度お越しになっていただけませんか」
「それはできませんね。忙しいもので」
私はキッパリ言った。行くわけがない。なにしろ、かの女と二人でその奥さんを成仏させようとしている最中なのだ。
でも、そんなことは老研究員は知るよしもなかった。私のことを失意から面会を拒んでいる良き夫と考えているようだった。しかもその他人の失意を、自分の言葉で緩和できるものと思い込んでいるみたいでもあった。その自信が私をますますイライラさせ、疑り深くさせた。
「これは旦那さんであるあなた自身にも大いに関係のあることなんです。一度お越しになってください。いいお知らせがあるのです」
「まさか妻が言葉を喋りはじめたなんて言いだすわけじゃないですよね。冗談はやめてくださいよ」
「いいえ。残念ですがそうではありません。でも、希望はあります。あきらめないでください。奥さんはとても優秀です」
こちらの言葉を勘違いしてうけとめているらしい老研究員は、私を励ますように言った。
いつかもっと悪いことがおきる。それはもうはじまっている.....かの女がいつか口にした予言めいた言葉を私は思いだしていた。
「私たち研究者は奥さんのようなケースを〈スーパーゾンビ〉と呼んでいます。普通のゾンビよりも寿命が長く、はるかに人間に近い進化したゾンビなんです。もしかしたら、記憶や知能もわずかながら残っているかもしれません。いつか奥さんが、旦那さんのことを思いだせる日がくるかもしれませんよ」
老研究員がこちらを励まそうとすればするほど、私の気は滅入っていった。ゾンビタレントのマネージャーとなる悪夢が現実味を増してきた。それとともに、私とかの女のヨガ教室の夢は遠のいていった。
老研究員はつづけた。
「〈スーパーゾンビ〉は世界中のサナトリウムで確認されています。私たちはゾンビの進化がはじまったと認めるべきなのです。そしてこの進化をさらに推しすすめるためには、旦那さんの協力が不可欠なのです。分かってもらえたでしょうか」
「いえ。全然分かりませんね。そもそも私はもう妻とは無関係ですから」
「いいえ、そうではないんですよ、旦那さん。〈スーパーゾンビ〉たちにはある共通点があるんです。それは〈スーパーゾンビ〉が全員女性であり、既婚者であるということです」
そして、みんな浮気相手からゾンビウイルスをうつされたわけだ......私は老研究員の意見に心の中で補足した。
いずれにしても私の知ったことではなかった。私に分かっているのは一つだけ。このことは、かの女には絶対に内緒にしておく、それだけだった。
「分かりました。近いうちにそちらへうかがいましょう。でも、一つ条件があります。なにがあっても妻から目を離さないでください」
「もちろんです。私たちは奥さんの健康と安全を常に第一に考えていますから」
「いえ。妻がサナトリウムから脱走しないようにという意味です」
そう言って私は電話を切った。
(つづく)