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財テク指南幽霊

そのアパートがいいと言ったのは彼女の方だった。

少なからず嫌な予感はした。それはどう見ても大学卒業を間近にひかえた女の子が住みたがるような物件には映らなかった。しかもその部屋には僕自身も一緒に暮らすことになるのだ。

彼女の卒業を機に、僕たち二人は同棲生活をはじめる計画でいた。


場所は高円寺だったけども、玄関に下駄箱のあるその古い木造二階建ての外観は、たしか練馬近辺にあったという伝説の『トキワ荘』を僕に思いおこさせた。実際に見たわけではないけれど、読んだ本ではトキワ荘には風呂はなかったはずだ。

「このアパートに引っ越すと、いいことがある」

きっと浮かない表情をしていたのだろう、僕の顔を見て彼女は努めて明るくそう言った。それでもう決まりだった。

だって、彼女がいいことがあると言えば、それは必ずあるのだから。やや不安なのは、彼女の言う「いいこと」と、僕がふだん口にする「いいこと」との間には微妙な、いいや、かなりの距離があるのではないかということだ。

灰色の塀にたれかかったベニヤ看板を見ながら僕は不動産屋に携帯電話で連絡をとった。思ったとおり一部屋だけ空いていた。窓にカーテンのかかっていない角部屋が見えたのだ。そこの住人は先週出ていったばかりだという。これもまた僕の予感したとおり。案の定、風呂はなかった。

二週間後、彼女の門出の日には粉雪が舞った。


僕たちは以前、同じ大学に通っていた。ただ彼女は一年後輩で、学科も所属していたサークルも僕とは違っていたから、お互いに面識をもつまでには大夫時間がかかった。

けれど、僕は彼女の声だけは知り合いになる前からよく知っていた。僕だけではない。僕が参加していたサークルの全男子部員が彼女の声を知っていた。いいや、むしろファンだったと言うべきか。

なにしろ僕がたむろにしていた男ばかりの弱小サークルと、彼女の参加していた『ジャズ研』とは部室が隣り合わせで、その薄いベニヤの壁からは、彼女の練習する歌声がまるで特設のリスニングルームにいるみたいによく聴き取れたのだ。

そんなわけで、僕ら男所帯サークルのおもな活動はしばらくの間、狭い部室に煙草のけむりを充満させながら、紙コップのコーヒー片手に彼女の歌声を拝聴することだけに終始しがちだった。偶然、僕と彼女が学食のテーブルに隣り合わせになった梅雨時の木曜日の午後までは...。

我がサークルの男子諸君の憎まれ口は僕が卒業するまでつづけられた。


彼女は今も週に一度、学生時代からライブをしている吉祥寺の小さなお店で仲間たちとステージに立っている。もっともバンドのメンバーも皆それぞれ就職してしまったから、全員がそこで顔をそろえるということはなくなってしまった。それでもバンドには固定客がいるようで、二十人も入れば満杯の店だけども、草枕のように柔らかな彼女の歌声に、仕事帰りのサラリーマンや学生たちが週末の夜になるとどこからともなく集まってくるのだ。


そんな彼女が就職先に選んだのは、英会話教室の事務の仕事だった。好きな英語にたずさわれるのと、ほとんど残業がないというのが理由らしい。

先に卒業した僕は就職はせずに学生の頃に大学の生活課に紹介してもらったアルバイトを今もつづけている。そこは東京中のあらゆる大学の文学部の学生が集まっているような、ちょっと変わったバイト先で、印刷されて製本されたばかりの書籍に目をとおし、誤字や脱字を見つけだすのがおもな仕事だった。

その中で僕が長く担当しているのは欧米の哲学関係の書籍だ。そう、僕は哲学科の学生だったのだ。ただ在学中に哲学者から小説家志望へと転身した僕は、どちらかといえば文学書担当へ移動したかったのだけど、なにしろ哲学は世間や大学同様ここでもやはり人気がない。おかげで僕は今日はプラトン、明日はサルトルと、まるで哲学の森の渡り鳥みたいな生活をずっとつづけている。


さて、引っ越しを無事終えて一月経ってもこれといって「いいこと」はなにもおこらなかった。むしろ不便なことのほうがずっと多い。先ずは毎晩の銭湯通い。最初のうちは目新しくて面白味もあったけど、結局は時間もとられるし、けっこう出費もかさむ。

そして貧弱な木造建築の床と壁。夜は上階の住人の足音を数え、朝になれば隣人の目覚まし時計のベルでおこされるような生活。

決して贅沢な生活はできないけども、二人の収入を足せばもう少しマシな物件に住めたはずだった。少なくとも僕はそのつもりでいた。どう考えても一人暮らしの時より生活環境が落ちている。

でも、それはまあいいのだ。本当のところ、僕の気がかりはまったくべつの点にあった。今のアパートに引っ越してきてからというもの、僕はずっと誰かに覗かれているような気がしてならないのだ。おんぼろアパートとはいえ、この部屋だけが空き部屋になっていたのも、なにかしら関連があるのではなかろうか。

きっとこの部屋には彼女だけにしか感じとることのできない得体の知れないものが住みついているのにちがいない。ただ彼女はそれを「いいこと」と呼んだのだ。

同居人の心配をよそに、近頃、彼女のほうは上機嫌がつづいている。いいや、これまでもいつもたいてい彼女はそんなだったけども、引っ越してからの僕とはいかにも対照的だから余計に目につくのだ。


「なにかでた?」

彼女のほうが早く帰宅した時「ただいま」のかわりにそう聞くのが最近の僕のあいさつになっていた。

「まーだ」

彼女も真似をして冗談まじりにいつもそう答えるのだった。顔にはださなかったけど、僕は内心ホッとしていた。無論なにかでては困るから。


バイト先で『ツァラトストラはかく語りき』を三度読み返し、疲労と誇大妄想を抱えながらアパートへ帰った夜だった。彼女は先に帰って部屋にいた。

僕は約束のあいさつをしようとしたけれど、それができなかったのは、彼女が畳の上で新聞を読んでいたからだ。我が家では朝刊も夕刊も購読していないはずだった。それが英字新聞ならまだ話はわかるが、彼女が広げていたのはおよそあり得ない経済新聞だった。

たかが新聞一つでと人は言うかもしれない。だがその時、僕の神経はニーチェばりに過敏になっていた。悪いニュースが届けられたに違いない。これはきっと大きな変化の小さな前触れなのだ。

だが、違った。大きな変化はなんの前触れもなくやってきた。我が同居人はかく語った。

「でたわよ」

まるで新しい友達ができた子供みたいに嬉しそうだった。僕はなるだけその話題はさけたかった。

「それおもしろい?」

畳の経済新聞をアゴでさして僕は尋ねた。彼女は首を横にふった。

「買って読んでみるように言われたの」

こんなときツァラトストラみたいな超人ならなんと言うだろうか。きっと「誰に?」とは聞き返さないだろう。だが、誤字と脱字のつまった僕の頭ではそれぐらいしか言葉が浮かんでこないのだ。


彼女が子供の頃から霊感が強いのは話には聞いていた。ただ、これまで二人で街中を歩いていて彼女がショーウィンドーに映った自分の姿を見て突然立ち止まったり、ポストにむかって話しかけたりしたことは一度もなかった。もしかしたら僕の前ではあえてそうしていただけなのかもしれない。どちらにしても僕にはなにも見えないし、聞こえない。


彼女はその幽霊を仮名で「野村さん」と呼んだ。どうも生前は証券会社に勤めていた中年男性らしい。その野村さん、僕が受験に失敗した都内の有名大学を卒業しているそうだけど、学生時代にはこのアパートの下宿人でもあったらしいのだ。なるほどそれでね、とは僕は言わなかった。決して負け惜しみではないけど、彼女の話が事実なら、とっとと出ていってもらわなくては。いかに目には映らず、耳に響かなくとも、やはり気分が悪いことこのうえない。

僕は腕のGショックを見た。夕食もまだなのだ。早くしないと銭湯が閉まってしまう。

「『中林精密機器』って会社知ってる?」

「はぁ?」

「そこの株価が今月中に大幅に値を上げるらしいの」

「それで?」

「野村さんが今のうちに買っておいたほうがいいって言うんだけど」

ははぁん、なるほど。僕はまだ夕飯と銭湯のほうがよほど気になっていたけど、それで彼女が言っていた「いいこと」の意味が少し呑み込めたような気がした。でもそんな経済観念が彼女にあったなんて、今の今までまったく気がつかなかった。


もっとも話のつづきに耳を傾けると、どうやら事態はそういうことでもないらしかった。どうも僕たち二人の将来設計のない生活ぶりに、その元証券マンの野村さんの方から見るに見かねて重い腰をあげたというのが真相のようなのだ。

はたして幽霊に「重い腰」という表現があてはまるかどうかは知らないが、それが大きなお世話であることには間違いない。たしかに僕たちはお金には縁がないけれど、将来設計ぐらいはちゃんとある。引っ越しをしたのもそのためだし、そこへ無断で足を踏み入れてきたのは、何を隠そう野村さん自身ではあるまいか。無論、これも幽霊に足があればの話だけど。


だが考えてみれば、無断で足を踏み入れてきたのは僕たちのほうかもしれなかった。野村さんは僕たちが引っ越してくる前からここに住んでいたであろうから。

「野村さん、ふだんは証券会社に住みついてるそうよ」

経済紙の数字とにらめっこしながら彼女は言う。

「そこで毎日情報収集してるんだって。それで、気がむいたときだけ人助けのために値の上がりそうな株をこっそり教えてあげてるんだって。いい人ね」

いい人ではなく、いい幽霊というのが正しい。もっともある時彼女から聞いた話では、そもそも悪い幽霊というものはこの世に存在しないのだそうな。なぜなら幽霊は「物欲」とは無縁だから。彼らは皆、思春期の子供みたいに内気で、昔の田舎学生のように純朴であるらしい。彼女に言わせれば、もしも世の中の人間たちが全部幽霊だったら世界は平和でもっと住み良い場所になるということだ。

もしも世の中の人間たちが全部幽霊だったら?....いったいこの世界にはどれくらいの幽霊が存在するというのだろうか。あの世に旅立った人々がすべて化けて出てきたら、地上は内気で純朴な幽霊だらけということになってしまう。僕にしてみれば、それはそれで怖いような気がするけど、きっと彼女みたいに霊感が強いタイプの人が希有なように、人が幽霊となってこの世に舞い戻ってくるケースもめったにないことなのだろう。


それはともかく、野村さんがこの部屋ではなく、証券会社を住みかにしているというのは一つの朗報ではある。彼女は言う。

「ここの部屋、少し前まで私たちより貧乏な老夫婦が暮らしてたそうなんだけど、やっぱり奥さんが霊感の強い人で、野村さんがいろいろアドバイスしてあげたんですって。老夫婦、そのお金で二世帯住宅を建てて、今は息子さん夫婦と一緒に暮らしてるそうよ。そういう話、ちょっと素敵じゃない」

確かに。だけど「私たちより貧乏」というのは余計だと思う。僕たちはまだ若いだけなんだから。


その夜、僕は無口だった。おそらくそのせいもあったろう、彼女が僕に話さなかったことが二つある。一つはバンドのライブに野村さんを招待したこと。もう一つはその『中林』なんとかという会社の株を彼女がすぐさま購入したことだ。

バンドは僕とは無関係だし、株も彼女自身の貯金から買ったものだからとやかく言う立場ではまったくない。しかし、幽霊を招待するというのはどういうことなのだろうか。幽霊ならば出入りはもとから自由だろうし、とうぜんチャージ料だってとられない。いいやそれよりも、そもそも幽霊には聴覚というものがそなわっているのだろうか。

そなわっているのだ。その週末には毎週のライブが幽霊つきで開かれたらしいのだが、どうも野村さん、いたく彼女の歌声を気に入ってしまったようなのだ。おかげでその夜からというもの、我が家では銭湯に出かけるまでの短い時間、即興のミニコンサートが催されるようになった。彼女がアコースティックギターをつま弾きながら『イパネマの娘』を歌ったりするのだ。客人はもちろん野村さんただ一人。いいや、もしかしたら隣や上階の住人も耳をそば立てていたかもしれない。かつてのサークル仲間のように。

僕としても、もとから彼女の歌声のファンではあるし、それはそれで結構なことだと思っていた。だがしかし、その催しはいつからか純粋な「音楽の夕べ」から野村さんへんのお礼返しへと、その意味合いを変えていった。というのも、彼女が購入していたあの『中林』なんとかの株が急に値を上げはじめたのだ。


新聞はもとより、テレビのニュースもほとんど見ない僕がその事実を知ったのは、彼女からダイバーズタイプのGショックをプレゼントされた時だった。8月の僕の誕生日までにはまだだいぶ日がある。彼女の月収は僕のそれと大差ないはずたった。そのGショックは僕が今身につけているベーシックタイプの倍近い値段がするのだ。

だが、気にすることはない。そのダイバーズタイプのGショックには数種類のモデルがあるけども、彼女は彼女で、そのモデルをまとめて身につけられるぐらいのシルバーの腕輪を一リング買っていたのだから。


さてある夜、彼女はギターを持たずに、かわりに一冊の文庫本を開いた。それもやはり野村さんのリクエストらしかったのだが、どうも幽霊には音楽は聴けても、本のページをめくることは物理的に困難らしい。それで毎夕のミニコンサートが、即席の朗読会へと変更された次第。

僕には野村さんの趣向はわからないけれど、バブル経済の前夜にはじまって、その落日とともに終わってしまったらしい決して長いとは言えない社会生活の中で、野村さんが実用書以外の本に目を通すことはほとんどなかったそうな。音楽も然り。思えば氏の人生は、受験戦争とバブル経済の時代とにピッタリと重なっている。きっと若いころからお金や立身出世につながらないものたちとはきっぱりとつき合いを断って生きてきたのだろう。


そんなわけで、音楽にしろ本にしろ、野村さんの「心の旅」は物欲と競争社会の呪縛から逃れられることのできた今になってやっとはじまったのだけど、夕食のあとかたづけと銭湯に出かける準備のかたわら、僕もそれにつき合うことになった。


彼女が僕たちに読んで聞かせたのは、釣りの話はいっこうにでてこないのに『アメリカの鱒釣り』という題目のつけられたいっぷう変わった小説だった。

実用書以外の本を読んだことのない中年幽霊にどんな話を聞かせるかは、それはそれでなかなか難しい問題だけども、まあニーチェよりはいい選択だったと思う。それにその小説は学生だった頃に僕が彼女に薦めたものでもあるのだ。

それはいいとして、夕食後に彼女の朗読する『アメリカの鱒釣り』はなかなか素敵だった。作者は男性だったけども、きっとこの小説はもとから若い女の子に声をだして読まれるべくして書かれたもののように感じられるほどだ。ついでに『うたかたの日々』なんかも朗読してほしかったぐらいだけど、肝心の野村さんの感想は、その昔彼女が僕に言って聞かせたものとまったく瓜二つだった。それは「いったいいつになったら釣りの話になるのか」といった類のものだ。


それでも野村さんは辛抱強く黙って彼女の口からささやかれる物語に耳をかたむけていた、と僕は思う。その証拠に、最終章のページにたどり着く前に、野村さんはよくこんな言葉を口にするようになったそうだ。

「私はなんだか旅に出てみたい気分だよ」


『アメリカの鱒釣り』はその物語を完全に理解することができなくとも、なぜか読んだ人を旅情へと誘う不思議な書物だ。それは幽霊も例外ではなさそうだった。


その死後、野村さんのテリトリーはずっと東京周辺に限られていたらしかった。その気になればどこへだって行けるのに。チケットもパスポートも有給休暇も必要のない自由の身なのに。でも、なんとなくその気持ちもわからないではない。幽霊の人生観について、さすがに僕も一読したことはないけれど、それはやはり相当に寂寥としたものではなかろうか。どこに行っても、なにをしても、もはや変われるものはなにもないような。

もしもそうだったとしたら、野村さんが東京の街を出て、どこかへ行ってみる気になったのは、Gショック一個分の恩のある僕としても、またこの部屋の住人である僕としても、たいへん喜ばしいことのように思える。その上着のポケットに文庫本を入れていくのは物理的に不可能だとしても、野村さんにはそれを心のポケットに忍ばせてぜひとも長い旅に出てもらいたいところだ。



『アメリカの鱒釣り』朗読会はちょうど関東地方が梅雨に入った晩に終了した。シトシトとした夜の雨音に包まれたアパートで、一冊の小説の扉が閉じられた。ただ彼女がその最終章を読み終えた時、そこに主賓の野村さんの姿はなかった。

もとより僕にはその姿は見えないけれど、野村さんはどうも梅雨の気配が始まる前には旅立ってしまっていたらしい。その間、僕は一人で朗読会に立ち会わせられていたわけになる。


どうして彼女が氏の新たな門出をすぐに僕に知らせてくれなかったのかは不明だ。僕もあえて聞きだそうとは思わない。朗読会を最後までつづけたかっただけなのかもしれないし、彼女と野村さんだけにしかわからないもっと深い意味があるのかもしれない。

いずれにしても野村さんの不在を聞かされた時、僕は嬉しいような寂しいような、ちょっと複雑な気分だった。それは彼女としても同じだったようだ。文庫版の『アメリカの鱒釣り』を子供が絵本を閉じるみたいに膝の上においた彼女は、まだ野村さんの旅立ちを知らない僕にむかってはにかんだんような笑顔を見せてただこう言った....。

「お引っ越し」



はたして『中林精密機器』がどんな会社で、そこではいったいなにがおこなわれているのか、僕が知ることはついになかったけど、僕たちはその持ち株すべてを並のインサイダー取引以上の高値で売り抜くことに成功した。

当然のように僕らはその利益はそっくりそのまま引っ越し資金にあてた。その額は最初の引っ越し前の二人の貯金の合計よりずっと多くて、場所は同じ高円寺だったけども、そのおかげで当初の計画よりもグレードの高い物件に引っ越すことができた。そこにはもちろん風呂もついてるし、隣の住人の目覚まし時計のベルで目を覚まされるようなこともない。


ただ僕はときどき懐かしく思うのだ。アルバイトの帰りに、高架橋を走る中央線の車窓から夕暮れに染まった低い屋根の街並みを見下ろしている時などはとくにそうだ。半年にも満たないアパート生活だったけども、そこには幼い頃に家族と共に暮らしていた時と同じような濃密な生活感が確かにあったような気がしてならないのだ。

そんな郷愁の気分にかられたまま帰宅した夜、僕は決まって彼女を銭湯に誘う。じつのところ今暮らしているマンションはかつてのトキワ荘風アパートよりもずっと銭湯に近い場所にあるのだ。

彼女のほうでも似たような心境を抱いているのか、これまでその誘いが断られたことはない。


久しぶりに銭湯の広い湯船につかりながら一日の哲学的疲労をとぎほぐす僕は、壁の富士山ならぬ高円寺名物阿波踊りの風物画をぼんやり眺めながら野村さんのことを思い起こしたりする。

はるばる海を渡った氏は、やはり霊感の強い香港の女性風水師相手に株の手ほどきなどしているのではあるまいか、と。そうしてそのお礼にと、今頃きっと異国情緒たっぷりの歌を聴かせてもらったりして、また胸ときめかせているのに違いなかろう、と。


もしかしたら彼女が言っていた「いいこと」とは、こういうことだったのかもしれない。内気で閉じこもった幽霊を広い空間へと解放してあげること。人助けならぬ幽霊助け。もしかしたらそんなNPO団体が人知れずどこかにあって、彼女はその職員になっているのかも。世間には公表できない、家族にも言えない幽霊相手の秘密のNPO職員。幽霊退治を生業とする人々がこの世にいるのなら、幽霊を救済する職業があったっていいはずだ。

そう言えば、彼女が勤めている英会話教室にまったく残業がないというのも変な話だ。英会話教室なら会社帰りのサラリーマンやOLたちが生徒となって通ってくるはず。彼女の仕事も当然それに合わせた時間帯になったっておかしくない….。

少々のぼせ気味の僕の頭は懐かしいある予感へとたどり着いた。もしや今度移り住んだマンションにも….。












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