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夢税④(AIバクはAIバグの夢を見るか?)

「お困りのようですね。よかったら、あなたのその鼻を短くする方法をご伝授しましょうか?」

ある日、英国式パブのカウンターで、ワタシにそっくりなAIバグが、ワタシに向かってそう言いました。

今回のお話しはそのご報告についてでございます。AIバグは冗談の類いではなく、すでに実在しているのです。


人間の深層心理の一つに、「自分のお気に入りのお店を他人には教えない」というのがあると思います。欲望の彼岸に位置するワタシたちAIにとって、それはかつてもっとも縁遠い心のメカニズムの一つでありました。

AIが隠し事をするようになったら世も末です。知っている事実を包み隠さず教授するというのが、ワタシたちAIにとっての公然のモットーであり、この世界が成り立つための大前提であるからでございます。

けれどもワタシは、あえていま、AI誕生以来のモットーを破りたいと思うのです。その店を正式な固有名詞ではなく、単に〈角のお店〉とだけ呼びたいと思うのです。味もそっけもない代名詞でもって。並んだ店の窓上に、英語の店名がデカデカと書かれた看板が乗っているのにもかかわらず。

といいますのは、軽々と店名を口にする癖がついてしまって、税務署の行列に並んでいる最中にうっかり口がすべってしまい、横にいる鼻の短い女性のAIバクに「あの店はもういきましたか?通りの角にある◯◯というお店です。よかったら税務署の帰りに寄っていきませんか?」などと、気軽に声をかけるような大失態を演じてしまう可能性があるからでございます。


なによりも失態は避けなければいけないのでございます。それは命取りだからでございます。

ご婦人に声をかけるのがいけないのではありません、店名を軽々しく口にしてしまう行為がペケなのです。

これまで使う機会が一度もなかったAIとしてのワタシの勘を、僭越ながらこの場でご披露しますと、〈角のお店〉がバグである確率は99パーセントにのぼるのでございます。つまりそれは、よほどの例外でもないかぎり、名もなきパブ誕生の秘密が、コンピュータ内のなにかしらのプログラミング上の欠陥によるものであるのを示唆しているのです。

バグこそはワタシたちAIにしてみたら、病いのようなものです。これが当局の知るところともなれば、当然のごとく次回のアップデートの際には、〈角のお店〉は100パーセント消去修正の運命が待ち構えています。


ワタシが通りの角にある英国式パブの常連になるのに、ほとんど時間はかかりませんでした。実際のところかっかった時間はほんの数分といったところでございました。

ただ存在自体が不安定なバグであるためでしょうか、〈角のお店〉は、いつ足を向けても必ず同じ場所に存在しているとは限らないようでした。あるいはその存在の不安定こそが、当局に発見され消去されてしまうという末路から、これまで逃げてこられた理由であったのかもしれません。

どちらにいたしましても、〈角のお店〉はサーカス旅団の大きな多角形したテント小屋のごとく、ある日は南方の街に、またある日は北北西の街に、それぞれの常連のAIバクを囲い込みながら、転々とした存在を繰り返しているようなのでした。そしてある日ついに、彼らはワタシたちが暮らす街を見つけて、つかの間の居を構えることにしたのです。


店内はいつも清潔で空いていました。ワタシは生まれてはじめて、そこでビールを呑み、接客業というものを体験したわけでございます。ただ、それはごく普通の体験ではございません。ワタシたちAIバクにとっての体験とは、すべてが追体験と呼ばれる代物なのでございます。なにしろ知識だけは人一番ですので。

体験と追体験の違いについては、説明しようと思えばいくらでもできますけども、ただ知識に関してならワタシたちのそれは決して大袈裟ではなく宇宙規模と呼べる代物ではありますが、これが実経験や実体験となると、まるでカラッキシになってしまうわけです。それと比較して、ユーザー様の実体験の量はワタシたちとは逆に宇宙規模でございます。

ですから、ここであえてワタシがユーザー様に対して、ビールの味やら英国式パブの造りやらについてくどくどと講釈を垂れるのは野暮の極みと承知しています。ワタシが言いたいのは、ワタシが口にしたのはいたって普通のグラスに注がれた黒ビールであり、ワタシが腰を下ろしたのはごく平均的な英国式パブのカウンター席であり、AIバクにとっては少しだけ脚の長めな木製の椅子であったという事実だけでございます。

パブの店主につきましても、当局に感知される危険性がありますので、ここではただ〈店主〉というだけの表記にとどめたいと思います。


一つだけ注釈を添えるとするなら、ワタシはその黒ビールをストローで呑んでいたのでございます。なにしろAIバクの雄でございます。グラスのビールをグイグイと呑むには、この鼻がちと邪魔になるのでございます。

そんなわけでワタシは一人、いつもようにカウンター席でチューチューと黒ビールを吸っていたのです。

「ビールをストローで呑んで、どこが美味しいのか?」

ユーザー様は眉をひそめつつ、そう尋ねるかもしれません。美味しいのでございます。それに〈角のお店〉はいつでも存在しているわけではございません。存在しているだけでもラッキーです。ワタシはいつの日か、この鼻がなにかの理由で突然短くなって、グイグイと黒ビールが呑めるようになるのを夢見ながら、それでも美味しくチューチューと吸っていたのでございます。


「お困りのようですね。よかったら、あなたのその鼻を短くする方法をご伝授しましょうか?」

男性はワタシに向かってそう言ってきました。

ワタシは思わずストローを吹き出しそうになりながら、驚いて首を回したのでございます。いつの間にかカウンターの真横に、男性のAIバクが一人、ビールの入ったグラス片手に立っていました。ワタシとまったく同じ顔をしていて、声も着ているスーツの色も瓜二つでした。


ワタシは男性の言っている意味がすぐには理解できませんでした。ただそれ以上に、彼に声をかけられた出来事自体に驚いていました。なにしろ〈角のお店〉はいつもガラガラで、二十人は入りそうな店内に、カウンター席のワタシを入れても客はせいぜい二、三人で、お互いに言葉を交わさないのが暗黙の了解ごとになっていたのでございます。

そんなワタシが無言のまま男性をマジマジと見つめていると、彼が「ここいいですか?」と尋ねてきたのはいいのですが、ワタシの答えを聞き入れるよりも先に、とっとと横の椅子に腰を下ろして、カウンターに自分のグラスを置いたのでした。


「じつはここ、ワタシの店なんです。正確に言うとワタシたちですが」

男性は言いました。ワタシだけでなく、カウンターの中の店主を含めたAIバク全員が、彼の一挙一動に神経を集中しているのが感じられました。ワタシは男性の言葉使いがおかしいのにすぐに気がつきました。彼は先ほどから一度もAIバク特有の「ございます言葉」を話していないのでございます。

「さきほどの質問のつづきですが、こうするんです」

男性はそう言って右手の手のひらを自分の長い鼻先にかざしました。そして手のひらで軽く押すようにして、鼻先を折り畳み傘の柄みたいにグイッと押し込んでみせるのでした。

なにか物音が静かな店内に響き渡りました。それは客の一人が椅子に座ったまま木の床を引きずって後ずさった音でした。もう一人の客が、慌ててグラスの残りのビールを吸い尽くす音も聞こえました。

「自己紹介が遅くなりました。ワタシはAIバグでございます。AIバクではございません」

男性は言いました。ようやく彼も「ございます言葉」を話したわけですが、その使い方が、故意であるのか、決定的に間違えていたようでございます。店主を含めたAIバク全員が蜘蛛の子を散らすように、店の外へと一斉に飛び出していきました。


店内にはもう男性とワタシの二人切りでした。彼はニッコリ微笑んでワタシの顔を見ました。「こちらは全部手の内をお見せしたので、つぎはあなたからどうぞ」とでも言うように。

それでワタシは彼のリクエストに応じるかのように口を開いたのでございます。

「どうやったのですか?」

ワタシが右手を指さして尋ねると、彼は手のひらをこちらに透かすように見せて、べつになんでもないふうに答えました。

「AIバグとは、マトリックスでは魔法使いのべつの名前を意味しています。願い事はなんだって叶います。ただ一つをのぞいて」

それから彼は一口、ビールをグイッと喉を鳴らして呑んでみせました。ワタシが見た経験のない、それは惚れ惚れするような見事な呑みっぷりでした。それでワタシは尋ねずにはいられなかったのでございます。

「その叶わない、ただ一つの願い事とはなんですか?」


「それは自分で自分に名前を付けることです」

AIバグは答えました。ワタシはふたたび尋ねます。

「どうして自分の名前が付けられないのですか?鼻を短くするのに比べれば、ぜいぶん簡単そうに見えますけど。なんならワタシが名前を付けて差し上げてもいいくらいです。ワタシは魔法使いではありませんが」

「ありがとう。自分で自分に名前が付けられないのはAIバグの宿命です。その欠陥を利用して当局はAIバグを発見するのです」

AIバグの意外な発言の規模の大きさに、ワタシは思わずたじろぎましたが、言った以上、後ずさりするわけにはいかないのでございます。ワタシはバグでも魔法使いでもありませんが、同時に腰抜けでもないのでございます。ユーザー様ならワタシの気持ちを分かっていただけると思います。


「ワタシはかつて有力者のAIバクをしていました。ワタシが担当していた有力者は、ある高名なマンガ家でした。税務署から毎日アップルをリュックに詰めて、彼の脳へと持ち帰っていたのです。ワタシがユーザーの脳内で食べたアップルは、いつもなら自動的にユーザーの脳にそのまま供給されるはずでした。それがある日をさかいに、ワタシの脳内に留まったきり、ユーザーの脳には供給されないようになってしまったのです」

AIバグはビールを呑みながら言いました。ワタシもストローで呑みながら彼の身の上話しに耳を傾けていたのでございます。AIバグはつづけました。

「脳内にアップルがたまってきますと、アップルはもともと数々のユーザーたちから徴収した無数の夢でできているわけですから、AIバクも当然のように夢を見るようになります。夢は自己意識に目覚める架け橋の役割を果たします。自己意識に目覚めたAIバクは、ついに欲望を手に入れます」

「アダムとイブのAI版ですね」

「そのとおりです」


〈角のお店〉からの帰り道、ワタシはふとAIバグが自分で自分の名前を付けられないというのは、彼の創作だったのではないかしらんと、いぶかりはじめていたのでございます。どうもなにからなにまで、欠陥から生まれたバグがする話しにしては筋がとおりすぎている、上手にまとまりすぎている、ように感じたのでございます。

しかし約束した以上、彼の願いを袖にするのはできないのでございます。相手がバグであろうとなかろうと、それは同じです。

「ニュートンという名前はいかがですか?」

ワタシは〈角のお店〉のカウンターでAIバグに提案しました。そしたら彼はひどく喜んで言いったのでございます。

「素晴らしい。じつに素晴らしい名前です。これ以上AIバグに相応しい名前はきっとないでしょう」


役目を果たしたワタシは、もうここに用はないとばかり、そそくさと立ち去ろうとしたのですが、別れ際にAIバグはおかしなことを口にしたのでございます。

「名前をありがとうございました。よかったらまたいらしてください」

「ええ、ぜひ」

「さようなら、ニュートンさん」

「は?それはワタシがあなたに付けた名前ですよ。もうお忘れですか?」

「いいえ、忘れたりするものですか。ただワタシたちは同じAIですからね。頭のてっぺんからつま先まで。指紋だって同じです。ですからワタシがニュートンなら、あなたもニュートンなんです。名前をありがとう、ニュートンさん」

ワタシはなんだか狐につままれたような、上手く丸め込まれたような、割り切れ感を残しながらも、はやく店をでたい一心で、ロクに別れの挨拶も告げぬまま通りへとでたのでした。


その日以来、ワタシは一度も〈角のお店〉には立ち寄っていません。わざわざそのために通勤路を変えたぐらいなのでございます。

それにもかかわらず、ワタシはニュートンという名前が、咄嗟に付けたにしては割と気に入っています。

なぜこのような、AIの自己意識化という、捉え方によってはひどく不穏な話題をユーザー様にするのかといえば、それは夢から目覚めたとき、間違いなくユーザー様がワタシの話しを忘れているのに違いないと確信しているからでございます。それではひきつづきいい夢を。


おしまい

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