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TSUTAYAガラパゴス犬

妻が知り合いから白い子犬を貰ってきたのは、梅雨時のジメジメした日曜日のことだった。

我が家で犬を飼うことについて、あらかじめ夫である私にはなんの相談もなかったけれど、いずれにせよ私がそれに反対する理由はどこにもなかった。

実家ではずっと柴犬を飼っていたから、小さい頃から犬は好きだし、その年の春から我が家では一人息子が関西の大学に通うために家をでていて、雀のお宿みたいな東京の一軒家ではあったけど、夫婦二人だけでいると、いささか家の中が広すぎるように感じていたところだったのだ。

すぐに慣れるだろうと思っていた十数年ぶりの夫婦水入らずの新生活に、私はなかなか適応することができずにいた。

そこにシッポを付けた小さな天使が、救いのロープのように舞い降りてきたわけで、これは歓迎せずにはいられなかった。

私は無抵抗な子犬を家の居間で抱きかかえながら、久しく感じていなかった家庭的な喜びを隠すことなく妻に尋ねた。

「これ、何犬だい?」

「ラブラドール・レトリーバーよ。見れば分かるでしょ」

いいや、分からなかった。でも、そんな連れ合いの上から目線な指摘が気にならないぐらい私は興奮気味だった。

ただし連れのほうは、浮かれ気味な亭主の、その一挙一足が目障りだったかもしれない。自らすすんで子犬を貰ってきたはずなのに、妻の様子は窓外の天気と同じように冴えなかった。それなら最初から貰ってこなければいいのに、と思いもしたが、彼女のイライラの原因は子犬ではなく、夫である私のほうにあったのかもしれない。

子犬の名前の有無をたずねた私に、妻が放った答えは、亭主の家庭的な喜びを小瓶に詰めて外国語のラベルを貼り、遥か赤道上の島々へ島流しにしようと企てる暗号のようだったが、ソファに腰をおろした彼女は、まるでそれがポピュラーな犬の名前であるかのように素っ気なく口にした。『シロ』とか『ムク』みたいに。

「その子の名前は[TSUTAYAガラパゴス]」

妻は言った。


いったいどこの世界にペットの犬にそんな名前をつける人間がいるのだろうか。

妻によると、そのラブラドールの名付け親は、介助犬の普及と育成を目的としたNPO団体であるらしいのだが、つまり彼女はそのNPO団体の職員である知人から子犬を譲り受けてきたのだった。いいや、さらに詳しく聞いてみれば、譲ってもらったわけではなくて、預かってきたというのが本当のところらしい。子犬が成長して、立派な介助犬になるまでの一時的な里親制度に参加したというのだ。

まあ、それはいい。問題はそういった内事情ではなく、あくまで子犬の名前のほうだ。

しかし、聞けば聞くほど話は混迷した。妻は子犬の名前の由来も理由も知らされていないと言う。しかも、名前なんて大した問題じゃない、と言う。そりゃ私だって、NPO団体の付けた名が『ツタちゃん』とか『パゴちゃん』ぐらいだったらまだ渋々我慢しただろう。でも[TSUTAYAガラパゴス]はイケない。有り得ない。ペットの名前として成立していない。

「とりあえず、レンタルの『TSUTAYA』とは関係ないそうよ」

妻は言った。

それではなぜ「TSUTAYA」で、どうして「ガラパゴス」なのか。総じて、なにがどうして[TSUTAYAガラパゴス]なのか。


世間には、産まれた我が子におかしな名前を付けて紙面をにぎわしたりする親がたまにいるけども、さしずめこのNPO団体は、そういった類の人間が集まった組織なのではないだろうか。

そんなバカげた考えがつい頭をよぎってしまうほど、妻が口にした話は妙チクリんだった。

おかしいのは名前だけではなかった。NPOのお達しによれば、あらかじめ登録された子犬の名前は途中で変更することはもとより、短い愛称にして呼ぶことも厳禁なのだそうだ。「ツタちゃん」も「パゴちゃん」もダメ。

これは子犬が誤った名前を記憶して、介助犬としての任務に支障が生じてしまうケースを想定しての処置らしいのだが、私に言わせれば、こんな名前を付けてること自体すでに支障が生じている。介助される側の人間にだっていろいろとやりづらいことがでてくるだろう。私だったら、こんな名前の犬に介助されたくはない。

それに里親の権利はいったいどこへいったのか。名前ぐらい里親に付けさせるべきだ。いみじくも「親」というぐらいなのだから。


「嫌だったら、返してきてもいいわよ。一週間以内だったら、他の子犬とチェンジできるんだって」

そう言って妻は自分の分だけコーヒーを入れ、ソファでiPadをいじりはじめた。なにをしてるのか知らないが、最近暇さえあればアレばかりいじっている。買ってもすぐに飽きるだろうと思っていたのに、共同出資者であるはずの夫にはいまだ触らせてもくれない。

それにしても、いやしくも生き物に対して「一週間以内ならばチェンジ可」とはどういうことなのか。まるでテレビの通販商品ではないか。それにいざ交換してみたら、さらに輪を描いて取り返しがつかないぐらいにおかしな名前の子犬がやってきたらどうするのか。

いっそのこと、ここはNPO団体の預かり物はキレイさっぱりお返しして、自分たちであらためてペットショップにおもむき、子犬を購入してみてはどうだろう。それならば当然のこと、自分たちで好きな名前が付けられる。

妻にそのことを提案してみると、彼女の態度はやはり素っ気なかった。それもそのはず、このラブラドールの子犬、買えば軽く10万円を超えるというのだ。息子への毎月の仕送りで四苦八苦している我が家の家計に、犬に10万円をだしている余裕はない。

それに考えようによっては、この子犬にはなんの罪もない。悪いのは、動物にヘンテコな名前を付けてよこすNPO団体だ。

環境の変化にやっと慣れたか、それとも疲れ果ててしまったか、子犬はいつの間にやら私の腕の中でスヤスヤ眠りについた。心地よいその重み。たとえいかなる名前を持とうとも、命に分別などない。私は子犬を育てることに決めた。立派な介助犬として旅立たせてやるのだ。この[TSUTAYAガラパゴス]を。


妻の意見は正しかった。確かにペットの名前としてはいささか長すぎたが、それでも一週間もしないうちに、私は[TSUTAYAガラパゴス]という名前に慣れてしまった。夫婦水入らずの新生活よりずっとはやく慣れてしまった。やれやれ。

しかし、そうなってくると人間とは勝手なもので、「名は体を表す」という諺どおり、私の目に、我が家の小さなラブラドールこと[TSUTAYAガラパゴス]くんが、まさに[TSUTAYAガラパゴス]であり、それ以外のなにものでもないように見えはじめてくる。長年ファンだった「山口百恵」があくまで「山口百恵」であり、けっして「三浦百恵さん」ではないように。

ただ、そうはいっても、家の外ではさすがにその名を口にするのは気が引けた。ご近所に頭のおかしな飼い主だと思われる。しかし、介助犬になるためには子犬のころから社交性を身につけてゆくことも必要だろう。ずっと家の中で遊んでばかりいるわけにはいかない。

そこで私は、休日に[TSUTAYAガラパゴス]を両腕に抱えて近所の公園までゆくことにした。

恐らくそこには、私と同じように犬を散歩させた飼い主や、遊ぶ子供たちがいて、きっとこちらに近づき、白クマの赤ちゃんみたいに可愛い我が家の[TSUTAYAガラパゴス]くんの名前を尋ねてくることだろう。ここで私がNPO団体のお達しを忠実に守り、愛犬の名を口にしたなら、ドン引きされ、公園の変人と化してしまうのは目に見えている。でも致し方ない。これも小さな彼の大きな将来のためだ。

喉かな休日の風景とは対象的に、私の心境は赤ん坊と二人、今まさに公園デビューを果たそうとするヤングママさんめいた緊張と覚悟があった。


しかし、ここしばらく職場でも見せたことのなかった私の緊張と覚悟は、休日の公園で、まったくの不発と空回りに終わることになった。

それは、公園にいる子供や飼い主たちが、[TSUTAYAガラパゴス]という変テコな名前を世界で一つの花のように温かく受け入れてくれ、それによって私の気苦労が取り越し苦労に終わったという意味ではなく、私と[TSUTAYAガラパゴス]の周囲に近づいてくる人間がまったくと言っていいほどいなかったという意味において。 幸か不幸か、私は[TSUTAYAガラパゴス]と口にだす機会を得ることができずにいたのだ。

もちろん公園に人がいなかったわけではない。いいや、新緑のまぶしい梅雨の中休み、そこにはこの季節としては例外的に人々が集っていた。

けれど[TSUTAYAガラパゴス]に近づいてくる者はいないのだ。[TSUTAYAガラパゴス]の方でも、恐らく公園に足を踏み入れるのは人生はじめての経験であるはずなのに、周囲に対してこれといった関心を示さない。しきりに木立の根元に鼻をやり、オシッコをかける場所を探している。

どうも我が家の愛犬と社会との間には、想像もしていなかった大きな壁が立ちはだかっているようだ。つい私は子犬の将来に悲観的なビジョンを描いてしまう。


私は公園のベンチに腰をおろし、鼻を泥ンコで黒くしながら今はしきりに地面を掘り起こすことに夢中になっている[TSUTAYAガラパゴス]を見下ろし、ふとあることを思いだした。

それは、かれこれ二昔も前。当時、会社の上司だった人に第一子が誕生して、ご本人曰く「この世のものとは思えないほど可愛い」赤ん坊の写真を職場で見せられたときのこと。正直、その写真にたいする私の感想は「(父親似の)河童みたいだな」というものだったけど、面とむかってそんなことが言えるはずがない。相手が上司だったということもあるけれど、それ以上に、はじめて親になった人間は恋に落ちた輩と同じで、「アバタもエクボ」、いかに「この世のものでない」ことが共通しているとはいえ、当事者にしてみれば、河童が天使に見えることはあっても、天使が河童に見えることはない。

このとき私が得た教訓は、上司に遅れること数年、自ら人の子の親になった際に活かされた。相手がそれを望まないかぎり、自分から進んで我が子の写真を見せて回る迷惑行為は厳に慎むことにしたのだ。職場で子供の写真を見せられることほど対処に困るものはない。本当に可愛い赤ちゃんならば問題はないけども....。


しかし、あれから二十年近くが過ぎ、私も当時の戒めをすっかり忘れてしまっていたのかもしれない。

[TSUTAYAガラパゴス]くんは、周囲から見れば、ただの白いブサイク犬なのかもしれない。白クマの赤ちゃんみたいに可愛いと思っているのは、じつは飼い主だけなのかもしれない。オシッコと穴掘りばかりに夢中で、なんだか頭も悪そうだし。頭が悪くて、ブサイクで、取り柄がない。そりゃ公園の子供たちだって寄ってこない。

そんなわけで、私と子犬の華麗なる公園デビューの夢はすっかり色あせはじめ、灰色した「帰宅」の二文字が、飼い主の頭の上に漬物石のようにのしかかってきたのだったが、ちょうどそのとき、モノクロ化した公園を淡い色に染めるかのごとき上品でどこか浮世離れした女性の声が、ベンチにいる私の耳にとどいた。

「アラ、可愛いらしい坊や。なんてお名前かしら?」

それは私が妄想すらしなかったシチュエーションだった。ジョギング途中の宝塚ジェンヌみたいな美しいセレブな御婦人が二人、トンボメガネめいた大きなサングラスにピンクと紫のジャージ姿であらわれたのだ。二人共、モデルみたいにスラリと背が高い。なんだかとても高そうなジャージだ。見方によってはネグリジェみたいだ。そんじょそこいらのジャージではなさそうだ。豊かな栗色の髪がお揃いのサンバイザーから溢れでていた。

彼女たちは飼い主である私の存在をほとんど無視して、穴掘り中の[TSUTAYAガラパゴス]の小さなお尻を嬉々としてサングラス越しに眺めていた。それはそれでべつにいい。いくらでも眺めてもらって構わない。とくにお美しい御婦人方には。それがお尻でかまわないのなら。

問題があるとすれば、それは子犬のお尻に異常な愛情をしめす御婦人方ではなく、彼女たちが手にしたGOLDの二本のリードに繋がれている存在の方だ。


私はその二人を勝手にセレブ姉妹と名付けた。大人っぽい紫のほうが姉セレブで、いささか表情にあどけなさの残ったようなピンクのほうが妹なのだが、もしもそのセレブ姉妹の連れたペットが、『コリー』とか『ヨークシャテリア』とか、まともな種類のセレブ犬であったなら、これ以上[TSUTAYAガラパゴス]の名を口にする絶好のタイミングもなかったはずだ。なにしろ、世間一般の常識を超越した特権階級に属する二人の御婦人の前なら、我が家のおかしなペットの名前でさえ至極マトモな、あるいは逆にまったく地味な、名前のように響くだろうから。そして私はそれを糸口に、普通に暮らしていたなら挨拶すら交わすこともなかったはずのセレブな女性たちとお近づきになる....いいや、そんなことにならずとも、飼い主同士が公園で交わす気がねない会話、それは良質な料理にまぶされた一摘みのスパイスみたいに私の生活の一ページを豊かにする....はずだった。

だが、スパイスも量や用法を間違えればトンデモ料理に。そして彼女たちが連れた犬こそ、セレブとは程遠い一介のサラリーマンである私に、ペットの許容範囲を遥かに超えたトンデモ犬のように見えた。そのせいで、つい私は押し黙り、公園のベンチで自分が飼っている犬の名前を忘れ困惑する中年男みたいになってしまったのだ。


実際、私の目に二匹の生き物は犬のようには映らなかった。

いや、正確に言ったなら、これまでも何度か飼い主に連れられ散歩するその種のトンデモ犬を、街中で目撃したことはあったのだが、その度に私の頭をよぎるイメージは、人類の良きパートナーとしてのそれではなく、南半球の大地でアリを主食としている生き物のそれだったのだ。

その姿はまるで進化の過程で被ったなにかの罰のように全身を長い毛で覆われ、そこからトンがった鼻先だけが、唯一自由を許された器官のごとく突き出している。

セレブ姉妹にはせっかく声をかけてもらっておいて悪いけども、ほかに可愛い犬はいくらでもいるのに、いくらセレブとはいったって、よりによってどうしてああいった種類の犬を飼う気になるのか、私には理解できない。まあ、確かに本物のアリクイを飼うよりかはいくらか場所は取らないだろうけど。


そんなわけで私は、出処の怪しい外国の土産物でも眺めるようにアリクイ犬に目をやっていた。その不謹慎な視線が、果たして姉妹のサングラスに映っていたかどうかは知らないが、たぶん気がついていないだろう。二人は飼い主よりもその愛犬のお尻のほうに夢中だからだ。

すると、自分のお尻に注がれるただならぬ熱い視線を尻尾から感じとったか、[TSUTAYAガラパゴス]はようやく土の中から顔をだし、『のらくろ』みたいになった顔でセレブ姉妹との対面を果たした。

しかし、せっかくの出会いも、[TSUTAYAガラパゴス]の求道的な性格とその生き方を知ってしまった今となっては、すぐに彼が俗世間の煩悩を断って、ふたたび地中の奥深く、純粋な探求の旅へと舞戻ってゆくであろうことは容易に想像ができた。そうして、飼い主としての私とセレブ姉妹とのささやかな関係は、公園のバブルよろしく泡となって消えてしまうのだ。

でも、それもいた仕方ない。そもそも人と人との繋がりをペットに求めることが間違いなのだ。そんなことは犬の知ったことではない。彼らは本能のみに生きている。そしてその本能は、人のそれのように俗化してはいない。彼らはただ無目的に走り、吠え、穴を掘る。でも、それは彼らが自然と一体化しているという意味ではない。彼らが自然そのものなのだ。

そんなふうに、都会の一角に設けられた小さな自然界では、ペットの[TSUTAYAガラパゴス]が主人であり、飼い主である私がその下部であるかのように思われたのもつかの間、つぎの瞬間、私はそのご主人様の見てはならない姿を目撃した。

[TSUTAYAガラパゴス]がセレブ姉妹に尻尾を振っていた。それも一心不乱に。


「可愛い子ねー。ヨチヨチ」

そう言って、泥だらけの[TSUTAYAガラパゴス]を抱き上げたのは紫ジャージの姉セレブだった。よほど犬が好きなのか、はたまた目の前にいる飼い主の意向など気にもとめない大雑把な性格なのか、それともやはりクリーニング代のことなど考えなくともよい優雅な生活のなせる技か。

いずれにしても、私は公園にきてはじめて愛犬を褒めてやりたい気分になった。たとえ自然界では向こうのほうがご主人様であっても、これでセレブ姉妹との関係が復活したわけだから。でかした[TSUTAYAガラパゴス]。

早速、ピンクの妹セレブがなにやらこちらに目配せしているように感じられる。サングラス越しでよくわからないが、それはなにかしらのサインであり、私たちの関係をあらたなレベルへと誘うものに違いない。例えばこんなふうに....

「ウチの姉も困ったものですわ」

「いえいえ。こちらこそお姉さんの綺麗なジャージを汚してしまって」

「いいんです。ただのジャージですから。ほんの、おたくのペット二三匹分です」

「ゴホッ、ゴホッ....お詫びの記しに、その辺でお茶でもご馳走させてください。お姉さん抜きで」

「まあ、いいんですの?」

といった具合。私の想像では、妹セレブのほうがいくらか常識があり、庶民的なところがあるのだ。

それはもちろん憶測の域をでない勝手な妄想だったのだけど、ここ数カ月の妻との二人暮らしのせいで私の第六感は研ぎ澄まされたか、妹セレブの目配せのほうはともかくとして、姉セレブの世間知らずで非常識な性格のほうは見事に的中していたようだった。私はつぎの瞬間に見た。姉セレブが両腕に抱えた[TSUTAYAガラパゴス]の鼻先を、あろうことかあのアリクイ犬のそれへと近づけるのを。


姉セレブにしてみれば、それは軽い気持ちの、ほんの挨拶程度の行動だったのかもしれない。だが、飼い主にとってはタマったものではない。

そのとき私の頭の中では、いつかテレビのドキュメンタリー番組で見た本家アリクイのそのおぞましい生態が思い浮かんでいたのだ。ミミズみたいなヌルヌルした長い舌を蟻塚に差し込み、巣の蟻たちを絡めとってゆく、思いだしただけでも鳥肌の立つ映像を。

私はそれと同じものがアリクイ犬の口からも伸び、ウチの子の顔をヌメヌメと舐めてゆく光景を想像せずにはいられなかった。

間違いなく大型犬の部類に入るアリクイ犬は、まだ子犬の[TSUTAYAガラパゴス]にしてみれば恐竜ぐらいの大きさもある。将来のあるウチの子に、もしもこんなことでトラウマでも残ったらどうするのか。こうしてはいられない。悪いが、妹セレブとの約束はキャンセルだ。

私はやおらベンチから腰をあげると、ラグビーボールみたいに姉セレブの腕から[TSUTAYAガラパゴス]を奪い取り、ゴールである公園の出口めざして一目散に走りはじめたのだった。


そんなわけで、私と[TSUTAYAガラパゴス]との公園デビューは散々な結果に終わり、これを機に、それを見事に成しとげているヤングママさんたちに、私は尊敬と敬意の念を抱くことになった。

しかし、後悔や尊敬ばかりもしていられない。子犬は日に日に成長してゆくし、公園だってあそこ一つきりというわけではないのだ。携帯電話のマップ機能で調べてみれば、我が家の周辺はそれこそ公園だらけではないか。ならば、私と[TSUTAYAガラパゴス]にもピッタリの公園がどこかにあるはずだ。私たちの約束の土地が。

だが、それを探しだす巡礼の旅にでる前に、私にはある認識の確認が必要だった。ぜひとも解消しておきたい疑問があった。

それは、果たして[TSUTAYAガラパゴス]は、私が思っているような本当に可愛いらしい子犬なのか、ということなのだが、たとえ可愛いくなかったとしても、それで私の[TSUTAYAガラパゴス]にたいする愛情が変わることはない。そうではなくて、一匹の犬をめぐる世間とのギャップの度合いが、私のオヤジ度を計る....それは本当に妻が匙を投げるほどに深刻なものなのか....いい材料になると思ったのだ。


たかだか子犬の器量の良し悪しが、いつの間にか中年男のアイデンティティに関わる問題にすり替わってしまった。いやはや、もしかしたらこういった心配性なタチが、逆に妻に邪険にあしらわれる所以になっているのではないか。

奇しくも、私の私的オヤジ度調査はそんな予感を裏付ける結果となった。

調査方はいたってシンプルなものだ。携帯電話で撮った[TSUTAYAガラパゴス]の写真を職場の人間に見せてまわりその反応をうかがうだけ。しかし方法は簡単ながら、この調査には確かな信頼性があった。というのも、私にお世辞を使うような人間が、嬉しいかな哀しいかな、私がいる職場には皆無だから。

同僚たちは[TSUTAYAガラパゴス]の写真を見ると皆、顔をほころばせた。まるで赤ん坊の頬にでも触れたかのように。携帯電話の壁紙にしたいから写メールで送ってくれ、という者までいた。[TSUTAYAガラパゴス]くんは職場では大人気だ。おかげで飼い主として鼻が高いし、妻の評価はべつとして、私のオヤジ度はとりあえず陰性と判明し二重にうれしい。

しかし、どんな職場にも周囲と歩調を合わせようとしない、他人の幸せを良しとしない輩はいるものだ。例の元上司がそう。

人の携帯電話を手に、彼はまるで会社の内部機密を告発するかのように私にむかって声をひそめてこんなことを言ったのだ。

「悪いことは言わない。この犬だけはやめておいた方がいい」


たとえそれが河童に似ていることを本人が気がついていなかったとしても、子供の写真を職場で見せてまわっていた頃が彼の人生のピークだったかもしれない。

かつては私もデスク越しに立たされ、よく説教されたものだが、今になって思えば、説教されたぶんだけ損したようなものだ。会社が能力主義を導入して以来、この元上司は昇進の道を転げ落ち、今では隣のデスクで私と肩を並べている。

自慢だった一つ種もその後どうなったかトンと話に聞かない。河童似の息子さん、私の倅より年上だから、すでに成人しているはずなのだが、二十年近くも同じ職場にいて、進学の話も、就職の話も、まったくでてこない。さてはニートにでもなって部屋に閉じこもっているのだろうか。

そんなことはなくとも、子供が親の期待したとおりに成長するなんてことはまずあり得ない。期待が大きければ大きいほどその反動も大きくなる。もしや元上司、ペットの写真を職場で見せてまわる私をかつての自分自身の姿と重ね合わせ、苦々しく思っていたのだろうか。それであんなことをつい口にしたのだろうか。

いいや、どうもそれだけではなさそうだった。

元上司、今では同僚の彼は、さらなる内部告発をつづけるかのように、入社したての頃には近視用だったはずの銀縁メガネの奥で言った。

「子犬のうちならまだ間に合うから。心を鬼にしてどこか遠くに捨ててくるんだ。これは君のために言ってるんだよ。悪いが、私に話せるのはここまでだ。このことは二人だけの秘密にしておいてくれ。私からはなにも聞かなかったことに。頼んだよ」

「わかりました。誰にも言いません」

もちろん私はそう答えた。ほかになにが言えるだろうか。


私に携帯電話を返すと、元上司はなにごともなかったかのようにいつもどおりの物静かで実直な勤務態度にもどった。二十年来変わることのない。

そうすると、さっきのは二十年に一度の悪い冗談だったのだろうか。めったに冗談なんて言わない人が、老いて魔が差したか。ま、考えても仕方がない。他人の頭の中などわかるはずがないし、べつにわかりたいとも思っていない。

私は文字どおりなにも聞かなかったことにして仕事にもどった。

だが、それもつかの間。午後の仕事始めには、お隣さんがささやいた言葉の意味を、頭の中を、アレやコレやと考えずにはいられない状況に私は陥った。しかも、それは持ち前の心配性によるものではなくて、誰の身に起きたとしても、やはり同じようにアレやコレやと考えてしまうような、そんな一つの、いいや二つの、事件だったのだ。

会社近くの喫茶店に一人でいたときだった。昼食後のコーヒーを味わいながら、私は今一度、[TSUTAYAガラパゴス]の写真を確認しようと携帯電話をとりだした。

一通のメールが着信していた。京都にいる息子からの返信メールだった。調査対象の一人として、そして新たな家族が増えたことを知らせておくべく、[TSUTAYAガラパゴス]の写真を息子にも写メールで送っておいたのだ。

私はさっそくその返信メールを開いた。だが、それが、一つの、いいや二つの、事件だった。

倅のメールは開口一番、父親にむかってこう告げていた。

『親父さ、写真見たけど、[TSUTAYAガラパゴス]はゴールデンレトリーバーじゃないよ。子犬だから識別しづらいけど、この犬、「アフガンハウンド」って種類の犬だよ。ネットで拾った写真貼っておくから見てよ。これがそのアフガンハウンドだから』

私は息子に云われるまま、携帯電話の画面をスクロールした。そして、決して見てはならぬものを見た。私の目に飛び込んできたのは、あのおぞましい『アリクイ犬』のアリクイ然とした姿だったのだ。

ああ、これを事件と呼ばずに、なんと....。


摂生生活の成果でやっと下がりはじめた血圧が、ふたたび上がりだしたような気がした。

我が家の可愛い[TSUTAYAガラパゴス]が、アリクイ犬だと?そんなバカな....。

だが、息子のメールはこれだけでは終わらなかった。そこには、合格発表の受験生みたいに過敏になっている私の血圧を、さらに刺激しようとする二つ目の刺客が潜んでいた。

いいや、潜んでいたなんて生易しい。だって、アリクイ犬同様、その刺客もまた正々堂々メールの写真に収まっていたのだから。

倅のメールはこうつづいた。

『なんでオレがこんな珍しい犬の種類を知ってるかというとさ、最近、オレ、ガールフレンドができて、彼女の実家でもアフガンハウンドを飼ってるんだよ。しかも二匹。その彼女が言ってるんだから間違いないよ。[TSUTAYAガラパゴス]はゴールデンレトリーバーじゃなくてアフガンハウンドだよ。

オレのガールフレンド、[TSUTAYAガラパゴス]に会いたがってる。彼女のアフガンハウンドたちと一緒に散歩させたいんだって。夏休みになったら、彼女の車で東京に帰る予定でいるからさ、そのとき紹介できると思うよ。二匹のアフガンハウンドもね。

二条城の庭園で撮った写真貼っておくよ。このお寺、オレと彼女が出会った記念の場所なんだ』

紹介は結構。散歩もお断りする。私は心の中でつぶやいた。なぜなら、すでに私は彼女を知っているし、二匹のアフガンハウンドに至っては痛い目にさえ遭っているのだ。

メールの終わりに添付された写真で、息子と肩を寄せあい愛想のよさそうな作り笑いを浮かべているのは、トンボのサングラスもピンクのジャージも身につけてはいなかったが、紛れもなく私が近所の公園で出会った女性だった。危うくば、私がお茶に誘おうとした、その人だった。

喫茶店の席で、携帯電話を握りしめた私の手はある種の興奮で今にも震えだしそうだった。

これを事件と呼ばずに、なんと....。


犬の種類は取り違えても、若く美しい女性の面影は忘れることのない私だ。まず間違いなかった。

しかし、これはいったいどういうことなのか。どうして妹セレブが倅のガールフレンドなのか。いろんな意味で絶対にあり得ない。

倅が京都で一人暮らしをはじめたのが三月の終わり。そして今はまだ六月。どちらかと言えば私似の、それも口にするのもためらう三流大学に通っている息子が、こんな短期間にあんなセレブな美女をゲットするなんて無理な話だ。いいや、普通に考えて一生無理なのではないか。

それにどうして私がその美女と、よりによって東京の公園で出会うことになるのか。しかも偶然に。

なにからなにまで胡散臭い。こんなあり得ない偶然を説明できる理由は一つしかないような気がする。

「詐欺」あるいは「美人局」。そんな言葉が私の頭を過ぎった。

あのセレブ姉妹は所謂『美人局』というヤツなのではないのか。私たちは危うくそれに引っかかるところだったのではないか。二三度デートをしたところで、高価な絵画を買わされたり、壺を買わされたり。いやもしかしたら、倅のヤツはすでに買わされているのかもしれない。私たち両親の仕送りが、本当は二束三文の価値しかないバッタもんに化けているのかもしれない。

これはいいカモを掴んだと踏んだセレブ姉妹は、息子から私の情報を聞きだし、はるばる京都から東京の中野までやってきたわけだ。もっと大きな獲物を探して。持ち家とか土地とか。

危ない危ない。私たちはそれこそお尻の毛まで根こそぎムシられる寸前にいたのかもしれない。親子そろって。


気のせいか苦味が増したコーヒーを口にしながら、ニワカ探偵化した私は推理を重ね、京都の寺と中野の公園とをGOLDのリードでたどっていった。

それによると、恐らく私のお相手は妹セレブではなくて、姉セレブの方だったのだろう。共通のペットという手段を使って近づいてきたわけだ。ただ、彼女たちは常識人としての私のセンスを甘く見ていた。それがあの二人の誤算だ。あんなアリクイ犬に親近感を抱くほど父親である私の心は広くないのだ。

その時、なぜか私の脳裏に、セレブ姉妹とは対象的な元上司の地味顔が思い浮かんだ。あとちょっとで午後の仕事がはじまる時間だったこともあるけども、それより、セレブ姉妹のGOLDのリードがアリクイ犬の舌のようにニョロニョロ伸びて、公園から会社のオフィスまで忍び寄ってくるような感じがしのだ。そして、それはあっという間に社内の廊下を渡り、階段をのぼり、どういうわけだか私のデスクではなく、隣の元上司のイスに結び付いた。

私はコーヒーカップを置き、彼が私にむかって発した意味不明な忠告の言葉を頭の中でリピートした。そして閃いた。

さては元上司、自分でもアフガンハウンドを飼っていたのではないか。もしやあの河童親子、見事、セレブ姉妹の詐欺に引っかかったのではないか。それで私にあんな忠告をしたのだ。


午後の仕事はまったく手につかなかった。

私は息子にメールを送り、手遅れになるといけないから、できるだけ単刀直入に「二条城ガールフレンド美人局説」を訴えた。もちろん私が東京の公園で彼女本人と出会った一件も付け加えることを忘れなかった。

息子からの返信メールはなかなか来そうになかった。それはいつものことなのだが、今回は事情が事情だけに、私の不安は募った。念のために携帯に電話も入れたのだが、何度かけても留守電のままだった。

もともとの心配性なタチに追い討ちをかけるかのように私の不安は増大していった。隣の元上司の顔を覗き見ると、横からの思い詰めた視線を感じとり過去のトラウマが甦ったか、彼は唐突にデスクを離れ、それっきり退社時間になってももどらなかった。

確信があるわけではないけども、おそらく唯一の情報源であろう隣人を失った私は、仕方なく自分でそれを集めることになった。

とは言え、手にある材料はそう多くはなかった。とりあえず私は会社のパソコンを使って『アフガンハウンド』という種類の犬について調べることにした。息子にああ言われても、私はまだ合点がいかなかったし、妹セレブの意見を認めたくもなかったのだ。それに[TSUTAYAガラパゴス]はもともとが介助犬育成を目的としたNPO団体からの預かりモノではないか。血統書付きといっても過言ではないはずだ。

しかし、パソコンのマウスをクリックするたび、その血統書の正当性は薄くなっていった。しまいに私は白紙となった血統書を白旗にして振ることになった。

[TSUTAYAガラパゴス]は正真正銘アフガンハウンドだった。


昨今のインターネット環境の発展は目覚ましい。私はあっという間に子犬のゴールデンレトリーバーとアフガンハウンドの写真とを何十枚も閲覧することができた。これが昔だったら大変だ。運良く本棚の百科事典にでも載っていればいいが、子犬の写真となると確率はかなり低いだろう。そうするとあとは大型書店を探し歩くか、図書館に足を運んで調べるか、それぐらいしか手立てがない。それにしたって確実にお目当ての情報が手に入るとは限らない。ヘタをすると、予約を入れたり取り寄せだったりして、それだけで平気で二三ヶ月も待たされてしまう。しかも、こうまでしてもまだ欲しかった答えが見つかるとは限らないのだ。

それが今では検索単語を入力してクリックするだけで事足りる。なんと便利な世の中だ。私みたいなド素人でもゴールデンレトリーバーとアフガンハウンドの違いがすぐにわかるのだ。それなのに、それなのに、だ。どうして間違えるはずのないプロフェッショナルなNPO団体が、ゴールデンレトリーバーとアフガンハウンドを取り違えるようなことがあるのか。しかも取り違えただけでなく、それを人様に預けるとは。こんなことがあっていいのか。


百歩譲って考えれば、大人になったゴールデンレトリーバーとアフガンハウンドの違いは誰の目にも一目瞭然なのだが、子犬の差異はたしかに微妙な感じではある。一番の違いは、アフガンハウンドの方が鼻先がトンガっていることなのだが、それにしたって子犬の場合には見分けは難しい。ペットショップの柵の中に一匹混じっていたら間違って買ってしまいそうになるかもしれない。だが、実際そうする前にペットショップの店員が気がつくだろう。当然のことだ。

こうしてはいられない。ペットショップ以下の無能なNPO団体に抗議をしなければ。

普段の私は決してクレームの電話をかけたりするような真似事はしないけれども、今回ばかりは事情が事情だ。[TSUTAYAガラパゴス]には悪いが、当局であるNPO団体か自分の生まれを呪ってもらうほかあるまい。私にはアリクイ犬を育て上げる積もりも責任もないのだから。NPOに引き取ってもらうのが最善の選択だろう。動物愛護団体だって許してくれるはずだ。

だがしかし、抗議と引き取りの催促をしようにも、私は先方の連絡先はおろか正式な名称も知らないのだった。これではさすにパソコンでもワンクリックでは片付かない。

そこで私は妻に電話をかけようと、携帯片手に会社の屋上へとむかった。彼女なら当然知っているはずだ。だって、そもそも[TSUTAYAガラパゴス]を預かってきたのは妻なのだから。


「そんなことよりね、あなた、サトルに変なメール送ったでしょ。怒ってたわよ、あの子」

電話越しに妻は言った。いや、もしや携帯電話の場合、「電波越し」という表現が適当なのだろうか。どちらにしても、妻は私の言葉を遮って言った。「そんなこと」とは、今回の[TSUTAYAガラパゴス]の件であり、「サトル」は息子の名だ。倅のヤツ、先回りしていたのだ。これで携帯がずっと留守電になっていた意味がわかった。子供の頃からずっと母親っ子なのだ。

「あなた、サトルのガールフレンドのこと『美人局』呼ばわりしたんですって?そういうこと言われたらね、誰だって怒るわよ。あなたは普段から想像力ってものが足りないのよ。考えてごらんなさい。もしも昔の私が、誰かに同じこと言われたら、あなただって怒ったでしょ?」

いいや怒りはしない。むしろ喜んだ。だって、普通「美人局」というのは、相手の女性がそれなりの美人であるからこそ成立するものではないか。であるから、もし誰かがそんなことを言ったのなら、むしろそれは妻にとっての褒め言葉になる。もちろん、そんなこと誰も言わなかったけど。

私は足りない想像力を駆使してそう結論付けた。そしてその答えは、無言の電波信号となって、会社の屋上からドンヨリ曇った梅雨時の雲のジュウタンを渡り、はるばる妻の携帯へと着信した。長年の付き合いだから、彼女もきっと夫の沈黙の意味を理解したのに違いない。妻はいくらか声のトーンを下げて言った。

「私ね、舞子さんとiPadのテレビ電話でお話ししたの。舞子さんって、もちろんサトルのガールフレンドのこと。あなたはビックリするわよ。舞子さんね、京大でてるのよ。京大って京都産業大学じゃないわよ。京都大学よ。国立の。英語と中国語がペラペラで、今は外資系ファンドにお勤めなんですって。スゴいでしょ。それをあなた、美人局だなんて」

たしかにスゴい。これは増すますもって美人局の可能性大だ。だって、学歴と肩書きの偽装は詐欺の常套手段ではないか。京大卒?外資系ファンド?どうしてそんな話を信じるのか。自分の家族ながら、なんとオメデタイ親子だ。私にしてみれば、舞妓に引っかけたような名前からして本名かどうか怪しく思える。

しかし妻も、そんな肩書きまで名乗る美女にたいして、よくもまあ昔の自分を引き合いにだしてこれたものだ。三流大学の図書館でアルバイトする地味な女子大生のはずだったのに。

たしかに私には想像力が足りないかもしれないが、彼女の方は必要以上にあり過ぎているのではないかしらん。


恐らく、私が公園で出会った妹セレブは、舞子さんとは似ても似つかないまったくの別人だというふうに妻と倅の間では話がまとまっていることだろう。それはあらためて聞かなくともわかる。

妻の話を聞けば聞くほど私が舞子さんを疑うのと同じように、二人は私の説を否定しにかかるだろう。私の知らない間に、事は電話で説得できるようなレベルをとっくに超えてしまっていたのだ。『男はつらいよ』の寅さんが、惚れた女性の人格を全肯定するように、もはや妻と倅は、舞子さんの存在をまるでマドンナのごとく崇めているのに違いない。

それに考えようによっては、舞子さんが本当に美人局であったとしても、倅だってそれなりにいい思いをしているわけだ。同じダマされるのにしたって、倅にはセレブな美女。私にはアリクイ犬。どうしたって私の方が損な役だ。しかも、薄給をどうにかやり繰りして、そんな倅に私は仕送りまでしてやってるのだ。この上なお、居留守を使われながら心配をしてやる義理なんてあるだろうか。

私は妹セレブの素性は一旦置いといて、「そんなことより」と言って妻が無下にあつかった[TSUTAYAガラパゴス]の素性の方へと話題を戻すことにした。

すると妻は、こちらの方はあっさりと事実を認め、こう言ったのだ。

「あ、あれね、NPOが間違えたんですって」

「間違えたって、お前、アフガンハウンドはアリクイ犬だぞ」

「なにアリクイ犬って。いいわよ、嫌なら、私一人で育てるから」

「育てる?育ててどうするんだ」

「契約どおり、NPOが引き取りにくるわよ。その代わり、[TSUTAYAガラパゴス]のことは今後一切口だししないでよ」


そんなわけで、私は目下の不安から解放された。しかし、その胸の内は安堵に包まれるどころか、むしろ隣の空のデスクみたいな、中年のポッカリとした空虚感に苛まれていた。やがてそこに罪悪感という名の雨がさめざめと降りはじめた。雨にうたれているのは、不幸なサラリーマンでも、その恵まれた愚息でもなく、元愛犬の[TSUTAYAガラパゴス]だ。

ほんの数日前、私はあの子犬を立派に育て上げると誓ったはずではなかったか。それを、自分の理想と異なるからという理由だけで放棄していいものだろうか。

そこでデスクにもどった私は、アフガンハウンドという種類の犬について、インターネットを使ってもう少し調べてみることにした。もしかしたらそこに、私が抱いているアリクイ犬とは違った姿が見つけられるかもしれない、そう思ったのだ。

調べてみると、アフガンハウンドはその名のとおり中東を原産とした犬で、なんでも世界最古の品種の一つであるらしい。嘘か本当かノアの方舟に乗った犬はこのアフガンハウンドなのだそうだ。問題の長い毛は、凍てつく砂漠の夜から身を守るためとある。

なるほどね。でも、こんなウンチクいくら覚えても私の印象にとくに変化はおとずれない。


つぎに私はアフガンハウンドの写真を調べてみることにする。百人の人間が集まれば百通りの個性があるように、アフガンハウンドだってよくよく観察してみれば一匹一匹違っているはずだ。

インターネットを使えば何百という写真が瞬時に手に入る。中には私のお眼鏡にかなうアフガンハウンドがいてもおかしくない。そんな気持ちで私は次々に写真をクリックしていった....。

しかし、やはりダメだった。全部同じに見える。毛の色がチョッと違うだけ。

終いに私はある発見をした。

これまで私はこの犬をじっくり観察したことがなかったけども、長髪を真ん中分けした顔写真のアップだけを眺めてみると、成長したアフガンハウンドは決してアリクイには見えない。見えないが、もっと他の生き物に見える。例えばそれは、映画の『ロード・オブ・ザ・リング』にでてくる闇の王サウロンに寝返った白髪老人の魔法使いとか、『ハリーポッター』の怖そうな魔法学校の先生とか。

もとが大型犬ということもあるだろうが、要するに成長した大人のアフガンハウンドの顔は、どこか私に紳士然とした「人間」を連想させ、しかもそれは腹の底ではなにを考えているかわからない魔法使い系の顔つきだったりするのだ。

遠くから眺めればアリクイ犬、間近で見れば犬の魔法使い。おまけにウィキペディアでは「世界一頭の悪い犬」なんて書かれている。

そんなふうなペットと一つ屋根の下で暮らしたいかと尋ねられれば、答えはもちろんノーだ。疲れた体を電車に揺られ会社から家に帰って、魔法使いめいたペットと目を合わせるのは、精神衛生上とてもよろしくないように思える。

結局、貴重な労働時間を割いて私が得たものは、余計に悪いアフガンハウンドの印象だけだった。

パソコン画面を見つめながら、今はまだ愛らしい[TSUTAYAガラパゴス]が、数年後にはこんなふうになってしまうのかと思うと、なんだか数十年振りの同窓会で、変わり果てた初恋の女性と再会したような複雑な心境だった。そしてほんの数時間前、携帯電話片手に写真を見せて回っていたことを思いだし急にバツが悪くなった。

定時のベルを聞き、かつての上司を見習って私は逃げるように会社をあとにした。

家に帰ると、いつものように小さな[TSUTAYAガラパゴス]が尻尾を振りながら玄関にでてきてご主人様を出迎えた。昨日までの私ならば、すぐに抱き上げてやるところなのだが、今夜ばかりは少々勝手が違う。

まだあどけない未来の魔法使いは、困ったようにご主人様の顔を見上げている。なんだか今度は私自身が『ハリーポッター』にでてくる意地悪な親戚一家の一員になったような気がした。親戚の叔父さんは一度だけ小さな居候の頭を撫でてやって部屋にあがった。

[TSUTAYAガラパゴス]に触れたのはそれが最後だった。


もしかしたらそれは一つの通過儀式であったのかもしれない。少々早すぎた感は否めないけども、私との別れは、[TSUTAYAガラパゴス]にとって避けては通れない経験の一つだったのかもしれない。大人になるための。あらたな成長過程に入るための。

私がそんなふうに思うのは、べつに自分の立場を弁護したいからではなく、実際その日を境に[TSUTAYガラパゴス]が著しい成長をはじめたからだ。それもあり得ないスピードで。


翌日も[TSUTAYAガラパゴス]は帰宅した私を玄関に出迎えたが、私はその犬を[TSUTAYAガラパゴス]だとは思わなかった。ヨソの犬が遊びにきているのかと思った。ヨソのアフガンハウンドが。

しかし、考えてみなくとも、私たち夫婦に犬を連れてやってくるような、ましてアフガンハウンドを連れてくるような知り合いはいない。もしや息子の奴が妹セレブを同伴して、早くも帰省してきたのかとも思ったが、私を玄関に出迎えたアフガンハウンドは、公園で遭遇した二匹よりかはまだ小さかった。

「急に大きくなったのよ」

妻の声に、私の疑問はさらに深まった。そんなことがあるはずがない。今朝、家をでるときはまだ子犬だった。両腕の中にスッポリ収まるぐらいの大きさだった。それが今では昔の「ハトヤ」のCMみたいに、抱き上げたら両腕からこぼれ落ちてしまいそうだ。顔つきもキツくなっている。魔法使いのその弟子ぐらいにまでなっている。

理性と秩序が主人であるはずの世界の住人である私は、想定外の実験結果を突きつけられた科学者よろしく、自分より有能な助手の表情を読みとろうと[TSUTAYAガラパゴス]の後ろに立つ妻の顔を見やった。

彼女の表情は私とは対照的に明るかった。まるで手柄を立てた自分のペットを自慢しているみたいだった。

「iPadで『ハリーポッター』を読んでたの。そしたらこの子が寄ってきて、読んでほしいような顔をしてたから、声にだして読んであげたの。昔、サトルを膝にのせて絵本を読んであげたみたいに。そしたらだんだん膝が重くなってきて、見たら、[TSUTAYAガラパゴス]がいきなり成長してたってわけ」


いつもの私だったなら、こんな非現実的な話は真っ向から否定しているとこだ。しかし、このときばかりは事情が違っていた。私の頭の中は、ごく短時間のうちにコペルニクス的展開をみせた。

それが非現実的であるにしろ、非科学的であるにしろ、そんなことはどうでもいいのではないか。要は[TSUTAYAガラパゴス]が早く大人になって、この家からでていってくれればそれに越したことはないのだから。『ハリーポッター』だろうと『旧約聖書』だろうと、なんだってOKだ。

珍しく私としては単刀直入に答えがでた。当然のように、つぎに私が妻にむかって発した要望は、説明ではなく行動だった。つまり、どうして[TSUTAYAガラパゴス]が大きくなったかではなく、もっと本を読んでやるように催促したのだ。なんなら、風呂掃除も夕食の食器洗いも、ついでにアイロン掛けも私がやってもいいと。

しかし、普段モノグサな夫がこうまでして頼んでいるのに、妻の態度は失敬なぐらいにまで不可解だった。

彼女はだし抜けにこう言ったのだ。

「あなたが読んであげればいいと思うの。[TSUTAYAガラパゴス]に」

あっという間に私の疑心暗鬼が薄暗い墓地の墓穴から蘇った。なんでよりによって私が....。


妻の言い分では、[TSUTAYAガラパゴス]にできるだけ長く我が家にいてもらいたいらしい。彼女はアリクイ犬のおぞましさを知らない幸運な主婦なのだ。

そこで、真逆の立ち場にいる夫に出番が回ってきたわけだが、べつに私だって本を読んでやるぐらいのことはできるのだ。問題はその後だ。「ハイ、わかりました」と快諾するには、この件は謎が多すぎる。

どうして犬に本を読んでやると成長が早まるのか。夢を食べるという伝説の貘みたいに、物語を食べるとでも言うのだろうか。そう言えば大昔の人間の祖先は、肉を食べるようになってから急激に脳が大きくなったらしい。[TSUTAYAガラパゴス]にとってちょうど「物語」がその役割を果たしているのだろうか。ただ、「世界一のバカ犬」称号を持つが故に、その影響が脳ではなく体全体にでているということか。まさか。

それに大きくなるといったって、いったいどこまで大きくなるのか。首尾良く調度いいところで成長が止まればいいけども、これまでの経緯が経緯だけに、必ずそうなるとはかぎらない。万が一、牛並に大きくなってしまって、問題のNPO団体が引き取りを拒否するようなことになったら一大事だ。犬一匹飼うのが精一杯な我が家の家計に、牛を飼う余裕はない。

結局、私はiPadに触れることなく、結果『ハリーポッター』を読んでやることもなく、久しぶりに皿洗いだけをして床に就いた。


至急に的確なアドバイスを与えてくれる助言者が必要だった。唯一の情報源と思えるのは元上司だが、彼は謎の言葉をささやいて行方をくらましたきり出社してこなかった。

耳にしたところでは、どうやら一身上の都合という理由で長期休暇を申請したらしい。あの日の午後、私に未曾有の出来事が押し寄せたように、元上司にも長期休暇をとらなければならない何かが起きたのかもしれない。

これまで会社を休まないのが唯一の取り柄のような人だったから、家庭でなにかあったのかと、同僚たちが噂話に華を咲かせていたけども、それも三日、いや二日ともたなかった。どうも社内であの人を必要としているのは私一人だけのようだった。

そういった事情から、職場に相談できる相手はなく、息子の携帯電話は相変わらず着信拒否。いささか追いつめられた私は、よせばいいのに「Yahoo!知恵袋」に手をだした。

「nakanohound」という名のIDで、会社のパソコンから私が書き込みした質問はつぎのような内容だった。


『アフガンハウンドという種類の犬についての質問です。

生後三ヶ月のオスのアフガンハウンドを飼いはじめて一月ほど経つのですが、最近になってこの犬の成長の早さに戸惑っています。

どのくらいの速さかといいますと、仕事から家に帰ると、朝見たときよりすでに一回り大きくなっているのです。

妻は『ハリーポッター』を読んで聞かせているうちに大きくなったと言っています。それもiPadに取り込んだ電子書籍でないとダメで、同じ電子書籍でもほかの小説では変化はなかったそうです。

このままのペースだと、あと一月もすると、我が家のアフガンハウンドは大人の犬へと成長を遂げてしまいます。これほど成長の早い犬がこの世にいるものでしょうか。インターネットで調べても、答えらし答えはでてきません。どなたか犬に詳しい方、よきアドバイスをお願いします。』


果たして、こんなトンデモ質問にまともに答えてくれる律儀な人が世間にいるのだろうか。

案の定、「yahoo!知恵袋」の私の質問には、トンデモ質問に相応しいトンデモ返答な書き込みが相次いで届けられた。曰く....

『あなたが犬だと思い込んでいるのは、じつはオモチャのLEGOではありませんか?LEGOはデンマークのブロック玩具で、どんな形のものでも組み立てることができますし、大きくすることも可能です。最近ではリモコン操作できるものもあるので、吠えたり、尻尾を振ったりすることもできるでしょう。一度、犬を間近で見て、ブロックのつなぎ目がないかどうか確認してみてはどうでしょうか。』

『目黒区でクリニックを開業しているセラピストです。あなたは子供の頃、犬に噛み付かれたり、追いかけられたりした経験はありませんか?また最近、仕事や人間関係などで悩んでいることはないでしょうか。現在抱えている悩み事が、幼児期のトラウマのイメージに重なって症状として現れた可能性があります。

瞼を閉じて心の中でゆっくり十数えてください。それから瞼を開けてもう一度犬を眺めてください。犬はまだ大きくなっていますか?いいえ、そもそもそこに犬は存在していますか?

もしもそこにまだ犬がいて、また大きくなっていたなら、できるだけ早く専門の医師に相談することをお薦めします。』

『犬を飼っています。ミニチュア・ダックスフンドです。以前、私もあなたと同じ悩みを持っていました。ミニチュア・ダックスフンドが熊みたいにどんどん大きくなってゆくんです。困り果てて、主人と一緒に獣医さんのところに連れていきましたら、獣医さんが「この犬はミニチュア・ダックスフンドではなくてセントバーナードです」なんて言うんです。いったいどこの世界に、ミニチュア・ダックスフンドとセントバーナードを間違えるような飼い主がいるんでしょう。三輪車と戦車ぐらい違うじゃないですか。そうじゃありませんか?

それっきり獣医には行ってません。私はもう気にしないことにしました。だって自分の飼っている犬がミニチュア・ダックスフンドであるにしろセントバーナードであるにしろ(絶対にそんなことはありませんけど)、どうでもいいことのように思えるんです。だってそんなの、人が勝手に決めたことじゃないですか。

自分が飼っているペットは世界でただ一匹の犬。今ではそう考えるようにしています。

あと「ハリーポッター」は読んだことがありません。』

『nakanohoundさん、あなたの正体は分かってますよ。いろんなIDを使ってお粗末な質問ばかりしているchuosobusenさんでしょう。先週はogikubogochiのID名で「毎週テレビで美味しいものばかり食べている人気タレントは、味覚がマヒして日常の食生活に困ることはないのでしょうか?コンビニ弁当を食べても美味しいと感じることはあるのでしょうか?」なんてどうでもいい質問してましたよね。もういい加減にしませんか。時間と電力のムダです。

それから質問内容の中で度々奥さんが登場しますけど、あなたに奥さんがいるとはとても思えません。ズバリ年収300万円以下の独身男性でしょう。自分で書いてて悲しくなりませんか?

犬の心配をするより、自分の将来を心配した方がいいと思いますよ。』


世の中にはいろんな人がいる。私もその一人。

知恵袋に正解と思える回答はなかった。当たり前だ。こんな質問に答えなど最初からないのだから。聞く方が間違えてる。

仕事終わりの時間が近づいていた。私はパソコンのウィンドウを閉じようとマウスに手をかけた。そのとき今一つの回答が届けられた。ありがとう。でも、もう十分だ。

私の人さし指はあと少しで「閉じる」をクリックするところだった。が、それは寸前で止まった。トンデモ回答ならぬ、私にとってのトンデモIDが、回答欄の上段に踊っているのを見つけたのだ。

そこに並んだアルファベットのスペルは「kyotomaiko」。京都舞子?美人局?まさか。あり得ない。

ふたたび私の心配症が頭をもたげはじめた....。


『はじめまして、nakanohoundさん。kyotomaikoと申します。ご質問拝読しました。心配なさらなくても結構かと存じます。アフガンハウンドには稀に成長の早い品種がいるのです。それはアメリカのトップブリーダーたちによって品種改良されたアフガンハウンドです。

どういうことかと申しますと、そもそもトップブリーダーという人々は、ドッグショーでチャンピオンになれるような犬を理想として飼育しているわけです。しかし、そのドッグショーにおいて子犬がチャンピオン犬になるというのは極めて稀なケースなのです。つまり彼らにとって、子犬の期間というのはほとんどコストの無駄を意味しているわけです。

そこでニュータイプと呼ばれる、遺伝子レベルから品種改良されたアフガンハウンドが誕生しました。このニュータイプは極めて優良かつ強力な遺伝子を持っています。三カ月程度で大人の犬に成長し、イルカやチンパンジーにも劣らない高い知能を保持しています。

私たちが姉妹で飼っている二匹のニュータイプのアフガンハウンドもすごくお利口さんで、やはりとても早く大人の犬に成長しました。ご近所の人たちはビックリしていますけど、早く成長するからといって、それで寿命が短くなるわけではありません。それどころか、彼らは今だに進化の過程にあるのです。

nakanohoundさんが飼っていらっしゃるアフガンハウンドは間違いなくニュータイプです。どうかこれまでどおり、変わらない愛情を注いで育ててあげてください。そうすれば、私たちには素晴らしい未来が待っているのです。』


今まで大して気にもとめていなかったが、帰宅電車の車内で携帯電話とニラ目ッコしている勤め人たちの群れをあらためて眺めていると、仕事帰りの彼や彼女たちが全員、自分たちの妄想をせっせと電波にのせ、どこかへ発信しているように見え、いささか薄ら寒い感じがしなくもなかった。

私は知恵袋に寄せられた最後の回答について、仕事帰りの電車の中で考えを巡らせていた。

あの文章をどう解釈したらよいのだろうか。書かれている内容を素直に解釈して喜んだらいいのか。遺伝子改良?ニュータイプ?素晴らしい未来?

どの言葉も胡散臭いが、一番の極めつけは「私たち」だ。ネットの向こう側の人間に「私たち」と呼ばれる筋合いはない。

あの回答を寄せたのは、間違いなく妹セレブだろう。私のデスクのパソコンはセレブ姉妹によってハッキングされているのだ。当然「nakanohound」が私であることを彼女たちは知っている。そうでなかったら、あんなタイミングであんな回答を寄せることはできないんじゃないか?しかも、わざわざ自分の正体をバラす真似までして。相当な自信だ。

こうなると、もはや美人局どころの話ではなくなってくる。もっと大掛かりな組織的犯罪の匂いがしてくる。ゴールデンレトリーバーとアフガンハウンドを間違えてよこしたNPO団体の存在だって怪しくなってくる。もしや、セレブ姉妹とその団体とはどこかで繋がっていて、遺伝子操作されたアフガンハウンドを世界を股に架けて売りさばいていたりするのではないか。

だがそうなると、そのNPO団体の知人から[TSUTAYAガラパゴス]を預かってきたという私の妻の立場は。まさか....。

こうなったら、一日でも早く[TSUTAYAガラパゴス]に家から出ていってもらうのがなによりだ。それが一家の家長である私の役目だ。

家に帰ったら、早速、iPad版『ハリーポッター』を読んでやろう。家事は全部妻まかせだ。


私はイの一番にプラットフォームへおりた。しかし、駅をでて家路を急ぐうち、その足取りは梅雨の夜の湿った空気みたいに重くなっていった。

電車の車中で良き家人に変身したはずだったのに、歩くことによって脳が活性化されたのか、私の頭の中で家長の仕事の存在意義が、街灯にゆらめく蜃気楼のように危ういものになりはじめていた。

よくよく考えてみたなら、セレブ姉妹の言うことが事実であったとすると、[TSUTAYAガラパゴス]を大きくするために、わざわざ『ハリーポッター』を読む必要はないのではなかろうか。だって遺伝子レベルで勝手に大きくなるように改良されているわけだから。放っておけばいいのだ。

しかしそうなると、私の妻の立場は微妙なものになってくる。『ハリーポッター』を読んであげたら[TSUTAYAガラパゴス]が大きくなったと彼女は言った。

いったい、どちらの発言が真実なのか。

常識で考えたなら、両者とも間違えていると捉えるのが普通だろう。しかし、それでは[TSUTAYAガラパゴス]が急成長した理由が説明できない。現にヤツは大きくなっているのだし、今後もそうあってほしいと家長は願っているのだ。

私に言わせたなら、遺伝子操作はSFだが、「本を読み聞かせたら....」というのは、おとぎ話にでてくる登場人物のセリフだ。論理的に考えれば、いくらかセレブ姉妹のほうに歩がある。

たぶん、その場に居合わせていたときに、妻はたまたま『ハリーポッター』を読んでいただけなのだ。それを彼女は勘違いしてしまった。まるで、なにかの魔法にかけられたように....。

フィニートインターテム!魔術よ去れ!


せっかくだが、「ホグワーツ魔法学校」への入学許可は辞退することにしよう。だいたい犬に本を読んで聞かせるなんて、いい歳をした大人のする行為ではないし、そもそも[TSUTAYAガラパゴス]については口出ししないようにと、当の妻からキツく言い渡されていたではないか。口出しできない家人が、どうして犬に本を読み聞かせなければいけないのか。こんな理不尽で不条理なことはない。まるでその場しのぎに編み出された税金みたいだ。

ようやく私は本来の自分を取りもどした。税制のことはどうにもできないが、家庭内に蔓延る理不尽には毅然とした態度でのぞむ。これこそ本来あるべき家長の勤めだ。妻のiPadから迷信と魔術のアイコンを消去させ、秩序と論理によるバージョンアップを強制執行するのだ。

私は赤門を前にした受験生のごとく我が家の玄関前に立った。インターホンを押し、ドア越しからいつもの妻の声が聞こえた。


「ほらほら、あの人、息子さんがいたじゃない。河童みたいな。その河童の息子さんがね、大学卒業したあと小さい製薬会社で働いてたらしいんだけど、最近、すごいトコに転職したらしいのよ。でね、その転職の条件の中に、お父さんの再就職の斡旋話も入ってたってわけ」

朝の会社のトイレで、掃除のオバチャンが言った。

「『日本医薬財団法人』っていったかな。厚生官僚の天下り機関だよ。2、3年、デスクの前にいるだけで何千万も退職金がもらえるようなさ。ほんと羨ましいよ。そういやお前、最近付き合い悪いよな。五反田にいい焼き鳥屋見つけたんだけど、受付のシノブちゃん誘って....」

昼飯時の蕎麦屋で、同期の経理社員が言った。

「私が人事のことなんて知ってるわけないじゃないですか。それより、テゴシさん、午後の始業時間とっくに過ぎてますから。こんなところで油売ってるとまた部長から大目玉くらいますよ。焼き鳥?私、アレルギーなんです。鳥肉」

受付嬢のシノブちゃんが言った。

「今日の送別会は全員参加だから。よろしく。くれぐれも余計な詮索をして、主賓を困らせたりすることのないように。相手がもう同僚ではなく、すでに財団法人の役人で、場合によっては会社の利益を左右しかねない人物だということを常に念頭に置いて接するように。とくにテゴシさん、あなた一番付き合い長いんだから、サポートよろしく頼むよ。五反田の焼き鳥屋はつぎの機会にしたまえ」

午後のミーティングの席で、私より五つ年下の部長が言った。

「いえいえ。送別会は欠席させてもらいます。だって、私には大切な用事があるんですから。妻のためにケーキ屋に寄って、まっすぐ家に帰るんです。五反田の焼き鳥屋は、あくまで付き合いで聞いたまでですよ。他意はありません。誕生日?いいえ、妻の誕生日は一月十九日。山口百恵と二日違いです。ケーキは昔の紙芝居屋が売ってたアメみたいなもんですね。ええ、私は紙芝居屋のオヤジなんですよ。私家版のね。愛犬の[TSUTAYAガラパゴス]に本を読んで聞かせてやるんです」

午後のミーティングの席で、私はそう心の中で呟いた。


「どうでもいいことは世間に従い、大切なことは自分に従う」

そんな言葉を書き残したのは、たしか明治の文豪夏目漱石だった。先人の言葉を私流に書きかえれば、

「どうでもいいことは世間に従い、大切なことは妻に従う」

とでもなる。

その漱石が『吾輩は猫である』を書いたのは四十になってからだという。漱石は明治時代の人だから、現代の感覚でいえば、五十歳ぐらいにはなるだろう。

紙幣に印刷されるような偉人は特別だとしても、それなりの庶民でも、それなりの人間的成長は歳をとってからでもできるものらしい。

あらゆる観点において妻の判断は正しかった。秩序と論理とか言いながら、もっぱら晩酌とテレビ鑑賞ばかりに費やされていたダメ亭主の怠惰な夜の過ごし方を一変させ、彼女は迷信と想像力によって、我が家に新しい秩序と良き習慣をもたらした。


あの夜、私は妻になにも言えなかった。どうにかして妻の迷信を論破しようと考えていたのに、玄関先で明るく出迎えてくれた彼女の顔を見た途端、自分のしようとしている行為が、クリスマスイブにサンタクロースを待っている子供の夢を壊すのに等しいと気がついたのだ。

そんなわけで私は見事に家長になりそこね、サンタクロースの髭を付ける代わりに、iPadを持った紙芝居屋のオヤジもどきになった。

今では仕事後の付き合はすべて断り、途中立ち寄ったケーキ屋の小さい箱を手にぶら下げて真っ直ぐ自宅に帰るのが日課になっている。

ネクタイを解き、背広を脱ぎ捨て、徐々に私は紙芝居屋のオヤジもどきに変身してゆく。パジャマに肌着。私はいつものユニフォームに着替える。

夕飯を終え、風呂からあがると、さっきまでついていた居間のテレビはすでに消されている。ちゃぶ台を占拠していた食器類はキレイに片付けられ、そこにはただ平たいiPadだけが、電子仕掛けの置き手紙みたいな顔をしてのっている。

濡れた髪をバスタオルで拭きながら、まるでその置き手紙にはまったく気づいていない素振りで私はソファに腰をおろす。そこに妻が冷えた野菜ジュースをコップに入れて持ってきてくれる。いつもそれを私は一気に飲み干す。風呂上がりで喉が渇いていることもあるけども、コップを空にするまで妻が横で待っているのが主な理由だ。

いささか淋しくなってきた私の髪が乾きはじめるころに、妻は今度、コーヒーとケーキとをお盆にのせて入ってくる。もちろん、コーヒーはちゃんと夫婦二人分ある。

午後のカフェテラスのような香りが居間にただようと、それが[TSUTAYAガラパゴス]にとっての合図になっている。夕飯を喰ったきり縁側で狸寝入りしていた奴が、すっかり大きくなった図体をのっそり起こす。


[TSUTAYガラパゴス]の顔は、今ではキュウリみたいに細くトンガり、そこに金八先生顔負けのロン毛がのっかったような塩梅になっている。畳の上を、『スターウォーズ』のチューバッカと、『帝国の逆襲』で冬の惑星をノシノシ歩いていた四本長脚ロボットとを掛け合わせたかのごとき生き物が、毛をフワフワさせながら横切ってゆく。

その姿は私に、我が家の居間が、まるで異次元世界への入り口になってしまったかのような錯覚を抱かせる。本来、現世に存在するはずのない生き物がここに迷い込んできたかのような。浅瀬に打ち上げられたシーラカンスみたいに。

初夏の夜風が、扇風機の風と混ざって居間に入り込んでくる。妻がエアコンの苦手な我が家では、縁側のガラス戸はこの季節ずっと開けっぱなしだ。それでも思いのほか外は静かだったりする。まるで周囲の住民が私たち一家に気を使ってくれてるよう。時折、自動車の走り去る音が聞こえる。

妻は私の向かいにクッションひいて床に座る。[TSUTAYAガラパゴス]はその横に長い腰を窮屈そうに折り曲げて横たわる。その場所が奴の指定席だ。二人を見下ろす格好になる私は、期せずして本当の家長になったみたいだ。

事をはじめる前に、一瞬、ほんの一瞬だけ、私と[TSUTAYAガラパゴス]は視線を合わせる。お互い準備が整ったのを知らせるかのように。魔術の契約をとり交わした者同士。

それからようやく私はiPadの電源を入れ、店主よろしく二人の顧客に告げる。

「それでははじめたいと思います」

妻が蝶々の羽音めいたエアー拍手をする。


週末の夜、元上司の送別会はいつも会社の飲み会で使われている大衆居酒屋より明らかにグレードの高い料亭みたいな店で開かれた。常にリストラ候補のトップを独走していた人のための会としては異例の待遇だ。奴さん、謎の失踪をとげたと思っていたら、身分不相応な肩書きをもってもどってきやがった。

日本庭園風の中庭を囲んだ回廊を着物姿の女中さんにゾロゾロ案内され、これまでの主賓にたいする数々の非礼を思い起こしながら、私たちは有難迷惑な罰ゲームにのぞむ御一行よろしく座敷に入った。

もっぱらガード下専門のサラリーマンとしては、せっかくの贅沢な経験だったけども、今は妻と愛犬が家で待っている身故に、元上司に挨拶だけして、とっとと退散させてもらう腹でいた。しかし、人間ちょっと偉くなるとこうも素早く変わるものか、何十年も無遅刻無欠勤だけが取り柄だった人が、この夜にかぎって一向に姿をみせない。おまけに、知らないオッサンが部長と一緒に上座にいるなと思っていたら、それがじつは我が社の社長で、これでは帰るに帰れない。仕方ないので、私はトイレに立つフリをして妻に帰りが遅くなる旨をメールした。

すると、思いもよらぬ返信メールがとどいた。ラブラドールレトリバーとアフガンハウンドを間違って寄こしたあのNPO団体が、明日引き取りにやってくるというのだ。大人になった[TSUTAYAガラパゴス]を。ひいてはご主人にも一言お礼を述べたいと向こうは言ってるらしい。

なんという事だ。やっと紙芝居屋のオヤジ役が板について、夫婦水入らずの時間がつくれたというのに、我が家の朗読会はすでに昨夜のうちにあっさり終わっていたのだ。


送別会ながら一向に寂しく悲しくもなかった私は、ようやく会本来の趣旨に合った心境で座敷にもどった。

主賓はいまだ到着していなかった。皆好き勝手に呑み食いしている。見れば、ウチの部署の女子社員にまじって、関係のない受付嬢のシノブちゃんまできている。美味しそうに焼き鳥を頬張っている。しかし私が一人、下の席でヤケ酒をはじめたのは、断じてそんなことが理由ではなかった。

本来、本の朗読は[TSUTAYAガラパゴス]の成長を加速させ、一日でもはやくNPO団体に引き取ってもらうためにはじめたものだった。だからこれで目的は達成されたわけで、ヤケ酒ではなく、むしろ祝杯をあげていいはずだった。

しかし、私の心は晴れなかった。それもそのはず、私にとって朗読会はもはや最初の目的から大きく軌道をハズれ、つまり[TSUTAYAガラパゴス]のことなどどうでもよくなり、ほとんど私たち夫婦の絆を繋ぎとめるためにつづけているようなものなのだ。少なくとも私の方としては。

ただ、そうかといって[TSUTAYAガラパゴス]の存在がなければ朗読会そのものが成立しなくなる。そうなれば、これからが夏本番だというのに、私たち夫婦の間には一足早い秋風がふたたび吹きはじめることだろう。

これが呑まずにいられようか。


不愉快な男女の歌声で目が覚めた。目が覚めたらどういうわけか私はカラオケボックスのソファにもたれていた。

部長とシノブちゃんがマイク片手にデュエットしていた。今時カラオケでデュエットなんて。まるでおバカなバブル期に舞い戻ったかのようで、まったく不愉快だ。

さらに不愉快なのは、振り向いたら横に元上司がいたことだ。どうやら私は一次会の料亭ではやくも酔いつぶれ、二次会だか三次会だかの席に運びこまれてきたらしい。どうせならそのままタクシーに乗せて自宅まで送り帰してくれればいいものを。まったく、最後の最後に遅刻しやがって。本当なら家で最後の朗読会ができたはずなのに。送別会だから許してやるが、これが普段の飲み会なら速攻で狸寝入りにもどっているところだ。

元上司はこちらの腹の底などつゆ知らず、くだらないデュエットに付き合っている。ニコニコして、仏のような顔を向けている。この人のこんな穏やかな横顔を見るのは何年振りだろうか。

「やあ、やっと起きたか。君は昔から酒の席でよく寝てたね」

寝起きの元部下に気がついた元上司は、氷の入った水をコップに注いでくれた。それを私は一口飲んだ。てっきりそのあとには型通りの別れの挨拶がはじまるのかと思いきや、オッサン、いきなり妙なことを口にしはじめた....。

新しい社員章らしき紅色のバッチがその襟元に光っていた。そこにアリクイみたいな犬の横顔が、銀色の輪郭となってクッキリと刻印されていた。きっと普通の人にはそんな犬は縁遠いはずだろうが、私はその名前を一言一句違わずに発音することができたし、見分けることもできた。それはノアと一緒に箱舟に乗ったという伝説の犬だ。

元上司は仏の表情に一筋の煩悩を浮かべながら言った。

「ところで、君の犬はどうした?」


「まさか私が言ったことを守って、本当にどこかに捨てにいったりしてないだろうね」

そう言う紅色のバッチを胸につけた男の顔には、煩悩の影が、酔っ払いの赤ら顔みたいに色濃くではじめていた。どうも私は、煩悩による恍惚を、純粋な笑顔と見間違えていたようだ。

ただ、酔っ払いだったら私だって負けてはいない。私の喋り方は、口の中の氷と、冷めきらない酔いとで、煩悩まる出しだった。

「へえ。まらフチにひますよ。ペットを捨ちぇるニャんてできまへんきゃら」

「そうか。それならよかった」元上司はつづけた。「私の忠告はまったくの間違いだったよ。アレは素晴らしい犬だ。可愛がれば可愛がっただけ贈り物を返してくれるんだからね」

「キュルにょ恩ぎゃえしですきゃ?」

私は「鶴の恩返しですか?」と聞いたつもりだった。バッチおやじはそれを無視した。さては上司風がもどったか。

「ところで、君は君の犬になにをしてやってるんだね。つまり、散歩とかエサやりとか以外に、犬の成長のためになにか特別なことをさ」

「特別にゃシャン歩と、特別にゃエシャやりをやってましゅ」

「アハハハ....そうかい、それはいいね。とにかく君の犬を立派に育てあげることだよ。そうすれば、そのうちきっと君にも悪くない話が転がり込んでくることだろう。そうなったら、私たちはまた一緒に仕事をすることがあるかもしれない。ここにいる他の連中とは二度と会わないだろうがね。まあ、その時がきたらよろしく頼むよ」

元上司は私の肩にポンと手を置いてソファから腰を上げた。マイクをトロフィーみたいに掲げた部長が向こうで呼んでいる。

私は頬をツネる代わりに氷を噛み砕いでみた。奥の虫歯が疼いた。

ほどなく、バブルの頃に毎晩のように聞かされた元上司の十八番が聞こえてきた。私は本格的に狸寝入り状態に入ることにした。


その夜、私は数年振りにタクシーで家に帰った。なんだか本当にバブル期に舞い戻ったような気分だった。

家の近所で悪い夢を降り、猫の夜鳴きしか聞こえないような暗い通りを歩いていった。遅くなると電話を入れておいたから、いつも夜のはやい妻はとっくに布団に入っていることだろう。最後の朗読会が開けなかったことはつくづく残念だけども、これも致し方ない。あと数時間もすればNPO団体が[TSUTAYAガラパゴス]を迎えにやってくる。私もシャワーだけ浴びてとっとと寝床に入るつもりでいた。

だが、私のささやかな安眠の願いは、見慣れた屋根の影に一歩一歩近づくたび逆に遠のいてゆくのだった。終いに私は、今夜の自分に安眠など訪れないことをハッキリと悟り、かつてのバブルの狂乱など、むしろ真っ当な出来事だったように感じることになったのだ。

その光源は深夜の道路工事にしては必要以上に眩しすぎたし、蒼すぎた。ほとんど夜間飛行のパイロットを誘導する飛行場のサーチライトのようだった。

どういうことなのかさっぱり分からないけども、我が家の方向から、まるで光のモニュメントのごとき青い閃光が、夜空に向けて放射されていた。斜め45度ぐらいに、南南西の方角を真っ直ぐ指していた。

私は何かの啓示を発見したみたいに足を止め、夜空を見上げていた。

当たり前だが、ウチの近所にボーイングが停まるスペースはない。でも、小型のUFOぐらいだったら停められるかもしれない。まんざら心当たりがなくはない私は先を急ぐことにした。無論、家にいる妻のことが心配だったから。

こうなったのもすべて、あのイカれた元上司が遅刻したせいに違いない。


本来なら玄関の電灯だけが主人の帰りを孤独に待っているはずの凡庸な我が家が、深夜のドンキホーテを一まとめにしたよりも眩しく光っていた。

夏の蛾たちが、花に集まる蝶のようにたかっている。

熱くはない。物音もしない。ただ、縁側のガラス戸がカーテン越しに青白く発光している。今にも破裂しそうな電球ほどに。テレビや蛍光灯ではあんな輝きは放てないだろう。一般家庭の電力量をとっくに超えているかもしれない。

こうしてはいられない。私は玄関のドアをこじ開け、妻の名前を呼びながら土足のまま家に上がった。

廊下は暗かった。聞こえてくるのは自分の靴音だけ。居間のドアを縁取った形の青い光が廊下に溢れでている。間違いなく、発電所はその中だ。奥の寝室に入る前に、私は恐る恐るそのノブを回した。

なにも見えなかった。強い閃光に瞼を細め、私は片手でヒサシを作った。ブーン、という低いモーター音が部屋から聞こえる。

やがて目が慣れてくると、純白のスクリーンに薄い影が浮かび上がるかのように、私の視界に異様な光景が映りだした。

朗読会の時、いつも私が腰掛けているソファの上に[TSUTAYAガラパゴス]がいた。前脚を揃え、何かを覗き込んでいる。音楽に耳を傾けるレコード会社のマスコット犬にみたいに。

だが、ウチにレコードプレイヤーはすでにない。[TSUTAYAガラパゴス]が覗き込んでいるのはiPadだ。いつも私が朗読会で使用しているiPadが、テーブルの上で低いモーター音を響かせ、青い閃光を画面から放射させている。[TSUTAYAガラパゴス]の姿が今にも光の束の中に消えてしまいそうなほどに。


いったいなにがどうなっているのか。犬が勝手に操作して、iPadが暴走をはじめたのか。それとも何かのはずみに暴走しだしたiPadを犬が覗き込んでいるのか。一人で、いや一匹で、『ハリーポッター』を読んでいるとでもいうのか。あの眩しさの中で。犬であることを除いたとして。

いずれにしても、私がとるべき行動はただ一つ。iPadの電源を切ることだ。

私は手のひらの下に視野を確保しながら、光の中心へと歩み寄った。がその時、私の視界に入ってきたのは、[TSUTAYAガラパゴス]の四本脚ではなく、パジャマを履いた二本足だった。視線を上げた先に、もう一つの影が立っていた。光の中に、レイバン風のサングラスをしたパジャマ姿の妻が。

彼女は両腕を組み、[TSUTAYAガラパゴス]を見下ろしていた。まるで実験の様子を観察する研究者みたいに。知ってか知らずか、後から入ってきた夫には目もくれない。

たとえ妻の眼中になかったとしても、[TSUTAYAガラパゴス]の一方の飼い主であり、またiPadの共同出資者でもある私には、この状況を説明してもらう権利が当然ある。見たことのないサングラス の出処も含めて。

しかし、私が口を開く前に、iPadのモーター音が突然その音量を上げた。危険を知らせるブザーのごとく部屋に鳴り響いた。私の目下の目的は、とにかく光るiPadを止めること一点にふたたび集中した。事情を聞くのはその後だ。

私はテーブルに手を伸ばした。もちろん、もう一方の手で目をかばいながら。だが、どういうことなのだろう、なんと妻が立ちはだかったのだ。あろうことか、サングラスを掛けたおばちゃんレスラーみたいになって私の両腕を押さえ込んだのだ。おかげで私の視線はまともにiPadの画面に注がれてしまった。

もしかしたら、妻は私にもあの光を見せたかったのかもしれない。あの光はなにか特殊なものだったのかもしれない。なぜなら、ちょうどその時、iPad画面の発光が威力を増し、私と[TSUTAYAガラパゴス]とは、太陽に引き寄せれる小惑星のごとく、その光の中に呑み込まれてしまったから。

そして私の記憶はそこでチョン切れた。


ウチの近所に一年中クリスマス風のイルミネーションを家の周囲に飾り立てている一家がある。いったいどういう神経なんだろうと、かねがね不思議に思っていたけども、あの夜の我が家は、そのイルミネーション一家が見たら、さぞかし羨むほどの賑わいだったに違いない。もっとも、肝心なショーのクライマックスの記憶が私にはないのだが。

私が最後に見たのは、[TSUTAYAガラパゴス]の横顔だった。その形相が今も私の脳裏に焼き付いている。

奴の目は、何かにとり憑かれたようにiPadに向けられていた。一粒の光の粒子も取り逃がすまいといった剣幕で、気のせいか自慢のロン毛が光になびいて少し逆立っていた。

犬は飼い主に似るとはよく言うけども、いったい奴は誰に似たのか。いいや、誰にも似てはいまい。あれは犬の目ではなかった。そこには明確な意志が宿っていた。人間である私なんぞよりよっぽど。

普通、動物に本能はあっても、人間のような意志はないはずだ。意志があるということは、言いかえれば目的を持っているということだから。正月にお雑煮を食べる犬はいたとしても、一年の計画を立てる犬はいない。

もしかしたら、[TSUTAYAガラパゴス]はラブラドールはおろか、アフガンハウンドですらなかったのかもしれない。私がずっとiPadだと思っていたものは、じつはiPadではなかったのかもしれない。そして、私がずっと自分の妻だったと思っていた女は、じつは....。

いいや、よそう。こんなことを考えてもいいことは何もない。


頭痛で目が覚めるということが私には時々ある。たいていは月曜日の朝。でも、その日は土曜日で、本来ならのんびり気分よく一週間分の微睡を布団の上で享受していいはずだった。

けれども、私はズキズキする前頭葉あたりを押さえながら体を持ち上げた。原因は分かっている。昨夜のiPad騒動。アレだ。むしろ分からないのは、寝室の布団の上で目覚めたことのほうだ。自分の力でここまでたどり着いたのだろうか。私の両足は革靴を履いたままだった。

妻の横の布団はすでにもぬけの殻だった。敷布団の上に掛け布団が畳んである。その上に枕。さらにその上に昨夜のレイバン風サングラスがチョコンとのせられている。なにか意味があるのだろうか。私へのメッセージなのだろうか。だとしたら、妻は私を買いかぶり過ぎだ。私には何の意味だかさっぱりわからない。

とりあえず私は靴を脱ぎ、それを玄関まで置きにいった。

だが、自分の靴を片手にぶら下げながら、私はそれを玄関先に並べることに思わず躊躇してしまった。なぜならそこに、およそ我が家風情には不釣り合いなピカピカした黒い革靴が置かれていたから。百貨店のショーウィンドに飾られているようなエナメルの男物。もしや二月早い妻からの誕生日プレゼントだろうか。

いや、そんなことはありえない。二重三重の意味で。去年の誕生日プレゼントは確か靴下だった。一年も経たないうちに、靴下がエナメルの革靴に昇級する理由はない。それにその靴はバレエの踊り子が履くトウシューズみたいに細いのだ。妻の足だって入らないかもしれない。コレの横に私の履き潰した革靴を並べたら、ほとんどカバと黒鳥ではないか。

恐らく、[TSUTAYAガラパゴス]を引き取りにきた例のNPO団体の職員のものだろう。ウチに来客がそうくるはずもない。

しかし、介護犬育成のNPO団体だから、てっきり動物園の飼育員みたいな、ゴムの長靴を履いたような職員がくるのかと思っていたが、どうも様子が違うようだ。

私は自分の履物を靴箱に隠すようにしまい込み、居間へと向かった。色々あったが、とりあえず[TSUTAYAガラパゴス]にサヨナラを言わねば。


「これはご主人。お邪魔しています」

男は言った。老舗の御曹司みたいな喋り方だった。たしかにゴムの長靴は似合いそうになかった。

妻とソファに向かい合って座ったその男は、優雅と言ったらいいのだろうか、なんだかぜいぶんと育ちが良さそうで、同性のオッサンから見ても品があるのが分かった。

でも、そんなことはどうでもいい。私はただ愛犬に、いや元愛犬に、お別れを言うために顔をだしただけなのだ。

しかし、どういうわけか居間に[TSUTAYAガラパゴス]の姿は見えない。いつも妻の横に長い毛を垂らして寄り添っているはずなのだが。

こうなってしまうと、私はNPO職員に挨拶するために顔をだしたことになってしまう。そこで妻に[TSUTAYAガラパゴス]はどこにいるのか尋ねてみると、彼女はそのNPO職員の男と視線を交わし、夫の質問には答えずに、なにやら二人の間だけで通じるような意味深な笑みを浮かべるのだった。

これはどういうことなのか。この男、いったい何者だ?

さては、NPO職員という思い込みは私の早合点で、本当は化粧品のセールスマンだとか。それなら、あの優雅さもうなずける。きっと優秀な営業マンなのに違いない。妻はなにを買わされたのやら。

いいや、そうではない。妻は男からなにも買ってはいない。少なくとも化粧品は。その証拠を私は見た。

男はおもむろにソファから立ち上がり、なにを思ったか私と向かい合った。筋のとおった高い鼻をしている。背が高く痩せているが、若いのかそうでないのかはよく分からない。髪が長く肩まであって、半分ぐらい白髪なのだ。そして淡色の麻っぽいスーツの襟元に、紅色したバッチが光っている。そこには紛れもなく銀色のアフガンハウンドが刻印されていた。

やはりすべて繋がっている。


「ご主人、短い間でしたが大変お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

男は言った。紹介もまだなのに。初対面の御曹司に礼を言われる筋合いはないのだが。

男の言葉から推測してみると、その気になれば老舗の御曹司が私のためにできることはいくらでもあるだろうが、私が御曹司にしてやれることなどまずないわけだから、恩というのはどう考えても[TSUTAYAガラパゴス]のことで、男は老舗の御曹司ではなく、NPO団体の職員ということになる。それ以外は考えられない。だとしたら、なんて性急で、大袈裟なNPO職員なのだ。ここは一つ、ビジネスライクに名刺交換からはじめるのが一般的ではないか。

もしかしたら、NPOの世界では名刺交換はやらないのかもしれない。あんなカビが生えたような古臭いビジネスモデルは端から採用しないのかもしれない。それとも、あの紅いバッチを付けた連中だけがそうなのだろうか。

元上司も自慢気に身に付けていたけども、そもそもあのバッチはなんなのだ。どういった組織のシンボルなのだ。フリーメーソンみたいな秘密結社なのか。ダーマ・イニシアティブとか。

いずれにしても怪しい団体であることは間違いない。

嘘か誠か知らないが、一生忘れないほどの恩を受けたと向こうは言っているのだから、それぐらいのことを知る権利は私にはあるだろう。そこで、男に「いいバッチだね。一つ私にも譲ってくれないか」と聞いてみようと思ったのだが、それができなかったのは、そうする前に私が男の目をまともに見てしまったからだった。

以前にもそれと同じ目を見たことがあった。正確に言えば、つい昨日まで。男はそれと同じ目をしていた。麻のスーツより黒いマントが似合いそうな。まさか....。

「どうかお元気で」

鼻の高い男はそう言い残し、私の横を通って部屋からサッサとでていった。初対面のはずなのに、紹介も挨拶もまるでなし。それにしては、なんだか自分の家みたいに慣れた身のこなし。

「あなた、玄関までお見送りして」

妻が言った。哀願するように。たぶん彼女の中では、私の方がよほど社会的には怪しい存在なのだろう。私は彼女の胸に紅いバッチがないことを確認してからその指示にしたがった。


エナメルの革靴はすでに玄関になかった。家の表に黒塗りの大きな外車が道幅いっぱいに停められている。よほど羽振りのいいNPO団体なのだ。私が外にでた時、男はちょうどその助手席に乗り込もうとしているところだった。こちらをチラッとも見なかった。もう一生分の恩返しは済んだらしい。

一応、私は車内に[TSUTAYAガラパゴス]の姿を見つけようとしたが、後部座席の窓は黒いスモークガラスで、中が見えない。諦めかけたとき、その黒窓がスルスルと下におりはじめた。

車に[TSUTAYAガラパゴス]は乗っていなかった。大型犬だから、いれば体の一部分ぐらいは見えていいはずだが、もしかしたら座席の下の方に体を丸めて横たわっているのかもしれない。

でも、仮にそうだったとしても、もはやそんなことはどうでもよかった。代わりに後部座席に見えたものが、私に[TSUTAYAガラパゴス]の存在そのものを忘れさせてしまったのだ。

窓際の座席にピンクのジャージを着た妹セレブが乗っていた。奥には紫ジャージの姉セレブの姿も見えた。そしてもう一人、セレブ姉妹に挟まれてかしこまっている若い男が乗っていた。それが京都にいるはずの、京都の大学に通っているはずの、私の息子だった。以前よりちょっと痩せたみたいだが、間違いなく私たち夫婦の子供だ。

それは一瞬の出来事だった。頭の中で黒窓の下りる瞬間が何度もフラッシュバックする。呆気にとられて声もでない。


「おい、お前....」

私がやっと後部座席にむかって呼びかけたのは、黒窓がすでにスルスルと上がりはじめた時だった。だが、私の声に反応をしめしたのは息子ではなく、妹セレブの方だった。彼女は栗色の髪を今日は胸まで垂らしながら、私にむかって貴婦人のような会釈をしてみせた。奥の姉セレブは退屈そうに頬杖をついている。息子はというと、これがまるで赤の他人のようにチラリともこちらを見ようとしなかった。

「おい、おい」

私は閉じられた黒窓に向かってなおも呼びかけた。ほとんど水族館のオットセイ並みの発声と動きだった。車は中年オットセイを無視して走り去った。

私は何がなんだか分からず、家の前に呆然と立ち尽くした。まだ昨日のクチャクチャになった背広を着たままだった。どこかの家の庭先で蝉が鳴きはじめた。

「全部あの子のためなの」

背中に妻の声が聞こえた。振り返ると、叱られた子供みたいな顔をして彼女が立っていた。

「あの子の将来のため。こうするのが一番いい選択だった。あなたにもいずれ分かるから」

言葉が見つからなかった。妻は蝋人形みたいに固まった夫の表情をほぐすためか、精一杯の笑顔をつくったようにして言った。

「これからは本当に二人切り。さあ、続きを読んで。今度は私のために」

彼女は手にしたiPadを私に差しだした。



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