帰ってきた帽子サラリーマン⑨
五人の女性たちが散らばっていき、オフィス内に星の形に並べられた椅子にそれぞれ向かい合って腰掛けました。彼女たちは肩のトートバッグを片時も身体から離そうとはしませんでした。そのトートバッグは、さながらレインマンにとってのレインコートのようでした。それは帽子とともに、彼女たちのアイデンティティにも等しい品物のようなのです。
スーツ姿の本子は六人目の女性となって、点を線で結んでできた星の、さらにその真ん中に浮かびあがった正五角形のほぼ中央に一人で立った構図です。
主任を含んだ六人のほかのスタッフたちは、みんな奥の壁際に一ヶ所に集まって、いまにもオフィス内ではじまりそうな五人の女性たちによるなにやら即興演劇めいたミーティングに熱い視線を送っているところでした。「これからいったいなにが起こるのかしらん?」と。
進行役の本子が奥の壁に向かって説明をはじめます。
「このミーティングは、私たちがいつどこでなにを間違えたのか、それを検証するためのものです。そして間違いを発見した場合には、すぐにこの場で指摘してもらい、全員で話し合って軌道修正したいと思っています」
本子の説明の合間、オフィスの壁際で腕組みをしながら聞いている主任が、彼女にうなずいてみせます。本子は説明をつづけます。
「ご存知のように〈編み人知らず〉は私たちを手助けしてくれています。チームのもとには、とても多くのニット帽がいまも届けられています。私たちはそれを知っていますし、ありがたく思っています。ただ一つ残念なのは、そのニット製の山高帽の正しい扱い方を私たちは完全には理解できていないという点です。私たちはなにかを読み違えているようなんです」
本子は両手を広げて、椅子に腰掛けている五人のスタッフをあらためて紹介します。
「彼女たちは私たちチームの仲間であるのと同時に、私たちにとっての〈編み人知らず〉でもあります。帽子サラリーマンたちがレインマンを自分たちの分身と考えているのと似ているかもしれません。彼らは雨や記憶といった共通する言葉で結び付いています。同じように私たちと〈編み人知らず〉は、さらに言ったなら私たちと〈編み人知らず〉と帽子サラリーマンたちは、ある共通の言葉によって結び付いています。その言葉とは〈祈り〉です」
ニット帽をかぶった〈編み人知らず〉たちは、五脚の椅子の上で、いまは眠るように静かに瞳を閉じています。本子はその一人一人に視線を送ったあとで、壁に向かって説明をつづけます。
「かつて〈編み人知らず〉は人々の無事を祈って編み、帽子サラリーマンたちは空が晴れるのを祈って帽子をかぶり、私たちは帽子サラリーマンの記憶がもどるのを祈っています。それぞれの祈る対象は大きく異なっていますけど、祈る行為そのものに違いはありません」
本子の説明がひと段落したところで、五人のうちの一人の女性が瞼を開き、おもむろに椅子から立ち上がります。彼女の名前は夏木さんといって、前回の全員ミーティングで、「祈りながら帽子サラリーマンにニット帽をかぶせては?」と提案した中年の女性その人です。彼女は本子につづいて、壁と星の中央の両方に視線を送りながら、椅子の手前で話しはじめます。
「たったいま、鴨川さんから『私たちの〈編み人知らず〉』と紹介されましたけど、じつは私、編み物は大の苦手です」
スタッフたちの間から笑い声が聞こえてきます。言った本子自身も笑っています。夏木さんは話しをつづけます。
「そんなわけで私が〈編み人知らず〉そのものになるのは無理がありそうです。でも彼女たちのメッセージを伝えるだけならできるかもしれません。私たちがこれから実行しようとしている試みはそのためのテストなんです。テストですから、失敗するかもしれませんし、もしかしたら頭にかぶったニットの山高帽が役立ってくれるかもしれません」
夏木さんは一旦椅子に腰を下ろし、つぎに五人のうちのもう一人の女性が瞼を開いて腰を上げます。彼女は前回のミィーティングで「ニット帽をかぶってもメッセージは聞こえなかった」と正直に告白した、本子よりも少し年上の女性です。
「奥山です」
彼女は壁のスタッフにあらためて自己紹介してからはじめます。
「私も編み物は苦手です」
ふたたびオフィスが笑い声に包まれます。あとで分かったことですが、五人の中に編み物を得意にしている女性は一人もいなかったようです。
「じつは私、どうにかして〈編み人知らず〉からのメッセージが聞こえないかと思って、全員ミーティングのあとにも何度か自分一人で〈帽子チャレンジ〉を試してみたんです」
奥山さんは言います。彼女が肩に掛けている白いトートバッグの中は、毛糸と編み棒を忍ばせる代わりに、ほかの四人と同じように、ニット帽専門の業者みたいな状態になっています。
「でもダメでした。どんなに帽子を目深にかぶっても、物音のしない場所で耳をすましても、〈編み人知らず〉からのメッセージは聞こえてこないんです」
奥山さんの体験談はつづきます。
「それで私は発想を変えて、逆方向から考えてみました。鴨川さんは〈編み人知らず〉の初期のメンバーであるお婆ちゃんの血を受け継いでいます。でも、初期のメンバーである彼女のお婆ちゃんが〈編み人知らず〉から血を受け継いでるはずはありません。なにしろ彼女たちよりも前には、〈編み人知らず〉は存在していないのですから。それでもお婆ちゃんからお母さんへと受け継がれた手編みのセーターは、幼い鴨川さんの身に奇跡を起こしました。私と同じように、特別な血を引いてはいないはずのお婆ちゃんのセーターが。そのセーターの一件には、私たちがいま頭にかぶっているニット帽と同じ秘密が隠されていると思うんです」
奥山さんが話しを一旦打ち切ると、残りの女性たちも瞼を開け、全員が一斉に椅子から立ち上がって、本子の元へと集まってきます。彼女たちは本子を囲こみ、同世代の若い女性がトートバッグからニット帽をとりだして、本子の頭にそれをかぶせました。〈編み人知らず〉の血を受け継いだ若い女性は、いま一人静かに瞼を閉じます。
夏木さんが五人を代表して、壁のスタッフたちに向かって話しはじめます。それは主任が展開したトンデモ説のさらに上をいく、気象庁の職員らしくない非科学的な説でした。
「古代から星の形をした印は、厄払いとして、日本も含めて世界各地で重宝されたそうです。私たちはこれから街の通りにでて、これまでの自分たちの説を立証すべく、新たな〈帽子チャレンジ〉を試みてみるつもりです。そういうわけで時間もあまりないので、結論から先に話したいと思います。〈編み人知らず〉が編み棒を使って編んでいたのは、ただの毛糸でできたは服飾品ではなかったと思います。それは希望という名のもとに、糸で編まれた、ちょうど世の中にとってのスポンジにあたるような、ある種の吸収体めいた一品になっていたと思うのです」
夏木さんの〈編み人知らず〉をめぐるトンデモ説は尚もつづきます。
「その吸収性は、編み棒を握る、彼女たちの思いが強くなればなるほど、静かに広がっていったでしょう。まるで五つの点が糸でできた線となり、ゆくりと伸びていって、やがて結ばれて一つの星の形として浮かび上がるように。おそらく彼女たちが編むものには、人の願いが執拗に込められていて、伸びた糸が世の中の禍いを集め、幼い鴨川さんの風邪を吸収し、ときには人の思いや言葉までも引き寄せる働きをみせるのだと思います」
五人の女性たちは両腕を伸ばし、その先で互いの手と手を握りしめます。彼女たちの腕は正五角形の線となって、本子の身体を取り囲みました。本子はようやく瞼と口を開き、みんなに向かって話しかけます。
「分かってもらえたと思います。つまり私たちが帽子をかぶらせなければいけなかったのは、帽子サラリーマンではなくて、レインマンの方だった可能性があるんです。それでわざわざ〈編み人知らず〉は添えたカードに『レインマンとともに』と書き残したのでしょう。その意味を私は見落としていたんです」
つづく