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帰ってきた帽子サラリーマン⑧

〈編み人知らず〉の編んだニット帽が本子を覚醒したように、本子は対策チームの女性たちを覚醒させます。ただ残念ながら、そこでは男性スタッフの面々は置いてきぼりになってしまいそうです。それでも、若き主任のかつてのトンデモ説が、彼女たち女性スタッフに貴重なヒントを与える結果になりそうなので、一矢を報いた格好になっています。それにそもそも帽子サラリーマン自体が全員男性なので、総体的には適材適所といったところです。


その主任は肩を落としながら、あるいは落ち込みそうな心をそれでも奮起させながら、かつての自分の思い付きが、女性スタッフたちに貴重なヒントをプレゼントしたとはつゆ知らずに、本庁の廊下を帽子計画対策チームが与えられたオフィスへと、慎重な足取りでもどってきたところでした。〈帽子チャレンジ〉が開始されてから一週間ばかりが過ぎた日の、お昼前の出来事でした。

オフィスの出入り口では、五人の女性スタッフが立っていて、会議からもどった主任を出迎えました。彼女たちの頭には、それぞれ色とりどりの五つのニット帽が並んでのっていて、肩からは四角いトートバッグがぶら下がっています。彼女たちの姿は、そのトートバッグに糸と編み棒を忍ばせて、あたかも夜な夜な団地の五ヶ所からなる集会所へと集まった、昭和を生きた〈編み人知らず〉の女性たちが、なにかの縁で現代社会に甦ったかのようです。


お偉いさんたちばかりが集まる午前会議からもどった主任は、オフィスの出入り口で、女性スタッフから出会い頭の謎めいた歓迎をうけたのはいいのですけど、生憎のタイミングだったようで、嬉しそうな顔はまったくみせませんでした。ただ両目をパチクリするだけでした。

それでも、会議の内容が思わしくないのを前もって耳に入れていた女性スタッフたちは、主任の反応は予定済みで、怯まずにひきつづき謎の歓迎ぶりを発揮するのでした。

ちなみにその女性スタッフの中に本子は含まれてはおらず、彼女自身はニット帽もかぶらずに、五人の背後に立ちながら、彼女たち仲間を頼もしそうに眺める、オブザーバー的な立場をとっていました。


五人の女性は年齢も見た目もバラバラで、痩せてる人もいれば、体格のいい人もいました。共通しているのは、五人が五人とも頭にニット帽をかぶって、肩にトートバッグを掛けているところでした。オフィスの入り口で女性たちに捕まった主任が口を開きました。

「見たところ、君たちはお出かけするところかな?」

「主任、いい知らせです」

「サプライズです」

「グッドニュースです」

主任は予想外のいくつもの発言を耳にして、それを一つにまとめて質問します。それに対して女性たちもまとめて答えます。

「どうやら間違いなく嬉しい知らせのようだ。どんなコウノトリが舞い降りたんだい?」

「これです」

五人は一斉に頭のニット帽を脱ぎ去りました。主任が彼女たちの髪の上に見たのは、一人に一つずつ、ポッカリ浮かんだ五つの小さな雲たちでした。


五つのニット製山高帽の下には、五つの雲の赤ちゃんたちが隠れていました。ある意味で、それはあり得ない光景でした。なにしろ、かつて一度は〈お天気博士〉と呼ばれた経験のある主たちが、本物の赤ちゃん雲を頭上にのせているのですから。

でも、同時に帽子計画のスタッフたちにとってはごく自然な流れの中にある、ごくごく自然な風景でもありました。言ってみるなら、彼らにしてみれば、雲こそは広い意味で大事な商売道具の一つであり、飯のタネだったのです。その証拠に、彼女たちの頭の上を眺めた主任は当たり前のように尋ねたのでした。それに対して女性たちもあくまで科学的に答えます。それぞれが頭の上に、赤ちゃん雲を愉快そうにプカプカと浮かばせて。

「それはなんだい?」

「新しく開発された雲たちです」

「フム。どこが新種なのかな?」

「この雲の特徴は、たとえ帽子の中で育っても、帽子サラリーマンの記憶に付着しないところにあります。内部に含んだ水分の量を微妙に調整してあるそうです」

「雲と雲の分子同士が結び付くことはあっても、記憶の分子と結び付くことはありません」

「つまり、これで帽子サラリーマンの記憶が失われる危険性は、もう存在しなくなったわけです」

「帽子の中から解放された雲は、一人で空をのぼっていって、やがて上空で仲間である、その他大勢のほかの雲たちと結び付きます」

「四年前のように大きな雨雲へと成長してみせるんです」

五人の女性の言葉に主任が捕捉します。

「ただ、そこに記憶の雨は降らないわけだね」


「素晴らしい」

五人のうちの一人の女性から赤ちゃん雲をうけとって、主任は手のひらに浮かばせながらニコニコと見つめてつぶやきます。それからふたたび女性の頭の上に雲をもどして感想を述べます。

「素晴らしいね。素晴らしいの一言だ。ただ、いまの私たちに一番必要なのは、記憶を失わない方法ではなくて、どうやったら失った記憶をもとどおりにもどせるかなんだ。どうしても私たちは道義的な責任から免れられないからね」

じつはこのとき、午前中の上層部の会議で決定された、「夏の東京の花火大会までになんらかの結果がだせなければ、帽子計画チームは解散」という結果を、主任はその場でスタッフに伝えるのを躊躇していました。代わりに彼は、さらなるアイデアをスタッフに求めるのでした。日々一進一退を繰り返している〈帽子チャレンジ〉には、当然のように是が非でも突破口が必要なところなのです。


「どうだろう、帽子サラリーマンの記憶が甦りそうな、画期的なアイデアを思い付く人はいないかな?私たちはすでにいい所まできていると思うんだ。あともう一歩なんだよ」

主任がオフィスにいるスタッフのみんなに大きな声で話しかけます。すると五人の女性たちのうしろでずっとオブザーバー的な立場をとっていた本子が、ようやく口を開きます。

「じつはそのことで私たちは主任の帰りを待っていたんです。主任の許可が取りたくて」

「いやいや、許可なんて必要ない。思い付いたことをどんどん積極的にやってもらっていいんだ」

「でも、その件は他ならぬ主任の発案なんです」

「私の?はて、私がいつそんな案をだしたのかな?」

「五人の五は、星の形をした文字になりますから」

「星の形?」

「はい。〈編み人知らず〉のトレードマークです」


つづく

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