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帰ってきた帽子サラリーマン③

帽子サラリーマンはバチが当たったと言う人たちがいます。太陽に近づきすぎたイカロスのごとく。一介の勤め人である彼らは、翼を焼かれるかわりに、名前と記憶を失ってしまったというのです。もう二度と帽子サラリーマンにはもどれないようにと。

電話ボックスを失ったスーパーマンよろしく。ウルトラアイを紛失したセブンよろしく。こっそり雲を忍ばせた山高帽をふたたびかぶれないように、我らがヒーローに変身するために必要なアイテムを奪われてしまったようなのです。


人は遥か古来から様々な方法や手段を使って天候とコミニュケーションをとろうとしてきました。私たちは神に祈り、ときに生贄を捧げ、あらゆる道具や図式を用いては、風や雲の動きに注意を向けて、その行方を占いつづけてきました。

時の移り変わりとともに私たちの方法は宗教や術から、徐々に科学へと姿を変えていって、ついに宇宙から地上を観測して、機械が来たるべき未来の答えを弾きだすようになるまで進歩しました。まるで明日の天気を占うために、揺れるブランコに乗って蹴り上げた草履や運動靴が、雲の上にまでのぼっていって膨れ上がり、あっという間にトランスファーマーのごとく気象衛星へと姿を変えてしまったかのような加速度的な時の流れでした。


人が天気を予測しているまではよかったのです。予測が当たろうがハズレようが、それはあくまでも人間たちの生活とその営みだけに限定されたお話しだからです。

ですが、直接天気に手を触れて、その動向を左右しようとなると話しは違ってきます。そうなった場合、大なり小なり人間以外の生きものたち、大袈裟に表現したなら地球上の全生命体にも、影響がでてくる可能性があるからです。


帽子サラリーマンこそは、幸か不幸か、人類史上はじめて自然界の天気におけるタブーに手を触れてしまった人間だったのかもしれません。彼らこそは地球が青い惑星であるところの、生命のサイクルが秘めている力を、怒らせてしまった張本人だったのかもしれません。

そのために帽子サラリーマンは存在を抹殺されてしまったのです。名前と記憶を消されてしまったのです。

彼ら五万人分のデータを一度に消去するのには、とくに自然界の電気エネルギーが活躍したものと考えれます。種の存続に新たなる危機感を感じた、その地球のライフサイクルからの命というシグナルに応じて。


帽子サラリーマンたちの記憶について述べると、気象庁の帽子計画チームがその問題の存在に気がつきはじめたのは、ちょうど帽子サラリーマンたちのデータ紛失が発覚した前後と時を同じくした頃でした。

チームのホームページに、帽子サラリーマンの扱いに対するクレームがチラホラ届きはじめたのです。曰く、「いつまで帽子計画チームは帽子サラリーマンに箝口令を敷くつもりなのですか?」とか、あるいは「帽子サラリーマンが彼らへの使命から解放される日は本当にやってくるのですか?」といった内容のものです。


チームへのクレームは、おもに帽子サラリーマンの家族や親類、職場関係者やガールフレンドなど、比較的関係性の濃い人々からのものがほとんどでした。

彼らや彼女たちは、山高帽やその中に忍ばせた子供みたいに小さな雲について、あるいは夏の花火やリヤカーを引いた偽たこ焼き売りについて、帽子サラリーマン本人にあれやこれやとじかに聞いてみたかったようなのです。五万人分の一人である我らがヒーローに。「子供の雲たちとは会話ができるの?」とか、「真夏に山高帽は暑くないの?」とか、「空に向かって放り投げた山高帽はあのあとどうしたの?」とか、「偽たこ焼き売りのおじさんは、普段は本物のたこ焼き売りなの?」とか。その気持ちは分からないでもありません。

それなのに見事に任務を果たし、日常的に帽子を脱いだ帽子サラリーマン本人にいざ尋ねてみたら、戻ってくる返事はいつも、「ううん、そうだね......」とか、「その話しならまた今度ね」とか、「悪いけど、いま忙しいんだ」とか、極めつけなのは、「話したいのは山々だけど、本当になにも覚えてないんだよ」とか、などなどなのです。これでは周囲にいる人々の不満が鬱積してしまうのもやむを得ないところです。


気象庁の帽子計画チームは、当初のうち微々たる数だった一般消費者からのクレームのメールについて、まったく気にとめている様子はなかったようです。それでもクレームの数が徐々に増えはじめて、ついには毎日のように帽子計画のホームページに届くようになりはじめると、ようやく事態の重大性に気がついたようでした。花火大会が終わったあとにも、チームがひきつづき帽子サラリーマンに箝口令を敷くなど事実無根だったからです。

それからスタッフが調査をはじめてすぐに、コンピューター内に保存してあった帽子サラリーマンのデータが跡形もなく消え失せている事実が判明しました。

ここにいたってついに帽子計画チームは、帽子計画対策チームへと名称を変えざるを得ない事態へと発展しました。危うくば、帽子計画そのものが解消させられそうな勢いでした。


対策チームはただちに調査結果の詳細をホームページ上に公開しました。それによりますと、焦点はおもに以下の三点に絞られたようでした。

一つ目は、帽子サラリーマンにおける帽子計画に関連したデータと、彼らのその記憶が、なにか人智が及ばないところの超越的な力によって失われた可能性があること。

二つ目は、帽子サラリーマンの記憶が失われているのは、帽子計画に関係した部分のみであり、日常生活においてはこれまで通りなんの支障もないこと。

三つ目は、帽子サラリーマンの記憶が失われたのは、山高帽の内部で育てた雲が関係している可能性があり、彼らの帽子計画に関する記憶は、山高帽から空へと放たれた雲と一体化して、花火大会が開始される前に上空から地上へと降り注いだ雨と一緒に永久に失われた可能性があること。


対策チームがホームページ上に公表した三点ですが、世間一般のポイントとして騒がれたのは、「なにか人智が及ばないところの超越的な力によって」という箇所と、「帽子サラリーマンの記憶が雨となって地上に降り注いだ」という箇所の二点でした。

それによって帽子サラリーマンの世間からの評価は、一方では「神様のバチが当たった」という意味では下がり、また一方では、「まるでSF映画の雨のシーンでつぶやかれるセリフのように美しい」という意味では跳ね上がったのでした。

結果として、帽子サラリーマンはもはや都市伝説めいた物語上の登場人物にも似た地位を獲得したかのようでした。


世間の評価が上がるにしろ下がるにしろ、ボランティアとして参加した五万人もの勤め人の記憶が失われるようでは、たとえそれが日常生活に影響のないほんの一部分であったとしても、まったくお話しになりません。二回目の帽子計画は白紙となり、立ち上がってまだ数年ばかりのチームは、解散となる可能性が大でした。スタッフはそれぞれ庁内のもとの部署にもどって、それぞれ別々の仕事をはじめるかのようでした。


もはや計画とは名ばかりの、なにもかも五里霧中な帽子計画ではありましたけど、解散の憂き目がいよいよ現実身を帯びはじめようとしていたある日の午後、虎ノ門にあるビルのオフィスに、小さな段ボール箱に入った一個の宅急便が届けられました。

送り主の欄には、とある集団を表しているのか、〈編み人知らず〉といった謎の名前が記されてあり、受け取ったスタッフが不思議に思っているところに、ほかのスタッフが集まりはじめ、その中の一人の若い女性スタッフだけが、その謎の集団の名前にどこか記憶をとどめているようでした。


スタッフに囲まれる中、若い女性が集まった社員を代表して、デスク上で段ボールのガムテープをカッターを使って開けました。

女性が中から取りだしたのは、そのオフィス内においては、なによりも神聖な一品でした。

それは一個の帽子でした。ただの帽子ではありません。だってそこは帽子計画対策チームのオフィスなのですから。仮にどんな帽子であったとしても、ただの帽子ではあり得ないのです。それは野球選手にとってのグローブであり、マンガ家にとってのペンであり、営業マンにとっての革靴にも当たる一品でした。


若い女性スタッフの手の中で、その帽子はまるで山高帽の形をしていました。彼女を取り囲んだ老若男女のほかのスーツ姿のスタッフたちは、あたかも聖母の腕に抱かれた、産まれたばかりの赤子を見つめるかのように、帽子に見惚れていました。口を開く者は一人もいません。ただ黙って産まれたばかりの赤子を見つめていました。

その帽子は山高帽のように見えました。見えたというのは、それが彼らスタッフにとって見慣れたものとはだいぶ違った印象を与えていたからです。

それは手縫いの糸で編まれた山高帽のようでした。クタッとしていて、女性の手の中で立っているのは辛そうでした。紳士洋品が所狭しと並んだ、銀座にありそうな立派な帽子専門店の、パリッとしてツルツルしたフェルト製の固い布地の山高帽とはなにからなにまで違って見えました。

おまけにその手縫いの山高帽は、マーブルチョコレートめいた七色の糸で編まれていました。それはなにより対策チームのスタッフにとっては神聖な色使いを意味していました。


帽子のつばの部分の上には、カンカン帽めいた黒いリボンが巻いてあって、そこに小さな白いカードが挟まれていました。

女性が手にとって、ほかのスタッフへとカードを手渡します。そこには青いボールペン文字で、「〈編み人知らず〉より。レインマンとともに」と書かれていました。

若い女性は帽子を頭にかぶってみせると、往年のミュージカル女優みたいに、ほかのスタッフたちに向かっておどけたポーズをしてみせるのでした。それは落ち込んで沈んでいる彼ら帽子計画対策チームのスタッフたちに、どこか希望を感じさせる彼女のポーズなのでした。


つづく

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